noir 10 for lovers 01 「濡れた髪をかきあげる」





 まだ夏の気配を残しながらも、景色や、服装や、より近いところでは学食のメニューなどなど、気が付けばあちらこちらに秋の色が混ざりだして。
 うだるようだった気温もいつの間にか過ごしやすく、夜になれば虫の声なども聞こえ始めるようになった、9月のとある日。
 今日の分の会計室での作業を終えて、紅茶とお菓子で優雅に一息を入れた後のこと。
 私は学生会室に寄って明日締め切りの書類について2、3釘を刺してから帰るからと物々しく告げる、美しくも険しい表情をした西園寺と廊下で別れて、昇降口まで歩いてきた七条と啓太は。

「あ・・・」
「おや」

 靴を履き替えて肩を並べて庇の下まで出たところで、思わず揃って声を漏らした。
 さわさわと、葉ずれにも似た静かな水音と、ひんやりと漂う濃い水の匂い。
 見上げた曇天の空から、細い糸のような雨が降っている。
 地面がまだほとんど乾いたままなところを見ると、ちょうど降り始めに当たってしまったらしい。
 水滴が、アスファルトの上にぽつぽつと小さな水玉を描いていくのを眺めながら、七条が小さく息をついた。

「困りましたね」
「はい・・・朝は晴れてたから、俺、傘のことなんか全然・・・」
「ええ。ですが止む気配もありませんし・・・伊藤くん、少しここで待っていてもらえますか?」

 空に片手を差し伸べて雨の降りを確かめているところへ、訊ねる口調を向けられて。
 啓太は伸ばした手はそのままに、「え?」と首を傾げて傍らの七条を見上げた。
 いつも用意のいい七条のことだから、教室に置き傘がありますからとかそういうことを云われるのかなと考えながら。
 すると七条は啓太を安心させるように、にこりと笑って。

「僕が寮に戻って、傘を取ってきますから」

 当たり前のようにそう云ってのけるのに、啓太は驚いて目を丸くする。

「そ、そんな! 駄目ですよっ、そんなことしたら七条さんが濡れちゃうじゃないですか!」

 過保護極まれりなこの恋人は、ものの例えなどではなくてやるといったら本当にやる。
 啓太は飛びつくようにして、今にも駆け出しそうな様子の七条の右腕を慌てて両手で掴まえた。

「伊藤くん・・・」

 必死にしがみ付いているそのつむじを見下ろして、七条は困ったような笑みになる。
 予想していた通りの反応に、こっそりとまた愛しさを募らせながら。
 衝動のままに笑みとろけた七条は、腕に掴まったままでいる啓太の背をぽんぽんと軽く宥める。

「大丈夫ですよ。こう見えて僕は頑丈ですから、雨くらいどうということはありません」
「それを云うなら俺だって平気ですよ!」
「そうですか?」
「そうです!」
「では・・・」

 とひとつ頷いて、鞄を足許に置いた七条が、おもむろにブレザーを脱ぎ始める。
 手を引いた啓太が、なにをするのかと不思議に思ってその様子を見上げていると。
 七条は脱いだそのブレザーを、啓太の頭からすっぽりと覆い被せてしまった。

「ほら。こうすれば、少しは雨を凌げます」
「っ、わ・・・・で、でもこれじゃあ、七条さんが濡れ・・・っ」

 顔が出せなくてじたばたしている啓太の様子にくすりと笑んで、埋もれている顔を襟元から覗かせてやるついでに。
 それ以上の抗議を封じてしまうように、鼻先にちゅっとキスをひとつ。

「!」
「僕は大丈夫です。さあ、雨足が強くなる前に行きましょう」
「ぁ、待ってください! 七条さん!」

 啓太の肩を優しく叩いて促してから、七条は先に立って雨の中へと駆け出した。
 その背を追って、啓太も慌てて庇を飛び出す。
 七条のぬくもりが残るブレザー越しに、雨の粒がぽつぽつと当たる感触がして。
 大粒の雨に叩かれた生地は、あっという間に水気をしみこませていく。
 それでも啓太のものよりも一回り大きなブレザーは、啓太の躰をしっかりと雨から守ってくれた。

 一定の距離を保って、啓太の歩調に合わせるように先を駆けて行く大きな背中を追いながら。
 学園からの道を小走りに駆けて、水溜りも気にせず撥ね上げて、二人はほとんど同時に寮の玄関に滑り込む。
 その頃には臙脂の生地はすっかり濡れて、ずっしりと重さを感じるくらいになっていた。

「・・・大丈夫ですか?」
「は、はい。あの、七条さんこそ・・・」
「僕は大丈夫ですよ」

 軽く息を弾ませて心配そうに見上げる啓太に優しい笑みで答えながら、七条は啓太の頭からブレザーを取って自分の左腕に掛ける。
 そうしてぺしゃんこに潰れてしまったクセ髪を、大きな手のひらがくしゃりと撫でて整えてくれた。

「よかった、あまり濡れずに済みましたね」

 啓太の顔を確かめるように覗いて、安堵したように頷く表情はいつも通りに穏やかだけれど。
 わずかに額に触れた七条の指先は、とても冷たくなっていた。
 その冷たさが、七条の身体も指先と同じように冷えてしまっていることを、啓太に教える。

「ですが下は濡れてしまいましたし、早く温まったほうがいいですね」

 向けられている心配そうな啓太の視線に気付いたように。
 七条は一瞬だけ、困ったように笑った。
 そうして雨の様子を確かめる素振りで顔を上げて、眼差しを眇めて、濡れて額に張り付いた前髪をぞんざいにかきあげる。

「・・・・っ・・」

 長い指の隙間から零れ落ちる、濡れた繊細な銀の髪。
 眦を、頬を伝って滴る雫が、左の目許の泣きぼくろと相まってたまらなくセクシーで。
 啓太は思わず目を瞠って、こくんと小さく息を呑む。
 普段かっちりと制服を着こなしている七条の、こんな姿を目にする機会なんて滅多にないから。
 それこそ本当に、最中くらいしか、ない、から・・・。

「――――・・・・」

 あれこれを思い出してしまった途端に鼓動が跳ね上がって、啓太はおろおろと目線を泳がせる。
 そうして平穏を求めてさまよわせた視線の先には、偶然か悪魔の演出か、七条の腕があって。
 水を吸ったシャツの袖がぴたりと肌に張り付いて、その白い肌色が映っているのに気が付いた。
 鍛えている印象なんてまるでないのに、すっきりと筋肉のついた肩から二の腕、手首までの引き締まったラインが目に飛び込んでくる。

「〜〜〜〜、・・・っ」

 もはやどこを見ていたらいいのか分からずにすっかり困って、ほてる頬を持て余している啓太の動揺の意味なんて。
 七条には絶対に気付かれてしまっているであろうことも、盛大にいたたまれない。
 案の定、頭上でくすりと笑う気配に、そろりと顔を上げてみれば、七条は上機嫌な猫のように目を細めていた。
 そうして長身を屈めて、悪戯っぽくきらめく瞳が、近い距離から啓太の眼を覗き込む。

「僕が、温めてあげましょうか?」
「ぃ・・・いえっ、あのっ」
「嫌ですか?」
「ぃ、いやじゃない、ですけどっ、でも・・・っ」

 やんわりと腰を抱き寄せられて、逃げ道までがなくなって。
 でも? と訊ねて寄こす、艶を増したアメジストから目が離せなくなる。

「で・・・でも・・・七条さんのほうが、寒そうです・・・」

 徐々に小さくなってしまう声音と、困ったように向けられる上目遣いを。
 受け止めて幸せそうに笑んだ七条の眼差しの甘さに、ますます鼓動が速くなる。
 合わさる胸からきっと伝わってしまっているはずの動揺が恥ずかしくて、啓太は顔を伏せて、熱い頬を七条の胸に埋めた。
 フフと愛おしげ笑う息のかかる耳が、ますます熱い。

「では・・・君が、温めてくれますか?」

 頬を合わせるようにして耳朶に落とされた柔らかな囁き。
 覚えのあるその低く艶めいた響きに、冷えていたはずの躰の芯に、ぽうっと小さな火がともって。

「啓太くん・・・?」

 そそのかす甘い声音に、誤魔化しようもなく躰が震える。
 だからもう、答えなんかわざわざ声に出して告げなくても。
 きっと伝わっているに違いないのだけれど。

 請われるまま、求めるままに。
 うずくように増していく熱をもてあましながら、背を抱く指先にきゅっと力を込めて。
 啓太は七条の胸に押し当てている額を、こくんと小さく頷かせた。





ていうかそこ玄関だから!
というのは行き交う寮生の誰もが心の中では思うけど
誰一人口に出すことのできないツッコミでしょう。

ちっとも誕生日ネタではないのですが
そのうえ慌てて書いたのがとてもよく表れている訳ですが ゚・(ノ∀`)・゚・
とりあえず!
誕生日当日にアップすることに意味があると思うことにして。
永遠の17歳おめでとう! 七条!!


wordsIndex  itemsIndex  charaIndex