noir 10 for lovers 08 「もう逢わない方がいい」「苦手なものなんて誰にだってありますよ、王様」 ことはとてもデリケートな問題で。 「俺だって、英語が苦手だし辛いものが苦手だし、怪談とかの怖い話も、あんまり得意じゃないですし」 慎重に言葉を選びながら表情を窺いながら。 啓太は手を伸ばして、そうっと丹羽の腕に触れる。 「王様がネ・・・・・・・・・・ぇ、ええええとっ、に、苦手なものがあるのだってっ、全然、おかしなことじゃないと思います」 危うく地雷を踏みそうになりながらもぎりぎりで回避して、啓太は更に慎重に慎重を重ねてフォローの言葉をつづる。 「あの・・・」 「―――――・・・・」 「王様・・・?」 まだショック症状が和らがず反応の鈍い、BL学園の王様こと丹羽哲也を心から心配しながら。 ここ数日毎日をそうして過ごしているように今日も今日とて丹羽は、トノサマと友好関係を結ぼうと自ら果敢に歩み寄ったものの、あえなく弄ばれて気を失いかけた。 子供の頃に受けた聞くだに凄絶なトラウマから決定的に猫が苦手であるはずなのに。 だから今までは、苦手な猫に自分からあえて近づこうなどとはしなかったはずのに。 それなのにどうしてかここ数日、放課後になると、飽きることなく諦めることなく、丹羽のほうからトノサマの姿を探して歩いているらしい。 さりとて状況は少しも改善されてはおらず、今日は校舎裏の丹羽がいつも昼寝をしている陽だまりで。 トノサマの会心の一撃を受けて芝生にくず折れる丹羽の姿を偶然見かけた啓太は、大層驚きながら慌ててその巨体を回収して(だって他の学生達に倒れている丹羽の姿を見せるわけにはいかないし!)、孤軍奮闘、魂を飛ばしている丹羽を励ましながらその大きな身体を支えながら、寮の丹羽の部屋まで戻ってきたという訳である。 明日は筋肉痛かもしれないと、早くもきしきし痛みだしている足腰を意識しながらベッドの脇に引き寄せた椅子にへたりと腰をおろした啓太の傍らで。 すっかりくたびれている啓太に負けず劣らずくたばっている丹羽が、ベッドの上に突っ伏した状態で低く呻く。 「なんだっつーんだよちくしょー。いつでも来いと思ってるときには姿を見せねえくせに、いつもいつもいつもいつも気ぃ抜いてるとこを狙ったように飛び出してきやがるんだあいつは・・・!」 探しているときには姿を見せず、いないらしいと気を抜いたところにひょっこりと目の前に姿を現す。 人智すら備えていそうなあの猫ならば、確かに意図してそんなイタズラをしでかしても不思議はない。 「くそー・・・ぜってーわざとだ、そうに決まってる。俺をビビらせる最悪のタイミングで毎回毎回、こう・・・」 額に縦線を刻んでぶつぶつと呟きながら自分の世界に閉じこもっていく、珍しくも後ろ向きな丹羽の姿に。 啓太はもはや掛ける言葉を見つけられず、眉をハの字にしてあははと力なく笑う以外にない。 「・・・でも、王様」 それでも、なにかせずにはいられないので。 突っ伏している大きな背中をぽんぽんと叩きながら、啓太自身も考えながら再度会話を試みる。 「やっぱり、慣れるにしても急には無理ですよ。ゆっくりちょっとずつにしましょう」 「・・・・・ああ」 「最初はなるべく会わないようにして、それでも偶然会っちゃったときには、慣れる努力をするって感じで」 「そうだな」 「俺も、協力しますからっ」 ようやく会話が成り立って。 ようやく徐々にもち直す風の丹羽の様子に安堵して、テンションを上げるように啓太は声を明るくする。 その声に誘われた丹羽が寝返りを打って、上向いて視線を合わせれば。 「頑張りましょう、王様!」 と、声の通りに明るい表情をした啓太が笑顔で、ぐっとこぶしを握ってみせた。 なにやら、当人の丹羽よりも啓太のほうがよほど張り切っているように見える。 丹羽の弱点克服に協力するという、珍しくもいつもとは逆の立場に立っているせいかもしれない。 少々不甲斐なく情けなくはあるが、こうして向けられている想いは確かにこそばゆく。 うきうきと意気込んでいる啓太に愛おしさを覚えて、思わず苦笑が漏れた。 「でも、そういえば・・・」 丹羽の状態をもう大丈夫と判断したのか。 そう云って啓太は、物思い顔でことりと首を傾げた。 「どうして急に王様のほうから、トノサマに会いに行こうだなんて思ったんですか?」 冷やかすでもなくからかうでもなく、純粋に不思議そうな眼差しを向ける啓太に今更ながらに行動の根っこの部分を訊ねられて。 丹羽は一瞬、ぐっと言葉に詰まった。 「・・・・・そりゃお前、あれだ」 「?」 「だから、その」 「はい」 「いや・・・・・・・いいだろ、別になんでも」 「???」 白状できずに、伸ばした掌でくしゃりと啓太のクセ髪をかき雑ぜて誤魔化せば。 啓太は「うわわ」と両手で頭を丹羽の掌ごと押さえて、あっけなく誤魔化されてくれた。 いまだ克服できずにいるのだから、啓太にはまだ理由を云うわけにはいかない。 いかないが、ただ・・・。 啓太の退学がかかったMVP戦の1回戦。 自分のこの弱点のせいで、惚れた相手をピンチに陥れかけたのだ。 それでも今もこうして共に学園で過ごせているわけだから、結果オーライと云ってしまえばそれまでだが、それでも、もし・・・。 「・・・・・?」 短い息をつきながら顔を見やれば、応えるように問うように、啓太がひとつ瞬きをしてみせる。 信頼しきった真っ直ぐな眼差しを向けられて。 この眼差しを失うのかも知れないと思ったときの、腹の底が冷える感覚を思い出す。 そう、もしも。 また同じようなことが起こったとして、次もオーライといくとは限らないではないか。 だから克服してやろうと思った。 たかがネ・・・・・・・・・・・・・・ゴ、・・・く、くらい・・・! いまいちくくりきれていない腹を再度くくりなおす丹羽の顔を、啓太がそうっと覗く。 「でも、王様」 「ん?」 「俺も、いますし」 丹羽がなにを考えているのか、察したのか、そうでないのか。 啓太はそう云って軽く胸を張る。 「王様の苦手なものは、俺がフォローしますから」 大丈夫ですよと頷いて。 そうして少しテレたようにはにかんでから、啓太は頼もしく笑った。 「啓太・・・」 こんなにちっこくて。 なにかあれば真っ赤になったり真っ青になったりして大慌てで俺のとこに飛んでくるやつが。 一丁前に、自分と同じ立場に立って、惚れた相手を守ろうとしているのだ。 その頑張りを可愛く思えば、身のうちに衝動が生まれて。 その衝動のまま腕を伸ばして引き寄せて、自分からも顔を寄せる。 そうしてきょとんとしている啓太の無防備なくちびるに。 ちゅ、と。ついばむキスをひとつ。 「――――・・・っ!」 丸くなった目を近い距離のまま見つめて、丹羽はにかりと笑う。 「頼りにしてるぜ」 笑みを含んだそのささやきに。 思わず詰めた息を、ゆっくりと吐き出した啓太は。 「はい、王様!」 本当に嬉しそうな満面の笑顔になって、大きく大きく頷いた。 |