小さな秘密はあっとひとつ息を吐いて。 ふわふわのぼっていく白い息を、瞬きで追いかける。 なかなか進んでくれない針がもどかしくて、幾度も時計を確かめて。 指先がかじかむくらいの寒さだけど、あと5分、あと3分。 待ち合わせ場所に啓太の姿を見つけたら和希は、少し慌てた顔をして、きっと走って来てくれるだろう。 その姿を想像したら、頬がふにゃりと緩んでしまった。 いけないいけない。 啓太は慌てて俯いて、ぺちぺちぺちと頬をたたく。 きっと見るからに自分は今、幸せそうな顔をしてるんだろうなと。 湧き上がってくるくすぐったさを、どうしようもなく思いながら。 携帯に、和希からメールが入ったのは今日の午前中。 夕方には仕事が終わるから、よかったら夕飯を外で食べないかと誘われて。 まだどこか寝ぼけてぽんやりしていた啓太だけれど、それで一気に目が覚めて、慌てて急いで勿論OKの返事を返したのだ。 それじゃあ17時に駅前の時計台のところで。 場所が分からなかったら連絡くれれば迎えに行くから。 もう3回も待ち合わせてるんだから場所くらいちゃんと覚えてるってば。 時間と場所了解! 楽しみにしてるからな! メールでも和希の過保護ぶりは相変わらずで。 ポケットから取り出した携帯の液晶を眺めて昼間のメールをもう一度確かめていたら、ついついにへらと口許がとろけてしまって困った。 いけないいけない。 こほん、と咳をする素振りで口許に拳を押し当てる。 と。 「啓太!」 声が聴こえて。 「啓太! ごめん、待たせてっ」 駆け寄る足音が聴こえて。 緩んでしまった口許をどうにもできないまま急いで顔を上げた啓太は、雑踏の中に、逢いたかった顔をすぐに見付けることができた。 軽く乱れた白い息を零しながら、人波を器用にすり抜ける和希。 まっすぐに啓太を見詰めて、とても嬉しそうに笑って。 逢いたい気持ちでいるのが啓太ばかりでないことが、どんな言葉を尽くすよりもたくさん伝わってくる。そんな優しい笑みに、心に、胸に、それから寒くてかじかんでいた指先にまでじんわり温かさが広がっていく気がする。 幸せな気持ちで待つ啓太の元に、和希はすぐに辿り着いた。 そうして届く、ふわりと理事長モードのときにだけ香る爽やかなトワレ。 普段は意識しない和希の大人っぽさに少しだけどきどきして。 ああ、和希が来てくれたんだって、改めて思って嬉しくなる。 伸ばされた温かな掌が、そうっと優しく、啓太に頬に触れた。 「冷たくなってる・・・ずいぶん早く着いたのか?」 「うん、電車、1本早いのに乗れちゃってさ」 心配そうな声に啓太は、大丈夫だからと笑って頷いた。 本当は、待ち合わせ場所に走ってきてくれる和希を見たいから、だから1本早い電車に乗ったんだよって。 種明かしをしてしまったら、次からは先回りされて見られなくなってしまうかもしれない。 だからこれは啓太の大切な秘密。 「和希は時間通り来てくれたんだから、謝ることないって」 重ねる啓太の言葉に、そうか?と、少し乱れた前髪をかき上げながら、和希は小さく首を傾げてみせる。 MVP戦が終わって、実は俺が理事長だったんだとカミングアウトされてからというもの、大抵の場合に和希は啓太よりも一段高いところにいて、なにかとリードされてしまって。 一方的に守ってもらうばかりの今の立場を、少し悔しいと思うのも本当のことだから。 だからこんな風に先手を取って、和希に小さな秘密を作る事が、なんだかくすぐったくて嬉しい。 「どうしたんだよ、にやにやして」 俺になにか隠しごとか? と、いつもとはまったく逆のやりとり。 ちょっと気分いいかも、和希の気持ちも分かるかも。 ますます得意げにむふふと笑ってしまいながら。 「ううん、なんでもない! 早く行こう和希、俺お腹すいちゃったよ!」 和希と違って啓太にはあからさまな誤魔化し方しかできないけれど、それでも、仕方ないなあと誤魔化されて笑ってくれた和希が、くしゃりと啓太の髪をかきまぜた。 やっぱり少し子供扱いかなと思いながらもその指先の心地よさは、かけがえのない大切なものだから。行こう?と啓太は右手を差し出す。 差し出した手はすぐに温もりに包み込まれて、そのまま和希のコートのポケットへ。 テレくささに、思わずへへへと笑う啓太の顔を、近い距離から覗き込むようにした和希が。 少しの間啓太を見詰めた後でくすりと笑って、まあいいけど、と呟いた。 「まあいいって、なにが?」 「ん? 俺、啓太が幸せそうに笑ってるの見るの、好きだからさ」 それがどんな理由でも、と甘やかすも極まれりなことを当然の事のように云って、笑う。 「・・・・・」 そ・・・そんな風に云う和希の顔だってすごく幸せそうで、見てるとすごくどきどきするんだけど。 などと口に出してはとても云えずに、啓太はただ真っ赤になって口ごもる。 認めるのは悔しいけれど、理事長との間に立ちはだかる年齢と経験の壁は、まだまだかなり厚いらしい。 「それじゃあ行きますか!」 「う、うん」 「あれ・・・なんだ啓太、俺のことめちゃめちゃ意識してる?」 「し、し、し、してないってば!」 悪戯っぽく問われた言葉に、肩にこつんと頭をぶつけて抗議したら。 ポケットの中の手をきゅっと強く握られて、僅かにかがんだ和希に。 「俺はしてるよ、いつでも」 笑みを含んで耳許に、こそりと囁きを落とされて。 啓太は元々赤かった耳を、熱いくらいにほてらせた。 一緒にいれば外だってどこだって暖かいけれど。 これから向かうテーブルには、贅を凝らした夕食が温かい湯気を立てて待っているから。 額を寄せ合いくすくすと笑いあいながら二人は、並んでゆっくり歩き出した。 |