Delivery「伊藤、それは少し塩が多すぎると思うんだが」 「あ、はい・・・・・っ、ほんとだ、じゃりじゃりします・・・」 試しにはむりと一口食べてみて。 じゃりじゃりと、心地よいとは云い難い歯ごたえと、口の中に広がる強すぎる塩気にせつなそうな顔になりながら啓太は頷く。 「中味に鮭やたらこを入れるなら、その分の塩気も加味しなければならないぞ?」 「そっか・・・いろいろ難しいですね」 テーブルの上に並べた食材を途方に暮れたように見渡して、ひっそりと苦悩を深める様子の啓太に。 篠宮は笑って、落ち気味なその肩にぽんと大きな手を乗せる。 「誰でも最初は戸惑うだろうが、覚えてしまえばたいしたことじゃないさ。それに・・・」 「・・・・・?」 それに? と続く言葉を問うように、見上げる啓太を。 元気付けるように優しく笑んで。 「それに要は、気持ちの問題だろう?」 「気持ち・・・」 そう。 相手に美味しく食べてもらいたいという、気持ちの・・・。 テスト前の数日間の、消灯前の数時間は。 和希が啓太の部屋にやってきて二人でテスト勉強を・・・というのは表向きで実際には、啓太のテスト勉強を和希が見てやって過ごすのが、習慣になっている。 テストがあるたびに繰り返されていることだし、昨日もこうして同じように勉強をした。 そして今日もその習慣にはなんら変わりがある訳ではないはずなのに、今日の啓太はどこか落ち着かない様子である。 問題を解くかたわら、しきりにちらちらと和希の様子を伺って・・・。 「あのさ和希、お腹すかない?」 「いや、俺はまだ別に・・・どうしたんだよ啓太、今日はやたらお腹すいたとか疲れたとか・・・」 「俺はすいてないってば、疲れてもないし。和希が、疲れたんじゃないかなって」 な、疲れない? と。 なぜだかどこかうきうきと首を傾げる啓太を不思議に思いながら。 「や、だから別に俺は・・・」 「そっか・・・」 応える和希に一応は頷いてみせるものの、啓太は見るからにがっかりとした様子。 いったい、どうしたと云うのだろう。 先週まで仕事が忙しくて授業を休みがちだったから、その疲れが残っていると思われているのだろうか? その気遣いは嬉しいけれど、疲れが残っている訳ではないし、今日の分の勉強のノルマを早く終わらせてしまえばその分多く二人の時間を取れるのだから、さくさくと先へ進めてしまうのに越したことはないと思うのだ。 そのことは啓太だって分かっているはず。 だというのに今日のこの様子はいったい・・・と、和希は不思議に思いながら啓太の横顔を覗き込む。 「啓太、どうしたんだよ?」 「ううん、なんでもないけど・・・」 もぐもぐと答える少し拗ね気味にも見える啓太の表情は、どこをどう見てもなんでもなくなんかなさそうで。 和希は内心でしきりに首を傾げる。 「啓太、腹へったのか?」 「へってない・・・」 訊ねれば、かむりを振って見せるけれど。 しょんぼりと肩を落としているその様子は、なんだか哀れを誘って。 慢性的に啓太に弱い和希は思わず、あからさまに気をきかせる。 「じゃ、じゃあ、ちょっと疲れた、かな・・・?」 「・・・今、お腹すいてないし疲れてもないって云ったじゃないか」 「いや、そうだけど・・・」 それに「じゃあ」ってなんだよ、と不満そうな眼差しを向けられて。 気まずい思いで和希はぽりぽりと頬をかく。 「じゃあ、続き・・・するか?」 「うん・・・」 教科書の、開いたページを示して訊ねると、啓太はこくんと頷いて。 放り出していたシャープペンを手に取った。 そうして勉強を再開して。 約1時間後―――・・・ 時計を確かめた和希は、そろそろいいかな・・・と顔を上げた。 そうしておもむろに首を回して、左右の肩を順に揉んでみたりもして。 「はあ・・・ちょっと、疲れたかなー」 「っ、え! 本当っ?」 「ああ、集中したから。啓太も頑張ったもんな」 ぱっと顔を上げて表情まで明るくする啓太に向かって、笑って頷いてみせれば。 「そっか! じゃあちょっと待ってて、和希!」 啓太は勢いよく立ち上がって、いそいそと簡易キッチンの方へと走って行く。 そうして食器の音をかちゃかちゃとさせた後、慎重な足取りと面持ちで運んできたお盆の上には・・・。 「あれ・・・おにぎりじゃないか。啓太それ、どうしたんだ?」 「作ったんだよ。夜食にと思って」 「啓太が? へえ・・・すごいな、美味そうだ」 そろそろと机の上に置かれたおにぎりは4つ。 大きさもさまざまでどれも個性的な形をしている。 けれども、器用とは云い難い啓太が頑張って握ってくれたおにぎりだ。 嬉しくないはずがない。 「ええと・・・これが鮭で、こっちが梅。それでこれがおかかで、こっちのはタラコが入ってるから」 啓太は端から順に指差して、おにぎりの中身を説明する。 「鮭は、骨が無いように鮭フレークにしたんだ」 「へえ・・・至れり尽くせりだな」 「だって和希、魚の骨取るの下手だろ?」 少しテレたように、それでも得意げに云う啓太は、きっと和希のことを考えながら一生懸命にこのおにぎりを作ってくれたのだろう。 そう思うと、胸のうちがふわりと温かくなる。 「じゃあさ、啓太が食べさせてくれる?」 「え・・・」 「いいだろ? 俺、鮭がいいな」 せっかく作ってくれたんだから、と。 理由になるようなならないようなことを云って「はい、あーん」と口を開けてみせれば。 準備万端の和希とおにぎりを困惑顔で見比べてから、啓太は「しょ、しょうがないなあ」といかにも仕方がなさそうに、それでも隠し切れずくすぐったそうに、皿の上の鮭おにぎりを手に取る。 「あー・・・・・」 そうして口許に運ばれたおにぎりを、ひとくち。 もくもくと味わう和希の顔を、緊張気味にじっと伺っている啓太に。 頬張ったおにぎりを飲み込んだ和希は、にこりと笑ってみせる。 「うん、美味しいよ、すごく」 「本当っ?」 「ああ、ありがとな・・・啓太」 和希の言葉にようやくほっとしたように、啓太は自分のほうこそが嬉しそうに笑った。 おにぎりは、見た目は少々前衛的だけれど塩気もちょうどよくて、なかなか美味しくできている。 だからもうひとくち、と口を開けてみせれば。 啓太はもう一度、今度は躊躇わずにその口許におにぎりを運んだ。 「・・・美味しい?」 「うん」 「ほんとに?」 「本当だって、すごく美味しい。啓太の愛がこもってるせいかな」 「・・・・・っ」 和希はテレもせずに云って、赤くなって言葉を詰まらせる啓太の顔を、優しい笑みで見返す。 そうしておにぎりのなくなってしまった啓太の手をするりと取ると、その指先に付いた米粒をキスでついばんで、きれいに舐め取ってしまった。 「・・・でも、どうしたんだ? 急に料理なんて」 「・・・っ、料理ってほどでも、ないけど・・・」 取られたまま、ぬくもりに包まれたままの手をどうしても意識してしまいながら、落ち着かない様子でしばらくふよふよと視線を泳がせていた啓太は。 意を決するように、そろりと和希を上目遣いに見上げる。 「俺・・・いつも和希に教えてもらうばっかりだろ? だから、なにかお礼がしたくてさ」 だからといって凝ったことはできないけれど、夜食におにぎりを作るくらいだったらどうにかなるかもと考えて。 昼間のうちに、おにぎりの中身の具を、賄いのおばちゃんに分けてもらっておいたのだと云う。 啓太の話すそのやり取りが、なんだかすぐに脳裏に想像ができてしまって。 微笑ましさに、思わず和希の口許が緩む。 「そっか・・・あ、そうだ、今度仕事中に腹が減ったら、啓太におにぎりのデリバリー頼もうかな」 俺のためにこんな風に一生懸命になってくれる啓太を呼んでしまったら、そのあとちゃんと仕事になるかどうか怪しいけど、と。 冗談にもならなそうなことを和希が呟くけれど。 それを冗談と受け取った啓太は、おかしそうにくすくすと笑った。 「学食チケット一枚で?」 「違うよ」 和希は、掴まえたままでいた啓太の指先をやんわりと引いて。 正解を渡すために、その耳許にそうっと顔を寄せる。 「・・・キス、ひとつで」 甘い声音が囁いて。 ほんのりと赤いその耳朶に、ちゅんとキスをひとつ。 「・・・・・っ」 驚いて声を上げかけた啓太の唇に、そっと人差し指を押し当てて。 小さく首を傾げるようにして啓太の顔を覗き込んだ和希が、優しい眼をして笑った。 「・・・・・もう、和希は」 それじゃあおにぎりもキスも和希のものじゃないかと、云おうとした啓太だけれど。 同じようにおにぎりもキスも、啓太のものでもある訳で。 なんだかそれってちょっと幸せかもと、うっかりどきどきと鼓動を騒がせてしまった啓太としては、もはや抗議もできずに。 くすぐったい気持ちのまま、了解の返事の代わりに。 笑みの形をした和希の唇に。 ちゅっと小さくキスをした。 |