花束・丹羽ver.花の種類を意識したことなんてなかった。 それでも大輪のそれに顔を寄せて、改めて知った深く甘いその香りは。 あれこれと無頓着な俺にとってもそこそこの衝撃があって。 あいつにもそれを教えてやりたいと思ったのかどうなのかは我ながら謎なんだが。 とりあえずその花は今、花束になって俺の腕の中にある。 ノックされた扉を開けると、その向こうには王様が立っていた。 というのは正確ではなくて順番にいうと、開けた扉の隙間からまずふわりと上品な甘い香りがして、あれこの匂いってなんだっけと思いながらもう少し扉を開くと、がささささとなにか聞き慣れない音がして。 なんだろうと不思議に思いながら更に大きく扉を開けたら、そこにようやく王様を見つけた。 外から帰ってきたばかりなのか、ジャケットを羽織って。 なぜだか斜め上の、明後日のほうに目線を泳がせて。 「よ、よう、啓太」 扉を開ききると、口調までどもらせた丹羽が、ようやく啓太のほうを見る。 その眼差しは、まだなんとなく泳いでいるけれど。 「王様! どうしたんですか? こんな時間に・・・」 驚いたように嬉しそうに啓太が尋ねると、丹羽は珍しくもあーとかうーとか散々口ごもる。 実は丹羽は。 豪胆な彼にはあるまじきことだが、啓太を前にして、たいそうビビッていた。 この期に及んでナンだが。 どうやら自分がこれから。 惚れた相手に大輪の薔薇の花束を渡そうとしているらしいことに、扉をノックした時点で遅まきながらようやく気が付いたのである。 「あの、よかったら中に・・・」 「っ! ぃ、いやー、いいんだ。ここでいい」 「? 王様・・・?」 慌てた様子で勢いよくかむりを振る丹羽のますます不審な態度に、啓太の眉が悩む形で寄せられる。 どうしたんだろう? と不思議そうに向けられる遠慮がちな眼差しに、困惑と少しの不安とが混ざるのに至って、丹羽はようやく腹をくくった。啓太を不安がらせるのは本意ではないのだ。 「あー・・・・・。あのな啓太」 こほん、とわざとらしい咳払いのあとで。 丹羽は背中に隠し持っていたそれを、おもむろにがさりと差し出す。 「これをその・・・お前に」 ずいと啓太の目の前に差し出された赤いかたまり・・・薔薇の、花束。 それも真紅の。 大輪の。 一抱えもあろうかという! 「え・・・・・」 鼻先に突然それを突き付けられた啓太はといえば、極普通の男子高校生として極標準的な反応をした・・・つまり、きょとんと瞬いてそれを見下ろして固まった。 ――――・・・5秒経過。 「ぇ、ええと・・・」 「や、やや、やっ、迷惑だってんなら、いいんだ。俺が持って帰るからっ。な、気にすんな啓太! そんじゃあ俺はこれで・・・っ」 「ぁ、ちょ・・・ちょっと待ってください王様! 迷惑なんて!」 行き場を失った花束を引っ込めて、そそくさと退散してしまおうとする丹羽の様子に。 驚きから我に返った啓太は慌てて身を乗り出して、両手でしがみつくようにしてその逞しい腕を捕まえた。 「俺っ、迷惑だなんて思ってないですっ。全然・・・っ、あの・・・」 ありがとう、ございます・・・。 耳までほてらせながらどうにか云って、丹羽の手の中からそうっと花束を取り出して。 大事そうに啓太はそれを、ふわりと両腕に抱きかかえた。 一抱えもある薔薇の花束なんて、渡す方もテレるが、もらう方だって十分にテレる。 その辺り、丹羽も啓太も自分の想いでいっぱいいっぱいだから。相手も同じ気持ちでいるなんてことには、ぎりぎりまで気が付くことができなくて。 気付けば気付いたで、気恥ずかしさにどちらも言葉が出なくなってしまう。 なにか云わなくてはと思いながらも、お互い言葉を見付けられずに、啓太は薔薇の花を見下ろして、丹羽は啓太のつむじを見下ろして・・・しばし。 そうしてこくんと唾を飲み込んだ啓太が、どうにか先に、声を取り戻す。 「あの・・・王様。薔薇の花びらを紅茶に入れると、いい匂いがしてすごく美味しいんですよ?」 「そうなのか?」 「ぁ・・・はい! ちょっとだけジャムを入れると、ちょうどいい甘さになるんです。それで、あの・・・」 よかったら俺、今から作りますけど・・・。 ほてった顔を上げられないまま、小さく告げられた部屋への誘い。 その誘い自体はとても嬉しいが。 薔薇の花びらを紅茶に浮かべると美味いだなんて、なんでそんな上流階級の風習のようなことを啓太が知っているのかと・・・考えるまでもなく、その情報の出所が分かってしまう。 まあ間違えなくあいつだろうなと、丹羽は複雑な心境で鼻の頭をかいた。 「ちょうど今日、美味しい葉っぱを貰ったんです。だからそれを使って」 「葉っぱ?」 「はい、紅茶の葉っぱです」 にこにこと笑顔で頷く啓太には、どうやら啓太を取り巻く周囲の思惑はまったく伝わっていないようで。 誕生日でもなにかの記念日でもない啓太に、例えば花束や紅茶と云った贈り物をする連中は、単なる善意でそれをしている訳ではないというのに。 「・・・なるほどな」 分かってはいたが、この仔犬を自分だけのものにするには、まだまだ頑張りが必要らしい。 上等じゃねえか。 にやりと不敵に笑んで。 丹羽は開かれたその扉をくぐった。 啓太は誰にも渡さねえ。 胸のうちでひっそりと。 静かな気合を入れながら。 |