冬の晴れたある日のこと。 4時間目の授業中、幸か不幸かぽかぽかと暖かくて居心地の良い窓際の席で、啓太はもぐもぐとあくびを飲み込んだ。 そうしてどうにか眠気を振り払おうと、窓の外へと視線を向ける。 と。 校庭では3年生が体育の授業の真っ最中。 ハードル走の順番待ちの列の中に、恋人の姿を見つけた啓太は、とくんと胸を高鳴らせる。 周囲の友人たちと穏やかな笑みで話をしている篠宮は、特別背が高い訳でも身体つきが大きい訳でもないから、ともすれば個性の強い面々の中に埋もれてしまってもおかしくはないはずなのに。 すらりと背筋を伸ばした立ち姿はなぜだか、集団の中にあっても目を惹いた。 啓太が篠宮に恋をしているせいで、ついつい視線が追ってしまう・・・とか、そういう理由だけではない存在感があって。 それに・・・。 ぁ・・・俺、篠宮さんが走ってるとこ見るの初めてだ・・・。 そう、気が付いて。 なんだかそわそわと落ち着かない気持ちになる。 例えば寮の廊下で、うっかり急いで走っているところを見つかった啓太が怒られることはあるけれど、逆が起こることはまずありえない。 寮でも学校でも、廊下を走っている篠宮の姿なんかを目撃したら、啓太はまず驚いて、すごく心配になって、何があったのかを聞くために後を追い掛けて、一緒になって走ることになるだろう。 そもそも常に余裕を持って行動をしている篠宮が、慌てたり騒いだりしている姿なんて見たことがない。 そんな風に考えていたら、本当に特別らしい出来事を前にしているのだと思えてきて。 なんだかどきどきと心拍数が上がってきて、顔まで熱くなってきた。 誰に見られている訳でもないけれど、啓太はこっそりと指の背で、こしこしと頬の辺りをこすってほてりを誤魔化す。 スタートラインに立って、走り出す構えと、息を詰めるような軽い緊張感。 おそらくは篠宮以上に緊張をしてこっそりと見守っている啓太が、こくんと息を飲むと同時に。 スタートの合図が切られて、長い左足が地面を蹴った。 「・・・・・ぅ、わ・・・」 瞬間、啓太の口から思わず小さく声が漏れる。 篠宮さんて、足速いんだ・・・。 篠宮は綺麗なフォームで大きなストライドでぐんぐんと加速して、テンポ良くハードルを飛び越えていく。 そうして啓太が呼吸も忘れて見詰めるうちに、同時に走り出した他の者たちを大きく引き離して、あっという間にゴールに辿り着いた。 片手を腰にやりながら徐々に歩調を落として、呼吸を整えるように深く息をついている姿に。 とくとくと、ますます鼓動が騒ぎ出す。 ど、どうしよう・・・かっこいいや・・・。 分かりやすく惚れ直した啓太が、目を輝かせながら恋人の勇姿を追っている、と・・・。 「どうしたの! 伊藤くん!」 「へ・・・・・?」 すぐ近くで呼ばれた名前に、はたと瞬いて正面を向けば。 顔のすぐ前に、眼鏡をかけた童顔の生物教師の顔がある。 「ぁ・・・・・海野、先生」 「大丈夫? 顔が真っ赤だよっ?」 ぼんやりと外を見ているようだったから、注意をしに来たのだけれど。 もしかしたらどこか調子が悪かった? と啓太の顔を覗き込んで、海野が気遣わしげに眉を顰める。 「ぇ・・・ぃ、いえっ、だ・・・大丈夫です」 「でも顔が赤いし・・・わあ! おでこもすごく熱い!」 「や、だからこれは、その・・・」 「保健室! いいから行ってきて!」 「で、でも・・・あの海野先生、俺・・・」 さりとて顔が赤くなった理由を説明をする訳にもいかずに。 早く早くと急かされるまま、啓太はあたふたと立ち上がる。 「一人で大丈夫? 誰か一緒に行ったほうがいいかな・・・」 「へ、平気ですから! ほんとに、一人で大丈夫です!」 心配そうに云う海野にぶるぶるとかむりを振って。 これ以上の詮索をされてはどんな墓穴を掘ってしまうか分からない、と。 啓太は具合が悪いとはとてもとても思えない勢いで、慌てて教室を飛び出した。 本当は保健室になど行く必要もないのだけれど、元来嘘のつけない性格である。 とりあえず正直に向かった保健室で、保健医にまで「顔が真っ赤だけれども大丈夫か」と突っ込まれて、体温計を与えられて。 あれこれと言い訳をするよりも数字を見せたほうが早かろうと、大人しく熱を測り終えてようやく「平熱だね」と納得をしてもらえた。 そんな啓太が、引き攣り笑いで「はい」頷いて答えている頃。 どこからか「授業中の啓太が、大熱を出して青息吐息で保健室に運び込まれたらしい」という尾ヒレと背ビレが付いた情報を聞いた篠宮が、体育の後の着替えもせずに、学校指定のジャージのままで、血相を変えて猛然と廊下を全力疾走して保健室へと向かう姿があちこちで目撃されていた。 ちょうど時刻は、お昼休みに入ったばかりの賑わう時間帯。 行き合った生徒たちが相当の驚きでもってその姿を見送ったことは間違いなく。 お昼休みから放課後から、果ては寮でも今日は終日その話題で持ちきりになることもまた、間違いはなく。 当の二人がその話を聞いて、揃っていたたまれない気持ちになるのは。 もうほんの少し、後の話――――・・・ |