それはまだ混み合う前の、朝の静かな食堂でのできごと。 「ん・・・? 伊藤、ネクタイが少し曲がっているな」 「え?」 掛けられた声に、一心に卵かけご飯をかき込んでいた啓太は箸を止めて、隣に座っている篠宮の顔を見上げた。 そうして向けられている篠宮の目線を追うように、左手にご飯茶碗、右手に箸を握り締めたまま、自分の襟許を見下ろす。 「? ・・・・ぁ、ほんとだ」 少し、と篠宮が云ったのはどうやらかなり控えめな表現で。 ネクタイの結び目が右側に寄ってしまっているうえに、三角の形がへしゃげてしまっている。 いくらなんでもこれではだらしがないしかっこ悪いよな、直さなくちゃと、箸を置こうとするその前に。 「鏡を見ずに結んだんだろう」 仕方がないなと笑う篠宮の長い指が、襟許へと伸ばされて。 啓太は条件反射で、ネクタイを直してもらい易いようにと軽く仰く。 「・・・ぁ・・」 癖のように思わずそうしてしまってから、はたとこの場所が公共の、食堂であることに気付いたのだけれど。 そっと伺った周囲の席には人影もない。 ネクタイを結んでもらっているだけなのだし、ほんの少しの時間だし、大丈夫だよな。うん、大丈夫大丈夫と自分を納得させてから。 啓太はそうっと篠宮の顔を見上げた。 「慌てずに、鏡を見ながらゆっくり結べばちゃんと結べるだろう?」 「そう・・・なんですけど、俺、朝はいつも時間がなくて、色々しながら結ぶから」 「あと5分早く起きればいいものを」 それが難しいんだろうな、と渡される苦笑には、へへへと誤魔化し笑いを返しておいて。 大人しくされるままにしていると、間もなく几帳面な指先が、きゅっと絞った結び目の形を綺麗に整えてくれる。 「・・・よし、できたぞ」 「・・・・・」 いつもよりもかっちりとネクタイの結ばれた自分の襟許と、いつも通りかっちりとネクタイの結ばれた篠宮の襟許。 交互に見比べた啓太は、思わずへへへとテレ笑い。 なんだかお揃い、みたいだ。 そう思ったらほこりと胸が温かくなって。 止めようもなく頬が緩んでしまう。 「どうした?」 「ぃ、いえっ、なんでもないです」 箸を持ったままの右手でそうっとネクタイに触れながら。 「ありがとうございます、篠宮さん」 くすぐったい気持ちで云いながら。 さっきよりも少し幸せに、朝ご飯を再開・・・。 |