圏外





「おい、ヒデ」
「ん?」

 視線を上げると、つまらなそうに書類をめくっていた丹羽と目が合った。そのまま黙っていると、丹羽が机を軽く数回叩く。

「灰だよ、灰。間違っても机に焦げ目なんかつけんなよ。どーせ俺だって思われんだから」

 学生会室の机の上に音もなく崩れ落ちた煙草の灰を、さも自分がやったのではないような眼差しで見た中嶋は、それをどうでもよさそうに払った。
 あーあーあ。という丹羽の嘆きがそれに重なる。

「俺は信頼されてるからな」
「・・・ったく、教師たちは一体どこに目ぇつけてんだか」

 しゃあしゃあとのたまう中嶋に丹羽は呆れて毒づいたが、相変わらず反応の鈍い中嶋をいぶかしんで声を落とした。

「らしくねぇな。具合でも悪いのか?まさかとは思うが、なんか悩みがあるってことはねぇよな」
「悩み、ね・・・」

 酷い言われようにもかかわらず中嶋が曖昧に答えると、人情家の丹羽はいよいよ深刻そうな顔をして身を乗り出す。

「別に急ぎの仕事がなければ、今日はもう閉めたっていいんだぜ」
「お前にそれをいう権利はない」
「だがこのままだとお前の言う『生産性に欠ける』ってことになるんじゃねえのか」

 中嶋は舌打ちをした。珍しく丹羽が学生会室に納まっているという日に限ってこのザマだ。不本意だが、今の自分が「らしくない」という自覚はある。

 俺の予定を狂わせる人間は、一人いれば十分なのに―――。

「それとも何か?俺に文句でもあるのかよ」
「お前への文句なら腐る程あるさ。―――いつでも、な」

 普段通りの切れ味を取り戻した中嶋の返り討ちに、丹羽は肩を竦めた。けれども露骨に不機嫌さを隠そうともしない中嶋の口調は、やはり普通ではない。
 きっとそれは本人が一番わかっているのだろうけれど。

「・・・ったく、やぶへびっつーか、わかりやすく八つ当たられたっつーか・・・おいヒデ、パソコンの電源落とせ。部屋閉めるぞ」
「まだ仕事は終わってないだろう」
「うるっせーな、ゴタゴタ言ってっと5秒以内に本気で逃げだすぞ、コラ。どの道もう今日は仕事になんねーんだよ、はいはい、御愁傷様」
「・・・俺の予定を狂わせる人間は、やっぱり一人で十分だ」
「なんだぁ?」
「お前は大した男だと言ったんだ」
「サンキュー。知ってるけどよ」

 バーカ。

 中嶋にはもう、声に出してツッコんでやる気も起こらなかった。



「啓太、今日は学生会室に寄っていかなくても良かったのか?」

 放課後制服のまま一緒に街へ遊びに出ていた和希からそう尋ねられて、啓太はちょっと考える。

「なんだかこのところすごく業務が忙しいみたいで、俺がいるとかえって邪魔じゃないかなあって。だから、大丈夫」
「ふーん」

 まあ、邪魔ってことはないとは思うけどね。と、啓太の恋人―――中嶋のことをちょっぴり苦手と思っているらしい親友は空を仰いで呟く。

「それにしても今日やったゲーム、絶対にクリアしに来ようぜ、啓太」
「うん!和希とゆっくり街へ出たのも久しぶりだったから、今日は楽しかったよ」
「啓太、最近冷たいからなー、中嶋さんばっかりで。全くつれないよ」
「なっ・・・そんなことないだろ」

 大げさに嘆く和希に、冗談だとわかっていても啓太は思わず声をあげる。自分は恋人がいても友達を袖にするつもりはないし、したことなんかない。

「そんなこと言うなら和希だって、いっつも俺のこと構ってくれないでどっかいなくなっちゃうじゃないか。昨日だって夜電話したのに全然繋がらなかったし・・・何してたんだよ」

 話の矛先が思わぬ方へ向いた和希は視線を泳がせる。理事長の仕事が終わらなかった昨日、寮へ戻ったのは明け方近くだった。啓太には今日の授業中に寝ていたこともバレている。怪しまれるのも仕方が無い。
 仲が良いのも考えものだった。けれど、自分の別の姿のことを知られる訳にはいかない―――少なくとも、まだ今は。

「・・・えーと、それにしても今日はホントのんびりできたな。実はケータイの電源切っちゃってたんだよね、俺」

 上着のポケットから取り出した携帯のストラップを摘まんでぷらぷらと振って見せた和希に、啓太はちらりと抗議の視線を送る。
 あからさまな話題の軌道修正だったが、これ以上意地を張っても良いことは何もなさそうだ。

「・・・それって大丈夫なのか?和希、結構電話掛かってくるだろ―――って、俺こそ、今日は携帯寮に忘れて来ちゃってるんだけど」
「え、そうだったのか?良かったー、帰り一緒で。別々だったら連絡取れなかったってことだよな。ラッキー、俺!」
「うん、まあ俺は携帯が無くてもそんなに困ることってないし」
「でもやっぱ無いと心配じゃないか?・・・ほら、中嶋さんからメール、とか」

 とか、と和希に覗き込まれた啓太は、うーん、と唸った。

「中嶋さんって、あんまり携帯のメール使わないんだ」
「へえ?なんか肌身離さず、って感じがするんだけどな」
「携帯はいつも持ってるみたいなんだけど・・・メールは面倒くさいのかな。俺がメールを打つとたまに返事をくれるんだけど『わかった。』とか、その程度だし」
「ふーん・・・」
「そういえば中嶋さんのほうからメールもらったことって、一回も無いかも」

 事実に気付いてしまったら、ちょっぴりへこんだ。

「まあ、中嶋さんは普段から口数も少ない人だから」

 きっと和希もそれを察したのだろう、慌てて携帯をしまうと啓太の肩をぱしぱしと叩く。

「さ、少し寒くなってきたから急いで寮に帰ろうぜ」
「・・・うん」

 いつも携帯をしのばせている制服のポケットの軽さが、啓太にはふと頼りなく感じた。



 部屋へ戻ると、ベッドの上に携帯はあった。
 今朝慌てて出ていったからだろう。朝電源を立ち上げて放り投げまま忘れてしまったらしい。
 啓太はぽつんと忘れられていた携帯を拾い上げる。

 通話はあんまりしない。メールはそこそこ使う方だ。
 クラスメートとか、地元の友達とか。誰かしら、何かしらのメールが毎日数件は入ってくる。

 恋人にも、メールをする。

 学年の違う中嶋とは時間割も大分違うから、毎朝必ず逢えるとは限らない。だから啓太はなんだかんだでほぼ毎日のように中嶋へ短いメールを打っていた。
 それは別に返事が欲しいかったわけじゃなくて、やり取りを望んでいたのではなくて、中嶋との接点があるということがただ嬉しかったから。

 ―――なんて、それも全部今になって理由をつけているだけなんだろう。
 ずっと繋がっていたいなんて思ってない。けれど、触れさせてすらもらえてなかったのかもしれない。

 そう思うと、気付いた事実は気付いたときのさりげなさに反して啓太の心に鉛のように重く圧し掛かってきた。


 ボタンを押せば恋人と繋がる素晴らしいはずのアイテムを、啓太は何時間かぶりに押し開く。


「―――え・・・」


『新規メール:【中嶋さん携帯】12:35』


「なかじ・・・っ・・・中嶋さんから―――?」

 啓太は我が目を疑った。それは何回見ても間違いなく、中嶋の名前だった。慌ててフォルダを開く。


『今日の放課後は学生会室に来るのか?』


「嘘・・・」

 ―――なんで。なんでなんで、どうしてよりによって今日なんだろう。

 これまでの自分だったら、中嶋からのたった一行のメールを素直に喜んでいただろう。いや、中嶋からもらうメールの貴重さを知った今なら、なおさら喜ぶべきだった、けれども。

 受信したのはお昼で、放課後はとっくに過ぎていて。

 啓太は無駄に部屋の中を右往左往する。どうしたら、どうしたらいいんだろう。
 混乱するままに、啓太は部屋を飛び出していた。



 中嶋の部屋のドアを勢い良くノックすると、中から「入れ」という短い返事が返る。中嶋だ。

「中嶋さん―――!あの、これ・・・これ―――」

 急く気持ちを抑えられないままにドアを開けた啓太は、携帯電話を握り締めたまま声を掛ける。けれども、ベッドの上に座る中嶋は手元の雑誌を眺めているままで、視線を上げようともしない。メールに返信しなかったことに、学生会室へ行かなかったことに怒っているのだろうか。

「あの、俺、今日携帯を部屋に忘れてて・・・」

 中嶋は、微動だにしない。啓太の話を聞いているのかいないのか、それすらわからない。
 それでも啓太は言わずにはいられなかった。

「それで・・・中嶋さんがくれたメールに気がつかなくて―――」
「―――別に、もういい」

 ぽつりと投げられた一言に、啓太の鼻の奥が熱くなって、じん、と痛んだ。あ、泣きそう。頭の片隅で、そう思った。

「よく、ないです。だって、・・・初めて中嶋さんからくれた、メール、だったのに・・・」

 メールをもらったことがどんなに嬉しかったかもっとちゃんと伝えたいのに、言葉が思いつかなければ、声も喉に栓でもされたかのように上手く出てこない。

「・・・ごめん、なさい・・・」

 小さく言葉を押し出すだけの啓太に、雑誌から視線を上げた中嶋は言った。

「もういい、と言っただろう―――同じ事を何度も言わせるな」

 その冷静な声音と表情からは、なんの感情も読み取れない。それが返って啓太の心をきつく締め上げる。あとは堰を切ったように同じ言葉が出てくるだけだった。

「―――ごめんなさい、ごめんなさい、中嶋さ―――」
「少し黙れ」

 苛立つように片手を獲られ、唇で唇を塞がれる。強引で甘やかな中嶋のそれは、言葉と共に啓太の呼吸までも止めてしまいそうだ。
 離れた唇から、熱い吐息が漏れる。

「・・・なかじま、さん・・・?」

 中嶋は軽くため息をつくと、手にしていた雑誌を放った。大して真面目に読んではいなかったらしい。

「メールを打ったのは暇だったからだ。特に深い意味はない。だから、気にするな」

 獲られたままの手首は、引こうとしてもびくともしない。

「でも・・・せっかく中嶋さんの方からくれたメールだったのに、俺・・・」
「―――もうお前にメールは打たない」
「・・・え・・・」
「だからお前も俺にメールを打つな」

 キスをされて、熱い吐息に肌を撫でられ、甘い気分に身を浸しかけたのもつかの間だった。目の前の恋しい唇が、低く冷静な声で宣告する。
 中嶋の言葉がただの音となって啓太の頭の中をぐるぐると回った。

「それは・・・それはどういう意味ですか?メールを打つなって」

 声が震えるのを押さえることができない。―――すると中嶋は、満足そうな笑みを浮かべた。

「お前は俺の目の届くところにいればいい。そうすれば、俺にメールを打つ必要も、俺からのメールも必要ないだろう」

 それは、意地悪なほど甘い微笑み。

「俺の予定を狂わせる人間は、一人いれば十分だ」
「・・・・・?」

 中嶋は不思議そうな顔をしている啓太の頬を両手で包む。まだ事態を飲み込めない啓太に小さく、仕方がないな、と囁いた。
 啓太の長い睫毛が数回、瞬く。

「・・・啓太。お前は俺とメールとどっちが欲しいんだ?」
「えっ・・・」
「俺は優しいから、お前に選ばせてやるよ」

 中嶋はそう囁くと、啓太の顔を覗き込んだまま押し黙った。

「それは、―――それは・・・」

 自由になった手で、そっと中嶋の頬へ触れてみる。
 ディスプレイが紡ぐ言葉も嬉しいけれど、それはもちろん。

「中嶋さん・・・です」

 中嶋の瞳が当然だというように悪戯っぽく、けれど優しく笑う。次第に近づいてきたそれは、やがて啓太の視界の全てをゆっくり甘く奪っていった―――――。





中嶋さんお誕生日記念、と言いたいところなのですが、
内容は全く誕生日とは関係がありません・・・(汗)。
ETUDEのオンラインに初めて中啓が入ったということで、
「中嶋さんおめでとう」というより「ETUDEおめでとう」と言いたい感じです(笑)。

中嶋さんはとても鬼畜だと思うのですが、どうも私には啓太にベタ甘な印象の方が強いです。
そしてなんだかんだで王様にも甘い気がします(そこか)。