キスしてほしい「あっ!!!」 頭上から何事か切羽詰った声が聞こえたような気がして、丹羽は仰のいた。 すると、視界の陽光が不自然にひらひらと遮られるような・・・なんだこりゃ、と不思議に思って首を傾げる。 その2秒後。 「・・・っ?! のああああああああっ?!!」 ばささささっ、と降ってきた紙らしきものに顔面に連打された。 痛みはほとんどなかったが驚きは大きく、仰のいた体勢のまま思わず固まる。 何だったんだ今のは・・・と衝撃から立ち直るのにそこから更に5秒ほどかかって。 「うわあ、全部落ち・・・・・え。 あああっ、王様! すみません大丈夫ですかっ?!」 ようやく我に返って瞬いた視界に、校舎2階の窓枠にしがみついていっぱいに身を乗り出した啓太が、元々大きな瞳を零れ落ちんばかりに瞠って丹羽を見下ろしているのが映った。 「や・・・俺は大丈夫だけどよ。啓太、お前こそだいじょ・・・」 「ああああの俺っ! すぐ行きますからっ、そこにいてくださいね王様っ!」 大丈夫ですかと問い掛けておきながらその答えを聞いていられる余裕もない風の啓太は、慌てるを絵に描いたような様子で言い放って窓枠の中へぴゅっと姿を消す。 「いや、だから・・・」 置いてきぼりにされた丹羽は相変わらず仰のいたまま半ば呆然と。 「大丈夫だって云ってんのに・・・あいつは、まったく・・・」 渡し損ねた言葉を独りごちて、わしわしと硬いクセ髪をかき乱す。微笑ましさに思わずその口許を緩めてしまいながら。 今ごろ啓太は半泣きで階段を駆け下りているに違いない。 頼むから途中で転げ落ちてくれるなよと冗談ではなく思いながら、正面に顔を戻して、こきこきこきと左右に首を振ってみる・・・どうやら異常はないらしい。 まあ、この程度で異常をきたしていては、BL学園の王様も、啓太の彼氏もやってはいられないのだが。 MVP戦以来手に入れた可愛い恋人は、その小粒で可愛いなりに似合わず、何をするにも一途で一生懸命な突撃型だから。 一緒にいるにもフォローするにも、自分こそが最適だと丹羽は思っている。特にこんな風に、力技のトラブルに巻き込まれるたびに。 「さて、と・・・」 それでもやっぱりちょっと痛かった頬だの額だのを擦りながら丹羽は、日当たりの良い芝生の上、丹羽の立ち位置を中心にしてぐるりと散らばったプリントを、近いものから順にどっこらせと屈んで拾い始めた。 「だ・・・大丈夫ですか王様、あの・・・ハンカチとか、冷やしてきた方がよかったら俺・・・」 走ってきたときは青かった顔色をどうにか白色辺りまで戻した啓太が、心配そうに声を震わせる。 対照的にまったくいつもどおりの丹羽は、かかかと豪快に笑って。 「だーいじょうぶだって、このくらいなんともねーって」 「でも・・・」 「だから、紙が降ってきた程度でどうこうなるわきゃねーだろ。俺は王様だぞ?」 王様なのが理由になるやらならないやら。 けれども言い放つ自信たっぷりな様子は、うんもしかしたらそうなのかもと相手に思わせるのには充分である。 元々単純な啓太などはあっさりと洗脳されたのかとりあえず黙って、隣に座る丹羽を見上げて瞬きをひとつ。 次いでしゅんと俯いて、せつなそうなため息をひとつついた。 「なんだか俺、王様と一緒にいるといつも王様のこと酷い目に合わせてますよね」 「・・・・・」 んなこたねーだろと否定してやるには啓太の言葉通りの思い当たる節が多すぎて、変なところで正直な丹羽は思わず返答に詰まる。 その沈黙を肯定と受け取ったのか、啓太はますます申し訳なさそうな小声になって「すみません、本当に」とうなだれた。 「いや、いいってだから。気にするなよ。な?」 すっかり落ちてしまった細い肩を、抱き寄せるようにしてぽんぽんと叩いて宥めてやる。 事実、啓太のためなら、苦手な猫のために真冬の海に飛び込むことになろうが、校舎2階から舞い落ちる1クラス分のプリントに顔面を連打されようが、本当にたいしたことではないのだ。何度だってやってやる。いや勿論、やらずに済むのならばそれに越したことはない訳だが。 そんなことよりも、ありもしない罪の意識に駈られたらしい啓太がこうしてしょんぼりと小さくなっていることの方が、丹羽にとっては余程胸に迫るのだ。 啓太には笑っていて欲しい、できればその・・・自分の、隣で。一番近い位置で。 だけれども。 どうしてもそれだけでは啓太の気が済まないというのならば。 「あー・・・啓太」 俯いたまましょんぼりと自分の爪先を見詰めている啓太の名前を呼ぶ。 「そんじゃあええと・・・お前の気がすまないってなら、だな、その・・・」 らしくもなく明後日の方向に目線を遣りながら口ごもりながら。 ついついと人差指で啓太を指招きして。 「? なんですか?」 まだ眉間辺りを曇らせながらようやく少しだけ顔を上げた啓太が、軽く首を傾げながら、そうっと伸びあがって寄せてきた耳に。 「・・・・・」 ぽそりと、告げられた短い言葉。 「・・・・・? ・・ぇ・・・ええっ?!」 その意味を理解した途端、ぼぼぼっと啓太の頬が赤くなって。 ・・・本当に? と確かめるようにそうっと丹羽に見る。 「まじないまじない」 言葉にしたら開き直れたのかどうか。 にんまり笑った丹羽が、今度はちょいちょいと自分の頬を指差してみせる。 「で、でもここ校内ですよ?」 「誰も見ちゃいないって。大丈夫」 根拠のない大丈夫には、また無駄に説得力があり。 啓太はまたうっかり丸め込まれてしまう。 それでもまだ少し迷いながら躊躇いながら。 くるり、と周囲に人がいないことを確かめて。 「ほら、啓太」 名前を呼ばれて促されて。 もう一度、覗うように眼差しを向けると、そこには心底うきうきと嬉しそうで楽しそうな丹羽がいる。 こんな顔を見せられちゃったら、いやだなんてとてもじゃないけど云えないよ。 甘ったるい気持ちで観念した啓太は、仔猫の仕草でそうっと軽く伸び上がって。 僅かに屈んでくれた丹羽の頬に。 ちゅんと、小さくキスをした。 「王様・・・?」 これで、いいですか?と、問いを含んだ呼びかけには、優しい目線でのいらえ。 くすぐったくて嬉しくて、啓太はとろりと目許をとろけさせる。 「好き・・・大好きです」 思わずぽろりと零れ落ちれしまった言葉に。 にんまり笑った丹羽の細めた目が近づいて。 額にちゅっと、キスを貰った。 「俺も・・・好きだぜ、啓太」 一緒に、甘い囁きと・・・。 りんごーんと軽やかに響く昼休み終了のチャイムの音が、そんな二人に耳に入るはずもなく。 5時限目の、1年生クラスのHRで配られるはずのプリントはここ、王様御用達昼寝場所の校舎裏にある訳ですが。 多分・・・きっとどうにかこうにか、大丈夫! |