spring rainBL学園の王様こと丹羽哲也の売りは豪快さである。 一部の友人らには雑だとか無神経だとかそれはともかく仕事をサボるなとか云われているが、そのおおらかさは、個性派揃いのBL学園の生徒達にも概ね受けがよく、彼の人気を語る上で欠かせない要素のひとつとなっている。 そんな豪快で雑で無神経な丹羽だから、毎朝欠かさず天気予報をチェックするようなマメさは持ち備えていないし、余分な物を持ち歩くタイプでもない。そのうえ今朝寮を出たときには、空はそよそよと爽やかに晴れ渡っていたのだ。 そんな訳で当然の如く丹羽は、傘を持っていなかった。 「だってーのに雨かよ・・・」 昇降口で曇天の空を見上げて、参ったなとごちる。 空からは、さらさらと細い糸のような春雨。 冬と違ってこの程度の雨に濡れたからといって、即風邪の心配をする必要はないだろうが、濡れずに済むならそれに越したことはなかろう。制服は明日も着るのだし。 けれども。 「・・・・・」 右を見ても左を見ても、知り合いはおろか人の姿も見付からない。 雨音だけが響く、静まり返った昇降口で、丹羽はぽりぽりと頬を掻く。 今日は不覚にも中嶋に捕まって学生会の仕事をしていて、少し遅くなったせいで、そういえば下校ピークの時間からはかなり外れてしまっていた。 「しょうがねえ・・・走ってくか」 呟き、短く嘆息したあとで。 前髪ごしにもう一度空を確かめてから丹羽は、迷わず雨の中へと飛び出した。 ばしゃばしゃと頓着をせずに雨水を跳ね上げながら、道のりのちょうど半ば辺りまで来たところで丹羽は、視界をさえぎる雨の向こうに、見覚えのある背中を見付ける。 寮へと向かう坂道を、雨風に逆らって果敢に下っているあれは・・・。 「啓太じゃねえか・・・なんだ、あいつも傘持ってねぇのか」 水溜りを避けるためにか、時折蛇行しながら進む足取りはどこかおぼつかなくも映って。 仕方ねぇな、と呟く丹羽の口許が無意識に緩む。 最近つくづく思うことだが、啓太の影響力はすさまじい。 色恋沙汰にはあまり縁のなかった丹羽ですら、この有様だ。 小さいなりをしているから弱々しいのかと思えば、意外と柔軟で、気骨も逞しくて。 ただ大人しく守られているだけでない啓太のそういう部分を、丹羽はとても気に入っている。 自分には取り立てて抜きん出た特技はないけれどと云いながらも、いつだって懸命に両足で踏ん張って頑張っている様子を見ていると、なにがしか構いたい衝動に駆られて、いつの間にか手を貸しているのだ。 胸のうちにふわりと生まれる、なにやら説明しがたい温かくて柔らかいもの。慣れない想い。 けれども収まりの悪いそれは、不思議と決して悪い心地ではなくて。むしろ・・・。 歩幅の違いのせいか、前を行く背中はすぐに近くなる。 丹羽は歩調を緩めず駆けながら脱いだブレザーを。 雨音のせいかこちらに気付かずにいる啓太の頭に、後ろからばさりと被せてやった。 「ほら啓太、かぶってけ」 「ぅ、えっ!? わ、わわっ?」 丹羽は啓太にブレザーを被せた状態でそのまま前へ進もうとして。 片や啓太は、突如暗転した視界に驚いて足を止めてしまって。 「うをっ?! 止まるなって啓太!」 「え、わっ、と、とと・・・っ?!」 慣性の法則にしたがって。 よろりとたたらを踏んだ啓太の身体を、丹羽の腕が抱き止める。 そうして騒々しく転げるように、二人はちょうど脇にあった枝葉を茂らせた木の下へ。 「び・・っくりした―・・・・・あ、王様!」 ブレザーの中からもぞと顔を覗かせた啓太が仰のいて。 そうしてひとつ瞬いて丹羽の顔を確かめると、安堵したように嬉しそうに、ふわりと自然な笑みになる。 頼られることには慣れた丹羽だが、啓太のこの信頼しきった反応には、毎度毎度凝りずにどきりとせずにはいられない。 だから、あんまり無防備にそういう顔を・・・こんな近くで見せんなってのに。 触れようと思えばどこにでも、どんな風にでも触れられてしまうこの距離で。 そんな姿を見せるのは、反則ギリギリだろと思う。 苦笑したいような、軽く恨めしいような気持ちにさせられるではないか。 「わりい、驚かす気はなかったんだけどよ」 高鳴った心音を誤魔化すように、雨にぬれた前髪を邪魔そうにかき上げながら丹羽が笑う。 「・・・・・」 すると今度はとくんと、啓太の胸が震えた。 こんな雨の日なのに、見上げる丹羽は少しも寒そうではなくいつも通り太陽みたいで。 おおらかな笑みと、啓太をあっさり包み込んでしまう大きな体躯はとても温かい。 雨に濡れて肌に張り付いたシャツ。 くっきりと映る逞しい肩のライン。 無駄なくついた筋肉はいつもため息が出るほどキレイで・・・意識してしまった途端、なんだか頬が熱くなってきてしまって・・・困る。 落ち着かないここちで、啓太は眼差しを惑わせた。 丹羽という、王様と云う存在は。 啓太にとってはコンプレックスを刺激されるとかなんとかをあっさり通り越しすぎていて、嫉んだり荒んだりなんてする対象にもならなくて。 ただ本当に、こんな風になれたらなと思う。 こんな風に・・・近くにいてくれるだけで安心できるような、大きな人に。 けれども2年後、たとえば今の丹羽と同じ年になった自分が、今の丹羽と同じ度量とか、存在感とか、みんなの信頼とか。 そういうものを、半分でも持てているのかなと考えると・・・少し落ち込む。 目標が大きすぎて。なんだか遠くにあり過ぎて。 けれども大きすぎて遠すぎる目標は、気が付くと啓太の近くに。すぐ近くまで降りてきてくれて。手を差し伸べてくれる。 そのことがとても嬉しい。くすぐったくて、とても・・・。 惑わせた眼差しの先、偶然のようにぱちんと視線が絡まると。 啓太を覗き込む丹羽が、からかうでもなく一言。 「水も滴るいいオトコ、だろ?」 見惚れたか? と冗談めかして意外と器用にウインクなどしながら告げるのに。 冗談では返せずに啓太は、仰のかせた顔をますます赤くする。 ハマり過ぎていて、同意することも茶化すこともできないではないか。 ずるすぎるんだよな、王様は・・・。 熱くなった頬を指の背でしきりにこすりながら、啓太はこっそりため息だ。 「啓太?」 どうした? と。 僅かに心配を滲ませて向けられる眼差しの優しさに。 「な、なんでもないです!」 啓太が慌ててかむりを振ると、そうか? と丹羽が目許を和ませる。 恋愛事にはお互いに手探りで。 他のことほど器用に自分を保てない丹羽にとっても。 まだ迷いながら、ゆっくりとしか前に進めない啓太にとっても。 どちらにとってもきっと、こんなペースがちょうどいい。 「ま、こんなとこで止まっててもしょうがねえな」 「そうですね、雨・・・止んでくれそうにないですし」 頷き返して羽織り直したブレザーには、丹羽の体温と匂いが残っている。 やんわりと抱きしめられているような感覚に陥った啓太は、こっそり頬を熱くして、こっそり幸せな気持ちになって。 「おう、んじゃ、行くか」 「はい!」 とん、と背中に触れた大きなの掌に促されて、啓太は寮への道を走りだした。 こうして啓太の歩調を合わせてくれる、丹羽と並んで。 |