Driving Sun





 うだるような暑い暑い夏も気付いたら過ぎ去り、青い空が高くなっていた。

 こんな日は、絶対あそこにいるんだろうな。

 俺だからわかるんだ、って言いたいけれど、きっと中嶋さんもお見通しに違いない。
 だから、絶対中嶋さんより先に逢わなくちゃ。

 段々と早足になり、そのうちに啓太はぱたぱたと走りだした。頬にあたる午後の風が少し肌寒い。
 大きく吸い込んだら、周りにそびえ立つ木々の薫りがした。

―――王様―――。

 思っていた場所に思っていた通りの有様で、王様と呼ばれる男は、いた。
 砂浜で汚れるんじゃないかとか人目がどうだとか、そんなことは全く意に介さない様子でごろりと寝転がっている。
 天気が良いこと。丹羽に逢えたこと。自分の予感が当たったこと。色んな嬉しい気持ちでいっぱいになって、啓太は子犬のように丹羽へ駆け寄っていった。

「おうさ…っ!」
 呼びかけた息を、慌てて飲み込む。

 丹羽は、穏やかな汐風に髪を揺らせながら片手を枕に、大きな体を軽く抱え込むようにして寝ていた。無造作に投げ出された長い両足の、すぐ側まで打ち寄せる波。

 いくらなんでも、大胆というか…。

 丹羽の側に膝をつき、上からのぞき込んだ啓太は上がる息を押さえてそっと、呼んでみた。
「おうさま」
 起きる気配はまるでない。

―――本気で寝ちゃってるんだ。

 丹羽の目元を僅かに隠している前髪を、そっと掻き揚げてみた。普段は自分より遥か上空にある長い睫毛が顔を出す。
 啓太は思わずまじまじと眺めた。普段は男性的な部分に目が行きがちだが、こうして見ると丹羽はとても美しい造りをしていると思う。

 それにしてもこう無防備に寝られると。
なんだか、大きな犬が寝てるみたいで―――可愛い。

 啓太はちょっと、いたずら心を出した。

 そろりと右手を伸ばし、中指と人差し指の先で丹羽の肉感的な唇にそっと触れる。少しだけ開かれた唇から微かに漏れる吐息が、啓太の掌にあたった。
「………っ」
 この唇が普段、自分だけに惜しげも無く注がれている。そう思うと、啓太の指先が僅かに震えた。

「…おうさま」
 すこし胸が苦しくなって、啓太は小さな声に乗せて再び丹羽の名前を呼んだ。

「……ん……」
 深く、大きな吐息が一つ吐き出され、丹羽がごろりと寝返りを打った。大きな体躯が天を仰ぎ見る。

―――起きちゃった―――!

 慌てて手を引っ込め、啓太は丹羽を覗きこんだ。
 丹羽が、ゆっくりと瞼を押し上げる。目が合い、啓太は引き込まれるように顔を近づけた。

「……王様……?」

 のろのろと丹羽のしなやかな腕が伸び、優しく啓太の後頭部へと手を差し入れる。そのまま波の音と共に引き寄せられ。
 唇と唇が重なった。
軽く触れ合ったそれは直に深くなり、有無を言わさず掻き乱す。まだ眠りを引きずっているらしい丹羽の唇と吐息は、熱い。


「……ふぁっ…ん……おう…さま…っ」
 より熱い舌に口腔をまさぐられた啓太は、たまらず丹羽の胸元を掴んだ―――瞬間、大きな力で弾き飛ばされた。
「わあっ!」
「…………啓太?!」
 よろめいて海に落ちそうになったところを、跳ね起きた丹羽がとっさに掴み寄せた。

 心臓がばくばく言っている。波打ち際で座りこみ、抱き合って肩で息をする二人。

「おっ、王様〜〜〜!」
「啓太……何なんだ、一体…」
「それは俺の台詞ですよ!もう、何なんですか〜〜〜!」
「すまねえ、いきなり目の前に顔があったから反射的になぎ払っちまった」
 ちがーう!
「俺が言ってるのは、そのことじゃありません!」
「……俺、他にも何かしたか?」
 丹羽の大きな手が、あやすようにゆったりと啓太の背をなでる。
「知りません」
 自分ばかり取り乱していたのが、癪に触る。啓太は丹羽の肩口に顔を埋めた。
「そんなこと言わねえで、教えてくれよ」
「……………」
 啓太は押し黙った。海風にさらされているにもかかわらず、顔が火照るのがわかる。

「あー…―――ひょっとして―――…」
 天を仰ぎ見た丹羽が独り言のように呟いた。どうやら思い当たったらしい。
「………スマン。」
 謝るようなことしたんですか。という顔で、啓太が丹羽を睨んだ。
 丹羽がわかりやすく慌てる。
「いや、……なんか、寝ぼけてた…みてえでよ………夢…かと…」
「夢を、見ていたんですか?」
「ああ」
「俺の?」
 今度は丹羽が赤くなる番だった。
「…ああ」
 どんな?と、あえて聞いてやろうかと思ったが、やめた。啓太は丹羽の顔を覗き込んで、微笑む。
「…だったら、許してあげます」
「そっか」
 丹羽も相好をくずす。

 愛しそうに指の背で啓太の頬を撫でると、丹羽は甘えるように言った。
「…じゃあ、続きをさせてくれよ」
「…えっ…」
「だめか?」
「…だめじゃ、…ないですけど…」
 断られるつもりなど毛頭ないであろう丹羽は、満足そうに吐息だけで笑う。

 二人の鼻先が触れた。


「―――お楽しみのところ申し訳ないが」
 丹羽の背中がぎくりと固まる。振り向かなくてもわかる、鬼の化身。
 向き合う形の啓太はばっちり中嶋と目が合ってしまった。

「お、王様…」
 啓太はこわごわと丹羽を呼ぶ。吸いついた様に中嶋から目が離せない。丹羽の表情もわからない。軽くホラーだ。

「そろそろ溜まりに溜まっている書類を片付けてもいい頃だとは思わないか、丹羽哲也生徒会長」
 中嶋が、一歩、また一歩と近づいてくる。
 振り向かないままの丹羽が、啓太の背中を指先だけで軽く叩いた。啓太の意識が中嶋から逃れる。丹羽が小さくつぶやいた。

「さん、…にぃ、…いち」
 頭で考えるより早く、カウントと共に啓太は全力で走り出した。繋いだ手の丹羽が、一歩先を行く。

「…待て……!」
 後ろの方で、中嶋の声が聞こえた。


 丹羽は、とても砂浜の上を走っているとは思えない爆裂さで走る、走る。引かれる啓太は文字通り、飛ぶように走った。
 中嶋も砂浜も汐風も、丹羽を引き止めることができない。言葉にできない嬉しさが募り、繋がれている手に啓太は力を込めた。
 前を行く丹羽がうっすらと微笑みを滲ませたことを、啓太は知らない。


 二人は砂浜が途切れるまで、途切れても、走って、走って、走って行った―――。





drivingを形容詞とみると、「心をとらえる」とか「強い影響を与える」とか
「激しい」とかいう意味を持つそうです。
王様には、常にdrivingな人でいて欲しいです。
なんて、そんなことは全部後付けで、
本当はただ寝ぼけた王様が書きたかっただけなのです、申し訳ない…(苦笑)。