つむじの君そのニュースはあっという間に学園中を駆け抜けた。実際、啓太も学生会室までの道すがら何人もの生徒からその話を耳にした。後になればなるほどその話には尾ヒレ背ビレが付いて、最終的には都市伝説にまで昇華していた。 けれども、要約すれば肝心なところはみんな同じ。 「王様、ケガしたって本当ですか?!」 「・・・・・・・・・」 そう叫んで学生会室に入るやいなや、会長専用椅子に乗っかっていた丹羽がじろりとこちらを見た。不機嫌に机の上へと投げ出された長い足の先には、ちらりと覗く白い包帯。 「俺が捻挫したぐらいで、なんでそんなに大騒ぎになるのかねえ。それともなにか、俺がツキノワグマと戦ったとか、そういう武勇伝にでもなってんのか」 「・・・それに近いくらいは」 「くっだらねえ」 鼻白みながらも一笑に付した丹羽は、暇つぶしに読んでいたのだろうプロレス雑誌を傍らへ投げ捨てる。啓太はそれを拾い上げると、ぐるり周りを見渡した。 「あれ、中嶋さんは?」 「俺がこんな足なもんで、喜び勇んで書類を掻き集めにいきやがった」 「喜びはしないでしょう」 「間違いなく楽しんではいたな。俺の足が使えねえ間にどんだけこき使えるか、ってさ。あの性悪眼鏡が」 丹羽は面白くなさそうに頭をごりごりと掻いた。嫌がってはいないところをみると既に腹を据えているのか、それとも他に何か勝算があるのかは、解らないけれど。 「で、どうしちゃったんですか、それ」 「・・・気晴らしに、テニス部の奴らと遊んでた」 それはまた気の毒な、という言葉を飲み込んで、啓太は頷いた。 「突っ込んだ球を打ってきやがったからそれを取ろうとしたら、俺の足下で球拾いをしてた素人並にトボケたヤツがいた。以上」 「その人を避けたから、怪我をしたんですね」 「道楽でやってる俺が、真剣にやってるヤツにケガさせんのはマズいだろ」 淡々と話す丹羽のケガは、噂が噂を呼びさまざまなオモシロ話にされている。けれどもひょっとしたらそれは、原因をうやむやにするための戦術なのかもしれない。そう思うと、啓太はなんとなくそんな気がしてきた。 「で」 これ、と指さすと、丹羽はその足をわざと揺すってみせる。 「大げさなんだよ。俺は唾つけときゃ治るっていったんだが、成瀬がちゃんと手当しろ、ってうるさくてよ」 「そういうところは成瀬さん、厳しいですから」 「あいつも自分の目の前で起きたことだからしきりに恐縮してたぜ。・・・っつーわけで、足はほぼ元気、足以外はまったくもって元気なんだよ」 そういって丹羽は、うううんと伸びをした。この丹羽の不機嫌さは、どうやらひとえにままならぬ不自由さから来ているらしい。確かに頑丈さが売りの彼にとっては、ケガが珍しければ、不自由であることも珍しい。そしてそれに耐えることは、ケガよりも相当な苦痛だろう。 と。 啓太は丹羽の顔をまじまじと眺めた。 「・・・・・・・・」 顎を上げて、ちょっと首を傾げて、今度は引き気味に、そして背伸びをしてつま先立ちで。啓太は何かを確かめるかのように、ためつすがめつ丹羽を見ている。 「どした?」 耐えきれず丹羽が聞くと、啓太はなおも丹羽を覗き込むようにして、呟いた。 「・・・この角度、ちょっと新鮮ですね」 「んあ?」 「ほとんど俺、王様のこと見上げてるから」 「・・・まあ、そうだな」 もともとの身長は丹羽の方が啓太より高いわけだから、必然的にたいていは、そうなる。 「・・・・・」 「・・・・・」 おもむろに啓太が丹羽の頭をぽんぽんと叩いた。されるがままの丹羽の頭を叩きながら、叩きながら、叩きながら、堪えきれずに満面の笑みをこぼす。 「なんか、王様・・・・・・可愛い!」 「なっ・・・」 言葉に詰まった丹羽の頭を、啓太はなおも嬉しそうに叩く。丹羽は不自由な足をばたつかせてもがいた。机に積まれた書類の束がわさわさと揺れる。 「バカ、触んなっ・・・!やめろって、コラ!なんなんだ!?なんだこの無性にこみ上げてくる恥ずかしさは!?」 「うわー!うわー!!」 「あーもーーー!なんじゃこりゃーーーっ!」 耐えきれなくなった丹羽は闇雲に両手で空を切り、早口に一息で怪獣のように吼えた。 「俺は鼻の穴見られることには慣れてってけど!つむじ見られんのには慣れてねえの!!」 そして足を机の上から器用に振り下ろすと啓太の方を向いてふんぞり返り、ぱしりと一回、膝を打った。 「だから、ハイ!」 丹羽の言葉に啓太は小首を傾げる。 「ハイ?」 「俺の膝の上にいらっしゃい」 ・・・否と言わせぬ勢いに押され、啓太は丹羽の膝の上へと静かに座った。 と、そこはすっかりいつもの目線。 「あー安心するー。俺って意外と保守的な人間だったんだなー」 それに反して視線をハズした啓太が不服そうに、ぽつりながらもハッキリとこぼした。 「・・・つまんないです」 「んあ?」 「滅多にない機会なのに。・・・俺が、王様のこと見下ろせるなんて」 啓太の声が、一回り小さくなった。 誰かと、それもよりによって丹羽とこんなことで張り合うなんてつまらないことだけれど。わかってるけど―――やっぱり憧れずにはいられない。意地を張らずにはいられない 。 そんな想いは恋人にも伝わって、なまじ男同士であるだけに腑に落ちてしまうところもあったりする丹羽はくすりと笑った。 「じゃあ今夜は・・・好きなだけ俺を見下ろさせてやるよ」 「・・・え?」 やけに含みのある声に、啓太は思わず丹羽を仰ぎ見る。覗き込むように自分を見ている艶やかな丹羽の視線が啓太の胸を激しく打ち鳴らした。 「それなら文句ねえだろ?」 耳朶に触れる丹羽の唇が、やけに熱く感じる。ぐいと、啓太の腰を引き寄せて揶揄するように押しつけられた、丹羽自身も。 「な、何言ってんですか、ケガ人のくせにー!」 触れ合っている丹羽が急に意識されて、慌てて啓太は両手で丹羽の胸元を押し返して身を離す。 けれどもしっかりと啓太を捕らえている腕は、それを許さなかった。 「足以外は」 挑むように光る丹羽の瞳は、もう取り返しのつかないことを示している。ねぶるような吐息が、啓太の頬をゆるゆるとなぜた。 「・・・元気だって言ってんだろーが」 その熱が毒のように躰を痺れさせてゆくのを感じながら、啓太は沈む太陽を想ってつむじを赤く染めた。 |