monopolize「ああ。そういえば」 唐突に。 思い出したように七条がそれを口にしたのは火曜日の夜、二人並んで寮の食堂で夕飯を食べている真っ最中のことだった。 「週末に、横浜で花火大会があるんですが」 啓太は里芋の煮付けをつまんだまま箸を止めて、七条の横顔を見上げる。 「母のマンションからは、花火がとても綺麗に見えるんです。よかったら週末、一緒に遊びに行きませんか?」 そんな嬉しい誘いの言葉と一緒ににこりと甘く微笑まれれば。 啓太としては、一も二もなく頷く以外に選択肢などあるはずもなく。 「ぁ・・・はい! 俺、行きたいです!」 満面の笑顔で、こくんと大きく頷いてみせる。 勢いよく頷くのに合わせて、摘んでいた芋がつるんと滑って皿の上に転がるのにも気付かないほど、嬉しそうに。 色よい返答に七条は、笑みをますます甘く深くして。 「よかった・・・では予定を入れておいてください。それから・・・」 軽く身をかがめて、啓太の耳許に顔を寄せる。 「母はカナダに出張中ですから」 また二人きりでゆっくり過ごせますよ、と。 まるでついでのように、けれども低くした声で意味ありげに囁かれてしまうと。 啓太としては、二人きりで散々めくるめいて過ごしてしまった年末年始を思い出さずにはいられなくて。 「・・・・・」 言葉以上の意味を勘繰ってしまって、頬が熱くなるのを止められない。 右手に箸を握り締めたまま赤くなって湯気を上げている啓太を、七条はフフと笑みで見下ろして。 「伊藤くんは、本当に可愛いですね」 「も、もう七条さんはっ、すぐそうやって俺のことからかうんだから・・・っ」 右手に持っていた箸を左手に持ち替えてから、啓太は軽く握った右拳で、ぽこりと七条の肩を叩く。 揉めているというよりはただ単にいちゃついているようにしか見えないいつもの光景に。 動作を止めて聞き耳を立てていた周囲の野次馬たちは、やれやれとため息をつきながらがちゃがちゃと食器の音を立てながら、やつあたりのように食事を再開したものである。 そして週末。 昼過ぎに関内駅に降り立った七条と啓太は、まずは元町でゆっくりと少し遅めの昼食を取って。 買出しを済ませてから、花火が始まる時間を見計らってマンションへと向かった。 心地よい夜風に吹かれて夕食をとりながら、ベランダから臨む景色と大輪の空の花を思う存分楽しんで。 こんな特等席で花火を見るなんて初めてです。なんだか独り占めみたいですね、と。 本当に嬉しそうに云って、啓太は頬を高潮させた。 花火がすべて終わったあともしばらくは、耳の奥には打ち上げの響きが残っていて。 「・・・伊藤くん? そろそろ部屋に戻りませんか?」 そっと肩に手を置かれて七条にそう声を掛けられるまで。 啓太は余韻に浸って、ぼんやりと星空を眺めていた。 「そう・・・ですね」 はにかんだ笑みで頷いて、そうして、繋いだ手を引かれて部屋に戻ったちょうどそのとき。 タイミングを見計らったかのように、電話のベルが鳴った。 失礼、と云い置いて受話器を取りに向かう七条の背をなんとはなしに眼差しで追いながら、啓太はソファに腰をおろす。 「はい、七条です・・・・・ああ、どうしました? ・・・書類が、ですか?」 応える七条の口調が、とても柔らかいから。 電話の相手が誰なのか、啓太にはすぐに分かった。 「・・・それでしたら僕の机の上の右端の・・・・・ええ、年代別にファイリングしてあります」 穏やかな声が示すのは、多分、会計室の七条の机のことで。 「ブルーの背表紙の・・・そうですね、3番目に・・・・・郁、そういう意地悪を云わないでください」 いらえに、くすりと笑みが混ざる。 啓太には、その七条の微笑みが本物なのだということも分かってしまって。 「だめですよ。いくら郁の頼みでも、それだけは譲れません」 くすくすと、楽しそうに笑う七条の横顔を見詰めていると。 同じ部屋にいるのに、なんだか、とても遠い場所に一人きりで置き去りにされてしまったような気持ちになる。 「ええ、そうしてください・・・・・おやすみなさい、よい夢を」 優しい声が告げて、ゆっくりと受話器が置かれるのをぼんやりと眺めながら。 その電話機の向こうの、凛々しく綺麗な立ち姿を思い浮かべていた啓太は、視線を感じてふと顔を上げた。 「・・・伊藤くん?」 「ぁ・・・電話、西園寺さんからですか?」 「ええ、資料を保管してある場所を聞かれました」 「そう、ですか・・・」 頷いて見せるものの、どことなくしゅんとした様子の啓太に、ゆっくりと七条が歩み寄る。 「・・・どうしました?」 「い、いえっ、なんでもないですっ」 尋ねれば、ふるふると慌ててかむりを振って。 誤魔化すように啓太は、胸が痛くなるようなせつない顔で笑ってみせる。 不安が拭われていないのは、その揺れる眼差しを見れば一目瞭然だというのに。 「ヤキモチを、妬いてくれるんですか?」 「・・・・・」 冗談めかして問うてみるけれど、啓太にとってそれは、とても大きくて深刻な問題のようで。 啓太は困ったような顔でつま先を見下ろしながら、黙り込んでしまう。 正直な気持ちを言葉にしたら、呆れられてしまうかもしれないと思っているのだろう。 こんなにも愛しい恋人の可愛らしいヤキモチを、疎ましいと感じる男など、いるはずがないというのに。 「伊藤くん・・・?」 啓太の目の前に片膝をついた七条は、目線の高さを合わせて、啓太の膝に手を乗せて、促すように名前を呼ぶ。 するとその声の優しさにあやされるように、啓太はようやく、遠慮がちに言葉を紡ぎだす。 「・・・七条さんにとって、西園寺さんが特別な存在なのは当たり前なんです。なのに俺・・・分かってるつもりなのに、たまにすごく・・・」 不安になってしまって・・・と。 膝の上に置いた両の手のひらを、無意識のようにきゅっと握り締めて。 「伊藤くん・・・」 伸ばした指先を、なめらかな頬にすべらせて。 俯いたままの啓太の顔を、少しだけ上向かせて。 眼差しをあわせた七条は、不安げな恋人に優しく笑いかけた。 「嬉しいですよ」 「・・・え?」 「だって、ヤキモチを妬いてくれるのは、きみが僕のことを好きでいてくれる証でしょう?」 だから嬉しいです、とても・・・と。 驚いたように瞠った啓太の眼を、とろりと甘く深いアメジストが見返す。 「それにね、伊藤くん。ヤキモチに悩まされているのはきみだけじゃありません」 握り締められた啓太のこぶしを、そっと、七条の大きな手のひらが包み込んで。 やんわりと引き寄せたそのかたくなな指先に、温度の低い唇が触れる。 「きみはとても優しくて、人気者だから・・・僕は、いつも心配でたまらない」 逆の手が、見上げる頬にそっと伸ばされる。 「きみのすべてが、僕のものならいいのに・・・」 頬の輪郭を辿る指先が、思いのほか熱くて。 見上げた眼差しを熱に潤ませて、啓太はこくんと息を飲む。 「俺・・・」 気持ちが溢れそうになって、言葉にして外に出さなければ胸が壊れてしまいそうになる。 せつない気持ちで啓太は、真っ直ぐに七条の顔を見上げた。 「俺は全部・・・とっくに全部、七条さんのものです」 だから・・・と啓太は、七条の背に回した腕にそうっと力をこめて、その広い胸に顔を埋める。 頬に当る、七条の胸の温かさに。 自分でも聞こえてしまいそうなくらい、とくとくと鼓動が速まって。 「愛していますよ、啓太くん」 柔らかな頬を包み込むようにして。 そっと仰のかせた唇に、触れるだけのキスが落ちる。 「七条さん・・・俺も・・・」 告白に応える代わりに啓太は、自分から伸び上がって。 離れてしまいそうになる七条の唇に、もう一度静かに、唇を合わせた。 足の指から、くるぶし、膝、膝裏、内腿へと。じれったいほどの丁寧さで唇が辿る。 けれども、羽で触れるようなこんな優しい愛撫は、そればかりが続けばただもどかしくて、ねだるようにはしたなく腰が揺れてしまいそうになる。 それを耐えるように、手許のシーツをきゅっと握り締めた啓太の手の動きを眼差しで追って。七条は愛しげな笑みを浮かべる。 こんな風に触れ合うことはもう幾度も繰り返しているというのに、啓太が行為に慣れる気配はまったくなくて。 恥じらっていることを七条に気取られることにすら羞恥を覚えるらしい幼さが、とても愛おしい。 可愛らしい膝頭にキスを落しながら、撫で上げた白い内腿を右肩に掛けてしまえば、大きく開かせた啓太の足は、もう閉じることが出来ない。 「・・・っ、・・ぁ・・・七条さん、待・・・っ」 触れられる前から感じ入って屹立する啓太自身。その奥で震える小さな蕾。 隠したい秘密がすべて七条の目に晒されて。 肌を桜色に上気させた啓太は、ひくんと息を詰めて躰を強張らせる。 「・・・・・ゃ、やだ、っ・・・七条さんっ」 繊細な部分をその瞳の前に暴かれて、啓太は悲鳴のように細く鳴いて抗議をする。 けれども七条は、愛しい恋人の隠し事を許さない。 やんわりと、けれども強い力で割り開いた下腹に、ゆっくりと顔を寄せた。 「隠さないでください。きみは、すべて僕のものなのでしょう?」 ちゅ、ちゅく、と。 音を立てて熱の先端にキスをすれば、啓太の細い腰がびくびくとはねる。 「・・・ぁ、っ・・・・あっ」 「大丈夫ですよ、きみはどこも・・・とても可愛らしい」 ここも・・・ね、と。 舌先が、くすぐるように蕾に触れて。 まだ硬く閉ざされているそこを溶かすように、唾液を塗りこんでいく。 「っ、ぁ・・・・・ゃ、・・・だめですっ、七条さんこんな・・・っ」 「啓太くん、こうしているときは名前で呼び合う約束ですよ」 「は・・・・・っ、ぁ、・・・おみ、さん・・・っ」 抗議をやんわりとかわされて、ぬるりとした柔らかさにその中までも溶かされて。 ひくつくそこが、自ら刺激を求めて震えるようになるまで、丹念な愛撫をほどこされる。 「臣さん、もう・・・っ、おれ・・・・っ」 力の入らない指先が、焦れたように銀色の細い髪を引くと。 濡れてほころんだそこに愛しげにキスをして、ようやく七条が顔を上げた。 「僕が・・・欲しいですか?」 「っ・・・欲しい、です」 熱に浮かされたように瞳を潤ませた啓太がねだる声に、くすりと笑んで。 「分かりました・・・」 ゆっくりと身体を重ねながら、わななく蕾に、もう充分に育っている灼熱の先端を押し当てる。 「力を抜いてください・・・ゆっくり、息を吐いて・・・」 「・・・っ、は・・・・・ぁ・・」 促されるまま力を抜こうするけれど、この瞬間だけは、どうしても緊張に躰が強張ってしまって。 本来ならば受け入れる術を持たない狭い器官を、脈打つ熱に割り拓かれる感覚は鮮烈すぎるから。 その先にあるとろけるような快感を知っていても、啓太の躰はどうしても構えてしまう。 「・・・・っ、ん・・・っ・・・・・・、ふ・・・」 顔中に、耳朶に、首筋に、肩に。 幾つも散らされるついばむキスになだめられながら、時間を掛けてようやく全てを受け入れると。 汗で額に張り付いた前髪を、七条の白い指先が払ってくれる。 間近から覗き込む瞳は、常よりも深く艶めいた紫。 「気持ちいいですか?」 「は、い・・・っ」 啓太が短く息を漏らすたび、内壁が喘ぐように震えて、やんわりと七条を食むのが分かる。 恥ずかしいのに、その淫らな動きを止めたいのに。 その方法がわからなくて啓太は、高まる快感と羞恥とに戸惑って、せめてこの眼差しから逃れようと、ぎゅっと目をつむった。 その耐えるような表情を、七条がどれだけ愛しげに見下ろしているか、気付かないままに。 「僕も、とても気持ちいいですよ。きみの中は熱くて、柔らかくて・・・っ」 「っ・・・あっ、ぁぁ」 繋がる腰を揺らされて、甘えるような嬌声を上げて。 力の入らない指先が縋るように、汗を刷いた七条の腕にかかる。 「すぐにでも、イってしまいそうです」 耳朶に直に注がれる、低い囁き。 その甘い響きにすら、啓太の躰は敏感に反応してしまう。 「・・・あっ、ん・・っ・・・・っ、ぁ・・・」 繰り返される、穏やかな波のような注挿に合わせて。 触れられていない啓太自身が、蜜をこぼしながらふるりと揺れた。 感じている証を隠せずに、きりもなく零れる、とろけるように甘い喘ぎ。 耳に心地よいそれを思うさま引き出しながら七条は、なにごとか思いついたように、ふと眼差しを細めた。 「・・・こちらだけで、イけそうですね」 吐息が混ざりそうな近い距離で笑んで、僅かに息を乱した七条が告げる言葉の。 「・・・・ぇ・・」 その意味が分からず、潤んでかすむ視界を瞬かせると。 ここ、ですよ、と。 入り口の敏感なところを小刻みに擦られて。 「っ・・・・・無理っ、です・・っ」 躰に直接教えられた、言葉の意味に。 啓太は、涙をいっぱいにたたえた眼差しを向けて、必死になってかむりを振るけれど。 そうしてしまったあとで。 「・・・ぁ・・・・・臣、さ・・・ん・・」 七条の瞳の中で、ゆわりと揺れた欲の色に。 知らず、彼の熱を煽ってしまったことに気付く。 「・・・できな・・・・、俺・・っ、ゃ・・」 怯えてすくんだ首筋に、優しく唇が触れて。 「大丈夫です、力を抜いて・・・気持ちよく、してあげたいだけですから」 大丈夫ですよ、と。 幾度も繰り返される優しい囁きと、受け入れた部分が七条の熱に甘く馴染んでいく感覚に。 ゆっくりと、啓太の躰の強張りが溶けていく。 「いい子ですね・・・」 汗ばむ額に触れた唇が囁いて、同時に、ゆっくりと腰を揺すり上げられて。 「・・・ん、っ・・・・ふ、ぁ・・・っ」 「そう・・・上手ですよ」 「ん・・・・っ、あ・・・・・ぁ、っあ!」 柔らかな内壁の感じやすい部分を擦り上げられるたび、熟れた先端からとろとろと蜜が零れる。 直にそこに触れてほしくて、渦巻く熱を解放したくて。 刺激を求めて無意識のように、啓太の手が自身に伸びる。けれども。 「おいたはいけません、啓太くん」 軽く息を乱して、それでも笑みで告げる七条が啓太のその手を取って。 大切そうに指先を絡めて、捕らえてしまう。 「ゃ、・・・おみさ・・・っ、さわって・・俺・・・っ」 懇願する眼差しを、逃さないよう真っ直ぐに見詰めたまま。 まるで見せ付けるように、かり、と七条の犬歯がその指先を甘噛みすれば。 指先からじわりと伝わる甘い疼きに、啓太の奥深いところが反応する。 「・・・ん・・・っ・・」 「今日は、一緒に・・・ね」 絡めた指先にキスを落としてから、シーツへと縫いとめて。 かむりを振る啓太を、笑みで見下ろして。 「愛してますよ・・・、啓太くん・・・っ」 熱っぽい笑みで告げた七条が、柔らかく馴染んだ啓太の中を幾度も蹂躙する。 灼熱を浅く、深く、埋めて。啓太の悦楽を高めていく。 「あっ、あっ、・・・っ、ゃあっ、あっ、あ・・・っ」 繋がる部分から響く淫猥な水音と、混ざり合って荒くなる呼気。 性感を内側から押し上げられるような狂おしい快感に、啓太の意識は徐々に細くなって。 その耳には、自分の声とは思えない甲高い喘ぎがひっきりなしに届く。 「おみさんっ・・・おみ・・・さ・・・っ、・・・・・ぁ・・あっ」 「啓太くん・・・っ、大好きですよ・・・愛して、います」 触れられないまま、それでももう充分に張り詰めている悦楽の証を震わせて。 七条の手の甲に爪を立てながら、啓太は泣きながら限界を訴える。 「ぁ・・・あっ、んっ・・・・・も、う・・っ」 「ええ、僕も・・・です・・・っ」 「だめ・・・っ、も・・・・・ゃ、あっ、・・・っ」 突き上げる激しいリズムに躰ごと揺さぶられて。 いっそう深くを抉られた瞬間、啓太の背が弓のようにしなった。 「っ・・・ぉ・・み、さ・・・・・・・、っ!」 ひくんと背筋を震わせて。 絡ませた七条の指をぎゅっと握り締めて。 声にならない嬌声を上げて啓太は、訳が分からないままに白濁を解き放つ。 ほぼ同時に、きつく締め付けた深い部分に、ずくんと七条の脈打ちを感じて。 耳許に息を詰めるような呼気が届いて。 「・・・っ、・・」 最奥に、熱が注がれるのを遠くに感じながら。 啓太の意識はふつりと途切れてしまった。 「・・・いいえ、無理矢理に休みを捻じ込んでしまったのは僕のほうですから」 眠りのなかで聴こえてきた静かな声に。 啓太の意識が徐々に、ゆっくりゆっくり、浮上する。 「そもそも書類を溜め込んでいたのは郁ではありませんし・・・・・ああ、そうです、それに間違えありません。日付は確か・・・」 また、西園寺さんと話してるんだ、と。 ぼんやりと意識した途端。 不安になるようなできごとなど知らずに、優しい眠りの淵に沈んでいたいのに。 願いは空しく、冴えてしまった意識が、急速に浮上してしまう。 こんなにも近くに二人きりでいて、愛されていることをたっぷりと教えられたばかりだというのに。 あまりにも簡単に揺らいでしまう自分の気持ちが情けなくて、涙が出そうになる。 寝ボケている振りで啓太は、顰めた目許をぎゅうと枕に押し付けた。 「すみません、郁・・・・・ああ、いえ、ですから」 穏やかな口調で電話を続ける七条が苦笑をして。 そうしてそっと毛布越しに、啓太の背に大きな手のひらが触れる。 「ですから、そういう意地悪を云わないでください」 さっきの話の、続きなんだ、と。 気付いてはみたものの。 起きるに起きられない啓太は、俺は寝てるんだからまだ寝てるんだからと自分に云い聞かせながら、ぎゅっと強く目をつむった。 「他のものでしたら、大抵は譲りますけれど」 息を殺してじっとしている啓太の背を、七条の手がゆっくりと撫でる。 まるでなだめるように、落ち着かせてくれるように。 胸が痛いのに、触れるその手のひらはとても優しい。 なんだかせつなくて、啓太がこっそり目許を潤ませた。 そのとき。 「伊藤くんだけは駄目です。たとえ郁にでも、絶対に譲りません」 唐突に自分の名前を出されて。 啓太は思わずぱちりと目を開けてしまう。 「・・・ぁ・・」 そうして、思っていたよりもずっと近くに紫の瞳を見つけて。 驚きに瞠った眼差しを、とろりと絡め取られる。 「きみは、僕だけのものですから」 ね、と。 濡れた目尻に、笑みの形の唇が。 ちゅっと音を立ててキスをする。 近づいた受話器の向こうから、呆れ果てた気配が伝わってきて。 かろうじて聴こえたのは「切るぞ」という憮然とした声。 恥ずかしそうに泣き笑いの啓太は。 両手をするりと七条の背に回して、はいと小さく頷いた。 |