No matterこの週末は、どうしても七条さんと過ごすのだからと。 課題のレポートを金曜日の夜のうちに仕上げてしまうつもりで。 慣れないパソコンと格闘をしながら、朝方まで頑張って。 どうにかこうにか迎えた、ラストスパートの最後の最後。 つい気が緩んでしまったのか、ついうとうととしてしまったらしくて―――・・・。 「・・・・・・・・、っ・・・あれ、俺・・・?」 半分寝ぼけたまま瞬いて、状況把握が出来ないまま、啓太はぼんやりと時計を見遣る。 次いで確かめるようにゆっくり視線を巡らせると、窓に映っているのは白っぽい朝の光。 首を傾げた耳には、ひよひよとうららかな鳥の鳴き声も聴こえてきて。 「・・・・・?」 どうしてこんなところで、机に伏せて寝ているのだっけと考えながら。 何気なく目線を向けたパソコンのワープロ画面が・・・なぜか真っ白になっている。 「え・・・・・」 そこには本当は。 昨夜丸一晩、根を詰めて埋めに埋めたワープロの行が表示されている筈で。 「レポート・・・あれ、・・・・・ぇ、えええっ?!」 目を丸くして喚いた啓太は、額をモニターに擦り付けんばかりに近づいて。 信じがたいやら信じたくないやら、瞳孔すら開きかねない勢いで目を見張って固まる。 ―――・・・10秒経過。 「ぇ・・・・・ええとっ、ええとパソコンといえば・・・っ」 くらくらしそうな頭を必死になって回転させて。 椅子をひっくり返しそうな勢いで立ち上がると。 寝起きとは思えない俊敏さで啓太は、慌しく踵を返して部屋を飛び出した。 「七条さんっ、助けてください!」 扉を開けると同時に転がり込んできて、そのままの勢いで飛びついてきたのは愛しい温もり。 「どうしました、伊藤くん」 半泣きですがる啓太に、さすがの七条も驚いたように眉を上げる。 こんな風に手放しで助けを請う啓太なんて滅多に・・・それこそベットの上で少しいじめ過ぎてしまったときくらいしか見ることがない。 「レ、レポートが真っ白でっ。打ったのが全部、き、消え・・・っ」 ・・・レポート? どうにか聞き取ることのできた単語に。ああ、とすぐに得心がいく。 昨夜夕食の後で、僕の部屋に来ませんかと啓太を誘ったら、本当に残念そうに眉辺りを曇らせながら返された言葉を思い出して。 週末に七条と二人の時間を持つために、課題のレポートを今夜中に済ませてしまいたいのだと云っていた。 そのレポートが真っ白・・・打ったということは、パソコンを使っていたのだろう。 そうしてなにか不測の事態が起こって、苦労して書き上げた内容が消えてしまったのだ。おそらく。 「パソコンは? 部屋ですか?」 レポートどころか顔色まで真っ白にして声を震わせる啓太の肩を、安心させるようにやんわりと抱いて。 殊更いつも通りの調子で優しく問う七条を、ひとつ瞬いて啓太が見上げる。 「あ・・・はい、俺の部屋に」 「そうですか。では行きましょう、伊藤くん」 「はい・・・あの、すみません俺、急に来て・・・すごく慌てちゃってそれで」 不安げだった眼差しに少しだけ冷静さを取り戻した風の啓太が、申し訳なさそうに小さくなって呟く。 俯いた目の端が赤くなってしまっているのは、きっと寝不足のせいだけではなくて。 啓太がどれだけ驚いたか、どれだけショックを受けたのかが見て取れて、たまらない気持ちになる。 けれども抱きしめて、手練手管を尽くして慰めたい衝動は今は、こっそり胸のうちにしまっておく。 あくまで「今は」な訳だが。 「気にしないでください。僕は、きみが僕を頼ってくれたことがとても嬉しいんですから」 安心させるためにだけではなく、心に思ったままを答えてにこりと笑うと。 啓太はほっと安堵したように肩の力を抜いて、はいと頷いた。 「大丈夫ですよ。必ず元通りにしてあげますから」 心配しないでくださいね、と。 その背を促して七条は、まだ人気のない早朝の廊下を、啓太の部屋に向かって歩き出した。 「ああ、これは・・・」 啓太の動揺を表すように、机の上で立ち上げっぱなしになっていたノートパソコン。 七条がそのモニターと向き合って10秒後、事態はあっさりと解決してしまった。 「スペースキーを押しっぱなしにしていたせいですね。大丈夫ですよ、伊藤くんが打った文字は全部残っています」 ほら、と七条の指がキーボードのdeleteボタンを押すのに合わせて、画面の下の方から見覚えのある文章が現れる。 スペースキーを押しっぱなしにして居眠りをしてしまったから、文字と文字との間に余分なスペースが何行も入ってしまって。モニターにその空の行が表示されていたものだから、打った文章がすべて消えてしまったものと勘違いしてしまったらしい。 「あれ、ほんとだ・・・よかった―・・・」 七条の傍らで一緒になってモニターを覗き込んでいた啓太は、盛大な安堵のため息と共にへなへなとしゃがみこんでしまった。 その様子をフフフと笑って見下ろして。 「お疲れ様でした、伊藤くん」 宥めるようにぽんぽんと、啓太の頭を軽く撫でると。 その手のひらに懐くように甘えるように、猫の仕草で啓太が、無意識のように頭を預けてくる。 「本当にありがとうございます七条さん。書き上がったと思って嬉しくて伸びをした・・・ところまではなんとなく覚えてるんですけど、そこからの記憶がぷっつり切れてて」 寝ちゃったんですね、俺、とテレたように笑って。 軽く首を傾げてその笑みを見返した七条は、何事か考え込むような僅かな間の後で、ゆっくり椅子を回転させると正面から啓太と向かい合った。 「ということは、レポートはもう終わったということでしょうか?」 啓太の頭に置いたままだった右手を、するりと首筋に滑らせて。 くすぐるように項を辿れば、手触りのよい柔らかな肌は、すぐにふわりと熱を持つ。 「ぁ、はい・・・終わり、ました」 悪戯な動きをはじめた指先を横目で意識してしまいながら、啓太はこくりと頷いた。 「では・・・僕はもう、きみに触れても?」 眼差しを甘く眇めて、近い距離から囁くように問い掛けて。 七条の指先が耳朶をかすめ、耳の下の薄い皮膚を撫でる。 そのまま顎のラインを辿ってやんわりと啓太を仰のかせて・・・。 促されるまま七条を仰いで、こくんと小さく息を飲んだ啓太に。 「・・・啓太くん?」 もう一度問うて、そうして覗き込むようにして眼差しを合わせると・・・。 「・・・・・」 啓太が、躊躇いながらも小さく頷いたのを確かめてから。 ついばむようにそっと。 唇に優しいキスが触れて。 七条の指先が、ゆっくりゆっくり啓太を溶かしはじめた・・・。 |