Study or ... ?「ええと直列の場合はこっちの公式に当てはめて・・・単純な足し算でいいはずだから・・・」 シャープペンの走る音がかりかりと響く。 普段はキーボードを叩く音がひっきりなしにしているこの会計室においては、それはとても珍しいことで。 「・・・・・? ・・・置換えが、できなく・・・・・あれ・・・?」 時折そうして、考え込むようにしてそのシャープペンの動きが止まってしまうと。 「ああ、伊藤くん、そこはyを先に払ってしまった方が、計算が楽になります」 「あ・・・はい、・・・こうで・・・・・あ、これが消えるから、こう、で・・・」 落ち着いた声での解説が入って、またかりかりと、シャープペンが走り出す。 もくもくと、数式と格闘して頑張るそんな啓太の様子を。 隣の席から見守る七条の眼差しは、とても優しい。 啓太のほかの誰にも向けられることがない、特別に和んだその表情に。 数式を解くことに一生懸命になっている啓太本人が、気付くことはないのだけれど。 「・・ぁ・・・・できました!」 ぱっと満面の笑みを浮かべて、啓太が伏していた机から勢いよく顔を上げた。 「はい、正解です」 ノートに書かれた解答を確かめてから、七条がにこりと笑って頷くと。 啓太は得意げに、少しテレたようにとても嬉しそうに、へへへと目許を細めてみせる。 すると七条はその、僅かに高潮した柔らかな頬に・・・。 「よくできましたね」 ちゅ、と。 優しく唇で、触れた。 「し、七条さん・・・っ」 今日幾度目かの、ご褒美のキス。 それでもなお慣れることができない啓太は、軽く触れた唇の感触がかすかに残るその頬を右手で押さえて、誤魔化しようもなくかああと耳まで赤くなって。 驚いたような困ったような顔をして、七条を見返すのだけれど。 「こんなご褒美は、いりませんか?」 そう云って七条が、少し悲しげに目許を曇らせて首を傾げて見せれば。 そそそそういう訳じゃないんですけど・・・と慌てて口を開いて口ごもって。ますます頬を熱くする。 そんな啓太を見詰める七条の眼差しが、ふわりと甘く優しく溶けて。 「それとも、足りない・・・?」 不意に伸ばされた七条の長い腕が、その人差し指が やんわりと、あまりにも自然なことのように啓太の唇に触れるものだから。 啓太は驚きに声も出せずに、ぱちりと目を瞠って息を詰めてしまう。 と。 「いい加減にしないか、臣」 呆れ果てた声が、ため息と一緒に、窓際の会計部長の席から届いた。 啓太は途切れた甘い空気に安堵の息をついて、次いで届いた言葉に慌ててくるりとそちらに顔を向けて。 「す、すみません西園寺さんっ、あの俺っ、仕事の邪魔して・・・っ」 「啓太が悪い訳ではない。お前が真面目に問題を解いていたのは、私も見ていたからな。問題は・・・」 「僕、ですか?」 「とぼけるな臣、他に誰がいる」 「はい。すみません、郁」 「誠意のない謝罪にどんな意味がある。まったく・・・恋はここまで人を変え・・・・・・・ああ、そうか・・・」 きりりと吊り上げられていた柳眉が、言葉の後半でふわりと和らいで。 不機嫌と紙一重だった西園寺の表情が、なにゆえか楽しげなそれに変わったことに気が付いて。 啓太は少し不思議そうに、七条は少し身構えた風に。 机の上の書類を手に取って歩み寄ってくる西園寺の動作を視線で追う。 「書類を、届けに行ってくる」 「あ、学生会ですか? だったら俺が・・・っ」 「いい、私が行く。丹羽に、幾つか確認をしなければならないこともあるからな」 云って、通り過ぎざま啓太の脇で足を止めて。 小首を傾げて顔を見下ろしてくる西園寺を。 「?」 訝って見上げる啓太が。 どうしたんですか? と問いかけようとしたその一瞬先に。 ふわりと気配が近くなって。 あれれと瞬いたその頬に・・・。 「っ、さ・・・っ?!」 キスで触れた西園寺が。 綺麗に笑って眼差しを細める。 「ご褒美、なのだろう?」 「っ?!」 驚いて目を剥く啓太の耳許に、くすくすと楽しそうに笑いながら告げて。 すらりと踵を返した西園寺は、なに事もなかったかのように普段通りの足取りで扉の方へ。 「では、行ってくる」 一度振り返って、満足そうな笑みで告げてから。 扉を開いて、その背中が部屋から出ていくのを。 啓太は左の頬を押さえて呆然と、七条は表面上は穏やかな笑みのままで、見送るけれど。 扉がしまって。数秒の沈黙のあと。 「・・・啓太くん?」 「は、はいっ」 なにげに呼び方が・・・変わっているのはきっと意図的なもので。 「続きを、しましょうか?」 つ・・・続きって続きって・・・。 「べ、勉強の、ですよね・・・?」 目を回しそうになりながら、啓太は慌てて確認を入れる。 けれども。 「どちらが、いいですか?」 フフフと向けられる甘やかな微笑みと。 背中ではたはたとはためく、黒い羽。 背後でふよふよと揺れる、先の尖った黒い尻尾。 トリプルコンボで準備万端の悪魔を前にして。 「え、ええと、その・・・」 こくんと息を飲んだ啓太に残された選択肢は。 多分どうやら、ひとつきりらしい・・・。 |