LOVE Op.3少しでも特別な出来事と、お祝いをする気持ちさえあれば、その日は記念日。 だとすると、この人との毎日は驚きの連続だから。 1年中365日の全部が、なにかの記念日になってしまいそうだけれど。 それでも。 1年に1度しかない、なににも変えがたい特別な記念日には。 云いたくても、いつもはなかなか口に出せないことが。 もしかしたら、伝えられる、かな・・・。 「伊藤くん、あのお店ですよ」 不意に立ち止まった七条が眼差しで示す先を、同じように足を止めた啓太が仰のいて確かめる。 「わあ・・・」 思わず息を漏らして見上げるのは、ギターの形をした大きな大きなネオンライト。 特徴的な形状と店の名前を示すロゴを、どこかで見たことがあるような気がするのだけれど。 いつどこでと考えると、はっきりとは思い出せなくて。 ええと確か外国映画とかテレビとかで見たことがあるようなと・・・眉間を悩ませて少し考え込んでから啓太はようやく、七条が返事を待って自分を見ていることに気付く。 「ぁ・・・はい! じゃあ行きましょう、七条さん!」 否を返す理由なんてどこにもないから。 啓太は、慌ててこくんと頷いた。 店の表を飾るキッチュなライトディスプレイを眺めながら、なんだか賑やかそうなお店ですねと興味津々の啓太に。 笑みで頷いてみせながら七条が、頑丈そうな重い扉を引き開ける。 すると。 店の扉が開いた瞬間、溢れ出てくる音。音。音の洪水。 驚いた啓太は目を丸くして、扉の前で立ち止まって硬直してしまう。 原色をぺかぺかと点滅させているのは、大画面に流れるビデオクリップ。 壁一面には、所狭しとポスターが貼られて。 おそらくはおもちゃではなくて本物の、ギターまでが飾ってある。 目に入るどれもこれもが、啓太には物珍しくて不思議な空間。 そのうえ・・・。 「・・・っ、わ・・」 不意に腕を引かれて転がり込んだ先は、七条の胸の中。 急にどうしたんですかっ? と尋ねようと上げた目線の先の七条は、けれども啓太を見返してはいなくて。 あれれ? とその向けられている眼差しの先を追えば。 強そうで怖そうで大きくて黒い肌をした2人組が、こちらに向かってにかりと友好的な笑みを向けている。 扉の前に立ち止まっていた啓太が邪魔で、店内に入れずにいたらしい。 「Excuse me, but he's unfamiliar with here.」 『すみません、彼はこういう店に不慣れなのもので』 「In order to walk a kitten, it's unsuitable.」 『確かに、仔猫を散歩させとくような場所じゃねえな』 「This kitten's full of curiosity.」 『好奇心旺盛な仔猫なんですよ』 頭上でごく自然に交わされるのはネイティヴイングリッシュ。 するすると流れていく会話は、啓太には、単語の欠片を聞き取ることすらできなくて。 無防備にぽかんと口を開けて、七条と話す相手とを交互に見比べていることしかできない。 だから、強そうで怖そうで大きくて黒い肌をした片割れに顔を覗き込まれながら大きな掌でぽんと頭を撫でられたときには、啓太はすっかり石と化していて。 「I see. Eyeballs're likely to fall.」 『どうやらそうらしい。目玉が零れ落ちそうだ』 未知との遭遇に思考を停止させながらぱちくりと瞬くその表情がおかしかったのか、彼らは陽気に笑いながら、のしのしと店に入っていった。 呆然とその背中を見送る啓太の、小さな肩に乗せた手はそのままに。 しばらく様子を見守っていた七条が、頃合を見計らって肩を抱く手にそっと力を込める。 と、啓太がようやく我に返って。 まだどこかぎくしゃくとした動きながらも仰のいて、七条を見上げた。 「あ、あの七条さん、ここってお酒を飲むお店なんじゃあ・・・っ」 瞠ったまま戻らなくなってしまったらしい大きな目を向けて、あわあわと問い掛ける啓太の様子が微笑ましくて。 緩んでしまいそうになる口許を、七条は少しの苦労でもって軽い笑みに留める。 「大丈夫ですよ、ソフトドリンクもありますし。それにここは、デザートがとても美味しいですから」 宥めるように、さり気なく背中に手を回して。軽く抱き寄せるようにして。 ね? と顔を覗き込むと。 普段であれば公の場でこうして触れ合うことに過敏な啓太が。 不慣れな場所での不安のせいか、無意識のようにそっと躰を寄せてきて。 「で、でも・・・七条さんは大人っぽいからそんなことないかもしれないけど、俺は・・・なんだか場違いな気が、して・・・」 「あまり居心地が良くないですか?」 落ち着かない風に云って俯いてしまった啓太に。 七条は、困ったように笑ってみせる。 「・・・でしたら、店を変えましょう。どうしてもここでなくては、という訳ではありませんし」 そうしてやんわりと啓太の背を促して、店から離れようとしながら。 「ただ、この店の雰囲気はアメリカを思い出させてくれるので・・・僕にとっては少し懐かしく感じる場所なんですよ」 だから、伊藤くんと一緒に入ってみたかったのですけれど、と。 ウソ臭いまでにしおらしい態度で本当に残念そうに、且つ、残念そうにしていることを啓太に気付かれないように気を遣っている風の笑みで告げる七条を。 見上げる啓太の表情が、見る間にせつなげなそれに変わっていって。 そうして。 「ぁ、し・・・七条さんっ!」 とうとう啓太は、はっしと両手で七条の腕を取る。 「はい、なんでしょう伊藤くん?」 「あのっ、このお店にしましょう!」 なにがなんでも入るのだという気合を漲らせながら。 「七条さんの思い出のお店、俺も入ってみたいですから!」 ぐいぐいと七条の手を引いて、啓太は先に立って店の扉をくぐってしまう。 手を引かれるその大きな背中に、黒い羽根と先の尖った尻尾が揺れていることには、当然気付くはずもなく。はたまた気付かせるはずもなく。 今日も今日とて微笑ましく騙し騙される、幸せな恋人同士である。 見た目にも耳にもにぎやかな店内を横切って、案内されたフロアの奥のテーブルは。 白とコバルトブルーのチェック柄のテーブルクロスが掛かった、いかにもまたアメリカンな作り。 ご注文が決まりましたらお呼び下さいと云いおく店員を見送りながら、七条と啓太はテーブルを挟んで、ゆったりと大きな木の椅子に腰を下ろした。 と。 「? あれ・・・?」 テーブルの上に伏せて置かれていた伝票の裏に。 カラフルなクマの写真が並んでいる。 それに気付いた啓太が、興味を引かれたように僅かに身を乗り出した。 「クマのぬいぐるみだ・・・なんだかいっぱい種類がありますね。それに、みんなちゃんと名前がついてるみたいですよ?」 店のイメージキャラクターらしいクマのぬいぐるみ。 赤、緑、虹色と6種類ほどが描かれている。けれどもそこには・・・。 青いクマはいないや・・・。 思って、脳裏に年上の親友の姿を浮かべかけたとき。 パタリと、不意に伝票が表に返されて、クマが見えなくなってしまう。 え? と我に返って瞬きで顔を上げれば、そこには七条の笑みがあって。 「伊藤くん、どうか今は僕のことだけを・・・」 「・・・ぁ・・」 啓太の考えなんてどこまでもお見通しな七条だから。 クマのぬいぐるみから啓太がなにを想像したかなんて、きっと簡単にバレてしまっている筈で。 恋人として付き合うようになってからというもの、七条はこんな風に、小さな嫉妬も隠さない。 想いも、考えも、心も、躰も、啓太のすべてを独占したいのだと。 ことあるごとにこうして態度で、言葉で、示してみせる。 向けられるその想いの強さに戸惑うこともあるけれど、想われることが嬉しいか嬉しくないかといったら、頬が緩んでしまうのを頑張って堪えなければならないくらい、嬉しい。 けれども同時に、同じように言葉や態度で気持ちを示せない自分が、もどかしくもあって。 想いの強さならば負けない自信はあるけれど、それをすべて表に出すことは、啓太にはとても難しくて、勇気が必要だから。 テレや恥ずかしさが先に立ってしまって、いつだって上手く伝えられなくて・・・。 「さあ、なにを食べましょうか?」 落ち込みがちな思考をくるくると空回りさせていた啓太の視界、テーブルの上に、するりとメニューが示される。 そこには、これでもかとアイスやクリームやチョコソースを積み重ねて飾り立てた、デザートの写真が並んでいて。 「わ・・・すごいですね。これもアメリカ風、ですか?」 「ええ、どれも甘くて美味しいですよ?」 カラフルで重量級のストロベリーパフェに、とろけ落ちそうなクリームがなみなみと盛られたチョコレートワッフル。どこから食べたらクリームの山を崩さずに完食ができるのか、頭を悩ませてしまいそうなサンデー。 その中でも、一番に啓太の興味をそそるのは・・・。 「じゃあ俺は・・・・・ぁ、これにします!」 メニューの中央に大きく写る、器から零れ落ちそうな生クリームをたたえたサンデー。 店のイチ押しらしいそれを、啓太は迷わず指差した。 「バナナスプリットですね、分かりました」 笑みで頷いた七条が、軽く手を上げて店員を呼び止めて。 バナナスプリットをひとつ。それからジンライムを、と注文をする。 「あれ・・・七条さんはデザート食べないんですか?」 「ええ、僕は伊藤くんのを少しだけいただきます」 いいですか? と尋ねる七条に、それは勿論構いませんけれどと頷いて。 けれども、七条が甘いものをパスするなんて、初めて目にする光景だから。 少し不思議に思っていたのだけれど、その疑問は、テーブルにデザートが運ばれてくると同時に吹っ飛んでしまった。 「お待たせいたしました〜」 「こ、これ・・・っ?!」 確かに一人で食べきるのは、無理かもしれない、と。 目を丸くする啓太の反応が思った通りだったのか、七条はまた楽しそうにくすくすと笑う。 アイスクリームだけでもバニラ、ストロベリー、チョコの3種類がぎっしりと詰まっていて、その上に果実2本分のフレッシュバナナが差してあって。更にそのアイスとバナナが見えなくなるくらいたっぷりと、生クリームとチョコレートソースが掛かっていて。 七条さんは・・・これが大きいって知ってから、だから一人じゃ食べきれないって思ったのかな? だから自分の分を頼まなかったのかな、と。 クリームのてっぺんに飾られたさくらんぼをつまんで口に入れながら、啓太は半ば納得しながらも、首を傾げて尋ねてみる。 「でも・・・珍しいですね、七条さんが甘いものを頼まないなんて」 「ええ。今日は僕にはこのあと、特別なデザートが待っていますから」 「? 特別な?」 「ええ・・・甘くて、とても可愛らしい、特別なデザートが」 ね、と。言葉と一緒に意味ありげな笑みを渡されてしまえば。 その辺りのことには鈍い啓太といえどもさすがに。 七条の云うデザートが、なにをさしているのかが分かってしまって。 「・・・・・・・・」 アイスを盛ったスプーンを握りしめたまま固まって。 かああと一気に、耳どころかつむじまでが赤くなる。 いつまでたっても物慣れない啓太のその反応に眼差しを和ませた七条が、不意に手を伸ばして。 「伊藤くん? アイスが、溶けてしまいますよ?」 啓太の手からするりと奪ったスプーンを軽く掲げると。 いただきます、と、溶け掛けてしまったアイスを食べてしまう。 「お、美味しいですか?」 「はい、とても」 「そうですか・・・」 にこりと笑んだ七条にスプーンを返してもらいながら。 渡されるときに僅かに触れて掠めた指先の感覚に、啓太がこっそりとまた少し鼓動を速めていると。 突然に、店中の照明がゆんゆんと鈍い点滅を始める。 そうして一度絞られたBGMの音量が。 次の瞬間、ばうんと一気に大音量で弾けた。 「Congratulations!!! Happy happy birthday! Hiromi!!!」 DJのようなテンションの。 けれども今度は啓太にも分かる、聞き慣れた英語が聞こえてくる。 「Congratulations on your 27th birthday!!! 今日が27歳のお誕生日! ヒロミさん、おめでとうございま―す! Many many happy returns of the day!!!」 少し離れた机に、今日が誕生日の女の子がいるらしい。 タンバリンなどを鳴らしながらテーブルに集まる店員のうちの一人が、彼女に差し出したケーキには。 ろうそくの代わりの明るい花火がはじけて。 店中の客に拍手を受ける女の子は本当に嬉しそうに、少し恥ずかしそうな笑顔で頬を高潮させている。 すると。 一連の出来事を眺めながら釣られるように手を叩いていた啓太が。 どこかせつなそうな顔をして、ぽつりと呟いた。 「七条さんも、3日前が誕生日なのに・・・」 こんな風にたくさんの人がにぎやかに祝っている誕生日と。 当日を過ぎてしまってから、自分一人だけがお祝いを告げる誕生日。 同じように特別な日なのに、なんだか・・・と。 「伊藤くん・・・」 しゅんと眉尻を下げてしまった啓太の気持ちの起伏や、考え方は。 七条にはいつもとても新鮮で、自分の中からは決して生まれ得ないもので。 啓太に教えられたその温かな感情は。 与えられるたびに、こうして。 ゆっくりと七条の中に浸透して、冷えた心根を温めてくれる。 日々繰り返されるそんな日常が、七条にとってどれだけ衝撃的な出来事であるのかを。 啓太本人は、きっと知らないのだろうけれど。 それでも。だからこそ。 客の視線が、盛り上がる一角に集中しているのを良いことに。 伸ばされた七条の右手が、テーブルの上に置かれた啓太の左手に重ねられる。 「・・・僕がお祝いをして欲しい人は、君だけです」 そうしてそっと、その手のひらを引き寄せて。 小指と薬指辺りに、やんわりと唇で触れて。 「君が祝ってくれるなら、他になにもいりません」 真っ直ぐに眼差しを合わせて。 とろりと、本当に幸せそうな笑みを浮かべて。 「それに・・・僕は恥ずかしがり屋さんですから」 あまり大勢にお祝いを云われては、テレてしまいます、と。 冗談めかして云い足して。 周囲を気にする啓太がいたたまれない思いをする前に、やんわりとその手をテーブルに戻した。 「もう、七条さんは・・・」 胸の内のくすぐったさと、指先に残る優しい感触に頬を熱くして。 恥ずかしそうに笑う啓太が、テレ隠しのようにくるりと巡らせた目線の先では。 パーティの主役がちょうどプレゼントを受け取っているところだった。 その光景に、ぽつりと、無意識のように呟きがこぼれる。 「でも俺・・・やっぱり、なにかプレゼントがしたいです」 ゆっくりと七条に眼差しを向けて。 「俺は・・・いつも七条さんにいろんなこと、してもらってばっかりで」 優しくしてもらうのはひどく心地好くて。 そのうえ、七条もそれを望んでいるのだと。 繰り返し、繰り返し、囁かれるから。 ともすると、すべてを預けて甘やかされるままになってしまいそうだけれど。 「でも、七条さんはなんでもできる人だから・・・だから、俺が七条さんにしてあげられることはすごく少なくて」 想いを渡される嬉しさとか、心地好さとかを。 同じだけちゃんと返したい。渡したいのだと。 思うこと自体が、もしかしたら思い上がりかもしれないけれど。 それでも。 「今日だってこうやって、一緒にいるだけでいいって七条さんは云ってくれるけど、でも・・・っ」 真っ直ぐに七条を見詰めて、軽くテーブルに身を乗り出して告げる啓太の。 その表情ですら七条にとっては、嬉しすぎる誕生日プレゼントなのだけれど。 それでも。この一生懸命な幼い恋人が。 それ以上のものを、望んでもいいと云ってくれるのならば。 「では・・・ひとつ、僕の我侭を聞いてくれますか?」 伸ばされた指先が、啓太の柔らかな頬を辿って。 そうして僅かに仰のかせるようにして、真っ直ぐにその眼差しを捕らえた。 「僕は、きみに愛されたい」 甘さをたたえたアメジストの瞳に、絡めとられた視線を外せないまま。 啓太はこくんと息を飲む。 想いだけではなくて、啓太のすべてで愛されたいのだと。 告げられた七条の言葉の意味が、分かってしまうから。 「僕を、愛してくれますか?」 けれどもその優しい声に促されるように啓太は。 とろりと熱に浮かされるように。 「・・・七条さん・・・」 吐息のように名前を呼んで。 はい、と、ひとつ頷いてみせて。 言葉通り。 まずは今、この場で渡せる愛のカタチを。 「大好きです・・・愛して、ます」 小さく、けれどもしっかりと囁いた。 |