あくまのロマンスある、とてもよくはれた日のごご。 なるせは中にわのベンチにすわる七じょうをみかけました。 ノートパソコンをひらいたすがたがあんまりたのしそうにみえたものだから。 きょうみがわいたなるせはそっとちかづいてみました。 どうやら七じょうは、音がくをきいているようです。 「やあ、七じょう。めずらしいこともあるもんだね。きみが音がくをきいているだなんて」 「ふふふ、ぼくもそうおもいます」 「しかも・・・」 ノートパソコンからながれてくるのはおよそ七じょうのイメージからはほどとおい、セリーヌ・デュオン。 なるせは七じょうのとなりへすわり、パソコンをのぞきこみました。 「・・・ふぅん」 ディスプレイの音がくリストに名をつらねているのは、セリーヌ・デュオンにダイアナ・ロス、ホイットニー・ヒューストンといった、あまいあまいこいのうた。 「これはまた、ベタだこと」 こいは人をかえるというけれど、ここまでとは、ね。 こいのかみヴィーナスの、なんといだいなことよ。 なるせはこころの中でためいきをつきます。 けれども、七じょうのあいてはほかならぬけいたです。ゆずれることと、ゆずれないことがあります。 ぼくだって、ヴィーナスのごかごは人一ばいうけているんだから。 「七じょう、きみにいっておくけど」 「なんですか、なるせくん」 「その音がくは、きみのためだけにあるわけじゃあないよ。ヴィーナスはみんなにびょうどうなんだから」 ボクダッテマダ、ケイタヲアキラメタワケジャナイヨ。 「おやおや」 やわらかいたいようの光になるせのきんいろのかみがきらりときらめき、七じょうのむらさきのめがぴかりとかがやきました。 「おぼえておきましょう」 「なんだか、いやになるくらいよゆうだね」 にっこり。 「じゃあぼくはぶかつがあるから、しつれいするよ」 おたがいにほほえみあうと、なるせは七じょうとわかれました。 きょうの日ざしのようにあたたかなえがおのこい人を、七じょうはぽんわりとおもいうかべます。 ぼくもふしぎでしかたありません。 こいのうたなんて、いままでなんともおもわなかったのに。 こえに出して、たしかめてみましょう。 「早く、きみにあいたいですよ」 ぼくがどんなにきみのことがすきかということを。 きみがそばにいるだけで、おなじことをしてもすべてがはじめてのことのよう。 たとえそれがヴィーナスのしわざだとしても、 「ぼくはやっぱりきみにむ中です、けいたくん」 とろけるようなこいのうたも、きみのことばにはかなわない。きみのこえにはかなわない。 ところで―――。 「めは早いうちにつんでおかなくてはいけませんね」 七じょうはパソコンの音がくをとめると、しずかにタイピングをはじめました。 と、そこへ。 「七じょうさーん!」 それはききまちがえるはずもない、いとしい人のこえ。 「いとうくん」 とてもとてもうれしい気もちは、はんぶんだけみせて。 「おまたせしました・・・あれ、おしごとですか?」 「いいえ」 もうはんぶんは、かくしてしまいましょう。 「わるだくみ中です」 「そうなんですか?」 「ふふ。さあ、ケーキをたべにいきましょうか」 だってきみにみつけてほしいから。 「あれえ、ハニーじゃないか、はにぃ・・・―――」 「なるせさん、ぶしつのかぎがあかないんですけど」 「え?ぼくいまそれどころじゃないんだ。はに・・・」 「なるせさーん、しゅざいの人がきてまーす!」 「えー?そんなよていあったっけ?」 「なるせさん、うみの先生がよんでましたよー、ついしだって」 「えええー?」 「ゆきひこー」 「うるさいな、なんだよしゅんすけまで!」 「なんや、ごっつごきげんななめやなー」 ある、とてもよくはれた日のごご。 なるせはどうしてか、とてもいそがしかったようです。 |