COLD RHAPSODY





 むずむずとこそばゆさを覚えて。
 あ、来る! と思った次の瞬間。

「・・・・、・・っ、くしゅ!」

 とっさに両手で覆った口からくしゃみがひとつ飛び出した。
 はあすっきりしたと息をついて、衝撃をやり過ごしてから顔を上げるとそこには、少し驚いた風に目を瞠った七条の顔がある。
 寮の七条の部屋で二人きり、差し向かいでテーブルを挟んで、集中して英語の課題を頑張っていた真っ最中のできごとだ。

「・・・大丈夫ですか?」

 風邪でしょうか・・・と眉を顰めて心配そうに呟きながら、七条は伸ばした指先で啓太の前髪をかきあげる。
 熱を確かめるように額に触れたひんやりと少し温度の低い手のひらの心地よさと、優しく触れられる感触に、条件反射のようにとろりとまぶたが落ちて、啓太は思わずほうっと深く息をついた。

「熱は・・・ないようですが、風邪のひき始めかもしれませんね。寒くはありませんか? もう少し部屋の温度を・・・」
「ぁ・・・いえ! 大丈夫です!」

 一瞬であれこれと気遣いを見せて、早速ヒーターの温度設定を変えるために立ち上がろうとする七条の腕に、慌てて啓太はしがみつく。

「ちょっとむずむずしただけで、風邪とかじゃないですからっ」

 啓太の周りには啓太を甘やかすことにかけては容赦のない人間が揃っているけれど、その筆頭はだんとつにこの七条だ。
 あれこれと世話を焼かれて、気を抜いていると本当に日常生活のなんでもかんでもを、やってもらう羽目になってしまいかねない。

「本当に?」
「はい! 本当に!」

 半ば立ち上がりかけた中腰の体勢から問われて、啓太は勢いよくこくこくと頷いてみせる。
 するとその啓太の答えが気遣いからされたものではないことを確かめるように、じいっと瞳を覗かれて。

「・・・・、・・っ」

 気持ちの裏側まで見透かされてしまいそうな、淡い紫の瞳。
 宝石みたいに綺麗なそれに、こんな風に見つめられると、それだけで落ち着かない気持ちになってしまう啓太なのだけれど。
 本当に本当に大丈夫なのだということをちゃんと伝えるために、まっすぐに目を見返して、しばし。

「・・・・・・・・分かりました」

 じりじりと数秒が過ぎてから、ふと七条の眼差しが和む。
 納得してくれたのだと分かって、啓太はほっと安堵して気を抜いた。
 と。

「では」

 次に渡されるのは。

「早く課題を片付けてしまいましょう」

 言葉とは裏腹にもはや課題どころではないとしか思えない、艶めいた笑み。

「それで、二人で一緒にたくさん温かくなりましょうね」
「・・・っ、・・・・ぇ」

 日常会話に潜ませて、意味深な眼差しを向けてくる七条が伝えようとしていることがなんであるのかを正しく理解してしまった啓太は。
 とろかされてしまいそうな甘い甘い眼差しの前で、なすすべなくしゅしゅうと顔をほてらせる。

「頑張ってください、伊藤くん」

 にこりと笑う七条に、啓太は思わずこくんと息を呑んだ。

「僕が待ちきれなくなってしまったら、困りますから」
「―――――・・・・っ」

 ね? と首を傾げる七条はちっとも困ってなどいなさそうだし困りもしなさそうだし。
 シャープペンを握り締めたままおののいて固まってしまった啓太の、頑張ることができる度合いなど高が知れている訳で。

 こんな風に二人きり。
 冬でも、他の季節であっても。
 啓太が肌寒さを感じている余裕はまったく。

 なさそうである――――・・・・







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