きみの不安も心配も放課後の図書室。 今日は会計業務がないから、七条さんはこの部屋で一番日当たりの良いいつもの場所にいるかなと、うきうきしながら向かう途中。 近づいてみればその目的の場所から、なにやら話し声が聞こえてくるのに気がついて。 「・・・・・?」 啓太は思わず足を止める。 本棚の隙間からそうっと様子を伺ってみれば、確かに人影が見えた。 七条の姿は見えず、その代わりに目に映るこちらを向いている背中には見覚えがないから。 2年生か、もしかしたら3年生か。 「本当は同性相手に告白なんてするつもりはなかったんだ。でも、きみはいつも優しい笑顔を向けてくれるし、もしかしたら可能性があるんじゃないかと思って」 ・・・・・ぁ。 話をしている最中どころか、どうやら告白の真っ最中らしい。 それに気付いた啓太は出て行くことも、さりとてこっそりと引き返すことも出来なくなってしまう。 こんな盗み聞きみたいな真似はいけないと思うけれども、それでもどうしてもどうしても気になってしまって足が動かない。 「ずっと好きだった。1年の頃から、ずっと」 「それは、気が付きませんでしたね」 穏やかに返る声は、やはり七条のものである。 告白を受けているのは、もしかしたら七条ではない別の誰かなのではないかと思いたかったのだけれど。 ・・・・・。 ぎゅ、と。胸が痛んで。息が苦しいみたいになって。 啓太は無意識のように、ブレザーの胸許を左手で握り締める。 そうだ、七条さんはいつだって、誰に対してだって優しい・・・。 それは啓太に対してだって同じことだ。 出会った頃から変わらずに、話しかければいつでも穏やかな笑みを返してくれる。 MVP戦の時だって困っている啓太の状況を切り開くために、迷わず手を貸してくれた。 多分あのとき、困っているのが啓太ではなくて別の誰かだったとしても、七条は、助けを求めてすがってくる相手を見捨てるようなことはしなかっただろう。 だから、そうして一緒に挑むことになったMVP戦の最中に、啓太のなにかが七条の心に触れることができたのは、きっと幸運な偶然で・・・。 「気付かれないようにしていたからね。云っただろう、告白をするつもりはなかったって」 「それなのに、翻意したという訳ですか」 云いながら七条が立ち上がると、話している相手よりも背が高い分、ほぼ真正面から啓太の姿がその視界に入ってしまう。 こそこそと立ち聞きしていたのが見つかってしまって、目を瞠って思わず息を詰める啓太に、けれども七条はにこりと微笑みかけると。 「伊藤くん」 驚くでもなく、啓太がそこにいることを元々知っていたかのような調子でそう呼んで、啓太に向かって右手を差し伸べた。 呼ばれた啓太も驚いたけれど、それよりももっとずっと驚いたはずの告白の主が、「えっ?」と勢いよく啓太を振り返る。 こちらを向いた顔は見知らぬもので、タイの色から2年生だということだけは分かったけれど、それよりもなによりも状況が状況だから、あれこれを考えていられる余裕が啓太にはない。 「あ、あのっ、俺・・・っ」 「遠慮することはありませんよ。こちらに来てください」 「・・・・・・、・・っ」 もはや誤魔化すことも逃げ出すこともできずに。 啓太はぎくしゃくと、隠れていた・・・つもりはないけれども結果的にはそういうことになってしまった本棚の後ろから出ると、俯いて顔を上げられないままそれでも視線を感じながら、二人の近くへと歩み寄る。 そうして、意図してではないにせよ立ち聞きのような真似をしてしまったことを、謝ろうと意を決して顔を上げたところで。 「・・、す、すみません、立ち聞きをするつもりじゃな・・・・・・・・・ぇ? っ、ぅわっ!」 ぐい、と。 手を引かれて訳が分からないままに転がり込んだ先が、七条の腕の中だと気が付いた次の瞬間。 頬に、吐息と。 「――――・・・・っ?!」 よく知っている柔らかな感触が、ちゅっと小さく音をたてて触れる。 七条が唐突にこんなことをするたびいつもそうなってしまうように、今回もまたぴしりと固まってしまった啓太の頭上で。 「こういうことですので、お気持ちを受け取る訳にはいきません」 動揺の欠片もなく、常と変わらない穏やかな口調で告げる七条の声が聞こえる。 「・・・・・、っ」 そうして、息を飲む気配があって。 七条と話をしていたのが誰であったのかを啓太がちゃんと知る前に、その人物は踵を返して、立ち去ってしまった。 こつこつと響く足音が、遠のいて聞こえなくなって。 いつの間にか詰めていた息が苦しくなる頃にようやく、啓太は呼吸を取り戻してゆっくりと顔を上げる。 「・・し、しち・・・・・っ」 「中途半端な優しさは、逆に残酷ですから」 はくはくと呼吸困難になりながら見上げた先には、少々困っているような七条の顔がある。 きみにまで彼の想いを負わせてしまうのはとても不本意だったのですが、と、息をついて。 「そ、それにしたって」 「迷惑でしたか?」 あんな風にしなくても、言葉で伝えればよかったのではないかと云おうとした台詞は。 ほんのりと寂しそうな顔で、首を傾げてみせる七条のせいで、口から出せずに終わってしまう。 だってそんな顔を見せられてしまったら反論も出来ないし。 なにか他に良策が? と尋ねられたとしても、啓太には答えることができない。 それに・・・。 もしかしたら七条さんは、こういうこと、よくあるのかな・・・。 だって、慣れているように見えたのだ。 もし啓太が・・・まずありえないことだけれど、いきなり同級生に告白なんてされようものならば、とてもびっくりするだろうしものすごく動揺するだろうし、七条のように上手に断るなんてこと、とてもとてもできそうにない。 そりゃあ、他のどんなことがあったってとてもびっくりしてものすごく動揺している七条の姿なんて、そうそう拝めるものではないだろうけれど。それでも。 告白とか、されること、珍しくないんだろうな・・・。 ほう、と、無意識に小さなため息がもれる。 学年が違うから、学園にいる間の七条の日常は啓太には分からない。 だけど恋人の欲目を差し引いたって、とても魅力的で、存在感があって、そのうえ誰にだって優しいとくれば・・・。 「伊藤くん」 「は、はいっ」 ぐるぐると考え込む途中で名前を呼ばれて、啓太は慌てて顔を上げる。 そうして向けられている心配そうな眼差しに気がついて、慌ててえへへと笑顔を作った。 なにも悪いことなんかしていない七条に、心配をさせたくはなかったから。 その繕った顔をじっと見つめられてたじろぎそうになるけれど、負けずにじぃっと顔を見上げて見返している、と。不意に。 「・・・・・」 くす、と。七条の表情が笑みに溶ける。 「?」 変化の理由が分からずに、啓太はことりと首を傾げた。 その頬に、伸ばされた七条の右の手のひらがやんわりと添えられる。 伝わるぬくもりが、とても優しい。 「頑張り屋さんなところは伊藤くんの美点ですが」 身をかがめて。 目許にちゅっとキスが落ちる。 「・・・・・ぁ、・・」 「僕にまで頑張り過ぎないでください」 くすぐったさに、思わず瞬きをする啓太の耳朶に。 「不安に思うことがあるなら、聞かせてください」 ねだるように、甘い声音が囁く。 「きみの不安や心配は、そのまま僕のものでもあるんですよ」 ね? と。 あわせた瞳が、笑みの形になって。 フフと、イタズラっぽくきらめく。 「伊藤くん、僕にきみの不安を聞かせて?」 「七条さん…」 こんな風に。 いつだって先回りして気遣いをくれる恋人に、なにを不安に思う必要があるのだろう。 啓太はなんだかほっとして、もう大丈夫だと思えてしまう。 自分でも、単純だなあと思うけれど。 「七条さん、俺・・・もう不安だなんて思ってません」 顔を上げて、明るい表情でそう云いきる啓太に。 そうなんですかと、七条は少し驚いた顔になる。 けれどもその表情は笑み混じりだから、きっと啓太の不安がなくなってしまったことになんて、啓太の言葉を聞く前から気付いていたはずで。 それでも、言葉にして伝えることの大切さを知っているから。 その大切さを教えてくれた人に、啓太は考え考え、ゆっくりと気持ちを伝えていく。 「はい。でもさっきまでは俺、学園にいる間の七条さんのこと、ほとんど知らないんだなって思って、それで・・・」 不安も、心配も。 取り除いてしまえばそこにあるのは、お互い想う気持ちばかりで。 だから、いつでもこうして伝えよう。 大好きで大好きな、大切な気持ちを。 |