ご飯を食べよう寮の自室にて、保温ポットの前に正座をして。 小難しい顔をした啓太は、カップ麺を握りしめて途方に暮れていた。 「壊れちゃったのかな・・・」 呟いてみてもう一度、ポチポチポチと連打。 けれど相変わらずボタンを押した手ごたえもなければ、お湯が出てくる気配もない。 昨日の夜、宿題をしていてすっかり夜更かししてしまって。 今日はといえばどうにか学校からは帰ってきたけれど、どうにもならないくらい眠くて眠くて。 夕食前に少しだけ眠るつもりが寝過ごして、起きたときには夕食の時間はとうに過ぎていたのだ。 起こされなかったところを見ると、和希は忙しく理事長モードの真っ最中なのだろう。 「お湯・・・確か食堂に給湯機があったよな」 くるくるとせつなく自己主張するお腹を宥めながら、確かめるように呟いて。 よいしょと軽く勢いをつけて立ち上がった啓太は、通り過ぎざまぽちりと部屋の電気のスイッチをはじいてから、カップ麺を手にとぼとぼと部屋を後にした。 今日のメニューは確か・・・と思い出すにつけまた少しブルーになりつつ。 小さな足音を響かせながら進む廊下の先、食堂から灯りが漏れているのが見える。 その温かい明るさに励まされて少しだけ元気の出てきた啓太が、目指す扉をくぐったところで。 「ん? ・・・どうした伊藤、こんな時間に」 「あ、篠宮さん」 怪訝そうに呼び止めたのは篠宮絋司。 BL学園のお母さん・・・もとい、気配り細やかな寮長である。 折り目正しい寮長は常に規律も正しいので、当然のように、消灯間際のこんな時間に食堂をうろついている理由を問われた。 少々情けなくはあるものの隠す理由もなく、啓太は正直に本当のことを話す。 「・・・・・それで、部屋に買い置きがあったからこれを」 「そうか・・・」 説明を聞き終えて納得したように頷く篠宮だが、啓太が手許に握り締めたカップ麺に注がれるその眼差しは、かろうじて口には出さないが明らかに「そんな身体に悪そうなものを・・・」と告げている。 お説教が始ってしまうだろうかと一瞬身構えた啓太だったが篠宮は、そんな啓太の予想とはまったく違う言葉を聞かせる。 「伊藤、もし簡単なものでよければ、俺がなにか作るが?」 「え・・・で、でもそんなのっ、悪いですからっ」 おどろいた啓太は慌ててかむりを振ってみせた。 その仕草が可笑しかったのか、切れ長の目許を和ませてくすりと笑った篠宮は、気にするな、と伸ばした大きな掌で啓太の頭をくしゃりとかき回す。 こういうときの篠宮の笑顔に啓太は弱い。 最初に弓道場で篠宮と出会ったとき、静かに力強く弓を引く凛とした立ち姿に圧倒されて、厳しそうで少し恐い人なのかなと思ったから。 そのイメージを覆すようなこんな優しい笑顔を見せられてしまうと、心臓が勝手にドキドキと騒ぎ出してしまうのだ。 眩しいような想いで、吸い寄せられるようにその表情を見上げる啓太のぽやんと無防備な顔がますます可笑しかったのか、篠宮はくすくすと笑い続けながら。 「少し待っていろ」 乗せたままだった掌で啓太の頭をもう一度ぽんぽんと宥めてから、踵を返して調理場へ向かおうとする。無断外泊常習犯の和希とはまた違った意味で、寮長チェックリストの上位に常に名を連ねる啓太を、放っておく気はさらさらないらしい。 篠宮さんてほんと、面倒見がいいよなあ・・・。 小首を傾げた啓太がしみじみと感心するように、確かに篠宮は面倒見が良い。 しかしこれほどの、通常の3倍増しくらいの好意が向けられる相手となれば極限られてくるということには、好意を向けている方も向けられている方も、どうやら一向に気付かない風で。 俺も、篠宮さんの半分くらいはしっかりしないと! とりあえず手始めに今日の分の宿題は日付が変わらないうちに頑張って片付けて・・・と、少し乱れてしまった柔らかなクセ髪を両手でぺたぺた整えながらそんなことを考えながら啓太は、餌付けをされる雛鳥よろしく、大きな背中の後にくっ付いて調理場へと向かった。 「わあ・・・美味しそうですね!」 出来たての卵チャーハンを前に、感動した様子で目を輝かせて。 食欲をそそる香ばしい湯気を大きく吸い込むと、それだけで啓太の表情は幸せそうにとろけてしまう。 「冷めないうちに・・・いや、だからといって火傷もしないように。熱いからな、気をつけるんだぞ?」 「はいっ、それじゃあ・・・いただきます!」 向かい合ってテーブルに着いた篠宮にあれこれと念を押されながらも勧められるまま、神妙に合掌をして。 啓太は早速スプーンを手に取り、大盛りにすくったチャーハンを、豪快にあけた口の中へ。 「・・・・・・っ、! すごく美味しいです!」 んっくと嚥下すると同時に表情を輝かせて、心底幸せそうに頷いてみせる。 「そうか、それはよかった」 旺盛な食欲を見せる啓太の様子を眺めていると、微笑ましさに自然と篠宮の笑みも深くなる。 これだけ美味そうに食べてくれれば、作った方も実に作り甲斐があると云うものだ。 食事をしているときに限らず、啓太の感情表現は、とても分かりやすくて懐こい。 喜怒哀楽、思うまま感じるままを素直に表現する姿を見ていると、思わず手を伸ばしてその柔らかそうなクセ髪を撫でたくなってしまうこともしばしばなのだ。また高さもちょうど撫でやすい位置にある。 衝動に抗えず実際そうして頭を撫でると啓太は、子供扱いされたことに少し憤慨しながら、それでもどこか嬉しそうにテレたように笑うのだ。その笑顔がまた・・・。 「篠宮さんも食べませんか?」 表情はきりりと引き締めたまま、内心では密かに少々こそばゆい気分に陥っていた篠宮の目の前に、不意にチャーハンが出現する。 目線を上げてみれば、笑顔の啓太がスプーンに一口分のチャーハンを乗せて、はいと差し出していた。 「いや、俺は・・・」 啓太は感情表現だけでなく、実際の行動も分かりやすく真っ直ぐだ。 余りにも真っ直ぐに無防備に懐に飛び込んでくるものだから、人との距離を考えるときにまず理性を使うタイプの篠宮などは、時々思わずたじろがされる。 ちょうど、今のように。 「でも本当に美味しいですよ?」 だから一口だけでもと、促す笑顔で口許にスプーンを差し出されては。 一緒に喜びを分かち合いたいのだという無邪気な気遣いを、無碍に断ることなどとてもできたものではなく。 「・・・・・」 観念した篠宮が軽く身を乗り出して、差し出されたチャーハンをぱくりと食べれば。 「ね?」 と、啓太の方こそ得意げに、にっこりと嬉しそうに笑ってみせる。 むずむずとまた頭を撫でたい衝動に駆られて、惑乱した篠宮は眼差しを泳がせた。 「? 篠宮さん?」 「・・・あ、ああ」 美味いな、と頷いてチャーハンを咀嚼しながらも、どこか居心地悪げに篠宮の目線が彷徨っていることに啓太も気が付く。 あれ、篠宮さんてもしかしてピーマン嫌いだったのかな? それともタマネギ?ニンジン? 皿に盛られたチャーハンに細かく散らばるカラフルな野菜を確かめて。 この人も意外と子供っぽいとこがあるのだななどと勝手に納得して、啓太はほくほく楽しい気持ちになる。 みんなには内緒にしておこう。 だって、威厳たっぷりの寮長が実は野菜嫌いでしたなんて、きっと篠宮さんだって知られたくはないだろうから。 それになんだか篠宮さん、心なしかほっぺたが赤いような気がす・・・・・。 そこまで考えて、なにか引っかかって。 あれ? と啓太は小さく首を傾げる。 ? ・・・・・・・・・・あ。 思い当たってくらりとフラッシュバックするのは、数日前の昼休み。 手作り弁当を携えて現れた成瀬とのやり取りだ。 「ハニー? はい、口をあけて?」 差し出されただしまき卵と成瀬の顔とを混乱しながら見比べる啓太に、成瀬はにっこり笑って見せて。 「恥ずかしがってる啓太も食べちゃいたいくらい可愛いけど、今日のだしまき卵は自信作だからね。啓太に食べてもらいたいんだ」 甘い言葉と一緒にばちんと飛んできたウィンクが眉間を直撃して、思わず固まった啓太にもう一度卵が差し出される。 「はい啓太、あー・・・」 「・・・っ?! な、成瀬さん、あの俺っ、じ・・・自分で・・・・・っ」 どうにか我に返って辞退しようとする言葉尻、迫る卵に合わせて条件反射で「あー」と口を開けてしまうと。 小さめ一口大の卵を、ひょいと口に入れられて。 「どうかな啓太・・・美味しい?」 「ぅ・・・すごく・・・美味しいです」 耳どころかつむじまで赤くして答えた通り、おそらくは出汁から丁寧に丁寧に作られたのであろうだしまき卵は本当にとても美味しかったのだけれど。 味がどうのと云う前に啓太にとっては、食べさせてもらってしまった事実の方がもっとずっとインパクトが強過ぎて、そのときのことを思い出すたびに今でも頬がほてってしまうのだ。 そう、恥ずかしさに、今でも頬が・・・。 頬が・・・。 ここまできてようやく。 今篠宮と自分がしたのは、所謂あのときのあれと同じ行為なのではなかろうかと・・・気が付いた。 瞬間。啓太の顔が、ぼっ、と音を立てる勢いで面白いように一気に赤くなる。 対する篠宮とて、耳まで完熟している啓太に気付いたところで、陽気にツッコミを入れられるようなキャラの持ち合わせはなく。 「・・・・・」 「・・・・・」 意識しているのが片方であるときよりも。 二人同時のときの方が、単純計算で2倍、相乗効果も考えたらもしかしたら3倍とか4倍とか5倍とか。 気まずくて気恥ずかしくて・・・そうして胸の辺りが甘ったるくくすぐったい。 「あー・・・伊藤、チャーハンは温かいうちの方が美味いから、だな・・・その・・・」 「あ・・・はいっ! そ、そうですね、いただきますっ」 まだ目線の位置が定まらない篠宮に促されて、頬を熱くしたままの啓太はごまかし笑いで慌ててスプーンを持ち直す。 そうしてぎこちなく再開された食事の最中。 啓太が「篠宮さんが作ってくれたから、だからこんなに美味しいのかな」なんてぽんやり思っていることも。 篠宮が「いつもより美味かった気がするのは、伊藤のためにと思って作ったからだろうか」などと生真面目に考えていることも。 お互い口には出さなかったから、知ることは出来なかったけれど。 それでもなんとはなしに、嬉しい気持ちと云うのは伝わるものだから。 消灯間際の食堂には、かちゃかちゃと食器の触れ合う音だけが小さく響いて。 気詰まりでない沈黙と。 どきどきと、いつもより少しだけ温度の高い、優しい緊張感・・・。 |