君を攫って どこか遠くへ
誰も知らない どこか遠くへ
「やっと、見つけた」
文字どおり、野戦病院の荒れた診察室の入り口で。
彼はいくつもの感情にその瞳をきらめかせて、つぶやくように言った。
「なぜ、ここに」
突然の懐かしい、でも、今は一番見たくない顔に。
シャルルは意図をつかめずおののいて、ふるえる声で問いかけた。
「なぜだって?」
思い知らせるように繰り返して。
「決まってる」
シャルルが知るはずもない決意を、ひとり固める。
「取り戻すためだ」
殺伐とした、この土地で。
研ぎすまされたのは、ただひとつの望み。
◇
「なにを、どこへ、だ」
底光りする彼の瞳、いつにない不明瞭な言葉。
それらは、繰り広げられる戦闘の衝撃のせいだと診てシャルルの声に余裕が生まれる。
「おまえを」
シャルルの皮肉げに浮かべた笑みは力なく、頬は少し削げた。
その様子がたまらなく胸苦しく、声が掠れる。
腕を伸ばし、手首を掴み、引き寄せる。
不意に転がり込んだシャルルが抗議に顔を上げる前に、囁く。
「オレのところに」
「…和矢?」
いぶかしげに言って、覗き込むシャルルの唇が荒れてかさついている。
それに気付いた途端、心で綻びかけていた箍が音を立てて外れた。
「シャルル」
盗むように唇を重ねてそう呼んでから、さらに深く口付ける。
抵抗する両腕は壁に押さえ付け、強引に歯列を割り、舌を差し入れる。
噛みつかれないように、せわしなく角度を変えて、夢中でむさぼった。
◇
その口付けは、秘められた想いを確実に伝えた。
ようやく力を抜いたシャルルを抱き締め、今度は小さなキスを繰り返す。
吸い付くように、ついばむように。
そうして呆然としたシャルルが応えてくれるのを待っている。
「…つから」
唇を許したまま、シャルルがつぶやく。
和矢は名残り惜しそうに一度、強く吸い上げてから唇を離し、まっすぐに見つめた。
「いつ、から…?」
遠くをさまよっていたシャルルの視線が、ふと和矢に戻ってきた。
そこを狙って、和矢はその瞳に力をこめて言った。
「出会ったときから、ずっと」
「和矢…」
きつく閉じたシャルルの瞼の下から、涙が溢れる。和矢はそれを唇でぬぐう。
もうひとときも離れていられないというように、額に、瞼に、頬に、そして唇にキスを降らせる。
◇
「マリナは?」
好きになった途端に後ろめたくて、苦しくて、どうしても忘れられなくて、逃げた。
「…だめなんだ」
それは相手が和矢だから、だから諦めようとしたのに。
それなのに、この男は自分に口付けて愛を告げ、マリナをだめだと言う。
彼女に、愛されているのに!
「なにが、なにがだめだって言うんだ!君が愛さないなら、オレが愛す!」
激高して、閉じ込めたはずの想いが溢れ出す。
「だめだ!」
両腕をつっぱって逃れようとするシャルルを和矢はますますきつく抱き締める。
「離せっ。こんな、こんな君は知らない!離せっ」
砕いたはずの恋心の残骸を必死で見つめて、抗う。
「シャルル」
ますます掠れる和矢の声、力のこもる両腕。
背中をまさぐるように何度も抱き直す。
「欲しいのは、おまえだ。おまえだけなんだ」
初めて口にした想いに、力が湧く。あとは止めどなく。
◇
「なぜ、いなくなった。おまえがいなくちゃ、オレはどうしようもないのに。捜さずにいられないよ。…好きなんだ。シャルル、シャルル」
本当にいるか確かめるように頬をすり寄せる和矢。
縋るような仕種。吐き出す息は震えている。
こんな和矢は知らない。その発見の眩しさに、殺した恋の残骸は見えなくなる。
「和矢…、泣くな」
擦れ合う頬がかすかに濡れていた。
名前を囁き続けている彼の声が、胸を打つ。
「シャルル…」
そっと背中に腕を回され、和矢はわずかに身を起こす。そして答えを求めて見つめる。
シャルルはゆっくりと和矢を抱き寄せ、その胸に頬を押し当てる。
振り払うことなど出来はしない。したくないのだ。
―ほだされているかもしれない。それでも、今はこれだけが真実。
互いのはやる鼓動に包まれながら、甘いような穏やかなような、恋のような友情のような、不安定な時間が流れた。
和矢はシャルルの少し削げた頬に触れ、荒れた唇に指を滑らせる。
急に痺れるような甘さを感じたシャルルが、たまらないといったように目をきつく閉じる。
恋が、始まろうとしていた。