記事タイトル:ひともの通信 75号 


書き込み欄へ  ヘルプ
お名前: 林幸三   
平和学習教材(2008)
学徒勤労動員と松江842番地(6訂版)
 私は、1928年生まれです。現在(現在)4つの団体でボランテァをしています。(0)
 戦争というのは総力戦(そうりょくせん)です。したがって国民(こくみん)すべてが何らかの犠牲(ぎせい)を払わなければなりません。1945年8月15日以前(いぜん)は、日本人は、『国家総動員令(こっかそうどういんれい』でくくられていました。
私たち学生は、19才、1944年4月1日から、『学徒勤労動員令』(がくときんろうどういんれい)によって、商業学校から工業学校にかえさせられ、4年生から和歌山市松江の住友金属株式会社和歌山製鉄所(すみともきんぞくかぶしきかいしゃわかやませいてつしょ)に勤務(きんむ)することになりました。思えば過去(かこ)3年間、簿記(ぼき)、そろばんばかり練習してきた人間が、今日からハンマーに鑿(のみ)を持ち、ろくろのように回る旋盤(せんばん)を操作(そうさ)することになります。今日からは金属を加工(かこう)する工程(こうてい)に組み込まれたのです。人間は環境(かんきょう)に順応(じゅんのう)します。けれども、急激(きゅうげき)な転換(てんかん)は大きなとまどいを生みます。そこでは、金属の性質(せいしつ)を学び、金属を加工するしかけを身につけなければならないのです。
まず、金属の代表である鉄についいて学びます。鉄は熱(ねつ)すれば液体(えきたい)となり、白色に近い熱湯(ねっとう)となります。木型(きがた)で作った粘土(ねんど)の中に、液体を注いで冷却(れいきゃく)します。時間がたつと固体になります。その固体を、「叩く」、「削る」、「分ける」、「合わせる」ことによって、好みに応じた加工品が完成(かんせい)します。この4つの工程を体で覚える必要があります。次に、加工する機械(きかい)に慣れなければなりません。動力(どうりょく)によって加工する固体が回ります。そこへ、より硬いバイトを当てて切削(せっさく)します。バイトとは、四角い鉄の棒15センチぐらいの先端にダイヤモンドをつけて、それで材料の鉄を「削り」、加工していくのです。その機械が旋盤です。フライス盤です。シカル盤です。
私は旋盤を与えられました。旋盤は、電力(でんりょく)によって回転します。旋盤のチャックに材料(材料)を加え、センターで押さえます。材料がぶれないようにトースカンで中心をとって、削り易いようにします。材料は重いものですから、起重機(きじゅうき)のお世話になります。スイッチを入れて材料が回転(かいてん)します。それをゲージに合わせて削っていきます。材料が正しくつかまれてぶれのない回転をしますと、バイトの先から切子(きりこ)が削り出されます。材料とバイトの間から、赤、白、青、紫と摩擦(まさつ)による熱の変化が美しく出されます。かくして、素材(そざい)である鉄が削れてゲージ通りの形の加工品が生まれます。鉄になれ、旋盤の操作になれてくると、いよいよ、ジュラルミンのエンジンカバーを削ることになります。
私たちは昼夜三交替勤務(ちゅうやさんこうたいきんむ)です。8時間労働となっています。忠淳寮(ちゅうじゅんりょう)から丸海工場までの30分間は砂畑です。そこでは中国人、朝鮮人の労働者がトロッコに土を入れて運んでいます。母国(ぼこく)から強制送還(きょうせいそうかん)された労働者だったようです。私の家からの行きかえりは大変でした。和歌山駅は戦争のような有様でした。(1)
工場に行きますと、4000人の学生が来ています。和歌山師範、(しはん)和歌山高商(こうしょう)、和歌山工業、和歌山商業、和歌山市商、三尾商業、などです。それに、700人のオーストラリア捕虜兵(ほりょへい)がぼろぼろの軍服(ぐんぷく)に水筒とリュックを身につけてうつろな目でヨロヨロと行進していました。松江842番地、収容所(しゅうようしょ)との行きかえりです。その彼らななかから、22名は餓死(がし)、栄養失調(えいようしっちょう)で死亡したのです。
さて、1944年も秋になりますと、日中戦争はこう着状態(こうちゃくじょうたい)となり、太平洋戦争(たいへいよう)は米軍に空も海も制圧(せいあつ)されます。米軍のグラマン、ロッキード戦闘機(せんとうき)は私たちをおそいます。すごい砂けむりを立てて機関銃の弾(たま)が飛んできます。グワングワンと雷の数百倍もの轟音(ごうおん)でB29超爆撃機(ちょうばくげきき)が、工場の上を真っ黒になって飛んでいきます。B29は高さ8.5メートル、幅35メートル、長さ40メートル、いずれも大きな空の要塞(ようさい)です。空気のない高度1万メートルの成層圏(せいそうけん)を飛びます。日本の戦闘機、高射砲(こうしゃしょほう)は歯が立ちません。そのうえ新幹線の2倍の速度で飛び去ります。機関銃20門、機関砲1門、6トン爆弾(ばくだん)をつけています。はじめは中国の成都(せいと)から飛(と)んできました。それがグヮム島、マシャル諸島(しょとう)から、硫黄島(いおう)から、空母(くうぼ)から飛来(ひらい)します。飛来の回数(かいすう)と、機数が増加(ぞうか)します。私たちは、空襲警報(くうしゅうけいほう)がなって、防空壕(ぼうくうごう)に駆け込みます。
わたしたちの衣食住(い・しょく・じゅう)はお粗末でした。(2)
私は、1945年4月から、工場の命で、大阪府寝屋川市の機械専門学校に入寮(にゅうりょう)しました。5月になって新宮高校の生徒T さんは、直撃弾(ちょくげき)を受けてなくなられました。(3)22名のオーストらリヤ兵の皆さんは栄養失調死同様でした。御冥福(ごめいふく)をお祈りします。
戦争は親族三代(しんぞくさんだい)に悪い影響(えいきょう)を与えます。(4)
戦争は絶対いやです。 		
注(ちゅう)0〜4までは口頭で説明します。約90分間、講演します。

私の仲間には、『日中友好裏面史』著者の橋爪氏、太極拳の会長岡本氏、新聞編集の田野氏など語り部は多彩です。せいぜいど活用ください。
はやし・こうぞう
[2008年2月27日 17時25分18秒]

お名前: 林 幸三   
  2004年11月23日  林 幸三  ayutarou123@kve.biglobe.ne.jp

「改革」年金法の実施を中止し、     
最低保障年金制度の実現を求める署名 
  衆議院議長 殿                                                               
  参議院議長 殿                                          2004年   月 
[ 請願趣旨]

 閣僚や議員の保険料未納、積立金の不正な流用や株式での損失、保険料や給付にかかわるウソとごまかしの説明のなかで、強行可決された年金「改革」法は、とうてい認められません。
 保険料を際限なく引き上げ、給付水準を50%を超えて引き下げるなどは、国民のくらしをこわし、年金制度そのものをも崩壊にみちびきかねません。
暮らしていけない無年金や低年金の人の問題は放置されたままです。雇用が破壊されるなかで、少子化の進行、厚生年金加入者の減少、保険料を払えない人の増大、などが予想以上に進む重大な事態です。
 国民が安心して暮らせる年金制度の抜本改革をするために、国民的議論をし直し、最低保障年金制度を創設していただきたく、右記事項を請願いたします。

[ 請願項目 ]

1.「改革」年金法の実施を中止し、すべての国民が安心して   くらせる年金制度にするための国民的議論をし直すこと。

2.消費税によらない、全額国庫負担の「最低保障年金制度」  をつくること。

3.過大な積立金を不正に流用したり、株式投資に使ったりせ  ず、保険料・給付の改善に使うこと。

 日本年金者組合  〒170−0005 東京都豊島区南大塚1−60−20 協立第3ビル
  TEL:03−5978−2751 FAX:03−5978−2777  E-mail:aae41550@pop21.odn.ne.jp 
氏名	住所	募金
[2004年11月23日 11時1分0秒]

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL



記事一覧に戻る