新たなる挑戦 〜夢は終わらない〜
97年4月我社にヒゲ文化大使がやってきた!
彼は、マラソンを得意とし、
青梅マラソンにも参加したことがあるらしい。
ある日、
ヒゲ文化大使は、ホノルルで走ってみたいと言った。
それがホノルルへの道の第1歩となったのである。

これはホノルルマラソン参加までの物語である


(ここまでのあらすじ)
まず、いきなり42.195kmを走るのは無理だろうということで、様々なトレーニングと各種大会などに参加することとなったのだが・・・・ホノルルまでの道は遠い・・・・。
さて、42.195kmなんて歩いたこともないのに走れないだろうと思いまずは、42.195kmを歩いてそれを体験することになった・・・
さあて、その成果は・・・・・・

 これが「ホノルルマラソン」だ!クリック 
【あゆみ】
国道4号線盛岡〜一関ウォーキング 1998年
あっぴリレーマラソン98 1998年
あっぴリレーマラソン99 1999年
宮古〜盛岡国道106号ウォーキング 2002年
宮古〜盛岡国道106号ウォーキングU 2004年(中止)

【1998年】
真夏の42.195kmを歩こう!

国道4号線盛岡〜一関完走ウォーキング
2チームに分け双方から同時スタート。

北上市和賀大橋付近で合流するという企画。
(走行距離約45km)
約10時間
7月18日(土)7時スタート
快晴。気温27度。あまるめ&おいかわの苦悩の時間 10時間46分 62900歩の軌跡

【詳細はここ】
あっぴリレーマラソン参加だ!
9月13日(日)無事完走
一関ハーフマラソン

9月27日(日)
 (残念ながら不参加)

●スポニチ前沢マラソン   (10km)11月 1日(日)  不参加
●宮古サーモンハーフマラソン(10km)11月15日(日)  不参加

調整不足のため98年参加断念


【1999年】

それから、人事異動によりメンバーは離れ離れになった。
しかし、それでも夢はあきらめなかった。メンバーたちはそれぞれの土地でトレーニングを開始した。

 
99あっぴリレーマラソン

99年9月あっぴリレーマラソンで再開したメンバーたちは、昨年以上にタイムが上がっているのを確認する。

しかし、年末のマラソンに参加するには、それぞれの業務を整理しなけばならなかった。

そして新たな壁があった2000年問題である。

航空機事故が起こるのではないかという推測にビビリ始める。

年末に海外へ出かけるというのはとても勇気がいるということである。

99年12月参加断念!!

【2000年】
あっぴリレーマラソンへの参加もついに中止に・・・・・。
メンバーが揃わなくなってしまった。
2000年12月参加断念!!
【2001年】
メンバーそれぞれが音信不通・・・・・・ 2001年12月参加断念!!
【2002年】
続「42.195kmを歩こう!」106ウォーキング 詳細
2002年10月5日(土)開催
無事終了 10時間 60300歩のドラマ
98年7月に始まったこの企画。最大のポイントは、体力と気力である。
この2つが47キロを歩くということを可能にさせるのだ。
マラソンのプロランナーなら2時間半もあれば走破できる距離である。
でも僕らはただの”ど素人”。しかも、普段それほどの運動をしている訳じゃないんだ。
それでも不思議とリタイヤする者がいない。(ただし、今回まではね)
この長距離ウォーキングでは普通のスポーツでは余り感じることがない体の変化が見られる。
「何で、こんな思いをしてまで、歩かなきゃならないんだ」「もう、やめようか」「でも目標を達成したい」・・・。
そんな心の葛藤が進めば進むほど頭の中をよぎる。
本当の単純な歩くという行為がどんなに辛いものなのか。
そして、決して一人では達成できない完走という行為をどのように感じるのか。4人が一緒に歩くということ。サポート隊がいること。少数であれ、応援をしてくれる仲間が居ること。
そういうひとつひとつの行為が僕たちを強くしてくれること・・・。
ただの酒飲み話でもいい、自分探しのひとつでもいい、景色を楽しむこと、道を新しい角度から眺めることで発見できること・・。
ひとつでも、何かの”きっかけ”を作れたら、この企画は大成功です。
【2004年】
続「42.195kmを歩こう!」106ウォーキングU 中止
2004年10月2日(土)開催予定 中止