新たなる挑戦 〜夢は終わらない〜 |
97年4月我社にヒゲ文化大使がやってきた! 彼は、マラソンを得意とし、 青梅マラソンにも参加したことがあるらしい。 ある日、 ヒゲ文化大使は、ホノルルで走ってみたいと言った。 それがホノルルへの道の第1歩となったのである。 これはホノルルマラソン参加までの物語である。 (ここまでのあらすじ) まず、いきなり42.195kmを走るのは無理だろうということで、様々なトレーニングと各種大会などに参加することとなったのだが・・・・ホノルルまでの道は遠い・・・・。 さて、42.195kmなんて歩いたこともないのに走れないだろうと思いまずは、42.195kmを歩いてそれを体験することになった・・・ さあて、その成果は・・・・・・ |
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これが「ホノルルマラソン」だ!クリック | |||||||||||
【あゆみ】
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【1998年】 | |||||||||||
真夏の42.195kmを歩こう! | |||||||||||
国道4号線盛岡〜一関完走ウォーキング |
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【詳細はここ】 | |||||||||||
あっぴリレーマラソン参加だ! | |||||||||||
9月13日(日)無事完走 | |||||||||||
一関ハーフマラソン | |||||||||||
9月27日(日) |
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●スポニチ前沢マラソン (10km)11月 1日(日) 不参加 |
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調整不足のため98年参加断念 |
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【1999年】 | |||||||||||
それから、人事異動によりメンバーは離れ離れになった。 |
99あっぴリレーマラソン |
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99年9月あっぴリレーマラソンで再開したメンバーたちは、昨年以上にタイムが上がっているのを確認する。 |
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しかし、年末のマラソンに参加するには、それぞれの業務を整理しなけばならなかった。 | |||||||||||
そして新たな壁があった2000年問題である。 航空機事故が起こるのではないかという推測にビビリ始める。年末に海外へ出かけるというのはとても勇気がいるということである。 |
99年12月参加断念!! | ||||||||||
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【2000年】 | |||||||||||
あっぴリレーマラソンへの参加もついに中止に・・・・・。 メンバーが揃わなくなってしまった。 |
2000年12月参加断念!! | ||||||||||
【2001年】 | |||||||||||
メンバーそれぞれが音信不通・・・・・・ | 2001年12月参加断念!! | ||||||||||
【2002年】 | |||||||||||
続「42.195kmを歩こう!」106ウォーキング | 詳細 | ||||||||||
2002年10月5日(土)開催 無事終了 10時間 60300歩のドラマ |
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98年7月に始まったこの企画。最大のポイントは、体力と気力である。 この2つが47キロを歩くということを可能にさせるのだ。 マラソンのプロランナーなら2時間半もあれば走破できる距離である。 でも僕らはただの”ど素人”。しかも、普段それほどの運動をしている訳じゃないんだ。 それでも不思議とリタイヤする者がいない。(ただし、今回まではね) この長距離ウォーキングでは普通のスポーツでは余り感じることがない体の変化が見られる。 「何で、こんな思いをしてまで、歩かなきゃならないんだ」「もう、やめようか」「でも目標を達成したい」・・・。 そんな心の葛藤が進めば進むほど頭の中をよぎる。 本当の単純な歩くという行為がどんなに辛いものなのか。 そして、決して一人では達成できない完走という行為をどのように感じるのか。4人が一緒に歩くということ。サポート隊がいること。少数であれ、応援をしてくれる仲間が居ること。 そういうひとつひとつの行為が僕たちを強くしてくれること・・・。 ただの酒飲み話でもいい、自分探しのひとつでもいい、景色を楽しむこと、道を新しい角度から眺めることで発見できること・・。 ひとつでも、何かの”きっかけ”を作れたら、この企画は大成功です。 |
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【2004年】 | |||||||||||
続「42.195kmを歩こう!」106ウォーキングU | 中止 | ||||||||||
2004年10月2日(土) |
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