BUMsat(佐藤 文明)ホームページ 目次

 

little history(自己紹介)

BUMsBook Guide

リスト

内容紹介

BUMs最新講演録

BUMsエッセー(「新亜」連載分)

未公開初期論文など

<私生子>差別を押しつける戸籍制度を解体するために

@「家庭基盤充実」構想とネオ・ファシズム

@日本におけるメンズ・リブの胎動(1770−1975年)

                                    


文明の多摩歴史散歩(幕末維新を中心に)


BUMsNEWs掲示板


BUMsat(佐藤文明)のホームページに戻る

little histry

佐藤 文明 (さとう ぶんめい)

フリーランス・ライター、批評家、戸籍制度研究者

1948年7月、東京・日野に生まれる。自治体労働者(東京都職員―新宿区役所戸籍係)を経てフリーに。法・社会問題の著書多数。1981年の「戸籍」(現代書館)はベストセラー。<私生子>差別をなくす会などで活動しつつ,社会派ライターとして、広い問題提起をつづけている。


**************

今後、エッセー風自分史を書き継ぐ予定です。エポックごとにまとめた自分史ですが、時代と深くかかわるテーマを選んで進めるつもりです。
お読みになりたい方はここをクリック

 BUMs Book Guideです
         

佐藤文明のブックガイドにようこそ。このガイドは文明の著書ではなく、共著(編著書を含むー*印)のガイドです。著書については、日本書籍出版協会のホームページや、紀伊国屋書店の和書データベース、または、お近くの図書館のインデックスで検索してください。アンダーラインのある文字をクリックすればホームページにリンクできます。新しいデータは紀伊国屋から、昔のデータは出版協会から検索するのがよいようです。




アンダーラインのあるところをクリックすれば、内容がわかります

雅子の「反乱」
 大衆天皇制の政治学
沖縄の女神から女性天皇を考える
  (桜井大子編)
社会評論社
 2004.11.23
同性パートナー
 同性婚・DP法を知るために
婚姻かパートナー法か――その効力の範囲と変化
  (赤杉康伸・土屋ゆき・筒井真樹子編著)
社会批評社
 2004.7.5
トランスジェンダリズム宣言
 性別の自己決定権と多様な性
戸籍性別の変更が認められる可能性はあるのか
  (米沢泉美編著)
社会批評社
 2003.5.3
私を番号で呼ばないで
 「国民総背番号」管理はイヤだ
日本の管理体質と住基ネット
  (やぶれっ!住民基本台帳ネットワーク市民行動編)
社会評論社
 2002.7.31
IT革命の虚構 盗聴時代と市民社会
  (緑風出版編集部)
緑風出版
 2002.01.15
監視社会とプライバシー 個人情報保護法
  (小倉利丸編)
インパクト出版会
 2001.10.15
ストップ!個人情報ホゴ法 プライバシーとはなんだろう・個人情報保護法案提出の裏側 *編著(斎藤・吉村・山下) 現代人文社ブックレット20
 2001.10.10
フェミニズムはだれのもの?
 寝た娘を起こす話
男も解放したウーマンリブ
  (松井やより若桑みどり・ほか)
Z会ペブル選書
 1996.11.1
戸籍解体講座
 戸籍は差別の根源だ
象徴天皇制にとって戸籍とは何か
  (戸籍と天皇制研究会編)
社会評論社
 1996.6.30
住民自治で未来をひらく
 今、草の根市民は立ち上がる
ここが問題 ! 町内会
  (住民自治の拡大を目指すネットワーク・編)
緑風出版
 1995.7.5
母性を解読する
 つくられた神話を超えて
戸籍と母性
  中間管理者・父性のたそがれ
  (グループ母性解読講座 編)
有斐閣選書
 1991.6.30
気に入らぬ奴は逮捕しろ!
 警察官の人権感覚
ロケット弾犯人デッチ上げ逮捕
  警察検察が作る犯罪者
  (社会評論社編集部)
社会評論社
 1990.12.31 
指紋拒否者が裁いたニッポン
指紋拒否第1号韓宗碩さん9年の記録
“家族登録”が持つ意味
  *編著
   (「ひとさし指の自由」編集委員会)
社会評論社
 1990.7.15
ひとさし指の自由
 外国人登録指紋押捺拒否を戦う
法務省警察の動向
  *編著
   (韓さんの指紋押捺拒否を支える会)
社会評論社
 1984.3.31
冤罪の研究(ドキュメント)
 平凡な生活者がある日 犯罪者  に仕立てられた
ねずみとり
   (グループ社会派)
現代ジャーナリズム出版会
 1979.5.10
現代子育て考 そのW
 男と子育て
婚姻=家族制度の外で
   (男の子育てを考える会 編)
現代書館
 1978.11.10

東京闇市興亡史 熱気渦巻く闇市に庶民戦後史の
  原点を追う

闇市にりんごの歌ながれて
 (東京焼け跡闇市を記録する会)
草風社
 1978.8.15
*99年10月ふたばらいふ新書として復刻されました

アンダーライン項目をクリックし、辞書替わりに使ってください

明治・大正・昭和事件・犯罪大事典 「大杉栄・神近市子“日陰茶屋”事件」「高松地裁“結婚差別”裁判事件」「未婚の母“子供を返せ”事件」など(事件・犯罪研究会 編)*2002.7.5改訂版刊行。書名も『明治大正昭和平成事件・犯罪大事典』となっている。佐藤も多くの項目を追記している。 東京法経学院出版
1986.8.8
新修・部落問題事典 戸籍」「除籍簿」「戸籍附票」「住民基本台帳」「興信所
   (部落問題・人権事典編集委員会)
解放出版社
1999,9,30
2005現代用語の基礎知識・B別冊 「地域コミュニティの」用語の解説                                   
町内会、PTA、地域通貨など
自由国民社
2005.1


目次に戻る


フェミニズムはだれのもの

  各界の先輩女性が語る「寝た娘を起こす話」

 


    

戸籍解体講座

        戸籍は差別の根源だ!!

                戸籍と天皇制研究会編

                            1996930 社会評論社   

 

象徴天皇制にとって戸籍とはなにか                佐藤文明

戸籍制度と在日朝鮮人                         八幡明彦

戸籍制度と部落差別                           上杉 聰

戸籍制度と女性差別・婚外子差別                 福島瑞穂

家族・戸籍・障害者                              堤 愛子

差別システムとしての戸籍                         大村芳昭



住民自治で未来をひらく


         いま、草の根市民は立ち上がる!


                 住民自治の拡大を目指すネットワーク編
                             緑風出版


序章  地方分権化、住民自治か
  住民自治の拡大をめざして          住民自治シンポジュウム実行委員会
  行政監視から住民自治へ                          久慈  力
第1章 自治会、町内会。区長制度の実態       
  自治会組織――その矛盾と欠陥                      汐見文隆
  ここが問題! 町内会                             佐藤文明
  地方自治法と区長制                              丸山隆久
第2章  行政、企業を監視する
  一住民として地方議会を内から監視する                  渋谷登美子
  直接請求で水源保護条例を                          吉田 泉
  住民の共同行動で企業監視を                         花岡邦明
第3章  行政、企業を告発する                          
  ゼネコン癒着の構造を告発する                        岩木英二
  手軽にできる住民観さ請求と住民訴訟                    藤崎良次
  企業城下町からの脱却――住民自治を取り戻せ              岩田 薫
第4章  住民自治を創造する
  電気料金支払い拒否と消費者主権                      富山洋子
  ゴルフ場反対運動から地場産業の復興へ                  笹沼和利
  外国人労働者と医療の自主管理                       山根雅子
第5章  住民自治を思想する
  日本列島における住民自治の系譜                      久慈 力
  田中正造に学ぶ自治の精神                         竹見千恵子
終章  官治主義から住民自治へ                         
  阪神大震災にみる官治の破産と自治の萌芽                久慈 力 
 


母性を解読する

     つくられた神話を超えて
 

         グループ母性解読(解毒)講座 編

                有斐閣選書799

 

1 科学技術の発達と母性
  

   科学技術と女のからだ考           青木 やよひ

   医療の現場から                佐々木 静子

   科学は女を母性から解放するか?     長沖  暁子

 座談会1 子産みを強制する科学技術 
   
2 母性の歴史 
 

   天皇性と母性のフカーイ関係        加納 実紀代

   水子供養と女性解放             溝口  明代

   戸籍と母性                   佐藤  文明 

   日本の母性はたかだか100年        米津  知子

 座談会2 なぜ母性解読なのか

3 さまざまな母性像‐異なった角度からながめてみると

   エコロジー運動と母性            三輪  妙子

   母性とれすびあんセクシュアティ      大原 なぎさ

   90年代の母性観              上野 千鶴子

   USAから見た日本の母性         雨宮  和子

 座談会3 母性の今

4 女性解放運動と母性

   リブの主張と母性観             江原 由美子

   母性保護論争と現代             村上 やすこ

   日本の労働組合運動と母性女性の問題  鈴木  裕子

   運動の中の母性主義について思う     石塚  友子

 座談会4 産む産まないは女()が決める

 




気に入らぬ奴は逮捕しろ!


           警察官の人権感覚

                        社会評論社編集部編    社会評論社刊
序            
  非合法化する警察官たち                     天野恵一
T  捜索スルゾ! [横行する無差別捜索]
  ある日、警官がやってくる                     福島瑞穂
  黙認をいいことに悪ノリするケイサツ        ガサ子ちゃん倶楽部
  「天皇崩御」号外新聞を配ったら                  向井 孝
  警視庁め座まあ見ろ!                       松下竜一
  いまなお飛びつづけている“申立書”               池田浩士
  破廉恥セクハラ身体捜索                     藤井世紀子
U  検問だ!!  [表現集会の自由に兆戦]
  検問拒否のススメ                          福富節男
  牛乳ビンが“危険物”                        吉永克彦
  裁かれた警察                            中北龍太郎
V  逮捕しろ!!!  [「不当」「別件」「デッチ上げ」なんでもアリ]
  反原発ステッカーで軽犯罪法違反                酒井精治郎
  警察署の三日間                           関 義友
  ピンクちらし印刷で売春防止法違反               丸山友岐子
  検問監視中に逮捕                          内藤 隆
  ロケット弾犯人デッチ上げ逮捕                   佐藤文明
W  留置場は無法地帯!?  [代用監獄の恐怖]
  留置場の中で女性たちはどんな思いをしているのか     手塚千砂子
  被疑者の人権を守れ!                       内藤雅敏
X  ここまで落ちた? 警察の人権感覚
  警察のヤリたい放題と闘う                     千代丸健二
  暴力団にも人権はある                        遠藤 誠
  「精神障害」者への弾圧実態                    長野英子
  外登法を利用して繰り返す弾圧                   木元茂夫
Y  国家警察の時代
  全警察の公安警察化                        立原みづほ
  現代の治安維持法                         一瀬敬一郎
  「陛下の警察」再び                          玉川洋次
  


東京闇市興亡史

                     猪野健治偏          双葉社刊
                                       ふたばらいふ新書024 

闇市解放区ことはじめ                          猪野健治
闇市ファッション                              斉藤雅子
闇の中の生活                               茶本繁正
上野アメ横                                 原 正寿
〔証言〕の宝庫=カストリ雑誌                      山岡 明
焼け跡で声を枯らした“民主選挙”                   斉藤雅子
闇市にリンゴの歌流れて                        佐藤文明
  戦火を免れた六区・GHQの検閲開始・「リンゴの歌」・六区に中売りも復活・
  キスシーンに沸く・ムーランルージュ波瀾の再興・額縁ショーの実現・
  「肉体の門の上演・旧秩序を揺さぶる・ストリップの活況・
  天下をとる歌舞伎町・興行界の戦後終わる
焼け跡ギャンブル時代                         安佐田哲也
生贄にされた七万人の娘たち                      真壁 ゥ
闇の女たち                                 高橋和夫
この露骨な文化変容                           山下諭一
露店―闇市の終わり                           猪野健治

  目次に戻る               

  

 

戸籍は普通<国籍法上の日本国民としての地位および民法上の身分関係を登録し、公証する公文書である>と説明される。しかしこれは戸籍が結果的に果たしている役割の一面にすぎず、正しい定義とはいいがたい。戸籍法には目的が示されておらず、支配のために都合よく利用されてきた前近代的な汎用登録制度である。現在の戸籍は、天皇・皇族を除く日本国籍者を対象に、氏を同じくする夫婦および未婚の子(同一氏集団)をワンセットに編製している。この同一氏集団(=家)の確定こそが、この制度の隠れた最優先の目的であるといえる。そのため、氏を持たない天皇・皇族は皇統譜、姓(family name)を氏とはみなされていない外国人は外国人登録で管理されることになる。また、氏を同一にせぬまま外国で結婚した日本人夫婦の婚姻関係は登録されず、その子も日本人でありながら登録されない。このケース(1997年・香港)からも、戸籍の第一目的が同一氏集団の確定(家による支配秩序の維持)であり、国籍や身分関係の証明ではないことが明らかである。この家の仮想本拠地が<本籍>であり、表札が<氏>、氏の代表者が<筆頭者>である。戸籍簿の管理は法務省の監督下、本籍地の自治体が行っている。

[歴史]

近代戸籍の歴史は明治4(1871)44日の太政官布告170号にはじまる。布告は翌年2月に施行されたが、この年が壬申の年に当たるため、この時の戸籍を壬申戸籍と呼んでいる。しかし、当時の戸籍は居住に関する5年ごとの一斉登録で非公開。今日の国勢調査に近く、本籍や家の観念はなかった。その一方で封建的な身分の観念は強く、布告(32)は <穢多・非人>を登録の対象外にしていた。しかし、施行前に解放令が出されたため、急遽、登録されることになる。もっとも壬申戸籍は<前戸主との続柄>欄に<元穢多**の子**>という表示を残したため、戸籍内部に身分差別を持ち込むことになる。これはまた1886(明治19)に新設された<華・氏族・平民>を表示する<族称欄>の中にも<新平民>などの差別称を許す要因になった。個人を戸=家の一員として位置づけようとする戸籍の発想は個人を独立人格とする近代的な法体系と対立。布告は司法卿の江藤新平らの激しい抵抗にあう。政府も当初、フランス法をまねた登記目録制度を併用し、将来の移行に備えた。しかし、家の観念は日本の国体になり、天皇制イデオロギーを支えることになる。フランス法制が否定され(民 法典論争)1898(明治31)に旧民法が制定されると、戸籍は家の台帳となり本籍が住所と分離、家の証明や監視のために戸籍の公開制度が開始される。1925(大正13)には登記目録の発展型だった身分登記制度も廃止され、戸籍は天皇の臣民の唯一の台帳として、皇国兵士の徴兵に威力を発揮する。戸籍制度に疑いを持つ者は、それこそ非国民扱いであった。

[戦後]

個人の尊厳を掲げ、家を否定する新憲法の制定と同時に、民法・戸籍法の改正が予定されていた。が、これは延期され、当面<家とあるところを戸籍と読みかえる>戸籍通達が出された。しかし、家と戸籍とはイコールで、旧民法は<戸籍>と書くべきところを<家>とした。したがって、この通達を受けて変更された戸籍事務はひとつもない。<家=戸籍>は戦後も残ったのである。1948年に登場した新民法・戸籍法は<家>とあったところを<氏>に変えた。同一氏集団を定めることによって家を温存したのである。憲法学者の宮崎俊義はこれを<家敗れて氏あり>と評した。戦後改革によって華族制度が廃止されたため、戸籍の族称欄も姿を消す。しかし、家柄によって人を差別する意識は変わることなく、戸籍公開の原則が維持されたため、戸籍の追跡が家柄差別を支える結果となる。新憲法は戸籍によらない事実婚を認めたが、新民法は<戸籍に届けることにより効力を発する>とし、事実婚から効力を奪った。これを<憲法違反だ>とする声は1950年 代まで続く。

戸籍には戦前、台湾、朝鮮などの植民地にも強制される(1896年台湾戸籍に対する告示8号、1920年朝鮮戸籍令など)。両地に対する創氏改名や徴兵も、これによっている。しかし、日本の戸籍法の直接適応ではなく、相互の転籍を禁じていたので、日・台・朝の男子の本籍(これを民籍と称した)は民族領域を越えて移動することがなかった(女子は婚姻により男子の民籍に入った)。これが戦後の三民族の国籍分離に利用される。内地に本籍を持たない者から日本国籍を奪ったのである。台湾・韓国には今も戸籍があり、両地の支配に貢献している。同時に出身地差別や女性差別の温床として批判もされている。ちなみに朝鮮民主主義人民共和国は1945年、日本支配から解放されるや戸籍を廃止。そのため、今日、戸籍制度を持つのは日本、台湾、韓国の三地域だけである。

[運動]

家による支配秩序の維持という戸籍制度本来の役割は、氏による家系の追跡を軸に、出身や血統の重視をもたらす。対等な個人という近代法の前提とは相容れない差別を生むのである。その結果、戸籍は外国人差別、部落差別、アイヌ・沖縄出身者差別、女性差別、婚外子(家の秩序を揺さぶる棄児などを含む)差別、障害者(遺伝病のほか被爆を含む)差別などを支え、批判されてきた。1967年の新聞への投書から始まった部落解放同盟による壬申戸籍廃棄運動は70年4月、壬申戸籍簿の永久封印、7612月の戸籍公開原則の制限に結ばれた。また75年に始まった婚外子差別反対運動は9311月 、国連による差別廃止勧告を導き、日本政府は民法・戸籍法の抜本改正を迫られている。96年、法務省が打ち出した夫婦別姓・婚外子差別撤廃を含む民法改正案は戸籍制度=家制度を揺るがす可能性を秘めているものの、廃止を展望したものではない。にもかかわらず、神道系宗派などの<家を護れ>の声の前で、改正は見送られている。

[身元調査]

戸籍の公開制限が実現し、戸籍を辿る身元調査は減っている。しかし、住民票によって本籍を把握し、戸籍附票で出生地を当たるなど、本籍の記載そのものが差別調査の材料になることが増えている。部落地名総鑑による差別も、本籍・出生地と対照することで増幅される。1985年の住民基本台帳法の改正で、住民票にも公開制限が加えられ、本籍を省略した写しが交付されるようになった。が、なお徹底されておらず、多くの書類で本籍表示が野放し状態なっているのが実情である。また、戸籍公開の制限も、本人請求には及ばず、また、身分関係の確認(妻子あるかどうかなど)を理由とする第三者請求を拒むことができないという問題が残されている。本人請求といえども利用するのは提出先で、ここが差別調査に使えば制限は意味を失う。また最近では提出を求められていないのに自ら就職先に謄本を配ったり、婚約者どうしが互いに交換しあうなど、本人請求そのものが不当な目的を持つものも目立っている。本人請求の制限や公開の全面禁止が求められる。 また謄抄本にかわる記載事項証明制度があるので、婚姻の要件チェックにこれを使うことができる。97年解放同盟が京都で勝ち取った<独身証明書>制度もそのひとつ。謄抄本の利用全廃と、戸籍制度そのものの解体が求められる。

 

目次に戻る     事典に戻る

 


 

 

*  除  籍  簿

 

 戸籍に成員が加わることを入籍、婚姻などで他に移ったり死亡して除かれることを除籍という。また全成員が除籍(全部除籍)されたり、転籍によって本籍を他に移すと戸籍全体が除かれるが、これも除籍と呼ぶ。この除籍をファイルしたものが除籍簿で、以後80年保管される。除籍簿の規定が生まれたのは1886(明治19)で、これによって戸籍は日本人の生涯の身分関係を超え、何代にも渡る血縁関係を追跡することが可能になった。現在、役所には戸籍簿、除籍簿のほか、旧法時代(戦前)の除籍簿や改正原戸籍・再製原戸籍が保管されている。改正原戸籍とは新法によって改正された元の戸籍、再製原戸籍とは滅失の恐れなどによって再生を受けた元の戸籍。これらも除籍簿に準じて扱われている。

 これら旧法上の除籍や原戸籍は現行法では許されない記載がおおく、これまで何度も、問題になってきた。その典型が俗称欄の賎称記載で、1920年代にも水平社の指摘によって除籍の改製にとりくんだ自治体(福岡県)もある。、戦後も1969年、部落解放同盟が壬申戸籍の廃棄運動に取り組み、704月、永久封印が実現。75年から77年にかけて法務省の同和対策除籍等適正化事業が実施されてすべての除籍原戸籍にあるにある旧法上の差別記載を削除(塗抹)した。また76年 、除籍現戸籍の閲覧が禁止され、謄抄本の交付についても戸籍以上に厳しい制限が設けられている。78年一月、広島家裁は債権取り立てを目的に除籍謄本を請求し東広島市長に拒否されて訴えた興信所の請求を退け、交付拒否処分を適法としている。ちなみに壬申こp席は保存機関を超過しており、法的には廃棄されている。近年これを<研究用に開示せよ>との声があるが、なお現在の戸籍と連動しているので、歴史資料となったとはいえない。また塗抹の跡が新たな差別材料となったり、塗抹が

剥げ落ちる問題が出ている。旧法上の除籍原戸籍の公開制限をいっそう強化する必要がある。   
 

 事典に戻る

 

 

* 住 民 基 本 台 帳 

 

日本人の居住関係を公証する登録簿。戸籍が住所登録を逸脱し、家(身分関係)の登録簿になったため、1914(大正3)に寄留制度が設けられる。しかし、戸籍の補完制度だったため、戦中戦後の人口流動化に対応できず、1951年に住民登録法が成立。住民票が登場した。これは自治体の<住民台帳>が発展したもの。したがって国の事務ではなく、自治体の事務なのだが、政府は戸籍との連結を強制(戸 籍附表制度など)。事実上戸籍の下属事務のように扱われた。その結果、住民の登録でありながら、天皇皇族、外国人が排除され、住民の中に<世帯主>や戸籍に準じた<世帯主との続柄>が持ち込まれ、本籍筆頭者が記載されることになる。これは戸籍の差別を自治体事務や、人々の暮らしに持ち込むことでもあった。1967年、自治体が持つ選挙や年金、その他の台帳が住民登録と連結されることになる。これが住民基本台帳法である。住民票はそのまま新法(住民基本台帳法)に移行したが、主務官庁は法務省から自治省に移された。この結果、住民票の利用が高まり、住民の暮らしに直結するものとなった。住民票の抱える差別が問題にされるようになったのである。<続柄>上の婚外子差別に異議申立てが出されたのは1975年 。86年には住民基本台帳法の公開制限が始まり、本籍筆頭者続柄を省略した住民票の交付も認められた。が、同時にのコンピュータ化も認められ、国民総背番号制への足がかりが開かれた。953月、婚外子や養子差別に結びつく続柄を<子>に統一。国連の廃止勧告(1993)に従った。しかし、同時に住民票のデータベース構想(国民総背番号制) を発表。差別の廃止はそのための露払いに他ならなかった。構想は戸籍と連結したままのもので、人権を脅かす差別情報の大量流出が心配される。と同時に、住民票に関する事務が自治体の頭越しに行われるため、自治権の後退が予想される。住民登録事務は本来、戸籍とは別である。戸籍の存在とは別個に、自治体は住民を登録する義務がある。現在、多くの子が戸籍のないまま住民登録されている。これに対して自治省は80年代末以降<登録してはならない>と自治体を指導。これに従う自治体と、自治権を貫く自治体に二分されている現状がある。自治体の中には戸籍に縛られない名前の登録を認めたり、西暦による住民票の記載事項証明を交付するところも出てきており、構想がこの流れに水を注す可能性もある。

 

 

 

 

戸 籍 附 票

 

 戸籍と住民票を連結するため、1951年に設けられた制度。戸籍に附票をつけ、戸籍の成員それぞれの住所暦を表示したもの。住所変更があれば住所地から本籍地の役所に通知され、本人の届けがなくても戸籍附票の住所が訂正され(逆の戸籍訂正→住民票訂正にも利用される)る。住民登録上の制度なので公開規定は住民票に準じる。転籍などで除票になると保存期間は住民票の除票同様、5年である。除籍簿と異なり<債権採りたて>を理由にすれば写しの交付を拒めないため、これを利用した身元調査が増えている。しかし、人の住所暦は出生地をはじめ、福祉施設や矯正施設への入所暦など、プライバシーに属するものが多いため、その公証が問題になっている。法改正が不可欠だが、転籍によって過去の住所暦を消すのが当面の自衛策。しかし<転籍者には問題がある>といった差別感も存在する。家の本拠地にこだわらず、転籍が励行されることが望まれる。

 事典に戻る

 

 

 

 

* 興 信 所

BUM



  
@個人情報保護基本法の正体
これは2001年5月6日、渋谷勤労福祉会館で行なわれた「監視社会とプライバシーを考える集い」の席上で佐藤文明が報告したものを下敷きに、手を入れたものです。

 佐藤です。監視社会、現在のIT社会がいかにひどい状況になっているかというお話でしたが、これに何とか歯止めをかけなくてはいけない、ということからプライバシー保護の問題というのが起きているんですね。プライバシーというのは一般的にはすごく広い概念なんですが、簡単に言いますと、かつては表現がもたらすプライバシー侵害というのが大きな問題になりました。つまり、ほっておかれる権利を表現によって脅かされた。それを裁判で争って損害賠償を請求する。こういう犯した側、犯された側、一対一の関係構造ですね。それを裁判官が判定して、損害賠償だとか、名誉回復をする。それがかつてのプライバシーの保護の概念でした。 しかしながら、60年代に入り、いわゆるIT時代の走りですね。コンピューターが急速に進歩してきますと、それだけの対応ではすまなくなってくる。
 事件が起こって、裁判をやって、それを損害賠償かなんかで解決する、という方法ではだめで、大量の情報が大量の被害者を生み出したりする。これがデータとして一人歩きをして消えることがない。こういう蓄積。巨大なデータの蓄積というのが進んでいくと、人間によるテクノロジーのコントロールではなく、テクノロジーによる人間のコントロールが起こってしまう。これを止めなくてはいけない。これが、新しいプライバシー保護の声になったわけです。つまり、それ以前の表現に対するプライバシーの保護というのとは違って、文脈上の表現をめぐってではなくてですね、人をデータとして一気に捕捉する、そういうデータを管理し、問題が発生するのを事前に止めよう、という声です。
 これはそれまでのプライバシー保護とは全然考え方が異なる。それを自己情報のコントロール権と申しますが、この権利の保護の特徴は、事件が起きてから対処するんではないということ。起きる前に、その形、つまり、コンピューターに入力する、その仕方、その対応がおかしい、それじゃいかんということで、事件が起きる前に押さえ込もうという考え方なんです。
 言うまでもないことですが、表現というのは、絶対、事前に押さえつけてはならない。表現というのは内なる固有性の表明で、民主社会が成立する基礎とも言うべきもの。表現の自由が保障されているのはそのためです。ですから、実際に公表された表現の内容を個別に判断して、これは問題だとすることでプライバシーを保護する。しかし、これでは今のコンピューター時代、データ時代になってくると、それでは済まなくなってきたわけです。大量の情報が瞬時に飛び交う現実の中で、問題をはらむデータは収集、蓄積、利用の各段階で問題が起きる前に制限を加える。そのための方策として作り出されてきたのが、国際的なプライバシー保護条約の流れであったわけです。こういう中で、社会はデータ保護、というより個人情報の保護。個人情報を必要以上にデータ化しない方向に向かっていくわけです。
 実際、日本はすでに個人情報を捕捉して監視していく社会です。実は、ITが進んできて始まってきたわけではないですね。この国はそれ以前からデータ監視社会であったのです。それが戸籍制度であり、住民登録制度なんです。つまり、サイクルは非常に長いですけど、人の一生の生まれ、結婚し、死亡しという、節目節目そのたびに人の行動を捕捉していくわけです。しかも、住所歴も全部押さえ込む。しかも一人一人に戸籍名という変更できない(変更には厳格なルールがある)番号を付けている。コードですね。みんなもうすでにコードを持たされている。「佐藤文明」という戸籍名、それはコードなんです。他の国の人の名前はコードではありません。暮らしに合わせて自由に変更が可能です。しかし、僕らは戸籍というのに縛られた結果、背番号と同じ、コードを持たされている。そういう監視社会に僕らは生きているわけです。
 だから今言われている国民総背番号制というのは、その上に屋上屋をかけるというか、ITというより細かな、精密な監視、管理が可能な道具が生まれてきた。これを利用してもっと短いサイクルで人を日常的に監視していこうというものです。
 IT技術の登場で、日本の支配層には二つの道があったと思います。つまり、日本式の管理はもうやめて、戸籍管理のない欧米と同じようにITを使った個人情報の管理を一気に進める道。実際、アメリカなんかも国民管理・住民管理の必要性からIT技術に着目していった。それに対して、国民管理はすでにできていた日本が、その手法を捨てずに、その上で欧米並の番号管理、カード管理を進めようという道。このどちらを選ぶのかという選択があったと思います。
今もなお、どっちに行くのかは議論が分かれていますけど、どうも、やはり、日本は日本式のやり方を捨てない。それを維持した上に、さらにITによる監視をプラスしていく。そう考えざるを得ない状況になってきています。
今、日本にはすでにコードが一人一人つけられています。それが名前であるとさっき言いましたが、アメリカの場合、なぜ、社会保障番号、Social Security番号というのを振られ、それが多用されているか、そのカードが利用されているかと言いますと、アメリカでは戸籍も住民票もありません。つまり、住所がどこであるかを登録する必要はないし、戸籍名、いわゆる本名といわれているものがどういうものであるかをはっきりさせるものがない(いちおう出生証明書に記載された名をバージン・ネームとし、現在の通名との同一性は必要とされる範囲で自己責任において証明する)。つまり、変更することが自由であるわけですね。そうすると、ある人をある人として特定するものが何もないです。実際には。そうしますと、番号に頼らざるを得ない、ということがあって、ついついみんながそれを使うようになった。それが、社会保障番号なんです。大間違いをしている人が多いんですが、このSocial Security番号は国民総背番号制ではありません。そうでなくて、たまたま社会保険庁、アメリカのそういう庁が便利のためにそれをつけた。他の人たちもみんなその番号を使って仕事をしている。それだけのことであって、決して、総背番号としてつけたものではありません。たまたま本名もない、住所もない、だからその番号に頼ろう、ということをいろんなところがやり始めたために、総背番号制みたいになっちゃっているだけです。結果的に。だけど、それを総背番号制にするというのはいけない、危ないということで、アメリカはそれを捨て去っています。いつも大統領が替わるたんびに、私の間はそれをしないという約束を年頭教書でやっている。だから、あれが総背番号制だというのは、日本側での単なる宣伝、コマーシャルにすぎない。嘘です(実際Social Security番号はおなじ番号を複数の人が共有していたり、一人の人が複数の番号を持っているケースがあります。政府の社会保障を必要としないロックフェラー一族など、当然のことながらこんな番号を持ってはいません)。
 それにもかかわらず、戸籍を持って、すでに総背番号制になっていながら、さらに総背番号にしようとしているのが住民基本台帳法の改正だったわけですね。実は、それと個人情報保護というのがどう結びついているかといいますと、この戸籍、住民票というのが世界の人権、プライバシーの観点からしますと、すでに受け入れられない。個人を差別し、必要のない出生の秘密などを暴露してプライバシーを全く認めていない、許されないデータなんですね。ですから、日本は欧米がやろうとしている、つまり、コンピューターが発展したために、危ないから何とか歯止めをかけようとして生み出してきた個人情報保護の条約にのっかれないですね。のっかった途端に戸籍を捨てなければいけない。そういう状況に実は立たされている。
 これまでですね、世界ではもうすでに、1980年にはOECD8原則というプライバシーの一定のガイドラインというものを定めていますし、同じ年、ヨーロッパではCE条約という、それよりも、つまり8原則よりも厳しい内容を持ったプライバシー、個人情報の保護というのを打ち出しているわけですね。さらに、その10年後。1990年には国連総会でさらに厳しいCE条約というものをふまえた国際的なガイドラインを決めていますし、さらに、このCEはEUになる段階で、もっと厳しい、つまり、1997年ですけど、EU指令というものを出している。戸籍がネックになって、これらすべてを日本はクリアーできていない。こういう状況にあるわけです。
 この間、日本はクリアーしようと努力するどころかむしろ、OECD8原則に対してもそうでしたが、国連でも総会決議に対しても反対して、何とかやらせないように動いてきました。そのときの日本の言い分は「各国には国情があり、伝統文化があり、その伝統文化を守る必要がある。それに限っては免除しろ」と。その伝統文化という言葉で言おうとしていたのは戸籍。つまり、「戸籍制度は免除しろ」と、こういうことなんですね。で、戸籍を捨てなきゃいけない状況を防ごうとしてきたんですが、国際的には全く受け入れられなかった。つまり、日本の声は全く相手にされず条約ができていった。こういう経過をたどったわけです。
 日本も実は保護法を作らなければならない、国際的な流れの中で作らなければならない状況が生まれてきました。行政管理庁は、一方で、「行政統一コード」という名の総背番号制を行政の効率化のために導入しようとするんですが、導入する以上は規制もしなくてはいけない。なんとか、コンピューターによる人権侵害からプライバシーを保護しなきゃいけない、と考えます。これは欧米と同じですね。コンピューターを使う。それで総背番号制みたいなものを進めていく。だけれども、それには一定の歯止めが必要だ。だから、保護法が必要だ。こういう形で国際的な保護の流れが作られてきた。これは両輪なんです。日本でも行政管理庁はそれをやろうとした。82年ですが、行政管理庁は「プライバシー保護研究会」というものの答申を得まして、5原則というのを発表しています。プライバシー保護の5原則。この5原則を発表した途端に、行政管理庁というのは解体されてしまって、総務庁の中に飲み込まれてしまった。総務庁はすぐに5原則を全く無視した、いわゆる「行政機関における個人情報保護に関する研究会」というのをスタートさせて、今現在、僕らが手にしている、日本における行政部門における個人情報保護法はこれをベースに作られたものです。
非常に荒っぽく言いますと、個人データ。このAB全体が個人データとしますと、@に当たる部分がいわゆるデジタルデータ。それからAが、いわゆる紙に書かれたコンピュータ以前からあるのマニュアルデータです。欧米の、国際的なプライバシー保護のための規制というのは、このデジタルデータ全部に規制がかかっていまして、さらに、マニュアルデータの一部にも規制がかかっている。理想的にはマニュアルデータ全部をかけろといっているわけですね。今現在の国際的な流れでは、マニュアルも全部いっしょくたに考えよう。そこでもデータを保護しよう。つまり、そうして個人情報を保護するんだ、と、ここまで来ている。さらに、そのさきに、もうちょっと詳しく、内容を含めて罰則をちゃんとそれに対して刑事罰をつけろ。しかし、刑事罰で何でもかんでもやるのは厳しいですから、一番悪質な情報。つまり、差別に関する個人データ。これを蓄積したりすれば、それは刑事罰を受けるべきだ。そういうのが国際的な流れでして、それがBのセンシティブデータ。センシティブデータに関しては罰則でガードするしかない。しなくちゃいけないんだと。ここまでをすべてカバーしているのが、今の国際的なデータ保護。個人情報保護の流れです。
それに対して、今、言った5原則。つまり、行政管理庁が出したものは、マニュアルを入れるべきだ、と言っています。しかし、センシティブ情報については何も言っていない。つまり、罰則についても、必要だとは言っていますが、ここを明確にしていないので、罰則も曖昧なんですね。しかも、捜査機関のデータについては、センシティブデータでも何でも、全部認めて、罰則も除外する。この規定から全部除外しています。Cのデータですね。ヨーロッパの場合には、アメリカもそうですが、捜査機関のデータも例外ではありません。警察データも全部同じルールで、つまり、個人のアクセスする権利ですとか、そういうデータを持っていると公表する義務であるとか、全部が適用されるんです。
ABすべてがほぼ満足されている状態、これが現在の個人情報保護の国際的な大きな枠組み。アメリカは民間に対して個別法で規制してるため、図のような空白があるんですが、ともかくこれが大枠です。これに対して、ちょっとは不備ではありますけど、当時としてはまだましな5原則が打ち出された。ABの@Aをカバーするものです。それに対して、行政管理庁を吸収してしまった総務庁が出してきたものが、Aの@限定の保護法なんです。今現在の、個人情報保護法として作られているものですね。ごっそり落ちているBとは民間データです。Aは国家が保持するデータ。つまり、国際潮流の大きな保護、ガードに対して、あまりにもお粗末なのは明らかです。これが、今、僕らが持っている保護法(行政機関の電子計算機処理に関わる個人情報の保護に関する法律)ですね。
だから、これが出てきたときあらゆるところが反対しました。最初の5原則は与野党から支持され、日経や産経までが成立に期待を寄せていたんですよ。だれもが5原則に沿った保護法が登場するものと考えていた。でも、5原則から見ても大幅な後退でしょう。だれもがあきれました。ですので、この法案が通るときにも付帯決議がつけられました。それはどういうことかと言いますと、マニュアルデータにも拡大すべき。民間にも拡大すべき。これを5年以内にやれ。そういう条件の下に、この法律は通過したんです。で、これが88年ですから、5年以内ということは93年だったんですね。もちろん、未だにそれがなされていない。成立に向け自民党対策に動いた総務庁は、ご期待に沿えないのは「戸籍と土地台帳をどうするか、解決策がないのだ」とさっさやいて回っています。
それで、今回の個人情報保護基本法案がそれの答えだと、総務省や、政府は言おうとしている。だけど、今回の法案は全く違うんですね。非常にうまいというか、とんでもないごまかしというか、全然違うものになってしまった。88年の付帯決議を前提にするなら、A@限定をABの@Aまで広げる。さらに、センシティブデータについては何も言っていないんですが、罰則を規定した方がいい、ということで、一部Bにも及んでいた。そうしたものが出てくるはずだったんですね。
総背番号制、住民基本台帳法の改正案が通るときも付帯決議が付きました。個人情報保護のガードがB(民間)に規制が及んでいないままでは危険だ。住基ネットは今のところ、民間には使わせないと言っているけど、いつ民間に使われるかわからないし、それに中央センターとして番号を全部コントロールすることになる指定団体(予定通り地方自治情報センターが指定された)は外郭団体なんですね。そうするとそこにもこのガードが及んでいない。だから台帳法の改正案成立の前提として、これをBに広げないと、というのが公明党の言い分だった。また、当初は連合や民主、社民党にもおなじ考えがあった。だから、公明党がそういう条件を付けて成立させた、というのも突出した考えではなかったんです。
決議が通った以上、当然、BやAにも広げた5原則に近いものを作らなきゃいけないと思っていたし、作るんだろうと思っていた。これを包括的個人情報保護法と呼んだんです。公明党なんかも、たぶん、その辺まで考えた上での法案賛成だったと思う。ところが出てきたものは、包括的個人情報保護法とは全く違っていまして、個人情報保護基本法だという。ABCの上に巨大な傘をかぶせてしまおう、というもので、私はこれを破れ傘だと言っていますけど、マスコミとか、文学者とか、教育者。いろんな人の表現活動に対しても基本原則を押し付けようとしている。もちろん表現活動が人のプライバシーを傷つけることもある。でも、それに対しては規制の仕方が違うんですよね。表現に対しては表明された後にやらなきゃいけない。その前にやったら検閲になりますよね。表現の自由を奪うことになる。知る権利を失うことになる。だから、ABとCとでは別の管理の仕方をしなきゃいけない。それなのに、これを一緒くたにして、この上に、規制の網を全部かぶせようという。そんなことしたら、表現に対してそんなことしたら大変なことになる。だから、罰則は曖昧にしましょうよと。センシティブデータも、はっきり規定はしません。マニュアル・データへの適用もちょっと手控えましょうということになってしまう。Cにまで傘を広げたためにABのほうは結局、@ABをきっちり規制しな
くて済んじゃうわけですよ。たとえばマスコミ報道にも規制の傘を広げた。当然反発が出ますよね。だからそれに対しては「規制はやりませんよ。単なる宣言程度で、精神論的なものですよ」と説明している。実際、個人情報保護基本法案でも「主務大臣は表現、学問、信教及び政治活動の自由に配慮する」としている。でも、これは大臣の胸一つという危なさに代わりはなく、その半面で、本体のデータ規制のほうがどんどん曖昧になっている。規制の実体を伴わない破れ傘なんです。
実際、マニュアル・データというのは規制の対象になりません。政府が政令で指定したものだけ、規制の対象とされています。簡単に言えば、一番の問題は戸籍なんです。だけど、戸籍が政令で指定されることはない(そのため指定制にしたのだ)でしょう。そうすると戸籍は生き延びることになる。それからセンシティブデータというのも規定していない。これがないということは、同時に罰則もない。だけど、見かけ上の罰則は作ってあるんですね。これはヨーロッパやアメリカに対して、日本もちゃんとやっているように見せかけるための規定です。でも罰則をよく見ると、これは、全部、主務大臣の命令に反した場合だけ(これでは事前規制にならないし、国民監視も不可能)なんですね。主務大臣というのは誰になるかわかりません。これは総理大臣の任命となっていますが。おそらく、政府公共機関(マスコミを含む)に関しては総務大臣か国家公安委員長(民間の規制に関しては監督庁の大臣)。どちらになるにしても、日本のプライバシー状況は極めて厳しいものになります。総務大臣というのは日本の個人データを一気に入手してしまった。郵便局の郵便番号や配達情報などを全部手に入れてしまった一番危険なところです。そこが、この法律を自由に、裁量を持って操るというのは危ないし、国家公安委員長というのも警察ですから、これもまた、何をするかわからない。そういう危険なものになってしまって、報道の自由も表現の自由もテレビ電波の許認可権を握っている総務省の脅威を含め、相当な危機にさらされている。
表現規制であるCもダメなら、データ規制のABもダメ。もうザルなんてものじゃないほどダメ。お話にならない。おかげで、最も問題の大きい差別情報である部落の出身を明らかにする『地名総監』というものがありますが、この地名総監さえもが規制できない。あんなひどいものでさえ全く規制が効かないんですよ。つまり、いったい何のために作るのか、ということですよ。ABには何も影響を及ぼさないで、Cにだけかかってくる。とんでもないものを作ろうとしているわけです。問題はこれがヨーロッパから見ると、欧米から見ると、何となくすごいガードを作ったと見せかけられることができるように作ってある。それがこの法案の真の目的なんです。
 ヨーロッパはアメリカと日本にEU並みのガードをしろ、と迫っていました。AB@ABCすべてを含む保護法を作れと要求していた。つくらない限り、EUとのデータ交換を許さないぞ、といっていた。これは深刻な問題なんです。金融や保険業務でアメリカや日本がヨーロッパに進出できなくなる。アメリカは民間部門を個別法でカバーしてきたため空白を抱えていた。民間の自由な活動を認めるアメリカの伝統的なやり方だ、と、EUの要求を無視してきた。ところが1999年、「国際的なデータ交換をする場合には民間も政府規制に順ずる」とする国際プライバシー安全基準を制定。空白を埋めた。2000年、EUがこれを評価し、アメリカとのデータ交換を認めています。
 基本法の構造は欧米並みの保護をしたくない日本が、EUとの単純な比較を困難にし、日本も保護に熱心な国だと見せかけて、問題をすり替え、グローバル化した国際経済に乗り遅れまいとして仕掛けたもの。プライバシー保護を前進させようとしたものではないのです。
 あと、時間が押していますので一言だけ言っておきます。プライバシー保護の国際的な潮流があるにもかかわらず、日本が何とか戸籍を守り通した。では、これからどうなるのか。ヨーロッパやアメリカにもっと日本の実態がわかってくると、日本はおかしいと言ってくるのか。そうは思えない状況が出てきました。これが実は、2000年の12月に締結されました国際組織的重大犯罪防止協定という、ノベルノ条約と略称がありますが、これはG8で結んだ条約で、もちろん日本も入っています。これは、いわゆる麻薬とか、武器の売買。それから、マネーロンダリング。まさに、盗聴法を含めた組対法三法そのもので、そういうものが全部盛り込まれている(元々組対法三法はこの協定の準備段階で日本に導入されたといわれる)。それはもうすでに国連でも条約化されていて、日本も2002年に批准する予定になっていますが、この中で、実は日本が要求したものが盛り込まれています。アメリカにもヨーロッパにも受け入れられています。それが何か。本名の確定と、偽名、異名の取り締まりなんです。そんなことをアメリカやヨーロッパはやれる手段が今のところない。日本しかないんです。これをアメリカもヨーロッパも認めたと言うことは、戸籍制度というのが(プライバシーを侵しているが国際犯罪の抑止にもなる、という理由で)合法化されてしまう可能性がある。さらには、この条約では相互が持っている、そういう監視支配技術を交流しあおうという話にもなっている。つまり、日本の技術を向こうにも移植するという話も出てこないとも限らない。そういうような状況が今、進んでいるわけです。ですから、この条約の推移というのも非常に注目、注意しなくてはいけないと思います。プライバシー意識のかけらもない日本政府のなりふりかまわぬ戸籍防衛が功を奏して、戸籍が維持されるばかりではなく、さらには戸籍的な支配手法が世界規模に広がる可能性が出てきたということで、僕らは監視を国際的な視野にまで広げて、さらに厳しく続けなくちゃいけない状況になってきている。
以上です。

「個人情報保護基本法」

C表現・報道

B民間データ

A政府データ

 

 

W

V医療機関

U私立探偵業

T金融関連機関

@デジタルデータ

 

 

 

 

Aマニュアルデータ

 

 

 

Bセンシティブデータ(含刑事罰)

 

C警察等特殊データ

 


 これは1998年6月11日、小金井市公民館本町分館でおこなわれた「戸籍がつくる差別―“個”の大切さとはなにか」と題する講演の記録です。この講演は、1998年度成人大学講座「憲法と人権―誰もが人間らしく」の第4回講座としておこなわれたもの。ちなみに講座の構成は、第1回「報道被害にあった私」河野義之、第2回「はじめに差別があった」国本衛、第3回「“豊かな国”の底辺を行く」関千枝子、第5回「国家による殺人は許されるのか?」中山千夏、第6回「人権が大切にされる社会のために」参加者討論、です。―――上記分館より講義録が発行されています。


A戸籍がつくる差別

 今日は戸籍について話をしたいと思います。戸籍は私たちの生活に非常に密着した身近な制度なのですが、意外に知られていません。今日の話も初めて耳にする方が多いと思います。今まで空気のようにあって当然と考えていたのが、ちょっとでも「おかしい」と疑問を持つようになっていただければいいと思います。

 私自身、1969年から3年間新宿区役所に勤めたことがありますが、それまで戸籍に疑いをもったことはありませんでした。役所で仕事をするようになってからも、戸籍制度というのは大事なもので、これがなければ生活しにくいものだと思っていました。この制度をきちんと守っていくことが大事なことで、皆さんのサービスにもなると考えていました。ところが、私は3年間しか仕事をしませんでしたが、仕事をしているうちにだんだん戸籍の「おかしさ」に気づくようになっていきました。「おかしさ」に気づいて研究し始めると、毎日の仕事がとても辛くなってきました。考えれば考えるほど問題が大きくなり、結局3年間で役所を辞めることにしました。それから今日までの長い間、フリーのライターとして仕事をしてきました。その間、戸籍の研究を独自に進めて、それを本にして今までに何冊かの本を発表しています。それまで、戸籍についての関心は世の中になかったのですが、だんだんと「おかしい」「変えなけれはいけない」という声が大きくなっていきました。昨今、法務省は戸籍を抜本的に変えようと、一つは夫婦別姓ができるように、また戸籍上・民法上差別を受けている非嫡出 子(昔の言葉で「私生児」)に対する差別をやめようという法改正案を作りました。現在この法案は審議に入っていませんが、ついこの月曜日(6月8日)、衆議院に議員立法として提出されました。成立の見通しは立っていませんが、いずれにしても戸籍は変わらなければならないし将来変わっていくに違いないと思います。

 まず、戸籍とは何なのか?ということです。戸籍は明治になって出来たこと、日本にしかないものだということ、それさえもあまり知られていません。「中国からきた」「奈良時代にもあった」などと言う人もいます。確かに奈良時代にも戸籍を作ったことがあります。奈良戸籍といわれるものですが、これは中国から入ってきた制度で、今の私たちからみれは、むしろ住民票とか国勢調査に近いものです。現在の戸籍とは関係ありません。中国の戸籍も同様です。今の戸籍は明冶になってから作られたと考えて結構です。

 中国の戸籍は、奈良戸籍が滅びたと同様に≒国でも滅びていきます。長い中国の歴史でも、戸籍はその後出来たことがありません。ただし、ここでも戸籍という言葛が中国でも残っているので、それと混同する人がいます。現在中国には戸籍はありませんか、戸籍の窓口というのが警察にあります。そこでやっている仕事ぽ戸口調査です。これは日本でもやっています。お巡りさんが一軒一軒回ってきて、「変わったことはありませんか?、と聞きながら名簿に登録していくのです。あれと同じ制度が中国にあって、それを戸口制度といっています。その窓口が戸籍孫なのです。だかハこれを中国にも戸籍かあると考えてしまうと違うわけです。

 現在、日本と同じ戸籍制度を持っている国は台湾と韓国です。ピンと来た方もあるかもしれませんが、台湾と韓国にある戸籍は、実は日本が殖民地にしていたときに押しつけてきたものです,それが今も残っているのです。北朝鮮にももちろんあったわけですが、戦後解放されたと同時に北朝鮮は戸籍制度を放棄しています。

 戸籍とは、住所の登録ではありません。住所の登録には住民登録があります。住民票と戸籍とは別々です。では戸籍とは何の登録なのか? 専門用語でいうと、身分関係の登録です。人と人との法律上の関係、貝体的にいうと夫婦、親子、養子養親、そういう関係を身分関係といっています,それを登録したものが戸籍です。しかし身分関係を登録すれば戸籍になるわけではなくて、それを―つに集めて、生涯にわたったその人の身分関係をひと目で分かるようにしたものです。バラバラの身分関係、つまり親子であることの証明とか、夫婦であることの証明などはアメリカにもヨーロッパにもあります。しかし戸籍謄本のように一枚の紙で全部が分かるものは他の国にはありません。

 ですから「生涯にわたる身分関係」と言えばいいのですが、実は戸籍はこれよりもっと大きなことを証明する能力をもっています。それは一人の人の生涯以上に、その人の親、子、親戚縁者を戸籍によって無限にたどることが出来ることです。これが日本の戸籍制度の際立った特色です。これを便利だと考える人もいるでしょうが、これによって非常に迷惑を被っている人もいるわけです。それが今日の「戸籍がつくる差別」ということの中心テーマになります。

 一人を越えて人の身分関係が追跡できる、引き出すことが出来る、なぜそういう登録簿になったのでしょうか? この国は人を個人として扱おうとせずに、人はどこかの「家」の一員だと考えて、まず「家」を登録し「家」を国がしっかり握ってしまうわけです。ですから戸籍とは、字を見てもそうなのですが、個人の登録ではなくて、「家」の登録、「家」の籍なのです。個人を越え、人の命を越えて、何代にもわたる「家」というものをまず想定し、この「家」は決して倒れることがない、また倒してはいけない、これが延々と統くわけです。戸主から戸主へとバトンタッチされていく「家」というものに妻とか子とか養子などいろいろな人たちがぶら下がっている、あくまでも主人は「家」なのです。戸主さえも、バトンタッチしてこの家を守る一時代のリーダーに過ぎません。そして新しい戸主にまたその関係者がぶら下がる、こういう図式になっているのが戸籍なのです。

 ですから、戸籍というのは、私たち一人一人の身分関係を証明するために作られたものではありません。「家」というものを大事に考え、これを絶対に倒さないようにするためにどうしたらいいかと考えて、そのために代表者=戸主を法律上決めたり、戸主の妻はどういう資格をもてばいいか、その家族・子どもたちにはどういう資格を与えればいいか、戸主権はどう家族をコントロールしていいのか、などを決めていくわけです。決める順番が、「個人にとってどうなのか、ではなくて、あくまでも「家にとってどうなのか」を考えて作られたもの、それが戸籍制度なのです。

 資料に「婚姻を巡る歴史」という年表があります。 1871年(明治4年)、戸籍に関する太政官布告が出ます。そして明治5年に戸籍が出来上がります。この年が壬申の年だったので、壬申戸籍と呼びます。これか現在の戸籍の始まりです。明治4〜5年とはどういう年だったかを考えると、明治維新の輝きが色褪せて、急速に富国強兵に向かった時代でした。国を建て直すために人を縛りつけなければならない、そのためにはいろいろな手を使ってみよう、その中の一つに戸籍制度が生まれてきました。つまり、「人権」ということをまったく考えたことのない時代だったのです。

 明治4年より前、明治2年に京都で、翌3年には東京で戸籍が作られています。これは天皇のお膝元で、新しい時代の中で「こんな改良ではダメだ」「もっと変えなければいけない」という人たちか集まっていたため、その人たちを取り締まるためでした。つまり、最初の目的は治安対策だったのです。ここから見ても、戸籍制度が人権に配慮して出発したとはとても言えない制度だということがわかると思います。

 本来なら、明治維新は欧米でいう市民革命の時代でした。個人の権利や人権というものがみんなに意識され、それが大きな力になりはじめていた頃です。欧米の影響を曰本でも受けていた人たちが新しい時代をつくろうとしていたとき、何としてもそれをくい止めようとしたのが明治政府なのです。

 ヨーロッパでも市民革命以前、人々は個人として見なされていませんでした。人は教会区と呼ばれる教会の支配の末端に、そういう中の成員としてだけ認められていました。あらゆる政策は個人に対してではなくて、教会区あるいは家族だけを相手に仕事をするものでした。当時は教会簿というのがあって、これは戸籍簿とは違いますが、入の誕生から死亡まで、もちろん結婚(離婚は見とめられていませんでしたが)を含む身分関係の記録を、すべて教会が握っていました。そして教会の秩序に外れた人が出ないように監視してきたのです。それに対して、市民革命は個人の確立、人権の確立ということが一つの大きな目標でした。そういう教会の力から脱出する、個人が作りだした革命でもあったのです。教会簿は基本的に廃止され、残っていても、国の制度としては見捨てられていきます。それ以後、欧米では行政は個人を相手にいたします。教会は相変わらず家族単位ですが、だんだん教会自体の力が衰えていきます。

 ですから欧米では、例えば結婚した場合、証明してほしいと思えば役所へ届ければいいし、国に証明してもらう必要がないと思う人は届ける必要がありません。証明というのはなにも国にしてもらわなくても、自分でもできます。例えば、結婚式をあげた式場に「何日何時式をあげました」と書いてもらえばいいのです基本的にどれを選ぼうと市民の自由という考え方が、だんだん欧米では強くなっていきます。

 しかし、出生届は国籍の問題があるのでどこの国も自由ではなくて、「届ける権利」といっています。「国籍を与えるために必要なので、届けてください」ということで、ほとんどの国に窓口があります。そこへ届ければ出生証明書を出してもらえます。

 欧米の場合、山生届、婚姻届、死亡届、全部バラハラの届けで、一括してひと目で見ることができません。これはとても不便だと思うのは戸籍に慣らされた日本人だけで、欧米ではそれが当たり剪だと思って暮らしています。欧米ではいちいち「何の証明をもってこい」ということがないのです。日本では便利なものがあるために不便になっている、すぐ 何々の証明を持ってこいということになってしまいます。

 欧米の場合はバラバラの届け出ですから、その人の生涯はその人にしかわかりません。他の人がその人の生涯を知りたいと思ってもほとんど難しいです。役所にもその人の生涯はわかりません。例えば、婚姻届に来た人がいたとします。確かにこの二人が結婚していることはわかります。しかし、初婚なのか再婚なのか子持ちなのかどうか、親はまだ生きているのかどうか、そういうことは役所にはわかりません。本人にしかわかりません。バラバラの届け出ですから、出生届はまた別なときに別の役所に出しています。それとつながっていませんからわからないのです。それがわからない第三者(役所も含めて)は、その人のそういう事実を知ることが出来ません。これは戸籍に慣らされた私たちにとっては極めて不便と感じますが、向こうから見れば非常にプライバシーが守られた社会なのです。自分の情報は自分が管理しているわけです。どうしても一定の情報が知りたいとか、誰かの情報が知りたいということになれば、膨大なお金をかけて探偵を雇うしかありません。だから、向こうでは私立探偵が成り立つのです。曰本では私立探偵は全然成り立たない仕事です。むしろ、裏社会の仕事ばかりやって います。向こうでは公式な私立探偵の身分証を国からもらって、それを持って行勤しています。

 ともあれ、戸籍と欧米の身分関係とはまったく違うことがわかると思います。戸籍は、誰かが誰かの情報をその個人だけではなく親戚ぐるみで引き出すことが出来る、そういう意味では確かに便利ですが、ある人にとっては非常に迷惑、プライバシーのまったくない制度だということです。

 とりわけ大きい差別を戸籍で受けてきたのは被差別部落の人たちです。部落というのは一定の地域があって、そこを本籍にしている人たちは部落の出身者だと推定されてしまいます。壬申戸籍には初めから披差別部落の人たちが「エタ」と記載されていました。たまたま差別が起きてしまうのではなく、戸籍上で差別していたのです。非嫡出子(昔の言葉で「私生児|「庶子」)への差別もあります。今は「私生児」「庶子」という言葉はなくなって、戸籍にもそういう文字はありませんが、戦前の戸籍にはそれが記載されていました。戸籍は公の証明書に使われますから、どこへ行っても付きまとわれるわけです。外国から「帰化」した人たちも「帰化人」と呼ばれて差別を受けます。戸籍にそれがはっきり書かれているからわかってしまうのです。養子であることで差別を受けることもあるし、棄児(きじ−捨て子)ということさえ戸籍で分かるようになっています。

 そんなことまでなぜ国がわざわざ文書で証明しなければならないのでしょうか? これは常軌を逸しているとしか言いようがないと思います。人のプライバシーにとって最も大事なのは出生の秘密だと言われています。他人の秘密をばらすというのは極めて重大な犯罪です。ところがこの国は、国自身が戸籍でそれをやってきたのです。      、

 私は新宿区役所にいましたが、日々の仕事がとても辛くなったと先程言いました。比較的変動の少ない田舎とか郊外の団地などでは、人の暮らしのパターンもほとんど変わりませんから、あまりいろいろなことに気づくことはなかったと思います。しかし、新宿のようなところは人の暮らしは非常に複雑です。いろいろな暮らし方があり、いろいろな人生があり、いろいろな幸せがあります。ところが、世間常識に沿って生きている分には非常にうまく生きられるのですが、一つどこかでずれてしまうと、「戸籍が汚れる」という言葉があるように、それが戸籍の記載に残ってしまいます。とりわけ子どもに対ずる差別のレッテルというのは、その子にとってまったく縁のないことですがら、まったく許し難い

ことだろうと思います。

 私も仕事をしているときに、「何故こんなことをしているんだ」と住屈から抗議を受けたことがあります。言われてみるとまったくその通りだと思いました。この制度は「いつから」というより慣習的にやられできて、いつの間にか固定化していったわけですが、誰かがそれを人権上の問題と考えたらこうはならなかったと思います。戸籍は大事だから手を付けないようにしようという意識がみんなにあったために、人権などまったく無視していた時代に作られた制度が、人権がとても大事になった今なお残っているという、非常に不思議なことになってしまったのです。住民から突き上げられて初めて気づくわけですから、やっている方は本当に無関心、無神経だったと思います。むしろ「世界に冠たる戸籍」「あるのは日本だけ」「世界一すばらいい」「|他の国にはマネできない」などと誇っていたわけですが、考えてみると他の国がこんなことするわけがありません。こんなことをされて黙っている国民は他の国にはいないです。しかし、口を封じられてきた時代に作られた制度という点では、やはり仕方なかったという面はあるかもしれません。

 私が問題にしたいのは、新憲法ができた戦後もこの制度が残り、今もあるという、このことです。戦前の場合、多くの人たちが「自分の家はこうだ」という自慢をし、誇りを持っていた部分がずいぶんあると思います。「家」を大切にしていくという意識があり、それがない「家」(例えば分家の分家のような)は小さくなって生きざるをえない、そういう時代だったことは確かです。村の作られ方そのものが「家」を中心とした社会でした。江戸時代は「家」を中心とした村ではありませんでした。庄屋、名主、豪商、武士、といった全国合わせても人口の1%しかいない人たちが「家」を大事にしてきただけです。それ以外の人たちはほとんどそういうものとは関係なく暮らしてきました。「家」意識は明治になって作られたものです。多くの家が「自分の家はこうだ」と誇るような社会になって、その裏で「あの家はこういう家だ」という差別が平然と行われてきました。人を個人と見ないで「家」の所属として見る、だから「結婚相手はどの家だ」とその家のことを知りたがる、こういう意識が肥大化していったのです。それが戦前の社会でした。

 福沢諭吉は「人を個人として考えないで家のことをすぐ誇る人は最も愚かな人」と軽蔑しています。明治の初期にはそういう発想がかなり広い人たちの中にあったのです。しかし戸籍制度がだんだん国民を縛りつけていく中で家意識が強まっていく、「誇れる家」を持たない人たちは小さくなって生きていくしかなくなっていく、そういう中で、披差別部落の人たちが切り捨てられていくわけです。「先祖が悪い」などと平然と言い、「血が悪い」などと言う人までいました。血統血縁意識というか、これがものすごく大きな差別構造を日本の中に植え込んでいくわけです。

 戸籍とは「家」のことだと言いました。「家制度」がどういう制度なのか、非常に分かりにくいと思います。「家制度」というのは、実は明確に定義をしたことかあります。明治民法ができたとき(明治31年}に戸籍法を改正したのですが、そのときに「家」を定義しようとしたのです。明治4年(戸籍に関する太政官布告)に「家制度」を埴え込もうとし始めたのが、ジワジワ日本国民の中に浸透していって、明治31年になって民法という大きな法律の真ん中に「家」が登場し、「戸主権」というのが表れたのです。その中で女性は財産権を失い、名前も失った(結婚すると夫の氏に変えられた)わけです。それ以前は女性の財産権はもちろんありましたし、結婚しても氏を変える必要はありませんでした。明治31年になって、新しい時代を作ろうとした江戸末期から明治唯新の動きは完全に消滅し、戦前の態勢、つまり「家」を中心とした国づくりが完成するわけです。

 「家」の定義ですか、あっけないぐらい簡単です。「家とは戸籍のことである」と定義したのです。明治民法の中に「家」と出てくる部分は、本来「戸籍」と書くべきところを「家」と書いたのです。だから「家」を戸籍」と読み直すと非常に分かりやすいと思います。明治の民法の中に「妻は婚姻によって夫の家に入る」という条項があります。これによって妻は夫の氏を名乗ることになるわけですが、「夫の家に入る」といっても、実際に夫の家に引っ張って行かれてそこで暮らしたなどというはずはありまぜん。この時代、半分以上の人たちは親とは別居して、新しい夫婦の家を作っています。だから「夫の家」に人っているわけではないのです。この「家」というのは建物ではなく、空中楼閣のぼんやりした家意識でもない。では何かというと、戸籍なのです。「妻は夫の戸籍に入る」実際夫の戸籍に人ったわけです。だからΓ入籍」という言葉ができたのです。実は結婚と入籍は別なのですが、結婚すると入籍しますから、入籍と呼ぶ習慣が生まれてしまったわけです。そういうふうに考えると、「家」というのはわかりやすいと恩います。

 では、なぜわざわざ「戸籍」を「家」と書き換えたのか? なぜ日本が明治31年に民法を作ったのか? 日本はあわてて民法を作る必要はなかったのです。明治時代、民法典論争というのが起きて、いったん作ろうとした民法が吹っ飛んでしまいます。7年間も放り出されて、やっとできたのがこの31年の民法です。あわてて作る必要はないのはなぜかというと、日本には戸籍意制度があったからです。例えば、誰かと誰かが結婚したというとき、それを結婚とみなすかどうかは民法に沿っているかどうかで判断するわけですが、その判断は戸籍法でやることもできるのです。届け出を受付けたり受付けなかったり、それを戸籍の通達でやれば民法はいらないのです。民法が戸主権を定めて「戸主とは長男である」と規定して、やっと明治民法になって「家」が確立したと言いましたが、実はその前からそうやられていました。例えば、戸主が死んだとき、家督相続を次男がしようとして届けに行くと、「次男が相続していいですか」と役所が国にお伺いをたでます。国から通達で「長男でなければいけない」と答えが返ってくると役所は追い返します。これは事実上「戸主権は長男でなけれはいけない」 という民法ができたのと同じです。決定的に違うのは、民法は国会で決める、通達は政府が勝手に決める、ということです。この違いがあるだけで、毎日の暮らしに大きな違いはありません。民法をあわてて作る必要がないというのはそういうことです。日本では戸籍がその代わりをしていたのです。

 民法を作らなければいけなくなったのは、欧米に対して日本はこれだけ近代化したということを見せなければいけなかったからです。当時の日本はまだ不平等条約を押し付けられていて、何とかこれを改正しようとしていました。そのためには一流国に見せなけれはいけません。その第一の条件が民法を作ることだったのです。ピンと来ないかもしれませんが、民法がなければ外国との通商はほとんど出来ません。民法には財産の条項がありますが、お金の規定や賃貸借のことなどかきちんと決まっていなければ、欧米との本格的な交流はできません。身分関係も同様です。例えば日本人とアメリカ人が結婚した場合、制度がきちんとしていなければ困ってしまいます。だから、どうしても民法を作らなけれはならなかったのです。

 一流国とみなされるために作った民法に「戸籍」という文字が人っていたらどうなると思いますか?「戸籍」は翻訳できません。欧米にはまったくわからない、だから「これは何か?」と聞がれるに決まっています。そうしたら日本の制度を説明しなけれはいけません。そうすると、「そんなの全然近代的な国家ではない、ということになってしまいます。だから隠したのです。「戸籍」と書かすに「家」と書いたのです。「家」は翻訳できます。「ファミリー」です。欧米はだまされたのです。「ファミリー」と日本の「家」とはまったく縁もゆかりもないのですが、「戸籍」を「家」と言い換え、「家」を「ファミリー」と訳せは、何となく欧米並みになってしまいますみごとな手品です。

 なぜ、こういう話をしたかというと、戦後の話が言いたいからです。

 新憲法ができます。人権か大事だとうたいました。「両性の平等」「個人の尊厳」を大きな柱にしました。この柱はいずれも「家制度」とはまったく相いれません。「家制度」は個人の尊厳を否定しています。まず「家」が大事、個人はその要員、所属、ファクターでしかなく、「家」を支えるために個人は犠牲にならなければなりませんでした。「家」は家父長制ですから男系優先です。だがら「両性の平等」にも反します。新憲法ができた以上、誰もが「家はもうダメだ」「廃止するのは当たり前だ」と思ったのです。新憲法と「家制度」は両立しません。

 憲法が改正されたのは1947年の5月3日です。同し日に民法と戸籍法も改正される予定でした。しかし、こちらは国会を通過しませんでした。「家制度が大事だ」という古い意識の人たちがまだたくさんいて、ものすごい反対をしたからです。

 細かい論争は抜きにして、民法ができたのはそれから半年後、翌年の1月1日です。憲法が改正されてから民法が改正されるまでに、半年間のタイムギャップがあるのです。この半年間は、旧民法と新憲法とは両立しませんからおかしなことになります。仕方がないからその間、「日本国憲法の施行に伴なう民法の応急的措置に関する法律」という法律を作ってとり繕います。この法律を憲法と同時に施行したわけです。「応急措置法」の第―条は、「家および家族に関する規定はこれを適用しない」と書いています。旧民法にある「家」「家族」の規定は全部廃止したということです。矛盾はいちおう回避されたわけです。

 しかし、「家]とは戸籍のことですから、戸籍を廃止しなければ「家」を廃止したことにはなりません。「応急措置法」が「家に閔する規定は適用しない」と言った瞬間、戸籍制度は廃止しなければならなかったのです。ところが憲法・「応急措置法」の施行と同じ日、「戸籍法の取り扱いに関する通達」が出ます。当然同じ日でなけれはならないから同し日に出たわけですが、この通達は「家とあるところは戸籍と読み替えて仕事をせよ」と言っています。元々「戸籍」と書くべきところを「家」と書いた、と先程言いました。新憲法になったために「家」が使えなくなったら、今度は「家」を「戸籍」と読み替えろ、と言っているのです。結局「これまで通り」ということです。役所は結婚届に来た二人に「妻の方を夫の戸籍に入れる」という仕事をすれはいいのです。つまり戦前と戦後で、憲法が変わり人権の大切さが言われるようになったのに、「戸籍というところでは何も変わらなかったわけです。これまたトリック、手品です。

 翌l948年1月1日、新民法ができると同時に、現在の戸籍法になります。そこで、今まで「家」と書いてあったところはどうなったでしょうか。すべて「家」は「氏」に変わっています。これまた手品です。「氏」というのは家の名前です。従って「家制度」を支えるために作られてきた考え方・概念です。明治民法ができたとき、妻は夫の家に入る.という名目で夫の氏に変えさせられました。「戸籍を「氏」と書き換えても同じことをすれはいいのです。「氏」は戸籍の筆頭者の家名ですから同じです。つまり「家」と「戸籍」と「氏」とは全部イコールで結ぶことができるのです。

  

「家意識」を大事に温存した結果、女性が結婚すれば名前を変えるのは当たり前、という社会常識が成立していき、その圧力のもとでほとんどの女性が夫の氏に変わることになりました。4〜5%の人が妻の氏を選んでいますが、この人たちも「人夫婚咽」といって婿養子をとって家を維持する人たちです。現在の民法は「夫婦いずれかの氏」を名乗ることになっていますから、建前上はいちおう平等を守っています。これに対して、「そんな、ことをしたら家が壊れる」と潰しにかかった人たちがいました。いわゆる「家」温存派の人たちです。政府は「旧民法の時代にも夫が妻の氏を名乗るケースがあった(人夫婚姻、婿養子縁組)」「その規定と一般の婚姻つまり嫁取り婚を合体して―っの条文にしたのであるから、決して家父長制的な家を否定したのではない」などと答弁しました。つまり、この規定を設けても何も変わることはないということです。事実その通りになりました。婚姻により「夫婦はいずれかの氏を名乗る」というこの規定は、表面上平等を確保しているのですが、最初から平等のために設けられたのではないのです。表面上の平等と憲法がうたう本質的な平等とは違うのだということ です。「家意識」あるいは「氏」という考え方の裏側にある不平等を変えていかなければ本質的な平等は確保できないのですが、初めから政府にはその気がなかったのです。

 だからこそ、夫婦別娃という動きが起きてきたのです。別姓を認めない、あくまでも夫婦は一つの家名のもとに暮らす、これが夫婦同氏の原則です。そして、同じ氏の人たちが同じ戸籍に編製される、これが戸籍法の原則です。戦後も「戸籍制度はおかしいのではないか」という声はありました。「家破れて氏あり」という「名言」を言った人もいます。

 「家」は倒れたけれども「氏」は残った、結局それは「家」ではないのか、何も変わっていないのてはないか、ということです。戦後、こういう本質的平等を求めようとする運動は強くありませんでした。別な女性差別がたくさんあって、やることがたくさんあったからです。別の言い方をすると、戦前の教育を受けた人たちは、戦後も意識を変えることが出来なかったのです。「家」の名誉のために戦争へ行き、「家」に恥にならないように死んでいった人たちがあの時代を占めていたわけですから、そこから抜け出すことは非常に難しいということはよくわかります。そういう意味で、せっかくの新憲法とまったく相いれない「戸籍」を本当はなくさなけれはいけなかったのに、そうならなかった、とても残念ですが、それだけ戦前の教育・「家意識」の刷り込みが強力だったということです,

 ですから、「戸籍制度はおかしい」と声を上げる人はあまりいませんでした。戦前の場合「戸籍」は徴兵の台帳でもあったわけですから、「戸籍のがれ」は敵前逃亡みたいなもので、重大な犯罪だと考えられていました。そういう中で、「戸籍は大事」という意識も育てられていきます。「山窩」という山で募らす人たちが発見されて、無事戸籍を持つことかでき「晴れて日本人として戦争に行ける、という、本人がそう思っているかどうか知りませんが「靖れて何とか」という新聞即記事がたくさん出まず。「戸籍を持ててありがたい」という風潮、「なければたいへん」という風潮が散々振りまかれてきたのです。

 ただ、被差別部落の人たちは毎日この制度によって暮らしを脅かされ、差別を受けてきて、戦前から「戸籍」に対する反対闘争はありました。それは戦後も統きます。

 戦後一つの大きな改革は、華族制度(爵位)が一応なくなったことです,爵位というのは「家」を継ぐもので、「家意識」そのものです。爵位がある限り「誉れある家」というものが見せつけられ、「家」にはランクがあって平等ではないことははっきりしているわけですね。しかし―応、戦後それが廃止されて、戸籍面上も記載されなくなったことは大きな前進だろうと思います。

「私生子」「庶子」という言葉もなくなります。しかし、これは小手先だけの改正で、戸籍面上でそれとわかるような「改正」でした。婚外子(「私生子」「庶子」は続柄欄で差別されています。「長男・二男・三男」という続柄の配列から排除されて、ただ「男」「女」としか書かれていないからです。「私生子」と「庶子」の区別は父母欄を見れはすぐわかります。父親の名前が記載してあるかないかです。っまり私生子」「庶子」という言葉をなくしても差別そのものを廃止しようとはしなかった、これが戦後の改革であったわけです。

 民法も子どもの相続権について嫡出子と非嫡出子を「2対1」で差別しています。これは今もそうですが、このことは憲法とはまったく相いれません。当然おかしいという声はあったのですが、いわゆる「婚姻夫婦を守る」という声の下にこの差別が受け入れられていきます。

 戦後の運動の一つの弱さは、女性の側に「女性として自分を見る」というより「妻としての役割の中で権利を拡大していく」という発想が大きかったことです。あくまでも夫という対象があって、そのペアとしての自分の位置しか見て来なかったことが戦後の運動の―つの限界であったのです。だから、結婚を前提としてしか自分の存在を主張できなかったのです。しかし本来、個人の尊厳は「結婚しているかしていないか」ということとはまったく無縁です。自分の権利というのは、妻の立場としての権利を越えて、女として個人としての権利があるはずなのです。そこまで問題を見ることかできず、妻としての権利を拡大するのが精一杯というのが戦後の運動だったわけです。

こういう状況が大きく変わるのが、1960年代末から70年代の初め頃に起きた女性解放運動なのです。60年代末は世界中がスチューデントパワーといわれる学生運動花盛りの時代でした。このときに物事を根本的に考え直す、世の中の仕組みをもう一回とらえ直すという大きな流れが生まれます。そういう中で「戸籍制度はおかしい」という声か生まれてきます。私自身もそのとき役所にいたおかげてこの矛盾に気づくことになるわけですが、当時すでに気づいていた、これが大きな問題になっていたのが部落でした。結婚差別の被害者が自殺する事件が相次ぎます。これをテーマに取り上げて、岡林信康などが歌を作ります。そして一人の女性が朝日新聞に投書します。「未だに壬申戸籍と同じように被差別部落の出身者であることが「エタ」と厳然と記載されている戸籍を発行してくる、謄本としで証明される、そんなものを許していいのか」という投書でした。この投書が始まりで、部落解放同盟は壬申戸籍の廃止運動を起こします。私が役所にいたとき、これか実際に成功して、壬申戸籍は全部ダンボールに入れて封印され、法務局の倉庫に送られました。実際に封印を目の前でして運んでいくと き、「壬申戸籍だけでいいのか。他の戸籍だっていろいろ差別があるではないか」という思いが私の中にメラメラと出てきました。壬申戸籍ははっきり「エタ」という文字で差別をしていた、これはもう許せないわけですが、「エタ」と記載しなくても差別は起きます。本籍地による差別、出生地による差別があるのです。解放同盟はすごい運勁を繰り広げて、私が役所にいたときにこれも変わります。戸籍謄本には「いついつどこで生まれた」という出生事項がありますが、以前は番地まで記載されていました。そのために被差別部落の出身であることがわかってしまいました。ひどいことに、その番地を記載したリストまであったのです。「この番地の人は部落民だ」というリストを作って売っている人たちや、それと照合しようとする人たちがいたのです。出生地を番地まで書く必要はありません。現在のものには自治体の最小単位(市区町村名)までしか書いでありません。改正して番地の記載をやめても何の問題も起きていません。そんなもの早くから変えればよかったのです。

 ですから、私が役所にいた3年の間にも大きな改正が起こっています。それまでほとんど手をつけられないできた戸籍に対して、「おかしい」という声が初めてあの時上がったのです。解放運動があのように大きくなったのも、学生運動の大きな力があったからだと思います。物事を根本的に見直そうという学生運動の発想は、その後女性解放運動(リブといわれる)にも引き継がれていきます。

 そういう中で、それまでの「妻の立場としての権利の拡大」というものを越えて、初めて「女の立場、個の立場としての平等」をめざす方向が出てきます。子どもに対する差別はおかしい、夫婦が同氏であることを強制されるのはおかしい、という声も生まれてきます。そしてこの声だけが(他の声には花火みたいに消え去ったものもありますが)非常に大事な声として、その後も受け継がれていきます。リブの運動がなくなり、フェミニズムがその後の運動を引き継ぎ、フェミニズムの中でもこの2点(夫婦別姓の容認と婚外子差別の撤廃)が引き継がれて大きな声になっていくわけです。これが結果的に、国まで動かしてきたことになります。

 もう一つ、リブは大きな問題を提起しました。それは「結婚そのものを疑う」という声です。誰もが納得できるかどうかはわかりませんが、この声は確実に広がり、強まってきています。結婚しないで暮らしている人たちは身近にもおられるかと思いますし、将来さらに若い人たちにはそういう暮らし方・生き方が増えてくるのは間違いないと思います。

 いわゆる「事実婚」といいますが、戸籍制度はこういうことと真っ向から対立します。戸籍制度は婚姻を届けてもらうことによって成立するのです。届けてもらうことによって初めて「家」と「家」を仕切ることが出来るわけで、届けがないと戸籍制度の根幹が揺らぎます。

 しかし、「事実婚」を容認しないとやっていけない時代が必ず来ます。元々、明治まではみんな「事実婚」をやってきました。明洽になってからは、自分たら自身が証明していこうとする「民事婚」という運動が起こります。(資料の年表の中に)婚姻契約という言葉がありまずが、1874年、初めて日本に婚姻契約という言葉が登場しました。その翌怖の1375年、福沢諭吉を証人として、森有礼と広瀬常が婚姻契約を交わしています。

 民法は財産法でもあると言いました。会社Aと会社Bが取り引きをし契約書を交わすというとき、この取り引きを役所に届けて許可をもらう必要ありますか? そんなことしたらむしろ営業権の侵害、私的自由の侵害になります。国は、どちらかがこの契約に違反した場合、違反者に制裁をすればいいわけで、その契約より前に出てくることもないし、あらかじめ届けを出させることもありません。人間関係、身分関係も同じように考えることができます。お互い同士が契約を取り交わして、それは届ける必要も何もありません。けれども問題が起こったときは、「こういう契約があります」ということを出して、国はそれに対して制裁を加えれはいいのです。これが婚姻契約の基本的な考え方です。

 事実婚でもこれが成り立ちます。契約がなくても、一定の社会規範を双方が認めたと見なすのです。一方が違約をすれば当然制裁がある、こう考えれば、あらかじめ届けを出す必要はないのです。

 欧米では教会権力から脱してから次第に市民社会が成熟して、そういう発想がどんどん強まっていきました。大きな流れの一つは婚外子差別の撤廃、もう一つは「事実婚」の容認です。そしてもうこれは確立してしまいました。欧米では「事実婚」は当たり前です。法的にも完全に許されています。婚姻は国を越えて成立します。日本人も外国人と結婚します。外国の法律が「事実婚」を認めています。日本は認めないで済むか? 絶対に済みません。日本の法律を変えるしかありません。大きな流れとしては、日本も同じ方向を進んでいるといっていいと思います。

 人権感覚からいうと、戸籍制度から少しずつ離脱していかなければならない、そして必ずそうなっていく、その一つが民法の改正でした。この中には夫婦別姓だけではなくて、婚外子の差別(2対1の相続差別)も廃止が明確にうたわれています。これは改革の大きな一歩でしょうが、さらにその先には「事実婚の容認」が必ず人ってくるでしょう。それは婚姻契約の受け入れにもつながります。これはどういう社会を生み出すかということですが、「同性結婚の容認」に必ず進むはずです。男と男の結婚、女と女の結婚です。個人は完全に自由であり、一つの尊厳として見なされ、幸福の追求単位と考えられるならば、当然その人たちの幸せの追求権を保証しなければなりません。すでにカリフォルニア、デンマークでは同性結婚か確立されています。婚姻契約を容認すると必然的に容認せざるを得なくなってくるのです。

 実はすでに明治に同性の婚姻契約がありました。1899年、小原染末と安井タメという女性同士の婚姻契約があります。いろいろな婚姻契約が残っていて、契約の内容を見ると非常に平等です。お互いに取り交わすものですから、差別が厳然と書かれている契約書などまずありません。それに明らかに差別の契約書があれば、人身売買と同様で公序良俗に反するものですから、それ自体無効です。基本的に平等が守られていれば、いろいろな違いのある契約書があっていいのです。つまり、明治にはすでに欧米が進んでいた道をたどろうとしていた人たちがいたのです。

 しかし戸籍制度が確立し、「家制度」が登場し、人々を引き戻してしまった、これが明治以降の日本の歴史なのです。

 最初に戸籍が登場したとき、「これは人権上許されない」と見破った人がいます。江藤新平です。江藤のあとを継いだたくさんの人たちが戸籍制度を批判しました。明治政府は戸籍制度かなくなってもいいように、欧米を真似た身分登記という制度を一方では用意していました。政府の保守的な人たちも「この制度は命脈50年」つまり、やがて人権意識が人々の中に高まってくれば廃止せざるを得ない、50年で潰れるだろう、と言っていたのです。そして潰れてもいいように、別な制度を用意していたのです。ところか、二重の制度はもったいないということで、大正11年になってこの別な制度は廃止されます。この国は「50年では潰れない」という自信をもった、「家制度」で国民を引っ張っていくことが出来るという自信を手に入れたのです。そして実際、100年を過ぎてしまいました。もう潰さなければいけません。いくらなんでもひどすぎると思います。

 しかし現在、戸籍制度は他にもいろいろな役割を担わされていますから、簡単になくすというわけにはいかないかもしれません。だから一つ一つ鍵を外していく、差別があるものを一つ一つ変えていく、そういうやり方をしていくことで戸籍を追い詰めていって、新しい制度を準備していく必要があると思います。それをやらない限り日本の「家意識」はなくならないし「家」を背景とした差別意識もなくならないだろうと私は思います。

 目次に戻る

初期レポート<私生子>差別を作る戸籍制度を解体するために

 
目次に戻る




モルガン=エンゲルス説の周辺


それぞれ独立した3本の論文から成り立っています。各々のサイズは@、『家族私有財産および国家の起源』を巡る民族学史が400字原稿用紙で35枚。A、『母権と父権』に沿って――江守五夫批判が16枚。B、マルクス主義の家族解体論を辿る、が55枚。それぞれ1974,8,30,1974,9,2,1980,9,10(ただし未完)に書き上げたものです。


どのレポートも、読み手を考えたものではありません。また、たくさんの注を省略してありますので、読みにくいのを覚悟してください。


                            ここをクリックしてください


                                            佐藤文明





 
目次に戻る











 このページは埋もれた多摩の歴史を、発掘しようというものです。多摩は共和制を模索しながらも、

幕府を支えた幕末の名代官江川英龍を支持し、中央集権を強める明治新政府に抵抗したため、その歴史を奪われてしまいました。

そのため、この「歴史散歩」は、幕末維新を中心にしたものになります。

また、このホームページは、常に工事中で、日に日に充実していくことになります。

それではここをクリックして、多摩の歴史を再発見してください。

   散歩にGO! 

目次に戻る


bumsat@muf.biglobe.ne.jp  since 06/25/1998 

http://www2s.biglobe.ne.jp/~bumsat/