家庭基盤充実構想とネオ・ファシズム
  このレポートはBUMが主唱してきた〈私生子〉差別をなくす会において、「家族」に対する基本姿勢に対する、会の立場を求められたとき、個人として明らかにした当時の発想です。当時は「家庭の日」制定論争の渦中にあったため、これをとおして「家庭」に対する見解を明らかにしたものです。もちろんそれは今日にも共通する問題で、大幅な修正は必要ないと考えます。また、ますます状況が深化していることに限りない憂慮を感じざるを得ません。
 より直接的なタイトルとしては家族ファシズムの足音が適当だろうと思います。
この稿は四〇〇字24枚、執筆を終わったのは1980年5月22日です。



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「家庭基盤充実構想」とネオ・ファシズム


  1. 家庭論議の危険な浮上
  2. 「家庭の日」論争の限界
  3. 家庭基盤充実の狙い
  4. 大衆動員思想の展開
  5. 求められる敗北の基盤一掃

 

 

家庭論議の危険な浮上

 

 79615日、自民党政務調査会が『家庭基盤の充実に関する対策要綱』発表した。その“基本的考え”によれば

「戦後わが国では、経済社会の急激な発展と大都市への人口集中、個人主議、物質主義的な社会風潮などに影響され、家庭は厳しい社会的試練を受け、一部では温かい人間関係に支えられた家庭の崩壊の危すら叫ばれるに至った。しかし、今や内外ともに家庭の意義の見直しの時期が到来した」

 とし、理想家庭を

「自主性をもちつつ、互い結んで親密な地域社会をつくり、さらに大きな社会発展に貢献するために、社会に窓を広く開けたものでなければならない」

 としている。

 細部を見ると「国家社会の中核組織として家庭を位置づけ」社会における家庭の役割分担を明確にし「老親の扶養と子供の保育と躾は、第一義的には家庭の責務である」とする。さらに「地域社会との連帯強化によって家庭基盤は充実し、深化するものであり、家庭エゴイズムを排しなければならない」ともいっている。

 そための具体的施策として打ち出されたのが「『家庭の日』(祝日)を新設する」ことだった。このほか「深放放送(十一時以降)の自粛」家庭科教育の充実強化「家庭教育……の強化」「民間の各家庭生活問題研究機関の助成と政府に於ける家庭問題に関する権威ある連絡調整機関の設置」などが挙げられている。

 自民党はこれを同年9月、総選挙の公約の一つに掲げて闘い、成立した大平内閣もこれに応え「家庭基盤充実構想推進会議」(翁官房副長官を議長とする各省連絡機関)を結成。続いて「家庭の日に関する懇談会」(小渕総務庁官の私的諮問機関)を発足させた。

 前者は8028日「家庭基盤充実のための基本的施策のとりまとめ」を発表。翌318日には後者も「家庭の日」新設に関する答申を出した。

 政府の「家庭基盤充実」構想がどんなものなのか。自民党「家庭基盤充実」構想が何を狙っいるのかについては後に詳しく触れよう。ただ、最近、民間団体の側からもかまびすしくいわれている家庭教育論争について一言触れておくことで後段の布石とする。

 自民党の6月『要綱』にも「家庭教育……の強化」が盛られ「地域社会との連帯」から「さらに大きな社会発展に貢献する」「国家社会の中核としての家庭」が叫ばれているのが見てとれる。だが、それが何を狙っているものなのかはもうひとつハッキリしない。けれど、これと関西経済同友会が79年10月に発表した『教育改革への提言』とをドッキングさせるとすべてが透けて見えるてくる。関西経済同友会とは、いうまでもなく徴兵制復活論争の口火切った資本の側の斬り込み隊だ。

『提言』を抜粋しよう。

「次代の日本人に求められるもの……第一は社会のルールやマナーなどいわゆる公徳心の養成である。……第二は“開かれた愛国心”の涵養である」「国民意識の底流を変えよう……第一は、これから母となる家庭婦人を対象に、正しい家庭内教育のあり方とその方法を普及する運動の展開である。教育の第一歩は家庭よりはじまる。……さしあたり、幼児の保育に最も関心が高いと見らられる出産前の女性を対象に“教育母子手帳”を作成し、配布することも検討すべきである」

 これは家庭教育の強化をはかる自民党『要綱』の具体的提言(家庭教育総合セミナー、婦人学級、家庭教育学級、母親教室等)とも一致するし、政府の『とりまとめ』が言っている「両親等の家庭教育に関する学習を促進・援助するため、地方公共団体の行う家庭教育学級、家庭教育(幼児期)相談事業、家庭教育総合セミナーの実施に対して助成を行うとともに、家庭教育テレビ番組の提供等を行う」にも一致している。

 われわれはここで国家や資本が家庭教育に対して口出しをしようとするとき、いったい何を狙っているのかを見破らなければならない。一例を挙げておこう。1930年12月3日平民宰相・浜口雄幸が右翼青年に狙撃されて、日本が急速に戦時態勢に突入する年である。この国は初めて家庭教育に直接の口出しを始めた。『家庭教育の振興に関する文部大臣訓令』がそれである。

 家訓による家庭の修養が学校教育によって崩れたことを問題にして『訓令』はいう。

「我ガ邦固有ノ美風ヲ振起シテ家庭教育ノ本義ヲ発揚シ更ニ文化ノ進運ニ適応シテ家庭生活ノ改善ヲ図ルハ……国運ヲ伸張スルノ要訣タルヲ疑ハズ」

 と。そして翌年には満州事変が、翌々年には日本ファシズム連盟が結成され、上海事変がぼっ発するのである。

「家庭基盤充実」策がなぜ突然浮上したかは、これで薄々理解できよう。もっとも、この政策はより多目的であるためにとても分かりにくい。そのためか、この『構想』に対する根本的な批判はまだ登場していない。

 一方、その具体的な施策の一つである「家庭の日」設置策動に対しては、さまざまな論議が巻き起こった。これが『家庭の日』論争である。われわれはまず、この論争の分析からスタートして問題の核心に迫ってみたい。

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「家庭の日」論争の限界

 

「家庭の日」設置に早々と反応したのは79年12月27日『東京新聞』の社説である。

「来年は国民の祝日が一日増えそうだ。このほど自民党の特別委員会が六月六日を『家庭の日』とするよう、政府に申し入れることなった。けっこうな話である」というのがその前文。賛意を表すとともに当然成立するものだと考えていたことがよくわかる。一般に男たちはこの程度のものとしてしか受けとめていなかった。政党も同様である。80年2月の段階で反対の立場を鮮明にしたのは社会党と社民連。また、新自由クラブは財界の要望を入れ「祝日にするかどうかについては、もう少し国民の間の論議が煮詰まってから判談すべき」(河野洋平)と祝日反対を臭わせる点で他党との独自性を打ち出していた。

 反対の要点は二つ。第一はこれが婦人労働者の家庭への引き戻しを狙っていること。第二は個人生活レベルへの国家介入につながるという点である。

 一方、婦人運動の側はもっとビビットに反応していて、対応も早かった。『アンファンテ』『わいふ』は一月の段階で賛成を表明。「母子家庭同然の家が多いから、家庭を大事にする祝日ができるのはいいこと」だというのがその基調だ。つまり夫の目を家庭に向けさせる手段としてこの日を位置付けたわけである。が、母子家庭への差別に気づくことのない立場の女たちの主張であることは明らかである。

 これに対して『家庭の日』反対派の女たちは二月二日に東京・渋谷で「Uターン禁止『福祉の切り捨て』『家庭に帰れ』は許さない!!なぜ『家庭の日』なのか」という集会を開いた。よびかけたのは「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」である。反対の論拠は集会のタイトルでもわかるように「女に福祉を肩代わりさせ、家庭に引き戻そうとしているもの」で「経済低成長に対応するため……人員の合理化……を図り一石二鳥を狙っている」として、これを「女の自立を阻む政策や思想攻撃」だと受けとめている。 

 そしてこの主張はその後、広範な女に影響を与え、ついに共産、公明に反対の立場をとらせることになる(四月二十日ごろ)。

 全国組織の民間婦人団体、労働組合婦人部など四十八団体で作っている「国連婦人年の十年・中間年4月会議」(市川房枝委員長)が同趣旨で反対した(四月十二日)のがとりわけ大きな力となった。

 ただ、この会議の基調は「“家庭の日”などを一日作るだけで、女は老人や子どものために家庭へ帰れ!とするような動きに対して、私たちはむしろ、企業へ、男をちゃんと家へ帰せ、という運動を繰り広げなければいけないと思う」(80415日『朝日』)というもの。「家庭」そのものを疑っていな点で民社党の「その日一日だけに関心を示すことで家庭をなおざりにしていることへの免罪符にされかねない。……三六五日家庭を大事にするところから、人生の幸せが開けると考えています」(木島則夫)といった主張とあまり大きな違いが見られない。

「家庭の日」論争が複雑なのは政府の先の『懇談会』が「祝日化に強い疑問」(80216)とし、三月一日には両論併記の答申を出したことにある。七対三で賛成を仕組んだ『懇談会』で、日経連と全国知事会が祝日化反対に回ってしまった(その結果五対五)からである。

 日経連の反対は「これ以上祝日を増やすと年間労働日が欧米各国より減り……国際競争力が落ちる」というもの。全国知事会の反対は「県段階で第三日曜日を家庭の日にして成功している」から祝日にするまでもない、というものである。

 あわてた政府は総理府の世論調査を開始。賛成四十%、反対十八%の結果を得た。しかも野党支持者のほうが賛成率が高いという奇妙なものになった。そこで四月二日、政府は『懇談会』の答申や日経連の反対を無視しても今国会中に制定しようと執念を燃やしたのである。結局これは国会の解散で破産したが、政府がなぜここまで執念を燃やしたかを考えてみるのは重要である。

「家庭の日」論争を振り返ってみて重要なことはどこからも家庭そのものを疑う意見が出されなかったことである。こと家庭を守るという一点では完全な国民的コンセンサスができあがり、その上に立ってのものだった。

「家庭の日」に賛成であれ反対であれ、家庭を守れの大合唱は政府をおおいに元気づけたにちがいない。このレベルでの論争を続けることはプラスにこそなれ決してマイナスになることはないと踏んだのである。政府が狙うのは決して「家庭の日」の新設などではなく「家庭基盤充実」政策の実質を確保することにあるからである。

「女に福祉を肩代わりさせ、家庭に引き戻そうとする」狙いももちろんある。その限りで「国際婦人年をきっかとして行動を起こす女たちの会」の指摘は誤っていない。しかし、この会とても家庭そのものを疑う視点を打ち出せなかった。政府は確実に家庭論議の有効さに自信を深めたはずだ。

 民族団体唯一の日刊紙『やまと新聞』の指摘はきわめて意味深長だ。一月七日付のコラムは「家庭の日」についてこういう。

「なんでも『親と子の交流』がメーン・テーマと聞く。具体的事業の一つとして親子による対話、ハイキングなどが考えられているそうだが、こんなことで思惑通りいくかどうか。上品なことをいわず『家庭則巣』意識の高揚を図る方が手っ取り早いのではないか。そして最も大切なのは、態々「家庭の日」を設けねばならぬ家庭荒廃の元凶こそが実は、現行憲法だという認識に達することである」

 手っ取り早いかどうかはいざ知らず、論争は確実に「『家庭則巣』意識の高揚」というポイントを稼いだ。反対派も、この家庭が大事だという主張を打ち崩すことはなかった。

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家庭基盤充実の狙い

    1)高齢化社会への対応

 

 日本が高齢化社会に突入すことに対する政府の危機感は七二年、公明党提案による第三子の出産手当て新設が通過する少し前から始まっていた。当時はこれを出産人口の増大によって切り抜けようと考えていたのである。これは若年労働者の出産力を高めることで、高齢者の福祉をまかなおうとの高度成長経済に支えられた発想である。

 だが、このもくろみは二重の失敗を犯した。まず出産手当て程度の小手先技術で出産数を増やすことなどできないということ。もうひとつは高度成長がいつまでも続きうるはずがないことである。

 そこで政府は七五年ごろから政策の転換を図り始める。老人福祉を切り捨て、家族に負担させようという方向であ。七七年に入ると俄然、高齢化社会突入のキャンペーンが張られ始め、国民に解決を探らせようと狙う。これが79年、老人ホームの受益者負担論や国民年金制度の改悪(支給延長と掛金引き上げ)策となって浮上する。

 政府の「家庭基盤充実」構想が何よりもまず家庭=嫁に老人の世話を押し付けることで高齢化社会への対応策を見いだそうとしているのは明らかである。先の「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」の指摘は全く正しい。

 さきの「家庭基盤充実のための基本的施策」を取りまとめた中心官庁が経済企画庁国民生活局であることを見ても、“構想”の最大の目的が財政対策にあることは明らかだ。八十年三月三十一日、国民生活局が発行した『日本の家庭――わが国の家庭の現状と今後の課題』は現状をこう分析する。

 都市化によって伝統的集団(家)が崩壊。核家族化と女子雇用者の増大が進んでコミュニティーや家庭での育児、教育機能が低下。これ加えて高齢化が進展。経済的不安や介護負担が増大し、それらが全体として行政サービスへの依存を強め、公費負胆を増やすことになった。よって行政機能の再検討が必要で「家庭基盤充施策」の推進が求められるというのである。

 つまり、高齢化社会への対応を家庭に迫ることで、育児・教育などの福祉政策からの全面撤退をしようと狙っている。

「老親の扶養と子供の保育と躾けは、第一義的には家庭の責務である」とする自民党の要綱が表現を変えて登場しているわけだ。道徳論、人倫論から経済政策論、雇用対策論などへのスライドである。

「基本的施策の取りまとめ」は第一章で、これをストレートに表現している。

「わが国は確実に、そして急速に到来する高齢化の波に対応するため、社会、経済のあらゆる面での変革と適応を余儀されている」

 という脅迫じみた進軍ラッパに続いて

「このような環境条件の変化の下で、生活の質の向上を目指す新しい福祉社会の形成にあたっては、家庭をあらためて見直し、その役割りを再評価する必要がある……公共のサービスや市場のサービスによっては充足し得ない需要に適応した個別のサービスや潤いのある生活に欠くことのできない人間的愛情の交流も期待しうるからである」

 という。福祉の貧困に対する批判が家庭=家族批判抜きに進められてきたこれまでの市民運動のイデオロギーがここでは見事に逆手をとられていることがわかる。

 

 

                (2)地域再編と住民運動の破壊

 

 市民運動のイデオロギーが逆手を取られたのは家庭=家族を理想として行政を撃とうとした部分だけではない。住民運動がけっして一般的な地域やコミュニティーの建設としてうち建てられるのではなく、階級性や思想性に裏打ちされざるを得ないのだということを無視したとき、住民運動は単なる地域・コミュニティー建設運動に墜落してしまう。

 七八年、大平内閣が「地方の時代」を政策目標に掲げ、田園都市構想を打ち出しとき、一部の運動体はその危険性を敏感に感じとり、中央による地方の再建ではなく、地方からの中央包囲こそが必要だと叫んだ。これが「地域主義」と呼ばれるものである。しかし、ここには単に中央指向か地方主体かという二者択一しかなく、階級性や思想性という一般受けしない問題は背後に追いやられてしまっている。地方主体という超階級的なイデオロギーはなお権力が逆手をとりうるものだったのである。

 七五年、東京都のごみ焼却場建設問題での対話集が地域エゴの名のもとで合理的に切り捨てられたのを皮切りに、公害反対闘争も企業公害の告発から一転し、自分から公害を出さない運動に傾いていく。リサイクル運動、自然食、健康食……。それらはすべて攻撃から防衛への転進として総活できる。そしてついには、行政の指導に乗じて、公害という用語まで環境と言いかえるまでに至る。

 それらが評価できるのはあくまでも階級性、思想性を持ったものとして、である。一般向けを狙い、色気を出しとたんにこれら超階級的なイデオロギーは権力に、資本に取り込まれる。これがコミュニティ運動であり、ボランティア運動である。

 六十年末から起こった革新自治体成立の動きは、1940(昭和15)年、内務省訓令の「部落会町内会等整備要領」によって全国的に組織され、四七年、GHQの解散指令によっても無傷で残存してきた町内会に脚光浴びせた。団地自治会の民主的組織化に成功した革新勢力は選挙への思惑をも秘め、町内会部落会解体論を引っ込める。代わってこれらの民主的再編が叫ばれ、革新自治体の対話政策とタイアップしながら復活への道を進むのである。

 政府も69年に出された国民生活審議会コミュニティ問題小委員会報告『コミュニティ――生活の場における人間性の回復』に応える形で71年から全国にモデル・コミュニティーづくりを開始する。75年には道県レベルでの、77年には市町村レベルでのモデル・コミュニティーづくりが進展し始める。

 こうして一学校区を単位とし、中に町会や自治会組識を飲みこんだ地域行政組織が動きだす。また財界もこれに応じ、信用金庫のコミュニティ・バンク構想を先頭に、全国商工団体連合会、日本青年会議所などの積極的な地域介入が始まる。

 この中でゴミ分別収集を地域に根づかせるため政府補助を受けて活動していた新生活運動協会は「家庭役割の強化と家庭エゴの排除」を打ち出し、政府も地域センター活動を通しての住民運動切り崩しを狙うことになる。「家庭基盤充実」構想は明らかにこの一連の動きの延長線上にある。

 ボランティア、コミュニティーに触れたところを抜き出してみよう。

「家庭基盤の充実には、国民一人ひとりの社会連帯の精神を基調とする、ボランティア活動が重要な役割を担うことが要請される」

「防犯に関する地域コミュニティ活動の高揚、進入盗多発地域おいては重点的に地域ぐるみの活動の展開を促進する」

「災害の発生に備え……地区防災基地、コミュニティ防災センター等の整備を進めるとともに、緊急輸送確保対策、交通規制体制、避難誘導体制及び緊急時の情報伝達体制の強化等を積極的に進める。また各家庭を基盤とする地域ぐるみの自主防災体制の確立に努める」

 ここに至って「生活の場における人間性の回復」は大きくねじ曲げられることとなる。

 

 

                   (3)地域防衛体制の確立

 

 この国の歴史は家庭論議のあるところには必ず防衛論議があることを教えてくれる。1954年、自由党から家制度復論争が仕掛けられたときも一方で再軍備から憲法九条改正への動きがあった。同年11月、自由党憲法調査会(岸信介会長)は日本国憲法改正案要綱をまとめた。以後、日本の政治はこの要綱の事実上の実現に向けて歩んできたといえる。「戦争の惨禍なお生々しい国民の感情を考慮して、兵役の義務は、これを避け、志願兵制度をたてまえとし『国防に協力する義務』という程度の規定にとどめた」とするこ要綱が、家族ついてはこいう。

「現行の憲法と之に基く教育方針が極端な個人主義の立場から、家族という観念の抹殺を図ったのは行き過ぎである。……社会保障によって全部の老人の老後の安泰を期すことは、経済力の貧弱なわが国情の許さざるところである。憲法に子の親に対する孝養の義務を規定して、人倫の大儀を明らかにすべきである」

 言葉は大時代的ではあるが、あまりにも「家庭基盤充実」構想とよく似ていることがわかるだろう。政府の狙いは単に「女に福祉を肩代わりさせる」ことだけではない。女にレイオフを課し、男の職場の確保を通して不況を乗り切ろうとしているだけでもない。家庭、地域といった下からの国防意識の昂揚、国防体制の樹立を狙っている。

 災害対策基本法が制定され、自衛隊の地域出動が公認されたのは1961年。そして新全国総合開発計画のさなか、日本の国土総点検が叫ばれ、自治体が消防庁、警察庁と一体になった防災住民組織の結成に乗り出したのが七十一年のことである。年度を見れわかようこれは地域防衛態勢づくりの一環ではあれ、主眼は治安対策にあったことが想像できる。

 七二年の東京都知事選に自民党・民社党公認で出場した松下正寿は防災都市計画を前面に立てて戦った。選後後、勝利した美濃部都知事は江戸川区の水害対策や地震対策に全力あげるようになり、三角バケツや防災頭巾が各家庭に入り込む。以来、国を挙げての地域防災運動が着実に浸透。有事立法論が登場する78年、自衛隊の野外令が改正され、国防のために行政・治安機関との連携が密になる。79年6月30日の東京サミットに対する警視庁の治安警備態勢、11月16日の東海地震総合防災訓練こそ、上からの地域防衛態勢づくりの二大セレモニーであった。

 一方、有事防衛体制を日常化するためには防犯が名目に使われた。アパートローラー作戦などによる相互監視。連続放火魔事件をきっかけとした自警団づくり。日本船舶振興会の「カチカチ用心、火の用心」キャンペーンがこれをあおり、消防庁の地域介入も強まった。

 しかし、これもなお全国をおおう体制には至っておらず、ましてや国民一人ひとりの地域防衛意識高揚に支えられた本来の意味での下からの体制にはなっていない。「家庭基盤充実」構想がコミュニティーに期待しているのがこれなのである。そしてこの地域防衛意識の上に国防意識、愛国心を結んでいこうというのである。その先兵として地域リーダー、ボランティアの養成がもくろまれる。

 そして「青少年育成、国民運動等を展開」「青少年をとりまく有害環境の浄化活動……を推進」「少年の福祉を害する犯罪の取締まりの強化に努める」ことを口実に「家庭基盤充実」構想に同調しない部分の、地域からの締め出しを進めようとしている。

 このように「家庭基盤充実」構想の狙いは実に広くて深い。これを一語で端的に表すとすれば、それは“ファシズムへの地ならし”である。

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大衆動員思想の展開

 

「長期戦は既に武力戦の範囲を脱したる国家総力戦であり、思想、経済、政治、外交の全面に亘って遂行せられ……その基礎たり、原動力を成するものは実に国家総動員であり、更にその根本中心をなすものは国民精神の総動員である」

 これは1938(昭和13)年3月、つまり日本が国民精神総動員運動から国家総動員体制へと軍事ファシズムの歩みを進める中間に、陸軍省新聞班が発行した『長期戦に対する国民の覚悟』と題するパンフレットの一節である。おどろおどろしい前置きだが、国民に要求しているのは次のことだけである。

「消費の節約、貯蓄及国債の応募、代用品の使用、廃品の利用等の微に至るまで深く意を用ひ、或は隣保共助の美風を助長し、進んで社会公共の施策、事業等に利害を超越したる奉公の誠を致し……国家の強制を待つことなく国家万般の施策に協力するに至らんことを希望して巳まざるものである」

「家庭基盤充実」構想はこの前置き部分を高齢化社会への突入(石油危機など経済の行き詰まり、ソ連脅威論による防衛論議を前面に出さず)に限定しながら、後段の部分への同意を迫る(一部は国民側から先取されてきた)ものだといえる。

 軍事ファシズムを目指す当時の日本政府は経済更正運動を通じて、農村の国家統制を一応なし遂げた。しかし都市においては唯一、32年、東京市聯合防護団結成をきっかけに各都市に普及した防護団組織を持つだけだった。では、この防護団とはどんなものか。『東京朝日』の記事によればこの組織は、

「全市十五区を各単位とし……各分団は、警備・警報・防火・交通整理・避難所管理・工作・防毒・救護・配給の九班に分かれ、出先の軍隊・警察(消防)官憲又は憲兵の指導に従うという市民総動員の実行団体を構成しようという大がかりなものである」

 これ受けて37年、政府は「防空法」を制定。家庭防火群という形(一群十戸から二十戸の隣保組織)での画一的な隣組みを作り始める。隣組みの規定がないとはいえ、防護団も「家庭基盤充実」構想におけるコミュニティーそのものであることわかるだろう。

 さて、国民精神総動員運動はごくうわっ滑りな根なし草運動だったことを指摘する研究は数多い。だれも進んで「社会公共の施策、事業等に利害を超越したる奉公の誠」を示したりはしなかった。不満たらたら、いやいやながら協力させられていったにすぎない。だが、重要なのはこの点である。いやいやながらも載せられていく、その流れの中で抵抗勢力の完全な沈黙、崩壊が進み、半面、右翼国家主義勢力の活発な活動が保証される。国民精神総動員運動は見事にこの目的を果たした。「家庭基盤充実」構想が字句通り実現できるかどうかは問題ではないのである。これを正面から批判できなくなっていくことが問題なのである。

 さて、この軍事ファシズム体制の確立にあたって、家庭もまた重要な役割を果たした。前出『家庭教育の振興に関する文部大臣訓令』が出されたのと同じ年、「国体観念を明徴にし国民精神を作興。経済生活の改善を図り国力を培養すること」を目指し「教化団体・青年団体・女子青年団体・少年団体・婦人団体等の社会教化機関の活動を促す」文部省『地方教化動員実施策』を各府県の社会教育課に押しつけた。これがやがて銃後世界の形成へと進んでいくのである。

「現下わが国の直面する非常時局は、一に国家国民の総力を集結統合し、最高度の機能を発揮してこそこれを突破しうる。……それに就いてはまず家に於ける生活を考察する必要がある」(『臣民の道』1941年7月文部省教学局)

「家生活ハ国家活動ノ源泉ニシテ、道義ニ基ヅク家生活ノ実践ハ、自カラ之ヲ和楽ナラシム」「血縁ニヨル家ト家トノ親和ノ実ヲ移シテ、地縁ニヨル隣保ニ及ボシ、延イテハ国家的結合ヲ家族的ナラシムトコロニ……隣保共和ノ実ヲ挙ゲシム」「家庭教育ハ固ヨリ父母共ニ其ノ責ニ任ズベキナレドモ……特ニ母ノ責務ノ重大ナルニ鑑ミ……左節ニ諸項ノ徹底ニツキ留意スルヲ要ス<国家観念の涵養><日本婦道の修練><母の自覚>……<家庭経済の国策への協力>……<隣保相扶><国防訓練><家庭娯楽の振興>」(『戦時家庭教育指導要綱』42年5月文部省社会教育局)

「学校も工場も、各種の団体も皆、家の生活に擬し、家族の如く親類の如き、親誼を以って相接することが、是れ国体に即した我が国の醇風美俗である。世界の平和は八紘為宇の皇道によってのみ実現すべきである」(『家と戸籍』42年9月親見吉治)

「家の生活は前に述べた如く(内的安定、物的生活の保障、幼少者及び老弱者の保護、徳性の涵養並に犯罪防止、祖孫一体と忠孝一本)五つの作用を通して国民生活上に大なる貢献をなしてゐる。さればわれわれは、……家の作用をいよいよ強化して国民生活に寄与するやうにしなければならない」(『日本の家』44年1月戸田貞三)

 こうして単なる防衛ごっこでしかなかった家族・隣保共助を基礎とした地域組識が、いつのまにか軍事ファシズムの草刈り場となり、太平洋戦争ぼっ発とともに大日本婦人会などに組織され、国民総決起運動へと突き進んで行く。この潮流に少しでも抵抗すれば即“非国民”とされ、リンチの憂き目に遭う。この日常の相互監視の完成下で、戦争へのスムーズな大衆動員が確保されるのである。

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求められる敗北の基盤一掃

 

「家庭基盤充実」構想が軍事ファシズムを狙っているとは断言できない。というのも、平時ファシズムも、こと経済危機の乗り切りには有効だからである。かの浜口内閣が軍拡か平和かの境目に立たされながらも押し寄せる不況→財政緊縮の波の前で、軍縮へとは向かわず、教化総動員運動=平時ファシズム、産業合理化を選んだ。これが浜口狙撃を契機に軍事ファシズムへと転化していくのだが、“構想”もこの分岐点に立っているものと思われる。どう転んでも平時ファシズム体制をうち立てておいて損はない、といった読みである。戦争は実感されておらず、せいぜい軍部のハネ上がりが騒ぐ程度。浜口首相もロンドン軍縮条約を締結(1930)。協調外交を歩んだが、これが右翼青年の狙撃事件に結びつく。

“構想”がどこへ向かうのか私は知らない。しかし軍縮による財政緊縮の打開へと向かっているのではなく、平時ファシズム樹立を目指していることは確か。この一点において断固阻止すべきものである。ところがこの“構想”に対する根本的な批判は登場しない。唯一、論争になった「家庭の日」設置策動に対する反撃も女任せ。男はあまりにも鈍感でありすぎる。しかも反撃の論拠はあまりにも弱い。政府がしつらえた土俵(家庭を守る)の上で「女を家庭に」はごめんだと言っているにすぎない。そこではもう家庭そのものへの挑戦はタブーになってしまっている。これを脅威と言わずになんと言おう。

 一般にファシズムの形成には家庭および家庭内における支配=服従構造と、これによって生ずる支配=服従心理を必要とする。これが権威へのひたすらなへつらいを導き、ある時は国家へ、ある時は企業へと結ばれる。前者が戦時ファシズムの、後者が平時ファシズムの典型だといえよう。

 だが、これもファシズム形成の一面をとらえているにすぎない。つまり大衆の側の権威主義=依存心の発生を語っているすぎない。これを国家が利用しきるためにはもうひとつの要素が必要なのである。これが家族=家庭の等質性である。どの家も似たり寄ったりだという事実である。これが大規模な国家による大衆操作を可能にする。

 戦後のファシズム分析はこの点を見逃した。その結果、戸主への権威の集中がファシズムを生んだのだとの結論が大勢を占め、戸主の復活を許さなければファシズムは阻止しうるという安易な発想に結ばれていく。だが、国家に絡め取られた家庭は支配者を持たずに服従構造を育て得る。ただ世代間での弱い支配=服従関係(親子関係)があれば足りる。家庭教育に際して家庭外の権威を持ちこめば十分なのである。

 戦前でも戸主はむしろ家庭の等質性を確保すためのトリッキーな道具立てに過ぎなかった。戦前の家族の多様性はおよそ国家による統制の手にあまった。そこで明治政府は戸主に超越的な権限(戸主権)を与え、多様性を家庭内部の問題に預けてしまった。そしてこの戸主だけを政策の相手とるすことで、擬制的に家庭の等質性を確保したのである。この限りで戸主(家制度)はファシズムの形成に有効な役割を果たした。

 だから戸主(家制度)の復活を食い止めればファシズム社会は到来しないというのは全くの思い違い。家庭の等質性が確保されるなら、戸主を通さずとも政府は直接家庭内に入り込んで大衆操作ができようになる。

 54年に起きた家制度復活論争が戸主を通してのファシズム再建を狙ったものだとすれば79年の「家庭基盤充実」構想は戸主を通さぬファシズム樹立を目指している。この間に何が起こったのか。それには多言を要すまい。夫婦と未婚の子という極めて等質的な家庭モデルが浸透したということである。これを守るためにはおよそあらゆる論理が動員されている。

 戦後住宅難の中、2DK住宅の国策的な建設の進行と、国民の側からこれに応えたマイ・ホーム主義。ここに戦後民主主義の敗北の図式が敷かれていたのを見逃した。「家庭基盤充実」構想はここに根を張るべき土壌を見いだしたのである。

「都市家族じたいの自助能力が喪失するなかで、<プライバシー型><マイ・ホーム型>は、地域社会から閉ざれた、あるいは孤立した問題家族として映じだした」「家庭およびそのアナロジカルな延長としてのコミュニティは……閉ざされ、せまいほどに、逆説的ではあるが、より上位の管理主体と直結するしくみがみられる。……マジック・ミラー方式ということばがあるが、マイ・ホームおよびコミュニティの側からは閉ざされた鏡の壁であるが、外側の管理主体からは透視できるという図柄であろう」(『都市家族とコミュニティ』77年4月ジュリスト増刊・現代家族より奥田道大)

 このように権力の手の内にある家庭が政府の理不尽に反抗するのは不可能に近い。そして、手のうちに入らない家庭、透視しにくい家庭、あるいは生活共同体はそのこと自体によって非協力的であって、権力の弾圧の対象になる。弾圧に手を染めるのはおそらく、権力自身ではなくコミュニティーだろう。隣保共助は、より緻密なアパート・ローラー作戦=諜報活動の展開を可能にする。

 奥田氏が指摘するように等質的なモデル家庭が支配する社会では「老人、ひとりぐらし、母子・父子世帯等は……疎外される層の問題として呈示される。疎外ということからは、老人に対する救済、援助ロジックしか生まれてこない」(前同)

 これは正しく恐るべきファシズム社会である。今、われわれに必要なことは、家庭の等質性を拒否し、多様性を生み出し、つきつけることある。権力の手の内から脱出し、家族=家庭によってくくられてしまう人間関係を越えていくことである。それには一人ひとりの人間関係の組み方が重要になる。これが豊かであればあるほど、その内実に権力が踏み入ることは不可能になる。「家庭の日」に対する反撃も、その程度の切り込みが欲しかった。もっとも、この内実を確保することに圧倒的な遅れをとっていることもまた事実なのだ。

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