第1章 プロセスの壁
第2章 マルクスの挑戦
第3章 中間総括の意味
第4章 疎外概念への接近
第5章 疎外論の展開
第6章 第二手稿の謎
第7章 神託との断絶
未完の書『経済学哲学手稿(草稿)』は未完であるがゆえに青年マルクスの関心の位置及びその限界をよく示している。この書はただ唯一の問題について書かれたものあり、その問題とは〈疎外〉である。マルクスはこの書において、あるがままの現実から出発し、その現実が、すべからく〈疎外態〉であることを明らかにし〈疎外〉のない社会の透視をテコに〈疎外〉社会の全面転覆を示唆する、という大計画に挑んで失敗した。『手稿』はその悪戦苦闘の跡を大量にとどめている。
この書がマルクスの全著作中でどのような位置を占めているか、という問題が大きな論点のひとつとなっいるが、この点ついては留保しておかなければならない。ただ、語りうる範囲で述べておくとすれば後期のマルクスなら、決してこのような『手稿』を書かなかったろうということだ。というのは、ヘーゲルやフォイエルバッハの概念から出発した〈疎外〉というテーマはそれ自体、哲学概念あり観念的な超越論を内在するテーマであることは免れ得ないからである。そしておそらく、この書が未完であっのも、この点と無関係ではあるまい。
『手稿』において、〈疎外〉という用語は、マルクスが必至で避けしながらも、その概念の提示において超越論的な説明を不可避たらしめた。それは論理学上必然的なことで、現実のあらゆる現象を〈疎外〉という単一概念によって包括しようとすれば、対立概念は現実の外、すなわち超越的な場に設定せざるを得なくなる。また、対立概念を持たなければ、論理学上それを否定することは意味をなさない。したがって、ヘーゲルの場合のように〈疎外〉が、単なる発展の一契機としての否定の対象、すなわち、それ自体が認識の発展の肯定的なプロセスとして理解されている場合には〈疎外〉の対立概念は必要ではない。しかしフォイエルバッハとマルクスは〈疎外〉を否定概念として受止めたため、少なくとも哲学的関心にとらわれている限り、対概念の導入を余儀なくされる。もっとも、フォイエルバッハの場合、否定すべき対象たる〈疎外〉は現実のあらゆる現象を包括する概念ではなく、それ自体、頭の中でとらられたもの、すなわち観念であり哲学であり宗教あった。従って、彼の場合〈疎外〉の対概念は唯物的現実、すなわち、ありのままの現実(自然)で十分であるわけである。
ところが、マルクスはまさにこの現実から出発する。なぜなら、ヘーゲルが見出した「自己意識の疎外は、実をいえば人間的本質存在の現実の疎外の表現(P202,242)」であるなら、現実こそが、すなわちフォイエルバッハが依拠しようとしたその場こそが疎外されていることの反映なのであるから。それゆえ、マルクスにとっての現実とは、その上に積み上げられた観念ともども否定すべき対象なのである。したがって、もしわれわれがここで、何の名において現実を否定するのかと問うならば、彼は、その論拠を現実の外に、しかも観念ではないものとして提示しなければならなかった。そしてまさにマルクスはこの問いに答えるべく、論理矛盾の罠の中へ身を乗り入れ『経済学哲学手稿』の筆を執ったのである。
では、〈疎外〉に対してマルクスが提示した対概念とはいったい何なのだろうか。それは『手稿』の中心的な位置を占めている〔疎外された労働〕の中の、最も重要な3つの結論の根拠としてア・プリオリに導入されている。
ここでア・プリオリというのは「国民経済学の諸前提から出発して(P84,108)」現実の中から論理を展開するマルクスの慎重な態度が崩れ、ここでは前提となる現実の指摘がまるで存在しないからである。たとえば第一の“物件の疎外”の結論は@労働が生産する対象となる生産物が、労働に対して疎遠な本質存在として、すなわち生産者から独立した権力として、対立的に登場してくる、ということ以外のことではない」。A労働の生産物とは、ある対象のうちに定着され物件にされたところの労働であるB 労働のこの実現が、国民経済的状態のもとでは労働の現実性の剥奪として、対象化は対象の喪失としてまた対象への隷従として対象を自己ものにする活動は疎外ないし外在化として現象するのである(P88.110)」という三節からなっているが、この論理構成は@現にある労働の生産物のあり様の指摘、Aあるべき労働と生産物の関係、B現にある労働の否定概念の定立、というプロセスを踏んでいる。ところが、第二 節のあるべき労働と生産物の関係についての論及は、第一節が〔労働賃金〕および前節において詳細に論及されているのと対照的にまったく存在せず、その内容はヘーゲル哲学の長所の抽出以外のなにものでもない極めて抽象的な労働哲学なのである。しかもこの対象化の肯定性はおなじく抽象的な論及である“人間の類的本質存在”を語る第三の結論に至る論証の中にしか出てこないのである。もっともア・プリオリな対立概念の肯定性は、この段では弱く、弁証法に最も忠実である点から、この段を例に挙げたのは誤解を招く恐れなきにしもあらずである。にもかかわらずここを例示したのは、ここにおいてはマルクスの弁証法そのものが明確に示されていないこと更にはこの段の理解のために必要な後段の論証およびこの段の第一節と第二節との関係から、マルクスの言外での対立概念が既にして窺い知れるという利点があるためである。すなわち、対立概念とは本質存在としての自己活動=類的活動としての労働を持つ自然的かつ社会的人間、端的に言えば〈疎外〉に対して〈自然=自 由=本質存在の具現〉である。
ここにおいわれわれはマルクスの次の言葉が理解できる。すなわち「とことんまでおしすすめた自然主義や人間主義が観念論とも唯物論とも相違し、しかして同時にこの両者を統一する真理であるということを、われわれはここに見出す。同時にわれられはひとり自然主義のみが世界史の行為を概念的に把握できるのだ、ということも見出す」更に続けて「人間は直接的には自然的本質存在である。かれは自然的本質存在として、一面では自然的諸力の装備を身につけている。かれは活動する自然的本質存在なのである(p245、p205)と。われわれは実存主義者とも見紛うマルクスのこの言葉に驚いてはならない。唯物論を否定したという一点をとらえて慌てふためいき、どこかの国のマルキストのように、『経哲手稿』は『ド・イデ』によって揚棄された、などといってはならない。われわれはここで、ただ次のことを確認すればよい。すなわちここでいう観念論とは疎外された現実の上に積み上がっ自己意識、唯物論と は疎外された現実そのものを肯定的論拠として世界を観念的に組み立てていく論理である、と。
してみるとわれわれはまた、次のことに気付くであろう。『手稿』とは一貫して人間の自然的本質存在を追及した哲学の書であり、経済とは、現実の否定のために最も重大なかかわりを持つ認識と論証の道具、またそうであればこそ現実構成の主要因としてとらえられているのだ、と。『手稿』は経済学批判から出発して哲学批判へと帰結する書あり、その最大の関心点は〈疎外〉の廃棄、すなわち、人間の自然的本質存在の実現である。
『手稿』執筆当時のマルクスは必ずしも経済一般、あるいは生産物、私有財産などが人間の下部構造しての社会を支配しているとは考えていなかった。むしろ自然的本存こそ人間の揺るがし得ない土台であり、経済一般はその上に乗った現実的疎外態の最も統一的表現であると考えていた。しかも、統一的表現の代表は生産ではなく貨幣であったことは後に示そう。ともかく、そういわけで、この書を読むにあたって、後期のマルクスの概念を『手稿』に当てはめて読もうとする態度は政治的であって正しくない。むしろ、『手稿』に示された概念が後期にどう影響しているのかを『手稿』そのものの中でマルクスが感取した限界をとらえながら、読み取っていく態度こそが必要であるといえよう。
その意味から、われわれの考察はより深くマルクスの〈疎外〉概念そのものの中に入り込まなければならないし、その際、最大の問題である前出の矛盾、すなわち、現実の外に建てられた対立概念が、現実の外であるゆえに観念的たらざるを得ない、というあの矛盾を前して、マルクスがどう闘おうとしたのか、現実に否定をなんの名において行おうとするのかというあの問いに、マルクスがどう応えようとしたのか、という問題を『手稿』の展開の中から跡付けていかなければなるまい。
かつてサルトルは、初期マルクスは実存主義者だった、と言明した。1944年9月(エンゲルスとともに『神聖家族』執筆を開始した月である)は人類にとって最も不幸な、歴史的瞬間だっとするサルトルの言明は、あたかもマルクスが、エンゲルスと出会わなかったならば、彼の有能な頭脳は実存主義の発展に寄与したはずだったと言わんばかりである。確かに『手稿』はサルトルの指摘を待つまでもなく実存主義的である。それらはともに人間の深い存在の根を“自明なもの”あるいは“語り得ぬもの”として認め、それを論理の基底に置いて論証を展開する。例えばサルトルのいう〈実存〉はなぜ人間が実存を抱くようになったのかを問わない。同様に『手稿』における〈自然的本質存在〉は何故人間がそのような本質存在を具現するようになったのか、したのか、その中身は何なのか、それがどこに存在するのか、を問わない。その限りで両者はともに、われわれが通常親しんでいる“人間”(それは霊長類主義の一種か もしれない)に対する観念の、高度な概念化を通して(もちろんそれは現実に存在するものからの抽出ではあるが)現象を見ていく、という超越論的関心に裏打ちされている。
もちろんサルトルの〈不安に被投された実存〉が超歴史的概念であるのに対し、マルクスの〈自然的本質存〉は歴史過程をそっくり含んだ概念である。したがって、これを同一視するなという指摘は正しい。しかし、両者はともに超越論的哲学であり、さらには自由が現実化し得ない社会において“自由な存在”とは何かを人間の存在の根を見いだすことから示そうと試みることにおいて実存主義的である点をいささかも変えることはできない。たかだか前者が空間のなかでそれを示そうと試みるために、ペシミズムへと陥り、後者のそれが時間の中で示す試みとして進められたためにオプティミズムを保ち得た、という違いでしかない(それが運命論を超える、という政治的意図からは重要なことなのだが)。
実は両者の違いは別ところにある。というのは人間の実存的把握を当然のこととし、そこに自らの拠点を置くのか、実存的把握を認識の限界として認め、それを超え出ていこうと意図するのか、これである。従ってサルトルの弁証法はたかだか実存的把握の方法として建てられているにすぎないのに対し、マルクスの『手稿』における弁証法は実存的把握そのものにも掛けられている。この限りで『手稿』におけるマルクスもすでに狭義の実存主義者ではない、といわざるを得ない(そのことはまた俗流マルキストの実存主義否定、歴史主義賛美、後期マルクスの経験主義的唯物論、機械論的政治主義への歪曲とも相いれるものではないことを意味している)。
おおかたの哲学は個々の現象の結論であるべき概念から始められる。そこではまず世界のあるべき姿が説かれ、その後に地上に降り立って理想と現実との違いが説明されて、その差異の克服を訴える、というプロセスをとる。したがって、このプロセスに従えば『経哲手稿』はまず人間の〈自然的本質存在〉が具現したユートピア、解放された社会の概念化から出発し(ちょうどヘーゲルの絶対知や絶対精神のように)、それと反対の概念に埋もれた現実社会、すなわち〈疎外〉された社会の悲惨さを嘆き、次いで、その解決策としての革命、つまりは共産社会へのプログラムを提起することで終わるはずである。もしマルクスが〈疎外〉論において、他の実存主義ヒューマニスト同様、そのようなプロセスとして『手稿』を書いていたら、おそらく彼はあれほどの悪戦苦闘をせずにすんだはずである。〈疎外〉とは何か、それを直接に語ることは前提と結論との転倒である。それはこの〈疎外〉の対概念たる〈自然的本質存在〉から出発することと同一の論理構造を持ってしまう。
マルクスは『手稿』に先立つ『経済学批判』の序文において既にこう書いた。すなわち「私は、本書の著述に先ち、一般的序論を草稿した。併し私は、それを茲に発表することを差控へる。何故かと云ふに、後から仔細に回想してみると、これから証明さるべき結果を其様に予想することは、私には不都合に思はれる、そしていやしくも私に附いてこようと思ふ程の読者は、個々的なものから一般的なものに上がって行くことを決心せねばならないからである……(『ユダヤ人問題を論ず』岩波版解説p6)」。ここにおいて、われわれはマルクスが書かれた内容のみでなく、書く形式、論証のプロセスにおいても多大の関心と注意を払っていることが知れるであろう。そして彼が『手稿』においても、この正しいプロセスを選んだことが、彼を論理矛盾の壁の前に立たせることになったのである。〈疎外〉という概念を観念的でないものとして提示しつつ、最終的には現全を全面否定し、人類を現実の外へと導いていく論証の プロセスは可能だろうか。この壁の前でマルクスは十分な反芻を尽くしたはずである。超越的な推測を許してもらえば、この反芻の跡こそが断片的な手稿の形態と、原稿の妙な三分割が意味するものなのだ。
ではいったいマルクスはこの論理矛盾を『手稿』においてどのように突破しようと考えたのだろうか。従来の意見に沿っていえば、唯物弁証法によってである。それはまったく正しい。しかしそれは、一般にいわれるような“唯物的根拠の上に立つ弁証法”ではなく、“唯物的世界へ向けての弁証法”である。なぜなら『手稿』において経済は見かけの根拠にすぎず、それ自体、貨幣とともに全面否定されるべき国民経済的観念=現実として位置付けられていたのであり、真の根拠はこれらの媒介物=観念が廃絶されたところの自然的世界、実存的でありかつ唯物的である世界の現実化への確信の中に存在していたことは前章の引用個所によっても明らかなことだからである。
『経哲手稿』は大雑把に次のような論理構成で成り立っている。
まず、@序論における観念論批判。つぎにA国民経済的現実および経験論批判(第一手稿地代まで)。そしてB現実の総括としての疎外概念の提示(疎外された労働)。C概念克服のための共産革命の可能性の提示(第二手稿)。D到達した概念と革命論を武器にした現実批判・可能性の追求(第三手稿)――がこれである。
したがって、B〜Dのプロセスは従来の論証のプロセスとそれ自体、本質的な違いはなく、@〜Cに至るプロセスこそマルクスの重要な論証プランであったことは創造に難くない。中でもA〜Cにかけてのプロセスは『手稿』の中核を占めるものであった。それゆえ、Aにおける原稿の3分割、およびBにおける未完の部分の存在は重要で、これまでの『草稿』研究者のように3分割を「草稿であるため」とだけ考えたり、未完部分を「散逸」「未発見」と考えて、その重要性を看過してはならない。
わたしはAにおける原稿の3分割の方法を、今日の構造主義と同じ関心の上に立ったマルクスの試みであったと考える。すなわち、現実における3つの系列(それは国民経済的系列でもあるのだが)である労働と資本と土地とを並列的に詳細に論じる中から、ある統一的な共通項、すなわち“系の系”を見出し、概念として抽出するというマルクスが採った方法論は、対象が経済学であるから唯物的なのではなく、方法としての観念性を極力避けようとすることによって唯物的なのである。このことは哲学の終焉を宣言した今日の構造主義の学問的関心と同じ方法論上に立脚しているということができる。マルクスの発想がさらに優れているのは、この“系の系”の発見に当たって国民経済学の体系によって隠された矛盾を暴き出す手段を見出したことで、表面上の“系の系”を抽出して見せて、体系が持つ矛盾の隠蔽に荷担し、体系(体制)をいっそう強固に見せかけるエセ構造主義者たちの愚を犯すことがなかったことだ。では、マルクスが見出した手段とはなんであろうか。それはすなわち、各系列に、分離されては ならないもうひとつの概念、賃金、利潤、地代を投げ込むことによってそこに矛盾を発生させ、対立を生み出させてそこから”系の系”を導くという画期的なプランである。マルクスは労働と賃金とをペアで用いることによって、後の労働力の概念を先取りしているし、この3組のペアによって貨幣の優位を、疎外の存在を、すなわち“系の系”を暗示することに半ば成功した。事実、Bの最初の総括に入るまで、彼は〈疎外〉という言葉を一度も用いていないのである。
このようにマルクスは『手稿』において、空間における事実の解明に構造主義を、その歴史的位置づけ、つまりは概念の把握に唯物弁証法を、そして向かう世界のあるべき姿をイメージする、基本的背景に実存主義的人間観を配すことで、かの論理矛盾を一気に乗り越えようとしたのである。カント的合理主義とスピノザ的神秘主義を一気に乗り越えて見せたあのヘーゲル弁証法を、現実から天上へと連れ去る魔法の杖としてではなく、現実から地上へと連れ戻す存在の力として利用できれば、マルクスの試みは成功するはずであった。彼はそれを望んでいたのである。悲惨な現実(疎外)から豊かな地上(人間的本質存在)への帰還である。
ところで方法の問題を十分に追及し、そこから得られたモデルの網を現実の事象の上にかぶせ、ネットワークとの関係によって現実を把握していく意識された科学としての構造主義と異なり、マルクスの場合、方法の問題を先見的に明かすことをしなかった。このことは構造主義者にとって、モデルへのイデオロギーの混入の恐れを第三者がチェックできないという意味で許すべからざることである。ところがマルクスにとっては実存主義者の先見的概念(存在)も、構造主義者の先見的方法論(モデル)も、たとえ彼が自らの中にそのようなものを意識していたとしても意識的に拒否していかなければならいものであった。おそらく、彼にとってそのような先見性は観念論における神の観念、普遍調和の絶対性と本質的に同様の位置を占めるもの、と考えられていたに違いない。
しかしながら「手稿」におけるマルクスの先見性は常に論理形式の後に現れる。本来のマルクスの意図からいえば、これらの先見性は「個々的なものから一般的なものに上がって行く」中から結果的に証明されるべきものであった。ところが、このノート(私のこのレポート)の第一章で指摘したように彼の実存的先見性は先導する個々的な証明の中で、十分な飛躍なき論理の結論として導かれておらず、従来の哲学と同様の超越論として顔を出す。第一章の第三の手稿からの引用文の後半は、実は第一手稿の〔疎外された労働〕における概念化の作業の結論として、その展開として語られなければならなかった。ところが結果的には第一手稿の第一の結論でさえがもう既にア・プリオリな超越概念に冒されており、読者がこの概念を正確にとらえにはむしろ、第三手稿での言及に支えられなければならなくなっている。このとき、マルクスの方法上の苦悩は、読者の頭脳の中であえなく吹き飛ぶのだ。それは再び観念論へと帰 着し、マルクスのプランは挫折する。だが、彼のプランにもかかわらず、彼の論証が十分に飛躍うめえなかっこと、後ろから読むより仕方なかったことこそ、この『手稿』の限界であり、この大執筆計画の失敗であったといい得よう。
そうであればこそ、水を得た魚のように現実を切り裂く第三手稿以降のマルクスとは対照的に、この『手稿』の屋台骨、現実から馳せ上り、現実へと舞い降りる接点となる第一手稿の〔疎外された労働〕は、彼の弁証法が最も見事に展開される場であるとともに、多くの限界と混乱を背負い、それゆえに中途放棄され、不十分性を露呈した項なのである。
一方、現実から馳せ上る手続としての空間における事実の解明に当たって彼が意図した構造的方法論も、幸か不幸か〔疎外された労働〕の最初の総括部分においてわれわれは窺い知ることができる。例の三分割の部分が、もしマルクスのプラン通りに進んでいたら、われわれはこの総括部分を持たなかったかもしれない。ここでもまた読者は、マルクスの意図に反して後ろから読むの愚を犯すのか。その通りである。三分割の稿もまたマルクスの狙い通りには完成されなかったと思われる以上、このような裏読みはやむをえない。
〔疎外された労働〕における最初の総括は、『手稿』におけるマルクスのプランを解明しようとする者にとって最も重要な部分であるといえよう。この総括部分とは青木版『経済学哲学手稿』p108〜109にわたる部分である。このノートで私が、よく引用される岩波版『経済学哲学草稿』を用いなかったのは、岩波版の訳は確かに日本語としてはよくこなれているものの、原文の哲学概念を十分に把握していないと思われるフシが数多く見出されることによる。例えば岩波版p92「食うこと、飲むこと、生むこと」は青木版p116では「食うとか、飲むとか、やるとか」になっている。が、自由な動物的諸機能という意味を勘案すれば、「やる」が正しいことは論をまたない。ドイツ語のZeugenは 確かに産出行為、生殖行為を意味する名詞だが、この場合「生む」と訳しては自由な行為の意味が失われ、行為の意味を含ませれば、それは社会的諸機能の色合いを深めることで動物的諸機能の意味が失われることになる。
ことにこれから言及する総括の部分は岩波版に従っていたのでは、その本質が見えてこない、という決定的限界を負っている。
この総括の部分は四つの段落によってできている。第一段落はこれまでの、いわゆる三分割の部分の整理と結論であり、第二、第三段落は得られた結論の概念化作業と、対応対する国民経済学の限界の確認であり、第四段落によってその(国民経済学批判)概念化の展望を打ち出すという中間総括的論旨がそれである。これは明らかにマルクスの論理プロセスのプランの要約と考えていい。従って、ここで重要なのは、この総括以前の部分については第一段落を、以後につい第四段落を、どのような位置づけを持ってとらえうるかにかかっているという点であろう。
そこでさっそく第一段落を見ていきたい。
A「われわれは国民経済学の諸前提から出発して、それの用語と法則をうけいれてきた」B「われわれは、ぁ私有財産、ぃ労働と資本と土地とのこの三者の分離、一方でぅ労賃、資本利潤、地代を、他方でぇ分業、競争、交換価値の概念等々をかりに前提した」C「われわれは国民経済学そのものを出発点にしながら、それ自身の言葉をもちいてつぎの諸点をしめした。ァ労働者が商品に……。ィ労働者のみじめさが……。ゥ競争の必然的結果が……。ェ最後に、一方で資本家と地代生活者との区別が……」
以上が青木版の訳であるが、Aについては特に問題はなかろう。ここでは、国民経済学からの出発とは、決して学からの出発なのではなく、学こそが現実の(観念的な)反映なのであること、すなわち現実からの出発なのであることを押さえておけばよい。問題なのはBである。岩波版においてはぃとぅを結ぶ接続詞が、ぅとぇを結ぶ接続詞がそれぞれ「同様に」「また」となっており、ぁ〜ぇの四項は、全く並列的な国民経済学からの借用概念のような印象を与える。ところが原文では、この接続詞はaben so……beeという、英語のas well……asに近い意持を持つ複合接続詞なのだ。従ってこの四項は単純並列の関係にあるのではなくぅとぇは、並列関係にあるぁとぃに対して束になっている。何故このことが重要かといえば、aben so…… beeをaben so,beeと見てしまうとaben soはまったく同様に、という単なるundの強意となり、ぃの労働資本土地の分離はぇの労働資本利潤地代の分離をも示すものと見誤り、現実の構造的把握を見失うことになるからである。借りにそうであるなら、マルクスは何故ここで三分割の稿のそれぞれの表題通りに「労働賃金と資本利潤と地代との分離」と書かなかったのか、あえて二つに分けて書いたことの積極的理由が見当たらない。
ここでわれわれは再び三分割の原稿の意味を問わなければならない。マルクスは戯れや思いつき、執筆に当たっての便宜上からそれをしたのではない。また同様に、原稿のp22以降、すなわち、アドラツキーによって〔疎外された労働〕と名づけられた部分も単に分割欄を無視して書かれたものではない。マルクスにとって、それが実験的試みであったことは確かだったとしても、最初の三分割は必然的なことであったし、p22以降は総括部分であるがゆえに、統一されることもまた必然的なことであった。つまり、労働と資本と土地とは国民経済学的概念の中では分離されたものとして提示されされざるを得なかった、その現実をそのまま引き受け、それを超えていくためには私有財産の一変形としての静的概念たる〈労働〉〈資本〉〈土地〉を動的概念に置き換える必要があったのである。この作業こそ、同じく国民経済学的概念でありながらその本質から切り離されて、あたかも自己運動を続けているかのごとき外観を帯 びさせられていた〈労働〉〈資本利潤〉〈地代〉を、その本質と結び付け〈労働―賃金〉〈資本―利潤〉〈土地―地代〉にすることで、そこに生じる対立および運働、つまり〈分業〉〈競争〉〈交換価値〉の本質に迫り、分離された概念の再統一、すなわち、“系の系”としての矛盾の概念を抽出しようという壮大な狙いを持った試みだったのである。したがって、その結果として得られたァ〜ェに至る結論は、依然、個々の系列からの抽出でしかない。ェに示された二階級への解体さえそうである。というのも、ァとィは〈労働―賃金〉の系列において、ゥは〈資本―利潤〉の系列おいて、ェは〈土地―地代〉の系列においてたかだか結論付けられているにすぎないのだから。とすると、マルクスにとって残る作業は、これら各系列の中から抽出された系を、各系列との関係を明らかにしながら“系の系”としての概念にまとめ上げることである。そして正しく第四段落において彼はそのことを語っている。そして、この“系の系”こそマルクスにおける〈疎外〉なのである。
そこで、われわれは第四段落以降の〈疎外〉の探究に足を踏み入れる前に、現実からの矛盾の抽出というマルクスのプランが、三分割の原稿においてどれだけ成功しているのかどうかを逆に検証してみることができる。残された原稿によれば、マルクスのプランは各系列が同じ長さのものとして予定されている。それにもかかわらず〈地代〉だけが長くなってしまったのはなぜか。何故〈労働〉の系列は引用文が少なく、また極端に短く、にもかかわらず二つの結論を含んでいるのか。ィの前提となる論及が、そこにはほとんど存在しないのか。〈労働〉の系列にだけどうして疎遠という言葉が配され、また全体の論旨が混乱しているのか、等々。われわれはこの問いの一つ一つに答えることができる。彼は構造を意識しながらも構造主義者ではなかった。彼は“系の系”を引き出すための水準の概念を持ち合わせていなかった。つまり、三分割それぞれの項が担っている質の問題を問うてみることをしなかった。したがって彼は構造を提出しながらも水準間のズレを弁証法によって突破しようとする。それが〈地代〉の系列の中で階級対立の概念が引き出されたことの意味であり、〈労働〉の系列の不十分性 、未完の稿で終わったことの意味である。
さて、いよいよわれわれは、このノートの主題であり『経哲手稿』の主題でもある〈疎外〉の概念に足を踏みいれることとする。
その手始めとして〔疎外された労働〕の総括部分としての展望、すなわち先の第四段落を見ていくのが順当だろう。しかもこれは第一段落の理解と補完関係を持つものとして重要な部分である。
「そこでいまやわれわれは、@私有財産、A所有欲、B@労働とBA資本とBB土地との分離などのあいだの、そしてT資本と所有地との、U交換と競争との、V価値と人間の価値剥奪との、W独占と競争との、そしてその他のあいだの本質的な関連を、要するに右ようなαあらゆる疎外態とβ貨幣制度とのあいだの本質的な関連を概念的に把握しなければならない」
以上が青木版の第四段落である。この段落に含まれる各項目の多くは当然のことながら第一段落のそれと符合(=照応、以下同じ)する。マルクスの論理プロセスは前提として論及されていないものを唐突に導入することを避けようとする。だから両者は符合すると考えることができるのだ。ではどのように符合しているのだろうか。@=ぁ、B=ぃ、T=ェ、V=ィ、W=ゥはすぐにわかる。そして、少しひねってみると、Uはぇと符合するのではなく、ァと、そして一見前提なしに突然出てきたように見えるAこそ第二段落の最後の文を経由してぇの各項の背景と符合するのだ、いうことが見えてくる。こうしてみると、この符合から浮きあがってしまう三つの項、すなわち前章で問題になった第一段落のぅ、および第四段落のαとβは他の項とどう関連しているのかが疑問とされてくる。結論を言ってしまえばαβは符合した他の項のまとめであるはずである。そうでなければ〈疎外態〉や〈貨幣制度〉という重要な概念 が、こうも唐突に出てくるはずはない。「ようするに右のようなあらゆる」という訳文は、この辺の事情を正確に伝えてくれる。原文では各項の列記のあとをetcetraで閉め、あらためて「あらゆる疎外態……」と始まって、この間に接続詞はない。しかしetcetraで一度閉じているこの次の文は、明らかに単なる列記ではなくまとめである。この点でもまたわれわれは、「さらに」という接続詞でこの間を列記的に結んでしまった岩波版を捨てなければならない。
αがまとめであるとすれば、つぎに起こる疑問は、ではなんのまとめかということだが、これは一目瞭然であろう。それはいま符合させたすべての項、およびそれが指し示す事実である。つまり、これまで語られてきたすべてが疎外態であることを意味する。ここにマルクスの〈疎外〉概念へのアプローの第一歩が踏み出されたわけだである。あの三分割の項は、決して経済学のテキストではなく、現実における疎外態を指摘したテキストなのである。
ではβとは何か、それは個々の疎外態に常にかかわり合うことで、それを概念へと導くもの、言い換えれば分裂した事象を統一し、個々の系列を“系の系”へと導くものでなければならない。そして、これこそがこの『手稿』の基本的連関を織りなすものとしての貨幣制度なのである。そして、このβが第一段落のぅと符合するものであるならば、マルクスの『手稿』におけるプランはすべて解ける。すなわち、その図はこうである。
すなわち、現実のバラバラにされた事象は私有財産という国民経済の枠の中で、実際には貨幣制度に支配されている。したがってそれは決してバラバラな事象なのではなく、所有欲の中での対立、個々の事象の中に根ざした疎外態の存在という面で統一されているのだ、と。ここにおいて初めて、われわれは第一段落のaben so …… beの意味、すなわちぅの重みが本当に理解できる。さらに翻ってのまとめはαだけが負っているのではなく、αβのペアで引き受けているのだということも解かる。
だが、間違ってはならないのはαは概念的に把握された〈疎外〉ではない、ということである。そうではなく、まだ個々の事象から浮かび上がって来た観念にとどまっている〈疎外態〉に他ならない。これを〈疎外〉として把握するまでには個々の事象のエッセンスの本質的関連を把握しなければならない。
幸いなことに貨幣制度の現実への投入は個々の事象を運動態へと変様する。従って事象の運動が〈疎外態〉を〈疎外〉へ、そしてマルクスが示そうとする〈疎外〉へと概念化される論理展開(弁証法)の場を開く。運動こそが弁証法の活躍できる舞台なのだ。われわれは以下の〔疎外された労働〕の中で〈疎外〉概念自体が弁証法的変身を遂げていくのを見るだろう。『手稿』において初期に登場する〈疎外〉の概念と後期に登場する〈疎外〉の概念とはその意味を異にする。われわれはこの点を正確に見ていかなければ大混乱をきたすだろ。青木版におけるαの「あらゆる疎外態」の部分が岩波版においては「一切の疎外」となっている。ところが、その概念的把握の結果こそが、ほかならぬマルクスが示す〈疎外〉なのである以上、ここは〈疎外態〉と訳すほうが混乱が少ない。マルクスにとって〈疎外態〉を〈疎外〉へと統一(概念化)する重要な動力となっているものは、貨幣制度なのである。第四段落の最後は、その
ことを確認したものである。
総括部分を以上のように位置づけた上で、第一の結論以下(第二、第三の結論を含む)の論及を眺めてみると、われわれはマルクスが総括部分で展開した概念把握の方法をその後も着実に実践しているのを見てとることができる。まず、前出の第四段落において説明されていないもの(本質的関連の概念的把握の方向)についてまず語ったあと、三分割の項で抽出した二つの国民経済的事実(すなわち、ァとィまたはUとV)の本質的関連から概念把握へと向かう。この把握の第一の結論こそ、このノートの第一章(プロセスの壁)で摘出した部分である。第一章においてわたしは、この結論が超越的部分を含みながも、その部分の肯定性は弱く、弁証法についての説明がないながらも、それに最も忠実である、と述べた。すなわちわたし は、この結論に『手稿』の論証形式の否定的側面と肯定的側面の両面を見るのである。
否定的側面は――第一章の引用符を用いていえば――Aの部分がどこからも論証されていないこと、すなわ、超越的人間論からの類推に頼らなければ理解し得ないことに起因したものである。一方、肯定的側面は@とAの乖離も、論理的にはあまり開きすぎてはおらず、Aの類推が比較的容易(ヘーゲル的観念を読み手は常に導入するためでもある)であり、その結として、得られた結論=疎外の第一の概念把握もマルクス独特のものというほど高まっておらず(この段階ではヘーゲル敵理解をしても差し障りが少ない)、内容おいてフォイエルバッハのそれ(疎外概念)を超えていないため、読者の理解を助けているという点である。もっとも、これは読者の理解を助ける(そ の結果、マルクスをヘーゲルと同一水準で解釈してしまう誤解、錯覚の原因にもなっているのだが)ためのものではなく、明らかに方法における弁証法の唯物的適用を志向した結果であるにほかならない。したがってマルクは、すぐにここで獲得した〈疎外〉の概念から超え出て、第二、第三の結論を導くための論証へと向かうことになる。つまり、かれの弁証法はここで獲得された結論そのものにも掛かっているのだが、興味深いことに、彼の〈疎外〉概念の弁証法的深化に伴い、彼の超越的人間論も深化を遂げ、両者(疎外と人間論)の乖離は増大する。この点を考察する前に、われわれは第一の結論が語る〈疎外〉とは何なのか、及び、ここにおける方法論が既にヘーゲル的〈疎外〉を超えているのはなぜなのか、を問わなければならない。
第一の結論の内容においてすぐ気づくことは、対象が生産物と労働にあるということである。そして、疎外(Entfromdung)ないし外在化(Entau Berung)は、自己のものにする(Aneignung)と対照的に用いられている、ということ、これである。ここから、〈疎外〉とは単に生産という自己の対象的活動が〈他者のものになる〉ことを表しているのだということが知れる。すなわち〈物件の疎外〉である。しかもこの疎外はまだ外在化とほぼ同義であり、ヘーゲルの用法を踏襲している。
「労働者はより多くのものを加工することができるが、このことは労働の価値を減少させる(ヘーゲル『イエナ実在哲学』)」「へーゲル哲学は、……人間を自己自身から疎外した(フォイエルバッハ『哲学改革のための提言』)」
前者を後者によって論証するために、マルクスはまず、もっとも単純な〈疎外〉現象から、すなわち、個々的でしかも外的なものから出発したのだ。しかも@―A―Bの関係は正(定立)―反(反定立)―合(止揚)でありながら、真の肯定命題はAに、真の否定命題はBの位置にくる点で、マルクスの弁証法はヘーゲルのそれとはまったく異なる。さらに、ここがマルクスの苦心の跡なのだがAは極力@の内在的本質として抽出されていて、単なる超越論ではない。一般に超越論(ヘーゲルの肯定命題)は@の位置に置かれてもその意味内容に変化 はないが、ここでのA(マルクスの肯定命題)は決して(「合」が再び「正」の位置に立ち、究極的に止揚されて第二の「合」に至っても、その第二の「合」の意味内容を示すものではないゆえに)@の位置に置くことができない。この弁証法を歴史過程に従って置き換えれば、A≫@≫Bであろうが、Aが決して@の原因とも結果ともされていないところに、この論証方法の独自性かうかがえる。
第二の結論はいうまでもなく〈労働の疎外〉である。ここに至るまでにマルクスが獲得した〈物件の疎外〉を足場に、それをさらに概念化しようと務める。AとBのより深い考察、つまり「対象化すなわち労働者の生産活動……、この一部としての疎外、対象つまり生産物の喪失について(p112、p88)」のたちいった考察の提起がそれである。ところで、この考察過程で早くも混乱がみられる。まず、対象化と疎外との関係が明瞭ではなく、労働が自己と敵対するに至る現実的原因が国民経済的事実と関係づけられていないこと。国民経済学が無視している労働の疎外的本質、生産活動と労働者の関係について言及していながら、それがいかなるものかを語らず、それを背後から支えるべき生産活動と資本家との関係の考察も後に回されている。しかもこれは、結局書かれることもなく、単に〔疎外された労働〕の最後で再び考察することを示唆しただけで終わってしまっている。そしておそらく、この考察の欠落が、国民経 済的事実と、対象化と疎外との区別との関係をも考察不可能にしている。すなわち彼の弁証法は〈疎外〉のない〈対象化〉を現実から摘出してみせることの不可能性という壁の前で、第一の結論を導いた〈対象化〉の超越的導入以上に苦闘したことだろう。というのも〈物件の疎外〉が個々的な生産活動の外的疎外にとどまっているのに対し、〈労働の疎外〉は労働という、より一般化した事象の内的疎外に進んでおり、〈対象化〉という主体的概念を含んだ哲学概念とは、少なくとも唯物的アプローチを目指す限りにおいてではあるが、なじめなくなってしまうことによるものと思われる。
もっとも、もしマルクスが、ここで総括部分のゥェの関連を追う中で〈労働の疎外〉に向かっていたら、もう少し慎重な考察が行えたろう。事実、彼は生産活動と労働者の関係と、生産活動と資本家との関係の考察を示唆した〔疎外された労働〕の最後の部分では(p127〜129、p104〜106)私有財産を受けた形で論を展開しようとしている。だが、本来、ゥェの展開、すなわち資本の原理と階級対立を受け、〈対象化〉の一般化を暗示したその結果として〈労働の疎外〉や第三の結論である〈類的疎外〉が導かれ、私有財産の概念が発見されなければならなかったのではないか。結論的にいえば総括部分の第四段落が示す論理展開の展望において直接実現されなかったと思われる考察はこのゥェすなわちWとTの関連、資本利潤と地代 の中で抽出された系の考察なのである。この限界ついては以後もう一度ふれることにして、結論の内容に踏み込もう。
マルクスはそこで、「もし労働者が……自分自身を疎外することをしなかったとすれば……(p114、p91)」と帰納法を用いることでこのジレンマから脱出して結論に入る。すなわち「労働の対象の疎外態のうちには、労働という活動そのものの内に秘められた疎外ないし外在化が要約されているにすぎない」と。ここに至ってわれわれは、マルクスが方法においてのみならず内容においてもフォイエルバッハを大きく超え出ていることに気づく。すなわち、活動様式とその結果だけでなく、その活動を担うべき主体、フイエルバッハがよって立つその現実の基盤さえもが〈疎外〉の一形態として、いや〈疎外〉の本質として否定の対象になってしまうのである。〈労働の疎外〉は主体の喪失、自己疎外である。しかも〈物件の疎外〉は、むしろその従属的現象にすぎない。マルクスを逸脱して一言言い添えれば、人間を自己自身から疎外したのはヘーゲル哲学ではなく、ヘーゲルのあり方そのもの、さらには、ヘーゲルをその ようにあらしめた現実の諸関係そのものなのである。
ところで、細部における唯物弁証法が崩れていきながらも大局におけるそれは依然として守られている。つまり〈疎外〉概念の上向法は暫進を遂げている。われわれは〈物件の疎外〉と〈労働の疎外〉とを並列的に見てはならない。第二の結論は一見〈疎外〉概念の単なる拡張、一般化の過程のように見えるし、また、そのようなものとして描かれたものでもあるが、現実的労働の限定を通して、概念的にはより狭くなっている。普遍化したためにレベルが高まっているのだ。
第三の結論において、第二の結論が持っていた諸特徴は一層明確になる。なによりもまず、その人間論的、実存論的先見性(ア・プリオリな確信)が前面に打ち出されてくる。「人間とは類的本質存在である……かれは現に存し生産している類として……自分に普遍的……自由な本質の存在として関係する(p117、p93)」から出発する第三の結論へと向かう論証は、まさしくヘーゲル哲学とフォイエルバッハ哲学の先見性の色を濃くひいている。類的本質存在とは何か、自己に個有な類とは何か、普遍的とはなにか、自由とは何か。これらの説明なしに出発したマルクスは、この解釈をすっかり先行する人間論的哲学の概念に負っている。彼の動物に対する解釈も、自然に対する判断も、あまりにも無造作である。この間の理解には哲学的直観を用いるしかないのである。そして早くも、第三の結論である。
すなわち、「疎外された労働は人間から、第一に自然を、ついで彼自身を、つまりかれに固有の活動的機能、かれの生活活動を疎外する。が、そのことによって類を疎外するのである。それはかれの類的生活を個人的生活の手段に転化してしまう。第一にそれは類的生活と個人的生活を疎外し、ついで第二にそれは個人的生活を抽象態のまま、おなじく疎外されて抽象的形式をとっている類的生活の目的にかえてしまう(p118、p95)」というわけだ。
類的本質存在から出発し〈労働の疎外〉を反定立として〈類的疎外〉を導くこの弁証法は、明らかにヘーゲル流の観念弁証法である。しかしながら、そのようにしか導かれようがなかった〈類的疎外〉の概念にこそ、マルクスのマルクスたる所以、マルクスが『手稿』を書かなければならなかった必然性があっのだというこを、われわれはどう考えるべきなのだろか。前にも書いとおり、われわれはマルクスを観念論者だということはできない。もちろん観念弁証法を武器とする唯物論者だということもできない。〈物件の疎外〉から〈労働の疎外〉そして〈類的疎外〉へとの〈疎外〉概念の止揚への努力は巨視的にみれば唯物的な弁証法なのだ。われわれはそれをマルクスの上向法と呼ぶことができる。
このようなマルクスの苦闘を十分に理解した上でもなお、われわれは彼が導こうとした〈類的疎外〉の概念を把握するために形而上的にならざるをえない。そのようにわが身を置くとき(マルクスもここでようやく身の置きどころを見つけたのだ)〈類的疎外〉は即〈人間疎外〉を導くことができる。いや、両者はまさしく同じ結論の両面なのだ。そしてこの両面を統括する現実、それが国民経済学が不動の前提にした〈私有財産〉、国民経済の基盤である〈私有財産〉の仮面を剥がされた醜悪な相貌そのものなのである。〈私有財産〉にからめとられた国民経済的現実の全否定という当初のマルクスの目的は〈類的疎外〉の概念提示によって達成される。それはひとえに個人的解放の道を断つことで、必然的に共産主義革命を導出するものとして、マルクスには位置づけられていた。この転換(受け手から攻め手への)はおそらく第二手稿の欠損している部分に示されているはずである。この第二手稿の謎については次章で触れることにして〈類的疎外〉についてもう少し考察を続けよう。
われわれは〈類的疎外〉の内容を前記の結論以降に続く部分に、より明瞭に読み取ることでができる。対象世界の手段化は、人間の類的生活たる労働の〈疎外〉によって類的になる。それによって世界は、手段の対象として類的に〈疎外〉され、類的労働の対象世界は人間の営みからも、肉体的営みからも奪い去られる。それは類的行為を個人的行為に、個人的行為を類的行為にすることで、類と個をともに奪い去ってしまうものとして現象する。個人的行為が必然的に類的行為だった人間の類的本質存在が、まさにその長所のゆえに〈自己疎外〉行為は〈類的疎外〉行為となり、個人的営為としては脱出不能な〈人間疎外〉を現出するのだ。〈類的疎外〉により自己を奪われた人間が、自己を回復せんとする行為が再び〈類的疎外〉を導かざるをえないという出口のない〈人間疎外〉状況は、まさしく実利的媒介項としての私有財産を通して、持てる者の〈類的本質存在〉奪取の原因であり結果なのである。
ここでマルクスは行き詰まる。では持てる者とは何なのか。資本の集積が〈疎外〉の結果であることは事実だとしても、その〈疎外〉を作り出したのは誰なのだ。マルクスはそれを既製の状態として疎外態を狙っている非労働者と断定することをためらわない。だが、その分析は放棄され、第一手稿は未完に終わっている。
恐らく『経済学哲学手稿』の第一手稿部分は国民経済的現実から出発することで、観念的、あるいは超越的哲学、すなわち形而上学の力を借りることなく〈類的疎外〉の一般状況を論証し、その止揚としての共産革命を必然的な、というより唯一の〈類的本質存在〉回復の道として浮かび上がらせるために〈階級対立〉とその中でプロレタリアートの置かれた歴史的立場を論じることにあったと思われる。当時のマルクスにとって〈階級対立〉もまた〈疎外〉の一現象なのであり、この点を語ることなく第二手稿、すなわち共産主義(社会主義)革命の提示が行えるわけはない。そこで問題になるのは第二手稿の欠損部分、元原稿のp40以前の欠損部分に何が書かれていたか、である。
第一手稿で中断されている〈階級対立〉の〈疎外〉における考察は、実はこの部分にあっのではないか、という推測を私は否定する。マルクスは〈疎外〉から〈階級対立〉→共産革命→〈類的本質存在〉の回復を導き出すことに失敗した。もし、ここで成功するようなら〈労働の疎外〉の結論を導く過程においてすでにその一部が語られていなければならない。それが超越論の混在を極力防ぐ欠くことのできない方法である。マルクスもそれを知っていたからこそ書こうとしていたはずなのだ。穿ち過ぎた見方かもしれないが、彼にはそれを簡潔にまとめることができず、筆の滞ることを恐れて後記することを示唆しただけで先に進んだものと思われる。そしてズルズルと筆を進め、第三の結論に至るころには『手稿』は文字通り哲学のテキストになってしまったのだ。
われわれはここで第四章の中間総括の部分に戻らなければならない。彼はその展望の中で、国民経済的現実の各項の間の「本質的関連を……概念的に把握しなければならない」と語り、すぐさまUとV二項の間の関連追及に入った。それでは、その他の項はどこに書かれているのだろうか。『手稿』を詳細に読めば、マルクスは極力この展望に忠実であろうとしたことがわかる。途中から始まっている第二手稿の残存部分はB−@、B−AおよびB−AとB−Bとの関連が考察されている。また第三手稿の第二分節の途中は@とその他の項との、そして第三分節はAとその他の項との関連が追及されている。そして、展望(第四段落)において総集的な位置付けがされている貨幣制度、すなわちβとその他αの項との関連が、まさにこの『手稿』の総まとめといった形で第四分節において展開されているのである。そこで気づくことは、第二手稿の欠損部に、唯一残されたTとWとの関連が来るのではないか、ということである。しかしながら、TUVWと@AとBとαとは性質を異にする。それは、そのような項を国民経済学からマルクスが導出したその仕方の違いでもあり、マルクスが抱いていた概念構造 内における位置づけの違いでもある。とすればBを扱った第二手稿にTとWが並存することはない、と考えるのが自然であろう。TとWは〈階級対立〉の概念確立の放棄の前で、第一手稿の中で消滅してしまったのだ。
では第二手稿の欠損部分には何が書かれていたのだろうか。単純に推定すれば残された組み合わせの一つすなわちB−@とB−Bの関連である。この推定は第三手稿の第一分節にマルクスがつけた注によってほぼ証明がつく。第一分節は「p36への付論」とされているが、そこには重農主義の労働の本質における解体が書かれている。同じく、第二分節の注から、われわれは第二手稿の構成を次のように整理できる。すなわちp36〜39がB−@とB−B、p39〜41がB−@とB−A、p41〜43がB−AとB−B。これは歴史過程とも符合しており、論理的にも合理的だ。すなわち、土地と労働との一体性の欺瞞と自由主革革命、資本と労働の対立と共産主義革命の胎動、資本と土地との一体化と階級分解によるプロレタリア革命の現実化、というわけである。
次に、第一手稿と第三手稿がp1から始まっていることで、第二手稿のp36以前の謎が残る。おそらく、第二手稿はp36から始められたとみるのが自然である。欠損した部分は大量ではなく、ちょうどフォリオ紙一枚分、四ページであるにすぎない。もし、第二手稿もp1から書き出されていれば、現存している一枚のフォリオ紙はp41から書き出されているはずである。ページ付けを三度も間違えなければ(第三手稿では二回やっているが)p40から始まることはないのだ。そうではなく、おそらくマルクスの間違いはp36で終わっている第一手稿のページづけに続けようとして、第二手稿の二枚のフォリオ紙をp36から始めてしまった点にある。第二手稿の三つの関連事項の割り振りの分量も、P36から始めようとしたと考えればちょうど適当である。
ここで再び第二章p12の論理展開に戻るとしよう。というのも、『手稿』におけるマルクスの論理的ピークをより明確に押さえるためである。A(現実や経験の批判)〜B(Aの総括から導かれた疎外)へと馳せ登った〈疎外〉の概念は、〈類的疎外〉の導出でピークに達する。そして、この地点に立って演繹すること、あるいは直感することでわれわれは、〈人間疎外〉から〈私有財産〉の本質、共産革命の必然性という認識に到達することができる。この間に特に弁証法は存在しない。もし、第二手稿が推定されるように共産主義革命を示唆するための稿であるとすれば、国民経済の受け手から攻め手への転換はまさしくこの部分で行われる。すなわち、経済学=哲学的ピークが第一手稿の最後部であるとすれば、政治的ピークは第二手稿に位置しているのだ。そこでわれわれは次のように考えることもできる。第一と第二手稿は国民経済的現実から馳せ登る行程という意味でマルクスにとって同一の章としてまとめ得る一つの手稿だっのだ、と。その意味で、われわれは第二手稿がp36から始まっていることを不自然とみなすことはできない。むしろ、第一手稿のp27〜36の余白こそ、単に余白 と見るのではなくTとWの考察によってうめるために、あらかじめ確保しておいた空間と見るべきなのである。
してみると次のようなことが言える。つまり〈疎外〉の概念と〈革命〉への展望を武器に、再び現実に舞い戻り生産関係と経済一般の枠を超えてあらゆる現実の批判を展開するDは、その前提たる概念把握の観念性、すなわち唯物弁証法による展開の行き詰まりによって、文字通りの観念哲学になっている、と。もちろん、Dで展開された現実批判の素晴らしさはヘーゲルの法哲学の比ではない。にもかかわらず、AからBへの展開が十分でないとき、BからDへの展開は思弁的たらざるを得ない。〈疎外〉も〈革命〉も〈類的本質存在〉もマルクス自身の観念の中でのユートピアへの政治的プログラムであったとしても、真に現実から出発したもとはいえなのである。
たとえば「がっちりとできあがった大地に足をふまえ、あらゆる自然の力を呼吸している肉体をそなえた人間(P245p205)も、マルクスの人間に対する希望としか言いようがない。マルクスの概念たる〈類的疎外〉はこのような大地と自然と肉体を奪いとっているし、人間すらも奪われている。とすれば、存在しないものをどうやってマルクスは想定しえたのか。この疑問に答えるためにはDを適当に刻んで組み合わせてもだめである。形而上学的直観による論証を否定するなら、マルクス同様にAからBの行程の中で、〈疎外〉と〈類的本質存在〉を飛躍なく導きださねばならないのである。ところが、現実のすべてにかけられた概念である〈疎外〉は、同時に現実を批判する唯一の価値軸として立てられていた。このとき、肯定されるべき価値〈類的本質存在〉は現実の外に立てられなければならぬ運命にある。
マルクスは『手稿』において政治的な関心から現実の全否定を導きだす必要を感じていた。が、その哲学的関心から、経済からの出発を余儀なくされ、しかも彼自身の持つ実存的な観念の前で、それが哲学化してしまうことで苦悩するという矛盾を抱えこむ。政治的な関心は、なんとか『手稿』を目的にまで引き連れるが、そこで描かれた哲学は、彼の哲学的方法論と対立し、ついに矛盾が極点に達するBの最後では、展開が放棄され『手稿』自体が未完に終わる。これが『手稿』の実相である。
経済からの出発は、彼に全く新しい武器を、すなわち、現実を構造化し、弁証法により現象学化する手段を与えたが、まさにこの発想の契機を与えたものが労働や生産そのものではなく貨幣であったことは致命的であった。貨幣嫌悪こそ『ユダヤ人問題』から『手稿』に至るマルクスの中心課題であったことは明らである。そのことは貨幣が『手稿』においても中心的役割を与えられていることで示すことができる。が、何よりも、彼の〈疎外〉概念の獲得も、貨幣の考察によったのだということが『ミル評注』において確認されるのである。
貨幣から〈疎外〉へと展開するマルクスの認識が意味するものはいったい何なのだろうか。われわれは即座に貨幣とは価値の外化であことに気づく。当時のフランス社会学、イギリス経済学の用語によれば、〈疎外〉とはまさしく譲渡意味する経済学的な概念であった。ヘーゲルはこれを哲学的に概念化し、それに独自の意味を与えたが、それがそもそも経済学的な事実の上に成立した概念であったということをマルクスが知らないはずはない。してみると哲学者マルクスが『手稿』を書くに当たって本格的に経済学を導入した動機もその辺りにあった、と考えてもおかしくはない。つまりヘーゲルの『精神現象学』に人間の危機を見たマルクスは、精神の発展の中軸を占める哲学的〈疎外〉の概念が、それ自体、現実の経済関係の〈疎外〉の抽象化されたものにほかならないこと。これを売買のような経済関係の個々的な場面から拾いあげ、一般化(抽象化)することを通して、それを否定的に概念化することで人間の危機を救わなければ、というわけである。このとき一般化の過程で、つまり個々的な売買を貫く共通項 を抽出する過程で、マルクスにバックボーンを与えたものこそ外化が見えやすい、ある意味では極めて単純な発想を内在した貨幣であった。
ところが、貨幣は確かに外化であるが、そうであればこそ、これを探求したところで何らかの価値がうち立てうるわけではない。真の価値は正しく労働のうちにあるのである。とすれば労働が〈疎外〉されている社会にあって、価値はいったいどこにあるのか。〈疎外〉された労働にか、それとも〈疎外〉そのものにか。われわれはここで行き詰まる。労働は〈疎外〉された価値を生んでいる。とすれば労働は、おそらくそのどこかで〈疎外〉されていない価値をも生んでいる。われわれはこのような背理法的な類推に頼るほかないのだろうか。それとも現実には存在しないが、これこれのような労働にこそ真の価値がある、と宣言し、それに当てはまらぬ現実を否定する観念的直観にすがればよいのだろうか。
マルクスは確かに〈疎外〉された労働の中から真の価値の源泉であるだろうと推定される概念、すなわち〈対象化〉を引き出した。ところが、それがどのように〈類的本質存在〉に、一般概念に高められていくのかを真に明らかにしたとはいえない。それどころか、個々的なものから一般的なものへと高められていくマルクス的上向法を忠実になぞろうとした〈疎外〉概念の定立とは対照的に、〈対象化〉は〈疎外〉にあくまでも付随的な、それでいて、それがなければ〈疎外〉も否定概念としては一歩も立ち行けないような先見的概念(もちろん付随的部分ついては疎外とともに上向法に従っているが)として両義的に現われる。より具体的に語れば、〈対象化〉された労働、すなわち生産物は、対象を自己のものにするという、人間の〈類的本質存在〉を具現する活動であればこそ、自己に対立したり、他者のものになってはならない、というヒューマニズムに裏打ちされた願望、先見性が当初から前提とされている。つまり、マルクスの個別的なものから一般的なものへの論理展開も、実は〈類的本質存在〉という一般的肯定概念を暗黙の前提として受け入れいていたのである。ここに彼が実存的な形而 上学者だといえる一つの根拠が存在する。しかし、そうした先見性の対立概念として〈疎外〉が立てられている限り、しかもそれを完璧な上向法によって、すなわち唯物弁証法によって明らかにしようと意思する限り、それは挫折するほかはない。〈疎外〉という対象は、マルクスにとって〈類的本質存在〉同様、個別的なものの一般化という過程を踏んで獲得された概念ではなく、ヘーゲル哲学から採り入れられた先見的な概念なのである。これをストレートに表現すれば、観念よって概念化されたヘーゲルの用語は、当初から唯物弁証法の対象としては不向なのである(それは国経済学の用語にも言えることである)。それは当初から経済学用語ではなく、〈哲学〉用語であったのだ。
以上のことを『手稿』の展開に即していえば、〈疎外〉概念は当初からB〜Dを語るための用語であった。すなわち、出発はBとCそのものの宣言のうちにある。〈類的疎外〉の世界を〈類的本質存在〉の世界に〈革命〉せよ、という、マルクスの先見的意思、すなわち観念(哲学的あるいは政治的な思想)である。したがって、B〜Dに至るマルクスの〈哲学〉は、現実へと舞い降りる神託として存在する。ところが、A〜Cに至る展開においてもこの神託は決して死んではいなかった。それどころか、現実からの出発を念じていたマルクスの試みも、その実、現実へと舞い降りることによって獲得された認識によって打ち立てられた虚構からの出発だったのである。それゆえ、現実から馳せ登る作業であるA〜Cの展開も、唯物弁証法を貫こうとする限り、その頂上としてのBC、すなわち神託にまで到達できなかったのである。限界は、対象そのものが神託でしかなかったことの内にある。神託に到達できる弁証法は観念弁証法をおいてほかにない。真の唯物弁証法が到達するものはおそらく神託ではなくて、トータ ルな〈現実〉である。私は『手稿』におけるマルクスを観念的たらざるをえない存在者である弁証法的唯物論者と規定する。
後期マルクスに即してこれを見るなら、私は『手稿』と『ドイツ・イデオロギー』(以下「ド・イデ」)の連続論、断絶論のどちらにも組みしない。むしろ『手稿』における限界をマルクスが承知していたという点、真に弁証法的唯物論者であろうと欲したからこそ壁に突き当たった、という点を考えれば、われわれは『ド・イデ』の作業はまた『手稿』の作業でもあったということができる。また、『手稿』に現われたマルクスの先見性はマルクス自身の理論的出発であったことは確かで、そのような観念的存在者たらざるをえなかった一個の人間存在が、その後一気に清算されたとは考えられず、やはり同様のヒューマニズム的な見地を語らずとも、持続していたと考える方が自然である。言い換えれば、青年マルクスの、人間が置かれた不幸な状態への怒りと、本来的人間への信頼、革命による人間解放への願い、という激しい情熱こそが『手稿』を導き、また、その後の作業をも導いたことは確かであろう。そこに本質 的な断絶はない。
それでは断切とはなんだろうか。われわれは『手稿』の限界の中からそれを探さなければならない。われわれは先に『手稿』の限界が対象と方法の矛盾にあることを見てきた。と同時に、その矛盾を背負い込まねばならない地平にマルクスの関心が位置していたことも明らかである。とすれば、その限界の直接的原因をマルクスはどこに見て取ったのだろうか。対象なのか、方法なのか、それとも関心そのものなのか。われわれはそのうちどれか一つを排除すれば論理が整合化することを知っている。もしもマルクスが革命への関心を捨て、単なる出口なきペシミズムとして〈疎外〉の事実を受け入れ、指摘するにとどめるなら、A〜Bに至る弁証法は〈類的本質存在〉という対立概念を導入することなく、運命論的な結論を導き得たであろう。また、唯物弁証法という方法を放棄し、論証し得ない部分を歴史の限界として甘受し、構造主義−唯物弁証法−実存主義の図式総体を歴史の中で次第に止揚していく、という立場を選べば、先見性の導入もやむなきもの、として受け入れることができただろう。この後者の場合が『手稿』の結果的な方法であったのである。しかし後者の方法がマルクスにとって不本 意だったことは自明である。もしも、これを受け入れるなら、彼は『手稿』の完成のために、残された空白を埋めるだけでよかった。前者の方法はいうまでもなく、非政治的である。これがとられなかったのは彼が、過去も政治的であったし、『手稿』執筆時も政治的であったし、その後もそうであったことをみれば、明らかである。『手稿』は経済と哲学と政治のノートなのである。
結論を言えば、マルクスは『手稿』の限界を対象にみてとったのだ。『疎外』とは、はじめから「あらぬ世界」から「ある世界=現実」を見ることによって生まれた概念なのだ。それは現実を生きる人間の、現実からの出発を背景にしたものではない。現実のすべてを包括する概念を、もし否定的に、あるいは肯定的に説明しようと試みれば、その対立概念は現実の外に立てなければならない。そして、それを認識し得るものは現実を超越した人間=絶対者=神でなければならない。さらに、彼の声は現実を生きる人間にとって啓示的であり神託的ある。それは内容こそ違え、ヘーゲル的神=絶対知(絶対精神)の様相を、呈せざるを得ない。
われわれは『手稿』におけるマルクスのもう一つの重大な関心を忘れてはならない。それは言うまでもなく、ドイツ哲学界に君臨するヘーゲル批判である。マルクスはヘーゲル左派を、ヘーゲルの思弁哲学批判によって離脱し、自己確立を遂げた。ヘーゲル批判を重要な目的とする『手稿』において、マルクスはその中軸的概念〈疎外〉を借用、その結果、逆にしっぺ返しを受けてしまった。この事実に屈服して、マルクスは再びヘーゲルに帰ることができただろうか。おそらくそれは自己否定にも似ている。マルクスが選んだ道、それはむしろ徹底的にヘーゲルを否定しきる道だった。
ここ至ってわれわれはようやく『ド・イデ』を語ることが許される。『ド・イデ』における哲学の清算とは何か。〈疎外〉論から物象化論への転換とは何か。それは『手稿』に則して言うなら、B〜Dの放棄なのである。したがって現実からの出発はまた〈疎外〉へと到達しない。物象化とは〈疎外〉の同義語でもなければ単なる下位概念でもない。そうではなくて、おなじ対象を「ある世界=現実」から、つまり現に生きる人間から見た概念なのである。したがってそれは絶対的価値判断の基準を持たない。言ってみれば否定の対象であるよりも指摘されうる事実なのである。その否定性が見えてくるのは人間自身の現実における認識の発展(実践)においてよりほかにない。
マルクスのこの転換、『ド・イデ』における断絶は、実は彼の関心の図式をも変えることになる。すなわち論理のピークである〈疎外〉、〔疎外された労働〕の後半の限界は、ピークの放棄につながる。絶対を認識すること(究極の認識)が人間の使命ではなくなるのだ。現実から出発してどこまでA〜Cを打ち立て得るか。その歩み(現実過程)、それが彼の中心的な関心事となる。そのとき、ヘーゲル哲学の用語ともども、国民経済学の用語もまた、〈事実〉を隠蔽する事実(現実)として放棄される。そして新たな用語、「物象化」を考察の軸
にすること。ここにマルクス経済学の誕生が約束された。そして、その最大の成果が『資本論』なのである。
『手稿』Topへ
BUM’sBookへ