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Bum'sBooksは佐藤文明のBOOKガイドです。このページでは、私の著作に関するご案内と、周辺関連情報を掲載いたします。
ご購読いただいております著作の改定情報も、できるだけこまめにフォローアップしてまいるつもりですので、気がむいた折に、覗いてみてください。



近著「お世継ぎ問題読本」の紹介文です


改定情報

該当する書籍をクリックしてください。なにも情報がない場合は工事中のマークが表示されています。

在日「外国人」読本〔増補版〕
「日の丸」「君が代」「元号」考
個人情報を守るために
あなたの「町内会」総点検
六大学野球
新選組
未完の「多摩共和国」
お世継ぎ問題読本
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BUM's新作情報

人権に関わる戸籍事件が相次いでいます。そこで、『戸籍がつくる差別』『戸籍が見張る暮らし』に続く第三弾(現代書館戸籍三部作の最後)として『戸籍が脅かす人権』を準備しています。その進み具合にもよりますが、うまくいけば、ぼくの70年代、リブと出会った男の話をまとめてみようかと思っています。

BUM'sプロフィール

佐藤文明の略歴

さとう・ぶんめい(Sato Bummei)

フリーランス・ライター、戸籍研究者
このほか他称された肩書きを挙げると、ルポ・ライター、ジャーナリスト、評論家、アナリスト、批評家、作家など。

1948年、東京・日野に生まれる。両親は小西六(現コニカ)の労組員(父は日野工場、母は淀橋工場)
いわゆる職場結婚だが、自主管理闘争中のできごとで、組合結婚といった方がいい。
私の名は組合員の応募によった(ちなみに、日本で初めて有給の生理休暇を勝ち取ったのは小西六で、提案は婦人委員であった私の母であるーアイデアは母の姉だそうである)。

1952年、八王子に転居。八王子第7小学校、八王子第7中学校、都立立川高校、法政大学社会学部に進む

1956年、小学校2年のときから、マンドリンを教えていた父について、八王子の婦人補導院を音楽慰問。
院長はキャリヤ女性刑務官の草分け・三田つね子(著書に『青衣の下の性』)で、院長、院生(収監者)から強い刺激を受けた。この慰問は高校2年まで続く

1969年から三年間、自治体に勤務(東京都新宿区・戸籍係)
美濃部都政の1期生で、東京都知事部局総務部総務課総務係に配属されたが、権力中枢に収まることの恐ろしさを感じていたため、あえて抵抗し、新宿への異例の(就職前に配置転換となった―名目上は4月1日だけ都庁勤務)配置換えを勝ち取ったのである。これが私を、戸籍と出会わせた。

1972年から現職(フリーランス・ライター、戸籍研究者)に
まったく偶然のことながら、70年から初台(京王線新宿の隣接駅)に住んでいた私のアパートの周辺に、リブの女たちが集まり、やがて、リブ新宿センターが開設された。

1975年、連れあいの出産を契機に(私の娘・花知は、この年の4月17日に生まれた)婚外子差別に抗議し、渋谷区を相手に行政訴訟を始める
婚外子差別を告発する、最初のティーチインをその年の五月、新宿リブ・センターで開いた。生後1ヶ月にもならない娘を連れ、結婚制度が持つ矛盾を、厳しく論議しあった。

同   年、あのね保育園の結成に保父として加わる
この間、男の性を考える会、男井戸端会議などに参加

1977年、リブ合宿に講師として招かれる
会場は名古屋の郊外。ただ一人の男性として参加し、合宿した。私の男制(姓)が暴かれるよりも前に、庇おうとしてくれる女たちがいた。ホッとしたが、複雑な思いであった

1979年、<私生子>差別をなくす会を結成
母体はこの2年前に結成された男の子育てを考える会である

1982年、韓さんの指紋押捺拒否を支える会を結成
入管問題研究会、戸籍住基労働者交流会などの支援を取り付ける。

1993年、定住外国人からの指紋採取廃止を勝ち取り(2000・4・1からは指紋制度そのものが終焉)、94年には婚外子の差別を国際人権規約違反だとする国連の提言が出され、96年、婚外子の相続差別を廃止する民法改正案を法務省(法制審議会)が提出。勝利目前の攻防が続いている

1999年、番号管理・情報監視はいやだ!市民行動を結成
同 年 8月、自自公により住基法改悪法案(総背番号制)成立。主体的に取り組んだ運動の中で、初の敗北を記すことになるのかもしれないが、なお、新法の施行を阻止する活動を続けている

2000年9月、国立・かけこみ亭にて「大多摩歴史講談」を開催。
中学以来続けている多摩史研究の一端を披露。研究者としての歩みを始める。なお、佐藤は日野の上佐藤の末裔で、戦国時代後期以来の多摩の人

2001年12月、マスコミを規制し、国家の情報監視を強化する「個人情報保護法案」に反対し、わたしたちが国家・企業を監視する個人情報保護法の制定を求める「個人情報保護法拒否!共同アピールの会」に参加

2002年4月、交詢社出版局『日本紳士録』(第77版)に登載される。

2005年4月、東京スクール・オブ・ビジネスの非常勤講師(マスコミ広報学科・マスコミ関係法)就任

この間、グループ社会派に加わり、冤罪事件や管理教育などの社会問題を中心に執筆活動を行うとともに、戸籍制度、外国人登録制度などを研究。女性や子ども、外国人の権利を巡る運動に参加。多くの著書を発表している

また、冤罪として支援した『土田・日赤・ピース缶事件』『皇居ロケット弾事件』など、かかわった事件にはすべて勝利し、無罪判決を勝ち取っている

* * * * * * * * * * * * *

代表作はロングセラーとなっている

FORBIGINNERSシリーズ『戸籍』(1981年・現代書館)

最新作は『六大学野球』(現代書館 2003・05・03)『新選組』(現代書館 2003・12・25)

編著としては
『人差し指の自由』
1984年・社会評論社)『指紋拒否者が裁いたニッポン』(1990年・社会評論社)



佐藤文明著作リスト

戸籍 現代書館 1981・10・26

在日『外国人』読本 緑風出版 1993・06・30

在日『外国人』読本(増補版) 緑風出版 1996・12・27

戸籍がつくる差別 現代書館 1984・06・10

戸籍がつくる差別(新装版) 現代書館 1995・04・10

あなたの『町内会』総点検 緑風出版 1994・08・05

あなたの『町内会』総点検(増補改訂版)緑風出版 2003・03・31

「日の丸」「君が代」「元号」考 緑風出版 1997・12・10

<くに>を超えた人びと 社会評論社 1997・10・20

戸籍うらがえ史考 明石書店 1988・05・30

ボクの名前はボクのもの 明石書店 1990・05・31

訣婚パスポート 現代書館 1987・09・15

戸籍が見張る暮らし 現代書館 1991・03・25

個人情報を守るために 緑風出版 2001・07・25

戸籍って何だ 緑風出版 2002・08・10

六大学野球 現代書館 2003・05・03

新選組 現代書館 2003・12・25

未完の「多摩共和国」 凱風社 2005・09・07

お世継ぎ問題読本 緑風出版 2007・03・30

佐藤文明共著リスト

ひとさし指の自由 同編集委員会 社会評論社 1984・03・31

指紋拒否者が裁いたニッポン 韓さんの指紋押捺拒否を支える会 社会評論社 1990・07・15

戸籍解体講座 戸籍と天皇制研究会 社会評論社 1996・09・30

住民自治で未来をひらく 住民自治の拡大を目指すネットワーク 緑風出版 1995・07・05

『母性』を解読する グループ「母性」解読講座 有斐閣 1991・06・30

気にいらぬ奴は逮捕しろ! 社会評論社編集部 社会評論社 1990・12・31

冤罪の研究 グループ社会派 現代ジャーナリズム出版会 1979・05・10

東京闇市興亡史 東京焼け跡ヤミ市を記録する会 草風社 1978・08・15

現代子育て考 そのW 男の子育てを考える会 現代書館 1978・11・10

フェミニズムはだれのもの? 松井やより若桑みどりほか 増進会出版社 1996・11・01

東京闇市興亡史(復刻版) 東京焼け跡ヤミ市を記録する会 双葉社 1999・10・05

ストップ!個人情報ホゴ法 個人データ保護と表現の自由を守る会 現代人文社 2001・10・10

監視社会とプライバシー 小倉利丸編 インパクト出版会 2001・10・15

IT革命の虚構 緑風出版編集部 緑風出版 2002・01・15

私を番号で呼ばないで やぶれっ!住民基本台帳ネットワークシステム編 社会評論社 2002・07・31
トランスジェンダリズム宣言 米沢泉美編著 社会批評社 2003・05・03

同性パートナー 赤杉康伸・土屋ゆき・筒井真樹子編著 社会批評社 2004・07・05

雅子の反乱 桜井大子編 社会評論社 2004.11.23


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出版社リンク
現代書館
緑風出版
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その他リンク
青木栄瞳・詩評
    前衛詩人「あおきえいめ」は私の中学以来の友人。私が寄せた彼女の詩評を掲載しているウェブページにジャンプします。
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在日「外国人」読本(増補版)

第4版が2000・06・30に発行されました。
版を重ねることができ、読者のみなさまには心より感謝申し上げます。
今回、第3版の主な改訂部分は2000・04・01から施行された
新外国人登録法に対応する部分、そして、
石原都知事の「三国人」発言に対する批判コラムの追補です。

第5版が2002・03・27に発行されました。4版と同じもので、
訂正個所等はありません。奥付のURLの誤りもそのままで訂正されていません。
ご迷惑をおかけしています。
5版以後の改定情報についても、このページで紹介していきますので、
ご利用ください。

在日外国人に地方参政権を与える動きを阻止するため、与党反動グループが帰化特別法を国会に上程しています。届出だけで帰化を認めようというものですが、「帰化できるのだから・・・・・・」という理屈で、在日韓国朝鮮人に与えられてきた特別在留の一掃をし、日本人への完全同化を狙うものです。
在日韓国朝鮮人のためのアイデンティティー誌『新亜』にエッセーを連載しました。その全文(全9回)をここに掲載しています。バックボタンを設定していませんので、このページに戻るときはブラウザのバックボタンを押してください。

従来、記載されることのなかった在日外国人について、日本人と混住する世帯の住民票に限って見直す動きが出ています。注目していきましょう。


「日の丸」「君が代」「元号」考

「国旗・国歌法」が成立したため、2000年11月から、
以下の文章をはさみこんで、経緯を説明しています。
******************************

「国旗・国歌法案」

「日の丸・君が代」を国旗、国歌とするいわゆる「国旗・国歌法案」は1999年8月9日、第145国会で可決成立しました。この法案は同年3月、広島の県立瀬羅高校校長が卒業式典での「日の丸」掲揚を強要する県教委の命令を拒みきれずに自殺したことからにわかに浮上してきたものですが、「慎重で幅広い論議を要する問題」であることから145国会での上程は見送られた経緯がありました。145国会では、日米安保条約を日本の防衛から日本周辺の防衛へと拡大する「ガイドライン関連法案」を筆頭に、戦後の日本の方向を大きく変える重要対決法案を多く抱える国会だったので、「国旗・国歌法案」を審議している余裕はない、という点では国旗・国歌推進派の多くも同意見だったのです。
 ところが最大の対決法案であると予想されていた「ガイドライン関連法」が公明党の協力であっさり成立してしまうと、もめにもめ、会期末で廃案の恐れがでてきた「(盗聴法を含む)組織的犯罪対策3法案」「(国民総背番号制を準備する)住基法改正案」を自自公3党体制によって成立させ、両法案に反対する民主党の結束にクサビを打ち込む(民主党内部には国旗・国歌法案に賛成の議員も少なくなかった)ために「国旗・国歌法案」が再び浮上。会期大幅延長の説得材料として上程されてしまいました。その結果、57日間という戦後最長となる会期延長が認められ、そのドサクサの中で成立したのです(組対法3法、住基法も会期の最終日8月12日に大混乱の中、成立しています)。
 この成立経緯を見れば明らかなことですが、国のシンボルを決めるという、推進派にとってもある種神聖な行為(したがって、彼らはかつて「国民の心からの支持が大切」、「法制化は無用」とさえいっていた)であるべきものが「広い論議」や「慎重な審議」もなく、まるで火事場泥棒のようにごたごたに紛れ、他の法案の取引材料として決められていったということ、これはどう考えてみてもお粗末のきわみです。また、自らの命を絶った校長の死を利用した、という点は、死者に対する冒涜にほかなりません。このようなやり方で決められた国旗・国歌をいったいだれが「心から支持」するというのでしょうか。
 同法は「日の丸を国旗とする」「君が代を国歌とする」というだけで、なぜそれらが国旗であり国歌であるのかを定めていないばかりではなく、日の丸とは、君が代とは何を指しているのかさえも定めていません。そのためシドニーオリンピックでも大きな赤丸、小さな赤丸が入り混じって、不格好に揺れていたし、赤はみんなオリンピック統一色に近い金赤で、日本古来の太陽の色である茜ではありませんでした。強引に成立させるため、シンプルな法文にせざるを得なかったのです。したがって本書が提起した問題はすべてが積み残されてしまいました。
 また、なにがなんでも成立させるために取り扱い規定や罰則を設けず、「強制はしない」と約束しています。実際、強制を伴う法案であったら成立してはいなかったはずです。ところが政府は法律が成立すると掌を返したように態度を一変させ、各省の記者会見の席上に「日の丸」を持ち込み、マスコミ各社に運用権のある記者クラブにまで「日の丸」掲揚を迫ったのです。さすが、これにはマスコミも抵抗しましたが、あっという間に既成事実化されてしまいました。マスコミが強制に屈服した。このことは重要な出来事です。マスコミが反撃できない、ということはすでにこの国が民主主義社会から全体主義社会(ファシズム)へと再突入したことを意味するからです。
 社会のこうした全体主義への傾斜はまず個の抑圧として、とりわけ子どもへの抑圧として学校現場に集中的に現れるものです。世界はすでに個の確立を前提とした国際社会を形成(民主主義もそのひとつ)しており、そこで活動する大人たちはすでにそれなりの個を形成してしまっているからです。「そうなる前に抑圧したい」、これが全体主義を標榜する人たちの発想であり、その常套手段であるからです。つまり「日の丸・君が代」の法制化とは学校現場での強制を意味するものであり、それを実現するために彼らが行動するのは自明のことだったといえるでしょう。これを防ぐには教育における「強制の禁止」が社会的に共有されなければならないのです。
 これはもう「日の丸・君が代」問題を越えています。「日の丸・君が代」問題は個の確立を脅威と考える全体主義の側が仕掛けた戦後民主主義への挑戦です。これに対して、戦後民主主義といわれるものも有効な反撃体制を組んできてはいませんでした。そのもろさが露呈してきた。その表れが第145国会での敗北であると思うのです。そのため、法案成立後の学校現場は厳しい状況に立たされてしまいました。2000年の卒業式、入学式では「日の丸・君が代」の強制が飛躍的に強化され、強制に反対する勢力に対しては右翼がこぞって街宣車攻撃を仕掛けました。東京都国立市はその矢面に立たされることになったのです。
 しかしそれでも、全体主義に屈しない人たちの運動は続いています。それはもう「日の丸・君が代」は「国旗・国歌ではないのだから」「法制化されてはいないのだから」というロジックを掲げた運動ではありません。「法制化されようがされまいが」「国旗・国歌とは認められないのだから」強制は許さない。あるいは「教育において、個の尊厳を無視した」いかなる強制をも許さない、という個や民主主義の根源を問う運動になっているといってよいでしょう。そして、いま、学校で、社会でこうした運動こそが必要とされているのです。個の確立は子どもたちばかりではなく大人たちにも必要とされているからです。戦後民主主義はこうした運動を通して成熟していくことでしょう。
 本書をお読みになっていただいた読者は、本書がこのような主張を根底にしていることに気づかれるはずです。本書は「日の丸・君が代」の法制化とは無縁な構成になっています。「法制化されようがされまいが」そのことで左右されるような主張はどこにもありません。そうであればこそ、法制化されてしまった今日、いっそう意義の大きい大切な内容と重要な主張を持っています。本書が、すでに法制化されてしまっている「元号」を扱い、それに負けない運動を提示していることでもそのことはご理解いただけると思います。
「国旗・国歌」が法制化されてしまい、それでも屈服できない人たちに、重要な法案が論議のないまま成立してしまったことに首をかしげる人たちに、今こそ読んでいただきたい。本書はそのような本であると信じます。「日の丸・君が代」の成立過程や「国旗・国歌」の意味など、政府(や学校)が避ける大切な話を、子どもたちにも伝えてあげてくださるよう、こころから、お願い申し上げます。  
国立で吹き荒れる処分の嵐
国旗国歌法の成立を受け、その強制に反対する東京都国立市の先生が17人も処分されています。2000年の3月4月は、産経新聞のキャンペーンと同時に、右翼の国立攻撃がすさまじく、市教委もこれに煽られ、大量の不当処分につながったのです。戒告処分となった8人は今、全員が人事委員会に不服申し立て中。応援してください。



「六大学野球」初版に誤りがあるため、「正誤表」をはさみました。それ以前のみなさまには、大変もうしわけありませんが、以下の部分を訂正してご利用くださいませ。

ページ 誤 正
p40 誤「会場はもちろん新設なったばかりの甲子園球場でした。」正「 ただし、甲子園球場の開設は1924年。それまでは豊中球場がメイン会場でした。」
p80誤「 近鉄バッファローズ」正「 阪急ブレーブス」
p81誤「 77年には」正「 77年の明治神宮大会では」
p83誤「 五明監督の後を受け、法大監督に就任した山中監督」正「 山中正竹(→法大監督→横浜ベイスターズ顧問) 」p83誤「監督の思い」正「 監督(五明公男)の思い」
p123誤「 稲場篤紀」正「 稲葉篤紀」
p127誤「 東都大学連盟」正「 首都大学連盟」



『お世継ぎ問題読本』の自己紹介

靖国・天皇制問題情報センター(59号)で『お世継ぎ問題読本』自己紹介文を書かせてもらいました(2007年5月末号)。いわば自分自身のコマーシャルです。以下、その全文です

 

 当方がリブ運動と深くコミットしてきたことを知る人はそれほど多くはないだろう。リブ新宿センターの近所に住んでいたぼくは、田中美津さんたちの運動を蔭ながら支えていくことになる。とりわけ、家族を超えた子育て、リブ・コレクティブ(生活共同体)の運動に強く惹かれた。僕自身が戦後の労働運動の社会主義的な共同性のなかで、家族を超えた育ちを体験しているからである。

 そのぼくが職務として戸籍制度に出会ったわけだが、この「血統」を最優先する家族システム(家制度)を、すんなり受け入れることができなかったことは当然のことだろう。このリブの発想と戸籍の問題点を追求していけば、両者はやがてクロスする。それが女性天皇制問題である。ぼくはリブと出会った三五年前から、そのことを予感していた。いつかこのテーマと取り組む必要があるのだ。

 もちろん、今回この本を書くに当たっては、男子誕生が危うく、皇統断絶の恐れが強くなり、にわかに皇室典範改正論が巷をにぎわしたことが動機となった。が、ご存知のように秋篠宮家に男子が誕生して、ひとまず典範改正論議は沈静した。ひとまず、というのはこれでは解決しないからである。天皇家には多少の余裕が生まれたかもしれないが、天皇家同様に男子のない宮家が絶滅してしまうからである。女性天皇容認に反対した天皇制護持の民族派はいま、新たな皇室典範改正を求める流れ(これを「真の改正」と称している)を作り出そうとしている。

 

 そこで、本書はやがてくる典範改正論議に厚みのある論点を提供する、という時事問題対応的な(お世継ぎ問題)、あるいは価値中立的な(読本)というタイトルになっている。しかし、筆者が意図しているのは時事問題にとどまるものではなく、歴史を越えて日本の伝統を見直す、という視点に立っている。したがって本書は、日本の建国以前から説き起こされている日本通史にもなっている。

 また、女性天皇容認=典範改正VS女性天皇否認=改正反対に集約されてしまった感のある、今回の改正論議を超え、どちらの説にももっともな言い分はあるが、矛盾点も多い。それを指摘することを通して、天皇の存在そのものが論理矛盾の原点なのだ、ということを示すことによって、天皇制そのものを廃絶する必要性を説いている。すなわち、論議に中立なのではなく、対立を超え、天皇制そのものを撃つ視点に立っている。

 本書のこのような視点は、従来(既存)の論理から導き出されたものではない。戸籍=家制度の成立過程と、その中で異様に強調された婚姻儀礼、貶められた婚外子(私生子)。この現象を足場に、この国の歴史と伝統を再点検しようとする作業、この視点は、これまでだれも打ち出したことのない視点である。この、観念的でも神秘的でもない、生活に根ざした具体的な現象から、天皇性を批判しきる。これがこの本の、類書にない特徴であるといっていい。

 

 それにしても、この本を書くにあたって、というより、具体的な生活からこの国を再点検する作業をする中で、つくづく感じさせられるのは、この国がいかに、でっち上げられた虚像に振り回されていることか、という点である。『古事記』『日本書紀』の記紀神話に見る歴史の捏造はいうまでもないことだが、だれも記紀神話の呪縛から逃れられていない。

日本は古来からの父系社会である、という観念もそれである。

 だから、母系説を展開した高群逸枝は学会から完全に無視された。その風潮は今でもあり、冷静な議論は女性研究者の間からも起こってこない。日本学士院や日本学術会議を頂点に、この国のアカデミズムそのものが天皇制に支配されている以上、それは当然のことかもしれない、そう考えるべきなのだろうか。

 いや、そうとばかりは言えない。学会における地位や名誉と何の関係もない人たちが婚外子差別を疑わない。こどもを「長男」「二男」と呼んではばからない。でも家督相続が廃止された今日、こんな呼称が意味を持つのはお世継ぎを必要とする天皇家だけ(女子がお世継ぎになることがない現在、典範では「皇長子」「皇次子」と呼ばれている)なのだ。庶民のこの意識が天皇制を支えているのか、天皇制が人びとの生活上の差別意識を支えているのか。問題の根はここにある。

 

 そうこうしているうち、天皇崇敬民族派のなかに、こんな主張が登場し始めている。「女性天皇を認めると、家庭の秩序が混乱をきたす」「弟よりも姉さんが、家を仕切ったり、長男が姉に親の世話を押しつけたり・・・」「これでは先祖の供養でさえ危なくなる」いつの間に、こんなことがまともに主張される世の中になってしまったのか。もちろん本書ではこうした宗教観の問題や、家族間の問題にも切り込んでいる。

 アメリカを除く戦勝国は、戦後「残せば再び戦争を始める危険性がある」として、天皇制の存続に反対した。筆者もまた「残せば再び家父長制=家制度に引き戻す可能性が高い」と考える。事実、自民党の改憲案は、憲法九条ばかりではなく、婚姻における両性の平等を定めた憲法二四条を主要なターゲットにしている。両者は切っても切れない関係にあるのだ。

 本書はこのように大きな視点から、制度の廃止を主張している。したがって、女性天皇のほうが現状よりも少しはましだとは考えない。日本の女性が表面的な平等ではなく本質的な平等を手にするためにも、天皇制は廃止されるべきである。象徴家制度(筆者は戸籍制度に依拠した現状の日本を、そう考えている)の下では、本質的な平等が実現されることはない。



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