あなたの「町内会」総点検


おかげさまで、類書がないことから評判を挙げている本書が2003年3月、改訂されました。
改訂版の主な改訂部分は、2章の追加と、脚注、コラムの大幅拡充です。

以下、追加された二つの章と、脚注に出てくるアレフ(元オウム真理教)と世田谷区との裁判で、
筆者が裁判所に提出した意見書を掲載しておきます。

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関西淡路大震災

  大きな揺れと揺れ戻し
 一九九五年一月一七日未明、兵庫県南部をマグニチュード七・二の直下型地震が襲いました。人口密集地を走った激震は死者五千数百人、負傷者三万数千人、倒壊家屋十数万、被災避難者三十数万人にものぼる被害を及ぼし、地震列島に暮らす人々に大きな衝撃を与えることになったのです。
 わたしは原稿書きのため、地震発生の第一報が流れたとき目覚めており、その後の報道に注目した結果、徹夜する羽目になってしまいました。第一報は大阪で死者が出たことを伝えており、震源地と遠いのでおかしいなと思いました。神戸では死者の確認、取りまとめが忙しく、発表が遅れたのです。その結果、大災害に対処する初動も遅れることとなりました。
 災害における最前線は消火防災、人命救助ともに消防隊の役割なので、取りまとめ、発表が警察であるというのは納得できないものがありますが、神戸でいちばんの問題だったのは、「神戸市株式会社」で名を馳せた効率的な都市建設、安上がり行政のしわ寄せとして、建造物耐震性の割引き、消防力の設備人員両面の節約が追求されていたことです。*
 この結果、神戸の消防隊は一八日いっぱい、消防活動に忙殺されてしまい、人命救助に関しては、その主導権を警察に預けてしまうことになったのです。警察もまた、主力を救助と防犯に費やしたため、道路交通の確保がおろそかにされ、その後の救援活動に支障をきたすことになります。このいらつきが、自衛隊の出動を期待する声に結ばれていきました。
 防災の主導権を警察が握ることで、人命救助優先は被災者の人物特定優先にずれていきます。人物確認ができた家屋の捜査が優先され、確認せずに救助する可能性の強い外国の救助隊は遮断されました。警察の主導権を脅かす自衛隊の出動がなかったのもいわば当然です。
 個々の警察官の努力がどうであれ、警察庁や自治省にとって人物特定こそ最大の関心事でした。前年の九四年、アメリカの朝鮮民主主義人民共和国攻撃の現実化は日本のトップを震え上がらせ、内閣官房を中心とする朝鮮半島有事のシュミレーションが真剣に検討されます。
 時の官房副長官(官僚のトップ)は旧内務官僚で、自治省出身の石原信雄。彼はこの半島有事を前提に、その後の日本のグランドデザインを描き出すことになります。その彼にとって、半島有事の際に出現する大量の難民にどう対処するかが最大の関心事で、動乱時に難民が日本にもぐりこむことを防ぐ人物特定をなによりも重視していたのです。
 検死を確実にすることで、他者(難民)によるなり代わりを防ぐこと、もぐりこみを許さないこと、これが人命よりも優先された感があるのです。死者数の発表が遅れたのも、検死のないまま埋火葬したボランティア市民が、警察の徹底した尋問を受けたことなど、地震による被害を越えた軋轢が多かったのはそのためです。

 救援物資の遅れ
 この、人物特定優先主義は避難所でも同様でした。避難は自主的に行われたものなので、地域と避難所にはずれがあり、近くの親類などを頼ったものも少なくないため、顔見知りではない者や顔見知りが見つからない者を含んでいました。行政による救援活動が始まると、これらの人物特定を急ぎ、居住地域単位の「臨時町内会」を作らせたのです。
 名目は「生存確認」と「不公平が出ないよう」というものでしたが、緊急時には身寄りを探して避難所を日々点々とする者がいたりして、「臨時町内会」の構成員の確定は困難を極めました。短期的に不公平が出ないような受け皿をつくることは不可能に近かったのです。
 ところが行政はこのような受け皿のあるところの救援を優先し、救援物資の配給も滞りました。結束が強く、受け皿作りがうまくいった避難所には物資の余裕が出たところもあり、他の被災者に回すよう、申し出が出されたところもありましたが、この申し出は市の職員によって拒否されています。
 こうした行政の硬直した対応の究極の姿が、日本赤十字に送られた全国からの救援物資の扱いでした。日赤はこれらの物資の確実な配給管理と公平性にこだわり、その体制が整わぬままに日を重ねました。緊急の食料などはこの段階ですべて廃棄を余儀なくされてしまったのです。衣類や毛布など、他の援助物資もいたずらに倉庫を埋めるだけで、被災直後の最も大事なときには役立たなかったのです。
 義捐金についても同様で、分配不能のまま半年以上も宙づりとなり、結局は謝罪の表明を余儀なくされました。日本赤十字社が、こうした事態には何の役にも立たない機関であることが、白日の下にさらされたのです。
 避難所や自主的に形成された公園などの避難地に救援物資を届けたのは、当初、行政とは無縁なボランティアでした。ボランティアの臨機応変な活動、人物特定などにはこだわらない、救援本意の敏速な判断が、罹災直後の最も困難な時期の被災者の暮らしを支えたのです。**
 
 神戸と町内会
 神戸も近代になって開かれた貿易港に特有の、大量の移動人口によって支えられた町でした。古い土地に根ざした伝統は影が薄く、商店街を除けば新たな地域組織も育ちにくい。しかも、高度経済成長期に、「神戸株式会社(神戸市)」が都心部と港湾部の徹底した観光化(大資本の進出)を行い、都市構造そのものがすっかり装いを新たにしたため、人口の流動化が一層進むことになりました。
 町内会・自治会の組織率、加入率も全国平均をはるかに下回っていましたが、そのことが町の風通しのよさを体感させていた(観光用の異人館のイメージともよくマッチしていた)ため、このことを問題にする声はほとんどありませんでした。唯一、大阪のベッドタウンとして開発された六甲山中の団地の中で、新たな住民自治を目指す自治会運動が始まっていた程度です。
 地震はこうした町を急襲し、大きな被害をもたらしたのです。地震そのものは自然現象だとしても、被害の大きさは社会現象です。利益第一主義に走った都市構造のもろさ、硬直した行政の救援体制の限界が叫ばれ、人間のための都市づくり、ボランティアの再評価が本気で語られました。地震前と地震後では物事の価値観が一変したかのようでした。少なくとも一時は「パラダイム変換」が起こったのです。この国は根本からの出直しが必要でした。
 ところが、震災から半年もしないうちにおかしな流れが始まりました。神戸、西宮、そして宝塚からも『あなたの町内会総点検』の著者であるぼく宛に、電話やファックスが寄せられました。それを一言でまとめれば「市が町内会の結成を主導している。風通しがいいと思っていたこの町がおかしくなり始めている。不愉快だ」というもの。事態に不安を感じた地域情報誌の記者の取材さえありました。
 神戸は利益追求型の都市づくりをそのままに、限界の穴うめとしてボランティアを活用しようと考えるに至ったのです。消防体制の手薄さや救援体制の不備をボランティアによって補おうというのです。それも自然発生的なボランティアではなく、行政が主導できる都合のよいボランティアを組織したいというのでしょう。その最終的な帰結が町内会・自治会の再生でした。
 そのために流布された嘘が「町内会組織がしっかりしていたところは被害が小さくて済んだ」というもの。そんな統計はどこにもありませんし、たとえそういう数字が出ても、町内会と被害の大きさには直接の因果関係はありません。町内会が組織されていたところは古い土地で、近所づきあいが深かった、ということはあるでしょう。近所づきあいは震災の最中でも助け合いを生む素地にはなったでしょう。が、近所づきあいと町内会活動とはまったく別物です。町内会が震災でどんな対処をしたのか、具体的な話しはひとつもありません。
 しかし、行政によって急造された「臨時町内会(住民会)」が果たした役割は明確です。地域代表として行政の都市計画の青写真を承認し、住民不在の効率都市、利益を第一とする都市構造の拡大をもたらしたのです。そのため、震災直後に廃墟から立ち上がり、復興の希望の火をともした長田駅前の天神商店街は今ありません。都市計画によって建設を待つ大規模建造物の予定地ばかりが延々と広がった駅前に、住民の姿はありません。
 住民が帰ってこなければ、生活のための商店街は成り立ちません。一軒、また一軒と店が潰れ、天神は商店街としての活力を失いました。残った数店舗はやむなく協力してスーパーマーケットを建て、がんばっています。が、行政による机上の町づくりは貴重な近所づきあいを破壊し、人々の心のきづなをたち切って、新たな都市流民を生み出しました。

 関東大震災のトレース
「町内会組織がしっかりしていたところは被害が小さくて済んだ」という言い方は、関東大震災のあとにも流布されました。神田のどこかの町内会では、そのために全員が助かった、というのです。そして「だから町内会の結成が必要だ」というふうに続きます。
 しかし、こういうことはそうとう大規模な統計資料と、土地土地が置かれている環境の分析を経た上でなければ結論が出せるものではありません。震災というドサクサの直後に、このようなことが可能であるはずはないのです。その一方で、根拠のない宣伝文句を導くのは簡単で、多くの事例からたまたまそういうことになったケースを選んで言いふらせばいいわけです。
 筆者が二〇〇二年六月、NHK(BS1)の「インターネットディベート」で対談した帝京大学の菊池美代志教授もこの流言を盛んに振りまいていましたが、どう聞いてみてもその根拠はありませんでした。問題なのはこうした先生が毎日全国の自治体に呼ばれては、あることないことしゃべりまくっていることです。これらはみな、はじめに町内会ありきで、町内会の必要性を大合唱して見せているだけにほかなりません。*

* 「消防力を軽視した神戸」消防庁のガイドラインでは神戸市の適正人員は一九二三人、ポンプ車は八八台となっている。が、実際の神戸ではそれぞれ一三二九人、五二台でしかなかった。これが震災の被害を大きくした最大の要因である。
* 「認知されたボランティア」震災で脚光を浴び、行政に初めて認知されたボランティアだが、ボランティアといってもさまざまで、当初は行政とは無縁に勝手に形成されたもの。したがって、結成の動機はさまざまで、「公平な救援」を目指したものではなかった。大きな活動母体としては教会や宗教団体、在日のグループ、部落をはじめとするさまざまな反差別団体など、県を越えたネットワークを持っていたところだ。これを行政が募集し、配置するボランティアと混同すべきではない。
* 震災の直後、本誌P198で紹介した「FMサラン」の機材が神戸に持ち込まれ、救援放送を開始。在日外国人の心の支えに、と考えられたボランティア活動である。この放送局は現在も神戸に根付いている。
* 「今でも大事な「向う三軒」」地域の助け合いが災害の被害を最小限に抑えるのはたしかなこと。普段からの交流が望まれる。しかし、ここでいう地域とは「向う三軒、両隣リ」のことで、町内会組織とは関係がない。たいていの単位町内会では、向う三軒は別な単位となるため、町内会として組織することはできない相談なのだ。


自治会・町内会のおさらい

町内会・自治会とは
 これまでも見てきたように、町内会・自治会とは任意団体で、法的にはなんの規定もされていません。というよりも、町内会・部落会は戦前、内務省例で行政の末端組織として組み込まれ、戦争遂行のエネルギーになったことへの反省から、行政の末端組織として規定されてはならない、ということが地方自治法(260条二―6)にも明確に謳われているのです。
ただし、一九九一年に地方自治法が改正され、事実上存在している地縁団体が共有財産を所有している場合、または所有する場合に、「認可地縁団体」として市区町村の認可をうければ、法人格が取得でき、不動産の所有が可能になっています。が、これが即、町内会・自治会をさすものではありません。
町内会・自治会等の地域団体は、区、部落会、町会などの名称を持つ団体を含め、全国におよそ二九万あるといわれています。このうち、認可地縁団体の資格を取得しているものはまだ一割にも達していません。この、認可地縁団体への加入率が一九九六年度の自治省調査で明らかになっていますが、加入率が90パーセントを割り込むものが33・5パーセントと全体の三分の一あり、70パーセントを切るものが14・5パーセントに及んでいます。
認可を受けていない町内会・自治会への加入率はこれを下回ると思われるので、地域によっては緩やかな結びつきを維持しているところも少なくはないことがわかります。むしろ、この実態を危機とみて、「町内会・自治会の復活」を声高に叫ぶ者、その人たちの真意が問われると思います。
なお、認可地縁団体が掲げる活動内容の内訳は次のとおりです(1996年度自治省調査:認可地縁団体総数に対する割合=複数回答、カッコ内パーセント)。
@住民相互の連絡(回覧板、会報の回付等)(89・1%) A区域の環境美化、清掃活動(87・0) B集会施設の維持管理(81・8) C文化レクリエーション活動(36・1) Dスポーツ・レクリエーション活動(35・9) E防災・防火(32・9) F盆踊り、お祭り、敬老会、成人式などの行事開催(29・2) G交通安全、防犯(27・8) H道路、街路灯等の整備・修繕など(22・6) I独居老人訪問など社会福祉活動(17・1) J行政機関に対する要望、陳情など(16・9) K慶弔(14・6) Lその他(33・3)

NHKへの出演
 二〇〇二年の五月、筆者はNHK第一放送に生出演。町内会・自治会問題についてパーソナリティーとの連続対談をおこないました。時間帯が夕方の五時から六時というラジオ放送のゴールデンタイムであったためか、反響はものすごいものがあり、トーク中から次々とファックスが飛び込んでくるというものでした。
ファックスの多くは「苦労してやっているのに、批判されるのは心外だ」「NHKともあろうものがなぜ反対するのか」といった表層的な抗議と批判。中身のある意見はもっぱら町内会・自治会を批判し放送に共感を寄せるものでした。
パーソナリティーとしては身近な疑問を晴らしたい、という気軽な気持ちからこのテーマを選び、筆者を呼んだのですが、社内からも冒険だったといわれたようで、意見におおきな開きのある政治的なテーマであることを気づかされたとしみじみ述懐していました。
放送の成果はNHKという全国津々浦々に届く声として、町内会・自治会は参加自由な任意の団体で、いやならやめることもできる団体であることを伝えることができたことです。全国には、これが強制だと思い込んで、悩んでいる人も少なくないからです。
 二〇〇二年六月、こんどはNHKのBS1の人気番組「インターネットディベート」への出演のチャンスがありました。シリーズ「ネオ町内会」の一回目で「これでいいの?町内会・自治会」というがテーマ。筆者のほか菊池美代志さん(帝京大学教授)、白石真澄さん(東洋大学助教授)が出演。あらかじめインターネットで募集した意見をもとにディベートをする、というもので、町内会・自治会に疑問を呈するディベータ―は筆者一人でした。
しかし、前記のファックスとは異なり、中身のある議論が必要だったためなのか、ホームページに寄せられた意見の多くは町内会・自治会に批判的なもの。筆者は見えない視聴者を見方に論陣を張りました。これを要約すれば「町内会・自治会は必要ない。今の町内会・自治会には、みずからを活性化させて、立て直す力はない。それよりも解体して、新しい地域組織を生み出すほうが早道だ」というものです。
けれど、番組総体としては「地域組織は大切。それをどう作っていくのかはこれからの問題」と、くくられてしまいました。が、ここでも筆者は「町内会は自由参加組織、いやならやめることもできる」と強調。菊池、白石ともにこれには首を縦に振るほかなかったことが印象的でした。

放映された内容
 番組は前半で町内会・自治会が抱えている問題を探り、後半で新しい町内会(ネオ町内会)の実践地区を紹介する形で進行しました。
一九九九年、仙台市が実施した一三〇〇人の会長へのアンケートで、役員のなり手が少ないことに困っている町内会長が六〇パーセント以上にのぼることが判明。住民の関心が低いことに困っていることがわかり、仙台市と町内会の連合組織で町内会のコマーシャルを作ったという話しが紹介されます。
 町内会のコマーシャルのあと後継者に悩む町内会長の孤軍奮闘振りが紹介されるのですが、これがまた大変なもの。とりわけごみの分別が一苦労で、これでは後継がいなくなるのもわかるというものです。「仙台ではうまくいっている」とうそぶいていたのはだれだったでしょうか(一六四ページ参照)。
 ここで筆者が「加入への圧力」「運営が非民主的」「宗教・政治との癒着」「行政の下請けになっている」とのパネルを示し、戦前のフィルムを交えながら、現状の問題点を明らかにしていきます。一九九七年の東京都の調査(複数回答、カッコ内パーセント)によれば、行政が町内会・自治会に委託している業務は次のとおり。
@募金の協力依頼 (92.7%) A連絡文書等印刷物の配布( 85.6) B区市町村の広報誌の配布( 78.1) Cイベントへの参加協力( 66.0) Dリサイクルの協力依頼( 63.2) E自治体及びに住民間の連絡事務( 54.9) 各種調査( 54.4) F各種災害共済への加入促進( 41.3) Gゴミ収集の委託( 34.5) H公園・広場等の管理( 27.0) I公民館の管理委託(9.9)
そして、ネオ町内会の紹介。これが番組の本命というところなのでしょうが、そのおそまつさにはあきれました。まずは若い世代にも評判のいい、千葉市の幕張ベイタウンの地域インターネットの取り組み。これは強制ではなく、地域割りでもない。すなわち、筆者が推奨するクラブ型の地域組織なのです。町内会もその片隅に居候させてもらっているけれど、これを町内会活動だとするのはインチキもいいところ。
そしてもうひとつが京都市春日地区の町内会が行っている高齢者福祉のまちづくり。これについて菊池教授は「応用可能なモデル地区として注目された地域であり、阪神大震災後の取り組みをみても、町内会・自治会が中心となって普段から隣人とのつながりをもっていることが大切だ」とおおいに持ち上げます。
 これに対し筆者は「京都という伝統基盤のある地域にしかできないことで、互いのプライバシーをさらけ出して付き合う必要がある。若い人にとっては息苦しい。同質性社会であることを前提としており、ニューカマー(新しく町に来た人)や外国人にとっては難しい」と指摘しました。が、この問題はもっと掘り下げてみておく必要があります。

春日地区は希望の星か
 京都市春日地区町内会(春日住民福祉協議会)はユニークな福祉活動をしている地域として、町内会活動の手本としてさまざまに語られています。一九九九年には(財)あしたの日本をつくる協会(46ページコラム参照)の「ふるさとづくり賞」集団の部の大賞(内閣総理大臣賞)を受賞しています。
その中心的な活動が福祉を必要とするお年寄りをピックアップして地図上に色分けし、定期的に訪問する、というもの。いわゆる「見守り」という名の助け合いです。しかし、上がりこんで冷蔵庫を開け、賞味期限のすぎた食品をチェックするなど、いささか度がすぎ、プライバシーへの配慮が感じられません。これが町内会活動の模範とは情けない限りだというほかはありません。
筆者は京都の春日地区というのをよく知っています。御所に近い生活に便利な土地なのですが、若者は寄りつかず、高齢化が進んでいるのです。町の若者は口をそろえ、古い町の濃密な人間関係に悲鳴をあげ「うっとうしい」「息が詰まる」というのです。こうして若者が出て行ってしまったために町の高齢化が進み、なんらかの相互扶助が必要になってきた。これが一九七九年、町のお年寄りが寝タバコをして失火し、焼死した事件を契機に、春日住民福祉協議会となるのです。
筆者はその時点で「春日はいやだ」「京都は古い」という何人もの若者(筆者も若かったが)を知っているのです。そのワースト・モデルが番組で紹介されたため、思わず笑ってしまいました。
たしかに訪問福祉というのは大変な活動です。大賞にふさわしいといってもいいかもしれない。でも、これでは若者は戻らない。負担が大きすぎるからです。お年寄りを見守る活動の中心を担っているのは、あとわずかで高齢者の仲間入りをすることになる人たちばかり。では、その彼らをいったいだれが見守るというのでしょうか。
最近、自治体の福祉切捨ての一環として、その負担を町内会・住民に負わせようとする動きが目立っています。春日はその流れに沿った活動として、注目を浴びているにすぎないのではないか。そう疑ってしまいます。
「見守り」というけれど、結成の動機は町の類焼を避けるために、一人暮らしのお年寄りの暮らしぶりなどを見張ろうというものにすぎません。もちろん、火事は恐いですから、なんらかの対策を打つのは当然です。しかし、そんなことが町内会・自治会活動の希望の星のように語られることは問題です。



 意  見  書 

2001年5月30日
最高裁判所御中
東京都調布市国領町3-8-15
佐 藤 文 明

(1)はじめに

東京都世田谷区長が2000年12月21日、原告らに対して行った住民登録の取り消し(転入届不受理)処分につき、民間の研究者の立場から「意見書」を提出させていただきます。
当方は1969年4月より3年間、東京都の職員として新宿区役所に配属され、戸籍・住民基本台帳の職務に携わっておりました。この間、戸籍のエキスパートとしてのOJT(職場研修)を受け、戸籍・住民登録に関する東京都の専門研修を受講するなど、格別の訓練を受けてまいりました。また、以下で述べる定期・随時の実態調査業務にも携わり、職権記載、職権消除事務の体験をも有しております。
72年3月に退職してからも、フリーのライターとして戸籍・住民票・外国人登録等の、いわゆる行政による管理登録制度の研究を続け、多くの論文や著書を発表しておるものです。その一端を列記すれば『戸籍がつくる差別』(1984年・現代書館)『戸籍が見張る暮らし』(1991年・現代書館)『戸籍うらがえ史考』(1988年・明石書店)『在日[外国人]読本』(1993年・緑風出版)などが挙げられます。
また、戸籍・住民票の研究者として、これまでいくつかの裁判で、証人として出廷したり、「意見書」を提出する機会を持っております。住民基本台帳事務がこの国の基本的な制度のひとつであるにもかかわらず、細部の実務についてはあまり知られていないことが多いことに鑑み、審理の参考になることを期し、本「意見書」を提出するものです。

(2)住民基本台帳

 住民の住所に関する登録である住民登録は1951年、住民登録法として登場しましたが、第二次世界大戦中から各自治体で配給用に作られていた世帯台帳を前身としています。自治体はこの世帯台帳を法律で追認するよう求めますが、@世帯台帳を設けず、従来どおり戸籍と寄留簿でしのいできた自治体への配慮と、A戸籍制度との連動性をもたせる必要、B自治体ごとに作られてきた世帯台帳の統一性の確保、のためこれを認めず、新たに制度化されたものが住民登録法です。
 そのため、住民登録事務は自治体の固有事務とされながらも、条文によって、独自の運用に歯止めを掛けているわけです。したがって、自治省(当時は法務省)の通達は助言・勧告にとどまり、自治体の長が独自の解釈を加える余地はありますが、当然のことながら、法そのものに違反することは想定されていません。
 住民登録法は1967年、それまで別途に存在した配給台帳や選挙人名簿などを一つにまとめた住民基本台帳法に移行され、自治省を主管としながらも、部分的には厚生省保険局、社会保険庁年金保険部、食糧庁などの管轄下に置かれ、重要通達はこれら関係省庁の連名で出されるようになります。この段階で、純粋な地方行政の台帳から「国及び地方公共団体の行政の合理化に資する(住民基本台帳法第1条、以下『法』とのみ表記)」ものに脱皮。自治体の長としても、これへの配慮が欠かせなくなっています。

(3)住民と住所

 住民登録法と住民基本台帳法の法構成は基本的におなじで、地方自治法に規定する住民の登録整備のうち、皇族及び外国人を除く者につき、統一的に登録するものです。が、それを実現するためには少なくとも住民と住所について、各自治体が共通した認識を持たなければならないことはいうまでもありません。
 ここでいう住所とは民法上の住所ですが、それは個別法ごとに異なり、税金については税法上の、年金いついては年金法上の解釈住所が適用されているところです。しかし、いずれの住所も複数住所説を退け、単一住所主義と客観住所主義(主観は判断材料の一つ)を採用している点に違いはありません。これは行政上の要請からくるものなので、複数の住所のいずれがその者の住所であるかの最終決定は行政が行わなければならず、判断が違った場合は行政間で争う必要があります(法第33条)。
 また、「人はだれも民法上の住所を保有する」という客観主義に立つ以上、住所がないのは常態とはいえず、他の住所がない場合は現住地を住所と推定すべきであることも争いの余地はありません。この推定が及ぶと同時にその者は住民としての地位を保有するため地方自治法上の登録対象になるのであって、住民として登録された結果として住民としての地位を手に入れるものではありません(民法上の住所も同様で、登録の結果発生するものではありません)。
 自治体間で住民登録事務を統一して行うためには、複数住所を避け、人にはそれぞれ一個の住所を与える、ということを共通の前提にしなければなりません。したがって、住民基本台帳法はそれに見合う法構成と、法運用、それに自治体を越えた広域研修等の法令教育が行われてきているのです。

(4)転入(住所設定)

通常の転入は前住地が発行する転出証明書を資料とし、転入届の申告内容を審査し、問題がなければ受理されて、即刻(コンピュータ処理の必要上、数日を要する自治体が増えていますがこれは変則で、本則は即刻です)住民登録がされ、写しが発行されます。国民健康保険への加入手続きや健康保険証の発行なども同時に行われるのが普通です。この手続きは通常すべて実態調査を要さぬ、形式審査でよいことになっています。
こうして編成された住民基本台帳(住民登録)は公正証書の原本であり、その写しは公正証書です。発行された以上一定の公証力を持つので、過失などがあった場合でも過去にさかのぼる「無効」の手続きにはなじまず、あくまでも未来に向けての効果である「取消(消除)」によって、正常に復帰する手続きを取ることになります。
また、人が新たに自治体の住民になるのは転入と出生によるだけではありません。前住地のない者(法第22条1項6号後段=住民登録をせず、住居を転々とした者など)については「住所設定」による住民票の作成をおこなっています。この際、本籍地にある住所歴である戸籍附票に当たり、他に住民登録がないことを確認します。これによって二重登録を防ぐわけです。
逆にいえば、転出証明書はこの確認を省略する手続きだともいえます。外国に長期間居住し、帰国した者(同6号前段)については、「パスポートによる転入」を認めていますが、これも他に登録地がないことを推認できるからにほかなりません。
戸籍附票に古い登録地が記載されている場合、そこからの転出証明書を求めるかどうかは自治体によって異なります。転々とした期間が長い場合、前住地の証明は無意味だからです。古い登録地がある場合、「住所設定」の事実は本籍地のほか前住地にも通知され、戸籍附票の書き換え、前住地の住民票の消除が行われます。
また、台帳法上、本人の届によらない「職権記載」による「住所設定」もあります。これは法第3条の要請をうけ、法第34条に定める「調査」を踏まえて行うもので、ふつう「実態調査」に基づく職権記載と呼ばれます。しかし実務上では調査によって本人と接触(これをしないと前住地や本籍地が判明せず、二重登録になる恐れが大きい)しますので、本人に届出の勧告を行うことで事足り、職権記載には至らない場合がほとんどです。

(5)実態調査

 地方自治法第13条の2、住民基本台帳法第3条1項、第8条の規定は、市町村長に対して住民の届けの有無にかかわらず、住民の特定と登録(あるいは削除)とを課すもので、その手段として法第34条の調査権が与えられ、定期調査(同1項)と随時調査(同2項)が定められているのです。
 定期調査の理想は年1回の全世帯調査とされていますが、事務量の負担が大きいため、実際にこのとおりに行っている自治体はほとんどなく、職権記載、職権消除を行う必要がありそうなケースに限り、数年置きの定期調査を行っているのが実情です。これを補うものとして、緊急性があるものについては随時調査を行っています。
 が、いずれにせよ、この調査は住民登録が常時、実態を反映した正確な記録であることを期待して設けられた規定であり、その切り札が随時調査なのだといってよいでしょう。つまり、住民が登録に協力する義務があるのはもちろんですが、住民の協力が得られない場合でも、市町村長は住民の居住実態を住民登録に反映する義務を負っているわけです。
 これを言い換えれば、住民の転出証明書を持参しての転入手続きは、市町村長による調査の負担を軽減するものではありますが、その後の実態調査の義務を免れるものではありません。だから、転入届の受理に際して行う審査は従来、形式審査でよいとされてきたのです。しかし、70年代に入って某宗教団体の選挙用大量空転出入が目立ってきたため、疑わしい場合には転入時の審査に実態調査(実質審査)を含めるよう、再三にわたり指導がなされてきました。
 といっても、34条2項の随時調査を転入時に同時に行うというだけで、住基法の基本的な考え方が変更されたわけではありません。あくまでも実態の調査が本則であり、届出はこれに対する住民の協力(形式審査によって調査の省略が可能になる、という協力)にほかならないのです。
 職権記載に比べ職権消除が行われるケースは少なくなく、多くの担当者が体験している職務行為である、と言えます。しかし、他に住民登録がある場合は別ですが戸籍附票から当該住所地以外に住民登録がないことがわかっている場合は、消除に慎重を期すことが強く求められ、調査には念が入れられます(不在認定は本人の証言が取れないことが普通なので、不在の確証がある場合を除き第三者の証言を要し、押捺を求めることが奨励されます)。消除はいうまでもなく市民的権利の停止を意味することになるからです。
 実態調査は住民に返答の義務を課すなど、強い公権力の行使です。したがって、担当者は実態調査員であることを証する身分証明書を携帯し、質問に当たっては住民登録に関係のない質問をするなど、プライバシーに踏み込むことのないよう、十分に注意を払うことが強く期待されているところです。

(6)調査の端緒

 全世帯に対する定期調査でない場合は、必ず調査の端緒というものがあります。住基法施行令第12条は、届けるべき届出がないことを知ったとき(12条1項)、脱漏があることを知ったとき(同3項)のほか、多くの場合(同2項=これは基本的に調査を要さぬ職権記載ですが)を挙げており、他の制度との矛盾が起きることを防いでいます。
 実際には、年金や国保など、他の行政上の申請や調査を通して、住民票の脱漏を発見する場合、他の自治体から脱漏を指摘される場合、そして数は少ないものの、住民から脱漏を指摘される場合があり、これを受けて実態調査に入るわけです。
年金や国保の業務は当然ながら住基法とは異なる法律に基づいて行われるものです。したがって、住民登録することによってサービスを受ける権利が生まれるのではなく、住民であるという個別法上の認定に基づき、サービスが開始されます。しかし、その資格は基本台帳法の精神である統一的管理の要請から、基本台帳に登録されるべきであり、脱漏があってはならないことになります。したがってこれも実態調査の端緒になるわけです。
このほか、形式審査によって受理に至らなかった転入届について、届出を催告したにもかかわらず、放置されているケースが少なくなく、これについても、実態調査によって対処します。転出証明書が無効であったり、転入しようとする人物と異なっていたりする場合です。転出証明書が有効である場合、実態調査によって転入の事実がないことが確認されない限り、不受理とされることはありません。
不受理にしたとしても、市町村長は同時に実態調査の端緒を負うことになるので、不受理処分そのものが無意味になるからです。届出の如何にかかわらず、あくまでも調査によって住民登録を常に実態に即して整備することが、自治体の長に課せられた職務なのです。

(7)本件に関して

 本件の場合、転出証明書そのものが有効であることに争いはありません。したがって、窓口における届出、審査、受理の流れはいずれも正当で、登録は成立しています。住民票の発行や健康保険証の発給にも誤りはありません。もちろん転入に疑わしいところがあれば形式審査に留めず、実態調査をすることができますが、その場合、調査は受理前に行うのが相当です。
随時調査の考え方によれば受理後に実態調査をすることもできますが、その場合にはいったん有効になった住民登録を調査の結果を受けて訂正するもので、居住の事実がなければ職権で消除することになります。本件のケースは転入が疑われる場合に当たり、実態調査後の受理が望ましかったということがいえますが、受理後に実態調査しても、居住の事実がある以上は住民票の訂正はなく、結果に違いはなかったろうと思料されます。
 ところで、世田谷区が本件でとった行動はこうした住民基本台帳法の流れをことごとく無視した不当、無法の手続きであったということができます。というのも、大量転入に気づいた区はこれを住基法に照らして対処しようとするのではなく、「オウム真理教の信者からの転入届は拒否をすること」(乙4号証)とする、それ自体住基法に違反する区の「基本方針」を実行に移そうとしたものだからです。
受理後に行ったと称する調査は「方針」に沿って転入者がオウム信者であるかどうか、住所地が信者の拠点であるかどうかを調べたもので、居住実態を把握するには至っていません。住基法上の調査であれば、居住が真実であるかどうかを把握し、居住の事実がない場合には受理前なら転入届の不受理を、受理後なら住民登録の職権消除を行うわけです。が、居住事実がないことを確認することもないままに、受理後に転入届の不受理を決めています。
「居住実態は確認できず」とする調査報告(乙3号証)に不受理や職権消除にできる材料はありませんし、住基法の要請を超えた質問が行われたことがうかがわれ、調査が区の「方針」を履行するため、住基手続きにことよせて行われたに過ぎないことは明らかです。また大家の証言から、すでに居住しているものがあることが明らかであり、本件申立て人(特別抗告人)が住民としての資格を有している可能性をうかがわせます。唯一、表札に名前がない点の指摘のみが実態に触れた報告ですが、むろんこれが転入の虚偽を意味するものでないことはいうまでもありません。
 この調査を名目とした処分が住基法に基づかない不当、無法なものであることは世田谷区長自身の主張からも明らかです。同区長は本件処分を「住民基本台帳法の規定を根拠とはしていない住民票の破棄」と主張。住基法に違反する姿勢を鮮明にしているからです。もちろん、本件当初の手続きは住基法に基づくものなので、世田谷区長が住基法に反する取り扱いをなしたとすれば、そのことが住基法違反であることを意味します。
 世田谷区長の主張によれば、すでに調製された住民登録を住基法に基づいて「消除」するのではなく、法にない「破棄」という手段をとったようです。それがなにを意味するか明確ではありませんが、「消除」であれば「除票」に移されるべき住民票が無きものにされているものと思われます。にもかかわらず、本件転入届を無きものにすることができず、法に基づく手続きである「不受理」処分にしなければならなかった(乙5号証)ことからみても、転入手続きは有効であるにもかかわらず、その後の措置が不法であることを窺わせます。
とすれば本件は本来、その後の措置も住基法に基づいて行われるべきであり、住民登録を破棄したり、発行した住民票を無効とするような、住民票の公証力を著しく傷つけることを行なうべきではなかったというほかはありません。
 区は公正証書の原本に当たる住民基本台帳を、法の規定に基づくことなく勝手に破棄したのです。これは住基法違反に当たるのはもちろん、公文書破棄罪に該当するものといえましょう。

(8)高裁の事実誤認

 高裁は「決定」で「いったんこれを受理したからといって、それによって抗告人がその有している実質的審査権を失うものとは解されない」としています。随時調査は受理後に行うのが本則なので、この指摘は当然で、解釈の余地はありません。本件審理中の今日でも、直ちに実行できるものです。したがって、「相手方の不当な手段」があろうとなかろうと、「住民基本台帳の記録から除くべき事由が生じた」ときは調査の上「住民票を消除」することは可能です。しかしこれはあくまでも実態調査による職権消除を意味します。
 ところが世田谷区長が取った行為は住基法施行令34条に反する調査と住基法施行令8条によらない「破棄」であり、住民登録があったことそのものの抹殺にほかなりません。高裁が指摘する「本件消除処分」とか「住民基本台帳の記録は除かれて住民票は消除されるべきもの」という、住基法上の手続きそのものが踏みにじられているのです。
 いまだ住基法上の調査を怠っている世田谷区長は、明日にも実態調査(実質的審査)を行うべきですが、その結果はおそらく本件処分とは正反対に、職権記載を行うべきケースになることと思われます。本件の問題はあくまでも居住の事実に基づいて対処すべき事案であるからです。
 住基法によれば除かれた住民票は「除票」として保管され、証明の用に当てられます。世田谷区がそれさえも無きものにしたものであるとすれば、これは通常の「消除処分」ではないというほかはありません。また、区が「消除処分」さえ無きものにしたということは、住民票の申請書(私文書に当たる)や転入に伴うさまざまな書類をも無きものにしていることが考えられ、それらの手続きそれぞれの合法性が問われます。
 高裁の「決定」は本件処分がどのような法的根拠に基づいて行われたのか、という点につき、世田谷区長の主張を知りながら、住基法に基づくものと解し、事実を誤認しています。問われなければならないのは公正証書に対する世田谷区の違法な扱いであり、それがもたらす反公共性ではないでしょうか。これはこの国の行政の法治原則を脅かすものだとさえいえます。

(9)高裁の超法規的主張

通常、転入における審査は形式審査で足りるのは前述のとおりです。したがって、「実質審査を免れようとする届出」は違法でも不当でもありません。また実質審査(実態調査)はいつでも行なえるのですから、調査なしに施行令8条の「消除すべき場合」に該当することはありえません。
ところで、その実態調査ですが、実態調査における質問が住民登録上の居住関係の調査に限られることは法文上自明のことであり、その旨は携帯・提示する身分証にも記載されているのが普通です。この職務権限の限定は実態調査員の安全にとってきわめて重要なことですが、この点を職務権限の拡大が限りなく可能であるとするような高裁の判示は、想像もしていないようです。
 住民が常に役所の調査に協力的であると考えるのはとんでもないことであり、調査員が調査に当たってまず行なうことは自分たちの職分の限界を知ってもらい、警戒を解いてもらうことにあるのです。身分証の提示は主のそのためであり、強制力の存在を認知させる(制度上はそうなのですが、現実はそんなものではないということです)ためのものではないのです。もしも強大な調査権が与えられているとすれば、当然のことですが、それに見あう装備や訓練、危険手当などが必要であり、一般行政職の職員がなし得る任務(保健所には強大な調査権を伴う仕事がありますが、その際は警察官の同行を要請します)を越えてしまいます。
 こうしたことは実務経験のある役所の職員なら経験的に、又は直感的に知り得ることです。本件調査は前述のとおり、当初から住基法上の実態調査を行ったものではありません(そのため質問がアレフ全体の動向に向けられている)が、本件調査について窺えることは、調査に当たって調査者にそうした配慮、危険に対する予防措置がなにも講じられていないということです。(現在のアレフは)「安全」だという直感があればこそ、調査に赴くことができたのだ、と考えるほかはありません。
 高裁が判示するような、住民のために危険な居住者を排除する調査など、住基法が区長にもその代執行をする職員にも求めることは不可能(暴力団事務所の調査を想起されたい)です。そんなことも可能だとする解釈は、調査員から住民に警戒を解いてもらうための手段を奪い、危険にさらすことにもなりかねないもの。「暴言」を許していただくとすれば、現場を知らない者のとんでもない暴言というほかはありません。
 高裁は世田谷区長が「住民基本台帳法に基づいた」と主張していない調査について、住基法上の調査と考え、住基法の限界を踏み破り、世田谷区長が「住民基本台帳法に基づかない」と主張している公正証書の破棄行為を、住基法上の処分とみなして、住基法の「正確性、統一性が部分的に損なわれる」ことを住基法で正当化しています。これは住基法そのものの否定です。

(10)村八分の論理

 かつて、共同体からの排除の慣習として「村八分」というものがあったことはよく知られています。ご存知のとおり、共同体としての付き合いを二分を残して一切絶つ、というものですが、残る二分というのは火事と葬式です。この二分というのは決して温情から残されたものではなく、共同体存続に不可欠なものであるからです。
 火事というのは申すまでもなく、共同で消し止めなければ類焼を免れないものだからです。わら屋根の恐怖というものは今日の想像を越えたものでありました。そして葬式とは検死、死者の共同体によるチェックです。これを怠れば、犯罪や疫病を見逃すこととなり、共同体防衛のきっかけを失うことになります。つまり八分も二分も、ともに共同体の都合によるものだということです。
 実際に新参者を村から追い出し、一切の付き合いを絶てれば別ですが、それができず、現実に居住し、空間を共有している以上、付き合いを一切絶って「いないことにする」ことはできないのです。「村十分」は、村にとっても危険なのです。古人のこの知恵を、自治体の長たる世田谷区長が理解できぬはずはありません。

(11)公共の福祉

 公共の福祉というのは難しい概念ですが、先住地域住民の安全を守ることもその一つと考えられなくはありません。しかし、その手段と、もたらされる結果を含めて勘案されなければならないのはいうまでもありません。世田谷区長の転入拒否は、手段としても間違っていれば、結果としても目的達成に結びつくものではありません。そしてむしろ、広い意味での公共の福祉を傷つけてしまいます。
 自治体行政の多くは、住民サービスの観点から捉えられています。が、広い視野に立つと、そのどれもが個人に対するサービス以上のものであることに気づかれます。たとえば就学の保障は個人に対するサービスを超えて、社会の価値観を共有させ、文化の継承を確保することで、社会全体の健全化と成長を図るもですし、健康保険の皆保険制度は、それを通して地域の健康水準そのものを向上させ、疾病の早期発見による地域への蔓延を防止するもので、地域を守るためにも加入が促進されなければならないものです。
 こうした観点からみても、現に居住し、空間を共有している者に対して、いないふりを決め込み、公共サービスから排除する、というやりかたは、先住地域住民に対しても好ましからぬ「公共の福祉」に反した措置といわざるを得ません。
 ごみの収集は地域の衛生を保つものであり、国勢調査は地域の将来設計を立てるための基礎です。現に居住していながら登録のない、いわゆる「幽霊人口」が日本最多であると推定されている、当方の勤務地であった東京都新宿区では、個人の把握が大きな悩みでありました。たとえば法定伝染病が発生したときの近隣接触者の発見と行動追跡に、多大な支障をきたすからです。
 ごみの収集拒否はもちろん、国勢調査からの排除もおこなうべきではありません。いわんや、自治体が住民登録を拒否し、届出の励行が衰退することになれば、地域の安全性は危機に陥り、公共の福祉は根底的に失われます。加えて、住民登録の欠落は、地域住民が相手を特定して訴訟を起こすことを困難にするなど、地域住民の法的保護をも損なうものです。

(12)登録秩序の維持

 日本の住民登録制度は長い歴史を持ち、プライバシーの問題を指摘されながらも改善を重ね、住民の間になじみ、定着してきた制度です。各人はそれぞれに住所を持ち、住民登録に登録され、転居のときは届に行く、という常識の定着は、行政の遂行上きわめて貴重なものだということができます。
 また、この制度は原則的に公開され、写しを取ること、そのリストを閲覧することが可能だということも広く知られており、住民間の契約の安全を陰から支えているものでもあります。住んでいる以上住所があり、登録を追跡すれば債権などの取立てにも支障がない、という安心感(逆に、債務者に逃げられないという心理をも形成しています)です。
 つまり、住民登録の公開というプライバシーを脅かしてもなお維持されている制度の根底には、契約等に関する第三者保護があるのです。市町村長が、本人の届があろうとなかろうと、常に正確な住民の登録を求められているのはそのためで、登録者本人の利益とは無関係なことだといえます。
 実態調査の端緒として、まれではありますが住民からの要請(脱漏の指摘)があるのも、このことと関係しており、明らかに住所を持ちながら住民登録がないという状態は、第三者の経済活動にも混乱をもたらす結果となるのです。こうした第三者に対して、自治体は「不在住証明書」というのを発行しなければなりませんが、実態調査によって職権記載しなければならない住民について「不在住証明書」を発行できるのかどうかは疑問です。
 また、転入届が宙に浮いている状態では、なお前住地の住民票は消除(転出届と同時に除票簿に移す自治体もあるが)できず、残ることになりますが、この住民票の位置づけ(除票にした場合でも、この写しの位置づけが問題になる)があいまいなものになります。第三者による写しの請求や閲覧の要求、あるいは不在住証明書の請求に対して、適切な対応が行えません。同様に、転入を拒否された者がさらに第三の地へ転居(信者を辞めた場合にも起こりうる)した場合、彼は住所設定の届を出すことになりますが、その手続きは新住所地の負担を増しますし、住所歴が切断されることから、第三者の保護が手薄になり、住民登録一般の信用性が低下させられます。
転入地自治体の思いつきによる勝手な行動は、転出地(前住地・次住地)自治体の登録業務をも矛盾にさらすのです。

(13)団体規制法

 住民の認定は自治体の専権事項だといえますが、あくまでも地方自治法にのっとってのことで、勝手な判断が可能なわけではありません。また、住民としての受け入れは、高裁が「決定」で指摘するような「サービスを受けるべき立場を付与する事実上の効果を有する」ものでもありません。地方自治法がいうように、自治法上の住民に異なる効果を付与してはならないからです。サービスの付与が適切であるかどうか、差別がないかどうかは個別の裁判等で判断すべきもので、住民登録の有り無しとは別個の問題です。
 さらに民法上の住所の認定については自治体の専権事項とは言えず、国もまた認定の義務があるものと考えられ、裁判所もまた、自治体間の争いを裁くことから見てもその地位確認を行いうる機関であることは言うまでもありません。
 また、「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」は公安調査庁に観察処分の権限を与えており、信者の住所を含む施設への強力な調査権が与えられ、実際に調査が行われているところです。したがって関連施設を住所とする本件上告人についてはすでに、住所の把握が行われているものと推定できます。
 この住所もまた民法上の住所であることは間違いなく、自治体がこれを無視することができるものとは思えません。少なくとも司法は、公安調査庁と世田谷区いずれの判断が住所の認定に適切であるかどうかを決定しなければならない立場にあるものと思料いたしますので、この国が積み上げてきた住所に関する概念を突き崩すことのない、後世に耐え得る判断を期待するところです。

(14)まとめ

 このように住民基本台帳業務は、自治体の固有事務とはいえ全国統一的に行われ、すでに体系化した制度(システム)です。これに対して、一自治体の長が、たとえ緊急避難であるとはいえ、政府や他の自治体、善意の第三者への配慮を怠ったまま、思いつきで住基法に変更を加えることは許されることではありません。それが制度そのものの崩壊を招きかねないものといわざるを得ないからです。
 すでに指摘したことから引き出せることですが、世田谷区長は二重(不受理処分および今現在、調査を怠っている不作為)の住民基本台帳法違反状態にあります。世田谷区長は住民基本台帳法に従い、ただちに本件不受理処分及び健康保険証・住民票の無効処分を取り消すとともに、破棄した住民登録を回復した上、すみやかに実態を調査し、居住の事実がなかったり、他に住所とみなせる生活拠点の存在が確認できる場合を除き、回復された住民登録の有効性を追認する必要があります。
 実際に焼却してしまったなど、住民登録の破棄という違法行為を回復することが困難である場合には、次善の策ですが、改めて転入時にさかのぼった住民基本台帳を再製することも考えられます。その際に、実態調査を前置することができるとは思えませんが、再製直後に実施することは可能です。
 世田谷区長が公正証書の原本の扱いに関して、違法、脱法行為をするだけの覚悟があるのであれば、この問題の解決に向け、より適切な措置が講じられてしかるべきであると思料いたします。少なくとも、公正証書の原本を破棄するような措置が、他の措置よりもましなものとして許されてよいものとは思えません。
以上