99年9月、東海道新幹線の記録

 99年9月、東海道新幹線から0系新幹線が遂に引退する事になった。また、10月2日のダイヤ改正にて食堂車付きの100系X編成も引退する事となった為にちょっと掲載してみたい。


さよならマーク付きの0系新幹線(Yk41編成)

静岡駅を出るYk41編成とYk41編成22−2030の先頭部サイド

夜の三河安城で撮影した0系(こだま484号から撮影)

静岡駅停車中のX1編成とX1編成124−9001の先頭部サイド

100系X1編成の168型と149型


そして平成11年9月18日...


東京へ向かうYk29編成(こだま464号)と撮影地に有った0系の看板

この日は「こだま425号」に乗車予定であったが、まず自宅近くで0系を撮影しておく事に。小高い山(清水市周辺の方なら撮影場所を見れば判るかな?)へ登ると「あぶない」と書かれた看板が目についた。この看板にも0系が描かれていた。滅多に人が通る場所でも無いので暫くは0系の絵の看板が残るのであろう。そして数分待つと東京行きYk29編成を使用した「こだま464号」が通過していった。
この後、新幹線脇(上記写真の左側)に有る酒蔵の酒を間近の酒屋にて購入、静岡駅へと向かった。

静岡駅に入線してきたYk29編成「こだま425号」

静岡駅でも多数の人々が0系の到着を待っていたが、乗ろうとしている人の列はまばらであった。実際に乗車してみると指定券が売り切れている割には空席が目立ち、むしろグリーン車より普通車指定席の方が空いていた。恐らくカラ売りが横行したのであろう。東京−名古屋間の「こだま473号」も実際にはそれほど混んでいなかったようである。


16−2031(グリーン車)車内と、25−2022(普通車指定席)車内


先程、新幹線が見える場所に有る酒蔵で購入した酒を開栓し、8号車のグリーン車はデッキ以外での喫煙が認められない為にデッキへと喫煙に向かう。三河安城駅では目の前に駅長が立っており、「今日はどちらから?」と話しかけられた。大阪まで行って一泊する事と、通勤で新幹線を使っていた(テツは平成2年11月から平成3年11月中旬の間、静岡−浜松間で新幹線定期を使っていました)事等を話すと発車となった。考えてみれば、この頃の通勤の仲間(あえていつも顔を会わしているので「あ・・・またこの方だ」程度なのですが)の中にも、東海道本線の駅長が2名ほど居ました。当然ながら0系に乗車する機会(100系は始発の「こだま」と一部の「ひかり」だけで、博多始発・静岡停車の「ひかり54号」も0系であった)が多かったのも事実なのですが・・・。

名古屋駅に到着したYk29編成

名古屋駅のホーム西側には多数の鉄道ファンが陣取っていた。翌日の新聞によると、どうやら名古屋止の「こだま473号」が到着する際には名古屋駅のホームに約1000人が集まっていたらしい。(静岡駅でも約350人が「こだま473号」を迎えたらしいが・・・)これらのファンが翌日には名鉄の犬山橋やJR岐阜駅で「急行たかやま」の撮影に廻ったのであるが・・・。しかし、「こだま425号」は日常的な雰囲気のまま、営業列車としては0系最後の名古屋−新大阪間へと進み出した。岐阜羽島へと停車するが、こちらでもそれほど混雑は見られなかった。しかし岐阜羽島を出ると、0系が雪と戦った関ヶ原が接近する。当然ながら9月では積雪は無いのでスムーズに通過していくが、このイベントが冬であったら終焉が違った物になっていたのだろう。
新大阪の終着放送が流れる。お決まりの乗換案内・英語放送の後、「長い間ご利用下さいました0系新幹線も、このこだま425号をもって東海道新幹線からの営業を終了させて頂きます・・・」との放送が車掌から流される。イベントは名古屋で行われているが、東海道新幹線を営業運転で全線走った最終の0系は「こだま425号」だったのである。そして、新大阪駅へと入線すると20番線には、ウエストひかり「ひかり369号」が停車していた。今だから笑える話では有るが、こちらも考えてみれば、JR東海車とJR西日本車の0系が顔を会わせる風景も最後となっていた。本当に「こだま425号」は日常的雰囲気のまま終焉を迎えたのであった。

新大阪駅に到着したYk29編成(幕は「回送」で待機中)

この日に撮影した写真から


JR東海に在籍していた0系の証16−2031と25−2022の車番プレート

16−2031の外番プレートJR東海マーク入り



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