J'aime la France!
(フランス大好き)




フランスに対する筆者CAMAの考え方などを語ってみました。


フランスとの出会い

 フランスと聞いて,皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
 ヴィトン? シャネル? エルメス? それとも凱旋門? エッフェル塔? ルーヴル?
 日本にいて一般に感じるフランスのイメージとはそんなものかもしれません。僕も以前はそういうイメージのもと,フランスという国を見ていました。オシャレなファッションの国。高級でもったいぶった料理。理不尽でちょっとゴーマンな国民。一言で言うなら「いけ好かない国」,それこそ僕の抱くフランスのイメージでした。
 そんな僕がどうしてこんなにフランスを愛するようになったのか。それは,自分が一番理解できないものを学ぼうと思ったからなのです。
 大学に入るときに,僕は,自分の一番理解できないものにしようと思ったのです。きっとそのころの僕は,分からないものを分かるようにすることこそが勉学であり,分かるものを学ぶことは意味がない,そう思っていたのかもしれません。あるいは,敵を倒すにはまず敵のことをよく知らなくてはならない,そう思っていたのかもしれません。どちらにしてもかなりひねくれた高校生でした。
 まあこうして,その後,僕は大学でフランス文学を専攻するようになり,フランスについていろんなことを学ぶようになりました。そして,気が付いたときには,すっかり僕はフランス大好き人間になっていたのです。
完全なる合理主義

 フランス嫌いだった僕を,フランス大好き人間に変えてしまったものとは何なのでしょうか?
 その一番の理由は,きっとその徹底した合理主義にあると思います。それは個人主義といってもいいかもしれません。その合理主義が僕の性格と妙にマッチしたが故に,僕はフランスが好きになり,そしてヨーロッパが好きになったのだと思うのです。
 実際,向こうに行って暮らしてみて分かりましたが,日本にいるときより遥かに楽です。日本人の感覚からすれば理不尽だと思えるようなこともたくさんありますが,彼らの合理主義から考えればまったく当たり前のこととしか思えなくなります。そして,そういう空気が流れている街では,日本よりも遥かに自由があります。合理的に生きている個人が生きる限りにおいては,限りない自由を与えてくれる,それがヨーロッパの空気なのです。そして,その合理主義がもっともクールに現れている国がフランスなのだと僕は感じています。
 合理主義とは一言で言ってしまえば「理屈」です。日本語ではマイナスイメージを持つこの言葉ですが(日本では「理屈じゃない」という言葉が平気でまかり通っていますから),ヨーロッパでは「理性」という言葉と同義なのです。
 この「理屈・理性」という言葉は,フランス語で「raison(レゾン)」と言いますが(英語で言う「reason」です),「Tu as raison.(君は理性を持っている)」と言うのは「君は正しい」という意味です。これをそのまま日本語に訳すと「君は理屈持ちだ。」となってしまい,何だか正反対のマイナスイメージとなってしまうのがおもしろいところですが,それくらい日本とヨーロッパでは,理性や理屈に対する信頼度が違うのです。
 ヨーロッパのこの「raison」に対するイメージが,僕は好きです。自分を正当化できる理由を持つこと,それこそが「自分が正しい」ということの証であり,その理由を持たない者はたとえ行為が正しくても認められない。こういうある意味でクールな関係が,ギリシア以来ヨーロッパの文明の根底を流れてきたように僕は思うのです。
 それゆえ,ときには「詭弁」がまかり通ったり,言いがかりや迷信で処刑や裁判が行われたりもしましたが,そういう歴史をくぐり抜けながら,ヨーロッパは徐々に自分たちの「raison」を確立していったのではないでしょうか。ですから,今のヨーロッパの「raison」は,かなり洗練され,かなり合理的な考えに行き着いていると僕は思います。
 これが日本だと,やはり理屈は理屈で片づけられてしまい,理想は理想だと笑われてしまいます。けれど,理想を追わなくていったい何が実現できるのでしょうか? 理屈で考えなくて,どうやって人は理性的な生き物なのだと言えるのでしょうか? 結局,こうした「理屈」の弱さ,人間の理性への信頼感の無さが,今の日本をこのような状態に陥れてしまったのだと僕は思います。もし,ヨーロッパに見習うべきところがあるとすれば,この合理的精神を学ぶべきなのではないでしょうか?
 いきなり,難しそうなことを書いてしまいましたが,言葉にすると難しそうに思えるだけの話で,それほど難しいことではありません。結局のところ,人間が,そして自分がよりよく生きるためにはどうしたら良いか,そうしたことをまじめに考え,自由に発言できるのが,この合理主義なのです。
芸術をこよなく愛する国民

 フランスは芸術の国でもあります。特に絵画や彫刻といった美術の世界では,世界でもNO.1の人材を輩出しています。パリ市内だけでも幾つもの美術館が建ち並び,全部見ようと思ったら1か月はかかってしまうことでしょう。ルーヴル美術館を回るだけでも2〜3日はかかるはずです。
 その膨大なコレクションもすばらしいと思いますが,それを愛する国民の姿勢はもっとすばらしいものです。パリ市内を散歩していると,必ず絵を描いている人を見かけますし,モンマルトルの丘に登れば,実に多くの絵描きに出会えるはずです。ギャラリーも市内あちこちに多数点在しており,この街が美術の都であることを思い知らされます。第二次世界大戦当時,ドイツ軍に攻められたフランスが真っ先に行ったことは,ルーヴル美術館の美術品の移動であるといった逸話もあるくらいです。
 フランスというとどうしても美術のイメージが強いですが,音楽やバレエ,演劇,映画といったエンターテインメントもフランス人は大好きです。有名なオペラ・ガルニエをはじめとして,パリ市内にはたくさんの劇場がありますし,教会でもよくコンサートが行われます。また,フランスの各地に演劇センターがあるというのもフランスならではでしょう。
 芸術を志す人材の育成にも国をあげて取り組んでいます。芸術を志す学生のうち,優秀な人には国から奨学金が出されますし,卒業後も国が援助金を出すこともあります。こういった政策が,税金の無駄使いだとも一部で言われていますが,この姿勢はほかの国には真似のできないものでしょう。
 「芸術気違い」とまで思えるフランス人ですが,日本人である僕にとってはうらやましい限りです。我が国にここまでやれとは思いませんが,せめて「まともに使える」劇場の一軒でも東京に建てるわけにはいかないものでしょうか?
思想と文学

 先ほども述べたように,理性を司る「言葉」に重きを置くフランスでは「国語」というものに非常に敏感です。最近,外国語を排除するような法律ができたのにはちょっと疑問を抱かざるを得ませんでしたが,自国の言葉を大事にするというのは良いことです。言葉が根底にあって,文化が生まれ,国ができるのですから,言葉が滅んでしまったら国も危機に陥ってしまいます。
 それよりも何よりも,言葉が通じ合わないということはコミュニケーションができないということになります。コミュニケーションの欠如による結果がどういう惨劇を招くかは,人間の歴史が証明する通りですから,やはり,言葉というものは大事なものなのだと思わずにはいられません。
 実際どこかの国では,言葉が乱れまくり,その結果として,コミュニケーションの欠如やモラルの低下が現れ始めています。もうちょっと,考え直した方がいいのではないでしょうか。
 それはそうとして,言葉から生まれる思想や哲学,そして文学というものに対し,フランス人はただならぬ関心を持っています。その言葉に対するこだわりとフランス人がもとから持っている現実主義や合理主義が,さまざまな優れた思想や文学を生み出しました。
 詳しいことは「文学サロン」の方に書きたいと思いますが,フランスの思想や文学は,ほかの国の思想や文学よりも「理性的かつ情熱的」なものであると僕は思います。ときとして,これらの作品が難解だとか言われるのは,フランス語を日本語へと訳すときに起こる語彙の問題であり,実際には難解と言うよりも,理論的でかつ人間的であるということが多いものなのです。
 こうしたフランスの文学や思想の世界観が僕は結構好きなのです。
それでもやっぱりオシャレな国

 冒頭でフランスに対して抱くイメージをざっと述べましたが,やはりフランスは芸術の国というだけあって,ファッションやデザインなどセンスの良さを感じさせるものが多いです。
 僕はファッションの世界にはあまり詳しくないのでここでは触れませんが,それでも何となく,見ていてきれいだなあとかセンスがいいなあと思う洋服やアクセサリーなどは大抵フランス製だったりしますから,やはりオシャレなのでしょう。
 デザインに関しても,お隣の国イタリアと並ぶデザイン大国で,パリ市内に建っているさまざまなモニュメントやビルを見るだけでもそのセンスの鋭さが伺われます(ただし,デザイナーはフランス人とは限りませんが...)。
 僕が特に好きなのは,時計や万年筆といった小物のデザインです。たとえば,モンマルトル辺りの趣味でやっているような小物屋でも,実にセンスの良い小物に出会うことができるのです。しかも,そういうものの多くが手作りだったりするので,よけいにうれしくなります。
 街を歩く人たちの格好もオシャレですね。イタリア人でもお金持ちのおじさんおばさんは結構いいセンスをした服装をしていますが,若者はお金がないので結構ダサイことが多いものです。そこへ行くとフランス人は若者でも結構カッコよく決めて街を歩いています。いいモノが豊富にあるということもその理由なのでしょうが,あまりお金をかけなくてもうまく工夫して着こなすということを直感的に知っているようで,この辺りにフランス人のセンスの良さを感じます。
 イタリアのデザインも優れていると思いますが,原色を中心としたカラフルなイタリアンデザインにはない,モノクロームや淡い色が中心のシンプルなフレンチデザインもなかなか捨てがたいものがあります。やっぱりオシャレな国なのです,フランスは。
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