パリにとってセーヌ川がどれくらい重要なものかということはあえて語るまでもないかと思いますが,このタイプの都市としてほかの街と少し様子が違うのは,パリはセーヌ川こそが街の中心部であるという意識ではないでしょうか。ロンドンにしても,ローマにしても,川が街の中心地を流れていることには変わりありませんが,街の主だった機能はどちらかの側に片寄って集中しており,川はそれを隔てる一種の障害物という側面も多く持っています。ブダペストに至っては,川の両側で「ブダ」と「ペスト」という2つの街が合体したという歴史を持っているほどです。 | ||||
ところが,パリはセーヌを挟んで両側にうまく都市の機能が分散しています。確かにパリも歴史を見てみると,古くから開けていたセーヌ北部の右岸(リヴ・ドロワ)のほうにその機能が集中していたのですが,現在ではセーヌ南の左岸(リヴ・ゴーシュ)のほうが山の手的な先進地として人気があり,右岸は政治,左岸は文化といった感じでうまく機能が分けられているのです。ちょうどニューヨークのマンハッタンとソーホー,東京の丸の内と青山といった関係と感じは似ていますが,それがセーヌを挟んで近い場所に存在しているというのがパリの特徴です。セーヌは両者を断絶もしていなければ,完全に慣れあいにするでもないという微妙な関係を保っている境界線として,パリの中心的な場所となっているのです。 | ||||
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最後に,アポリネールの有名な誌の一節を。 ミラボー橋の下をセーヌは流れる 時は流れる,僕はたたずむ | ||||