DUOMO(ドゥオーモ)

晴れた日のドゥオーモ。石の色も白く輝きます
 ミラノと言えばまずは「ドゥオーモ」です。「ドゥオーモ」とはイタリア語で「大聖堂(カテドラル)」の意味ですから,イタリアの各都市には必ず一つは「ドゥオーモ」と呼ばれる教会が建っていることになります(ローマは別格)。

 大聖堂というくらいですから建物はかなり大きいです。そして,必ず都市の真ん中にドゥオーモは建っています。逆に言えば,このドゥオーモを中心にして,都市が形成されているのが中世の都市の特徴であり,イタリアのほとんどの都市はこのタイプなのです。イタリアの都市はほとんどこのドゥオーモを中心にしてできていると言っても過言ではありません。

 街の中心に大きい建物がそびえている,というのは何かしら人の心を落ち着かせます。そこがこの世界の中心である,という確固たる信念を人々に与えてくれるからかもしれません。とにかく,街の中心地にドゥオーモがあり,その周りに広場があり,というのがイタリアの都市のパターンです(イタリアだけでなくヨーロッパの都市のほとんどはこの形態です)。そして,この構造自体が都市にある種の落ち着きを与えていることは確かです。都市に住むイタリア人にとって,ドゥオーモこそが街の中心であり,普段の生活における心のよりどころであることだけは今も変わっていません。

 僕もミラノに8か月住んでいましたが,毎日のようにこの建物を見ながら暮らしていると,不思議とこの建物がこの世界の中心であるような気がしてくるものです。いつも変わらぬ姿で建っている巨大な石の建物。それが日常の風景になるにつれ,この建物が持つ「力」というものが感じられてくるのです。

 たとえば,どこかの街に旅行に行った後ミラノに帰ってくるようなとき,「ああ。帰ってきたんだなあ。」ということをまざまざと感じさせてくれるのがドゥオーモなのです。ドゥオーモを見ると自分がミラノにいるということを実感できます。そのことから「自分が何かに属している」というアイデンティティーのような安らぎにも似た感情を感じられるのかもしれません。個人主義のヨーロッパでこうした帰属意識を感じられるということが,実はとても大きな心のよりどころになっているのかもしれませんね。

霧のドゥオーモ。こういう日のドゥオーモも荘厳で素晴らしいものです
 話はちょっとそれましたが(でも,ドゥオーモとはこういうものなのです),ミラノのドゥオーモはイタリアに興味のある方なら,その姿は誰もが知っているでしょう。「フラン・ボワイヤン様式(フランス語で「炎のように見える」という意味)」と呼ばれる炎のような姿をした形状のファサードを持った外観が特徴の後期ゴシック建築です。

 何でも,建立には500年以上もかかったというほどの大作でして,その分,確かに人を威圧するような凄さがあります。大きさでもイタリアではヴァチカンの大聖堂に次ぐ規模を持っており,全カトリック教会の中でも5本の指には入るのではないかというくらいの大きな教会です。

 すごいのは大きさだけではありません。カトリック教会というのは,知っての通りかなり上下関係が厳しいヒエラルキー社会なのですが,ここミラノのドゥオーモはカトリック教会のヒエラルキーでもかなり上位にくる教会なのです。詳しいことは知りませんが,確か北イタリアでは一番権威を持った教会のはずです。北イタリアで一番ということは,イタリアではヴァチカンに次ぐナンバー2の教会ということで,その権威はかなりものです。ミラノをはじめとする北イタリアは経済の中心地でもありますので,献金額などから言っても,カトリック教会内ではかなり重要なポイントを占めているはずです。

 もちろん,日曜日などにはミサが行われていますが,観光客も後を絶ちません。ミラノは特に観光ポイントが少ない街なので(ガイドブックに載っているような名所旧跡がないという意味でですが),ドゥオーモには観光客が集中します。と,言うわけで,ドゥオーモ前の広場には(かなり広い広場があります),年がら年中たくさんの人がごった返しています。各国からの観光客をはじめ,地元のひまそうな若者たち,アフリカから出稼ぎに来た黒人,モノもらいの乞食,はてにはひったくりで有名なジプシーなどがうろうろしているのです。ここだけ見ていると,ミラノという街はずいぶんインターナショナルな感じがします。

 1日や2日だけここを訪れる観光客からすれば,ここはずいぶんにぎやかな観光地という感じがしますが,ミラノに住んでいるミラネーゼからすれば,この光景が日常の風景なのです。もちろん,ジプシーの顔も知ってますし,黒人たちの顔も見慣れています。よく友達や知り合い同士がばったり出会ったりもします。ここは,人と人が行き交う場所であり,さまざまなドラマが織りなされる空間でもあるのです。ここに一日中座って,行き交う人を眺めているだけでも,きっと退屈しないでしょう。

 あまりドゥオーモ自体のことについては触れられませんでしたが,ドゥオーモはその中身がどうとか建築がどうとかという話より,そこに集う人々や,ドゥオーモ自体が人々に与えている安心感といったもののほうがミラネーゼにとっては重要なことのような気がします。実際,僕もドゥオーモの中に入ったのはせいぜい5回くらいで,どちらかと言えば,ドゥオーモの見える風景やそこに集う人々の姿のほうが,見ていて楽しくまた想い出深いものがあります。要するに,ドゥオーモはミラネーゼの,そして僕にとっての心のよりどころなのです。



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