CASTELLO DI SFORZESCO(スフォルツェスコ城)

スフォルツェスコ城の正面。
前にバスターミナルが見えます
 ミラノには,ローマやフィレンツェ,ヴェネツィアのように観光ポイントとして楽しめるような場所は,はっきり言ってあまりありません。でも,だからと言ってこの街に見るものがないかと言えばそんなことはありません。スカラ座を初めとする数々の劇場や,ミラノモーダを代表するブティック街,そのほか季節によってさまざまな表情を見せるギャラリーや見ているだけでも楽しいデザインあふれる家具店など,ミラノは毎日住んでいても飽きることがない街なのです。ただ,ミラノには,ローマのコロッセオやヴェネツィアの大運河のような,いわゆる「観光」っぽい建造物が少ないので,観光パックに慣れている日本人観光客にとってはちょっと物足りません。そんな我がミラノにとって,ドゥオーモ以外に唯一観光ポイントとして成り立つようなモニュメントが,このスフォルツェスコ城なのです。場所は,ドゥオーモの正面から延びている道をまっすぐ500mくらい行ったところです。ドゥオーモからすぐに見えるので,分かるでしょう。そう言えば,よく観光ツアーのような人たちが,ドゥオーモ〜スフォルツェスコ城の間を歩いていたのを見かけました。

 元々,ミラノは中世を通して公国という立場を貫いてきたという歴史があります。中世のイタリアは小国家が乱立しているような混沌とした状態にありましたが,その中でもミラノ大公国は,ローマの教皇領,フィレンツェ共和国,ナポリ王国,ヴェネツイア共和国などと並ぶほどの大きな国でした。当時の北部イタリアのほとんどを支配していたこともあります。

 位置的にもミラノ公国はイタリアでもっとも北にありました。ですから,フランスやドイツのような大国の脅威に絶えず備えなくてはならなかったのです。言ってみれば,イタリアでももっとも脅威にさらされている国だったわけで,そういう意味でミラノ大公国は独立を保つため,武力を常に必要としていたのです。そんな軍事国家ミラノを統治していたのがスフォルツァ家です。そして,スフォルツァ家の城がこのスフォルツェスコ城(イタリア語で「スフォルツァの城」という意味)なのです。

 イタリアを初めとして,ヨーロッパの街はほとんどが城塞都市という性格を持っており,街の周りをぐるっと城塞が囲んでいることがほとんどですが,その代わり,城主の城の周りをぐるっと壁で囲むなどというようなことはないのが普通です。街の周りの城壁が崩されたら,その街はそれで終わったも同然なのです。しかし,このスフォルツェスコ城の周りにはぐるっと城壁が囲み,外には堀さえあります。もちろんミラノの街の周りには城壁があります。それ以外にこれだけものものしい外観を持った城はイタリアでも珍しいはずです。つまり,それだけ警備を固める必要があったというわけで,この城を見ていると,その当時のミラノ公国の実状が思い出されたりもします。

 まあ歴史はいろいろとありますが,今のスフォルツェスコ城はミラネーゼの憩いの場となっています。お城の中は広い中庭と,それを囲む城壁と一体化した城という構成になっているのですが,城の中は今では博物館&美術館となっており,ミケランジェロの「ピエタ」もここに保存されています。また,たまにお城の中庭でコンサートやイベントが催されたりして,ミラノのイベントスペースといった感じもあります。イタリアでは,日本の都市には必ずある多目的な公共の会館やスタジアムみたいなものがないので,よくお城の中庭などを仕切って映画の上映やコンサートなどを行ったりするのです。特にバカンスに入った夏の間は,市が主催するイベントが頻繁に行われるので,バカンスに行けないミラネーゼが夜毎に集まってきて,楽しんでいます。これが結構楽しくて,僕もよく夏の夕べを過ごしに行った記憶があります。

 スフォルツェスコ城の裏にはセンピオーネ公園というばかでかい公園があるのですが,ここはまさにミラネーゼの憩いの場となっている緑豊かな公園です。こことスフォルツェスコ城とは合わせて1つの場所みたいなもので,日曜日などに散歩に来たりジョギングをしたりするミラネーゼは多いです。また,この辺りは緑が多いので,街から近いにも関わらずどことなく落ち着いた雰囲気が漂っています。ですから,ミラノの石畳の街並みに疲れたら,ちょっとこの辺りになごみに来るのもいいかもしれません。ちなみに,ミラノから出発する長距離バスは,このスフォルツェスコ城の前から出発します。(Ottobre/4/1998)



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