イタリアってどんな国?



イタリアについての基礎知識です。


はじめに(Introduzione)

 「イタリア」という言葉から我々が連想するのは,陽気な人たちと明るい日差し,そしてイタリア料理とワイン,カンツォーネ...といったイメージではないでしょうか。
 このイメージこそは,我々日本人が抱くイタリア的イメージとしてもっともポピュラーなものです。これは主にナポリ方面のイタリアのイメージだと思いますが「イタリア=ナポリ」ではもちろんありませんし,イタリアってそんなに単純な国ではありません。
 確かに,このようなナポリ的イメージも,ある意味での正しいイタリアのイメージなのかもしれません。かくいう僕だって,最初はそんなイメージしかありませんでした。しかし,より深くこの国を知るようになってからは,日本人のそうしたイメージと実際のイタリアの間には結構なギャップがあるような気がしてきたのです。
 こうした文化的ギャップは,何も日本人だけが持っている偏見ではなくて,たとえばアメリカ人の観光客も同じようなイメージを持ってイタリアにやってきます。また,日本に来る外国人の多くが「日本=京都」というイメージを持っているのもこれと同様な現象でしょう。
 異文化を理解するには,その土地へ行ってみなければ分からないことがたくさんあります。そして,その土地へ行ったら,いろんな人たちと触れあって,そこで初めてその国というものを理解できるきっかけをつかめるのだと,僕は思います。
 このページでは,そうした「本物のイタリア」のいくばくかでも,イタリアを愛している(あるいは興味を持っている)人たちに伝えられたら,という想いをこめて,イタリアについて語ってみます。


イタリアの地理・気候(La Geografia e La Clima d'Italia)

 ご存じのとおり,イタリアという国はヨーロッパでも地中海に面した暖かい地方にあります。全体に半島の形をしており,その長靴のようなユニークな形は世界中によく知られています。
 地理的に言えば,周りを海に囲まれた半島ですから,その点では島国の日本と似ていなくもありません。また,半島の背骨に当たる部分をアペニン山脈という火山帯が通っており,基本的には山がちな国です。ヨーロッパでは珍しい地震国でもあることも,日本と不思議と似通った点です。山あり,海あり,温泉あり,という,実に日本人には想像のつきやすい土地です。
 ただし,気候は日本とはまったく異なっています。ヨーロッパに一度でも行ったことのある人ならお分かりでしょうが,ヨーロッパという土地は,暖かい風を運ぶ北大西洋海流(メキシコ湾流)と,南に控える広大なサハラ砂漠のおかげで,高緯度にあるにも関わらず温暖な地方です。その中でも南に位置するイタリアは,基本的には「暑い」国です。
 ここで「基本的には」と言っているのは,南北に細長いイタリアでは地方によって気候にかなりの差があるということです。北のアオスタ州では,アルプスおろしの冷たいミストラルという北風が吹きますし,南のシチリアではアフリカから渡ってくるシロッコという熱風が吹きます。ちょうど,日本の北海道と沖縄との関係に似ていますね。ただし,日本のようなマイルドな四季というものは中央部のトスカーナあたりを除けば,ます存在しないと言ってもいいでしょう。
 このように,南北でまったく違った気候を持つ国がイタリアです。そして,このことは南北で違う形式の文化を生み出したり,経済格差を生む原因にもなっています。ちなみに,日本人の抱きがちなナポリ的なイタリアとは,南のイタリアのイメージに近いものです。


イタリアの歴史(La Storia d'Italia)

 イタリアの歴史を一口に語るのはまず不可能です。何と言っても,2700年以上の歴史を持つ国なのですから,そのスケールはそこら辺の国の比ではありません。それでもあえて,イタリアの歴史をかいつまんでみると大まかに次のようになります。
 まず,紀元前8世紀に,ローマにローマ王国が誕生。その後,幾多の危機を乗り越えながらローマは共和国となり,周りの国々を併合し大きくなっていきます。
 戦争の上手なローマ人たちは,戦争に勝ち続けながら,得意の土木工事を生かし徐々に自国のコロニーを拡大していきます。そして,あのユリウス・カエサル(英語読みではジュリアス・シーザー)が登場した紀元前50年くらいには,すでに西はスペイン,北はドイツ,南はアフリカのサハラ以北,東はシリアにまで達する大帝国となっていました。
 その後,ローマ帝国はゲルマン人の侵入などによって徐々に国力を落としていき,ついには西と東に分かれてしまいます。その後1000年以上も続いた東のローマ帝国は,別名をビザンチン帝国というくらいで,かなりイスラム,スラブ,ギリシア系の国となっていきましたが,西のローマ帝国,すなわち現在の西ヨーロッパの方はさらに分裂して滅んでしまいます。
 西ローマ帝国が分裂して出来上がったフランク王国が,さらに分裂してできたのが,今のフランス,ドイツ,イタリアの元となりました。フランスはその後着実に中央集権の王国を築き上げ,ヨーロッパの中心となっていきましたが,我がイタリアは徐々にヨーロッパの中心という座を追われていくことにななったのです。
 そんな国力の衰えたイタリアで唯一威光を放っていたのがキリスト教会です。現在でもローマはバチカンにその総本山を置くカトリック・キリスト教会は,その後も脈々とヨーロッパの文化的中心であり続けました。イタリア自体は各諸侯が治める地方都市国家へと分裂していきましたが,キリスト教会だけは変わらずその場にあり続け,いつまでも政治的威力を保ち続けていました。
 やがて,十字軍などの遠征があり,その通過点となったイタリアは商業的成功を収めるに至りました。15世紀には,有名なフィレンツェのメディチ家が中心となって,ルネッサンスとして知られる文化の繁栄も起こりました。
 文化や商業はうまくいっていたこの頃のイタリアですが,政治だけはいつまでたっても混乱が続き,小国分裂の状態が続きました。そこへ,ブルボン王朝で力をつけてきたフランスが攻め入ってきます。さらには,その後大海軍を誇ったスペインが攻め入り,その混乱もようやく収まろうかという頃に,革命を終えたフランスのナポレオン軍が攻め込んできました。
 当然ながら,政治はその後も混迷を極め,イタリアとして統一されるのはつい100年くらい前の19世紀後半を待たなくてはならなくなります。はじめは立憲君主制の王国として新たにスタートしたイタリアですが,すぐに第一次世界大戦を迎え,勝戦国にはなるもののその被害も大きく,ますます政治は混乱してきます。
 そこへムッソリーニ率いるファシスト党が現れ,旧ローマ帝国のような繁栄という夢を抱きますが,第二次世界大戦で敗れ,現在の形の共和国としてアメリカ中心の西側諸国の一員として再スタートして現在に至ります。
 なおローマの歴史について詳しくは,塩野七海さんの「ローマ人の物語」に書かれていますので参考にすると良いでしょう。


イタリアの政治(La Politica d'Italia)

 イタリアの歴史の項を読んでもらえば分かると思いますが,ローマ帝国の崩壊以来1500年以上,イタリアの政治は混乱につぐ混乱でした。そして,今もその状況はあまり変わっていないように思います。
 とりあえず,議会制民主主義を置く共和国ですが,議会では小党が乱立するという状態がずっと続いています。そのため,政権は常に不安定で短命。これがイタリアの伝統となってしまったのか,汚職事件も後を絶たず,どこかの国の政治と似ていなくもありません。
 対外的には,EUの中心メンバーとして,フランス,ドイツらとともに戦後歩んできたおかげで,比較的安定しているようです。一応,G7の一員でもありますが,G7ではきっと最低の水準の経済力を持つ国です。どうして,G7にイタリアが選ばれたのか,その辺りは僕にはよく分かりませんが,とりあえす,外交は上手な国なのではないでしょうか。
 現在,政治的に問題となっているのは,北と南の南北経済格差です。イタリアの地理の項でも述べたように,イタリアは南北に細長い国で,北と南ではまったく違う気候風土を持っています。特に,北部には肥沃で広大なパダノ・ベネタ平野があるのに比べ,南部は山がちで乾燥しているため,農業に関していえば北部の方が圧倒的に有利です。
 これに加え,トリノ,ミラノ,ジェノバなどを中心とする工業地帯も控えている北部と,主立った工業都市を持たない南部では,当然ながら経済の格差がかなり生まれてきます。
 この状態に不満を持つ南北それぞれの議員が,議会でぶつかり合うことも多く,これがいっそう政治の混迷を深めているのです。


イタリアの経済(L'Economia d'Italia)

 政治の話が出たついでに経済の話もしておきましょう。
 イタリアの政治の項でも述べたようにG7のメンバーであるイタリアは,経済的にそれほど豊かな国とは言い難い状態にあります。今,日本も「不況だ,不況だ」と盛んに言っていますが,イタリアはこの不況がずっと何十年も続いている国なのです。若者の失業率もかなり高く,多くの若者がヒマそうに「プー」していたりします。これは,イタリア人が不真面目だからではなく,単に仕事がない場合も多いのだということを知っておいてください。
 通過であるリラは長い間インフレを起こし続け,一時期は「1リラ=0.06円」というようなレートにまで落ち込みました。このような状態ですから,通貨の価値はとても低く,現在発行しているお金の最低単位は50リラです(5円くらいの感覚ですかね)。立ち飲みのエスプレッソ1杯が1,300リラくらい(100円くらいかな),2部屋ついたアパルタメントの一月の家賃が1,000,000リラ!(ミラノ価格:8万円くらい)というように,お金を数えるのにひどく苦労します。
 今は,リラのインフレも止まったようで,長引く不況から徐々に脱しつつある状態ということですが,今でも決して豊かなわけではありません。かと言って,貧しいとかと言うとそうでもなく,北部イタリアにいる限り,それほど貧しい感じはしません。
 貧しさを感じるのは特に南部です。イタリアの政治の項でも述べたように,イタリアでは南北で本当に深刻な経済格差があり,南に行けば行くほど仕事がなく,貧しくなっていきます。南部の若者の多くが,豊かな北部に仕事を求めて移り住み,南部の街では過疎に悩むところが少なくないようです。
 北部は北部で,やっと復活してきた自国の経済力を南部のために浪費したくない,というように思っている人も少なくありません。元々,国という単位よりも,街という単位でものを考えるイタリア人ですから,問題は結構深刻です。中には,北と南を分割しろという極端な意見を持つ北部の右翼政党もいたりして,なかなか複雑な経済状況となっています。


イタリアの産業(La Produzione d'Italia)
 経済ついでにイタリアの主立った産業も紹介しておきましょう。

 イタリアと言えば,ワイン,パスタというイメージがあるかもしれませんが,確かにイタリアはヨーロッパでも有数の農業国です。ただし,国全体が山がちなので,有名な小麦や米などの作物は,北部ポー河流域のパダノ・ベネタ平野が中心です。これらの小麦粉からパスタやパンが生まれ,米からはリゾットやピラフが生まれるわけです。
 また,山がちで乾燥している南部では,ブドウやオリーブの栽培が有名です。ブドウはワインに,オリーブはオリーブ油になり,それぞれイタリア人の生活に欠かせないものとなっています。
 イタリアと言えば農業というイメージが浮かびますが,工業も捨てたものではありません。北部のトリノ・ミラノを中心とする工業地帯では結構いろいろなものを作っています。
 有名なのは自動車でしょう。フィアット,アルファロメオ,フェラーリといった有名な自動車メーカーが多く存在します。また,元々タイプライターを作っていたオリベッティは,今や一大OAメーカーとなっていますし,デザインに優れた時計や文房具,家具なども有名です。
 忘れてならないのはデザイン。イタリアンデザインは,今や世界を大いに沸かせています。プラダ,グッチ,フェラガモといえばご存じ,革製品やバッグ,靴などのファッションデザインで有名。ジョルジョ・アルマーニやジャンニ・ベルサーチ,ヴァレンティノ,トラサルディとデザイナーズブランドを挙げればキリがないほどです。
 最後にもちろん,観光も重要な産業の1つです。


イタリアの言語(La Lingua d'Italia)

 イタリアの言語は当然イタリア語です。
 イタリアは植民地をあまり持たなかった(持てなかった?)ため,母国以外でイタリア語が話されることはごくまれで,本国でしか通用しない言語であると言ってもあながち間違いではありません。それにも関わらず,イタリア語を学びたいという人は今でも結構いるようで,どうしてこんなに役に立ちそうもない言葉を高いお金を出して学ぼうとするんだろうと疑問に思うこともありますが,それだけ,イタリアという国自体に魅力があるということの現れなのでしょう。
 イタリア語は,その明快な母音とイントネーションが特徴の言語です。母音は基本的に日本語と同じ「a,e,i,o,u」の5つしかありませんから,日本人にとって親しみやすい言語です。基本的には「ローマ字読み」で,ある程度読むことができるはずです。
 イタリア語は発音が明快なので,聞いた感じが明るい印象です。イントネーションも「タララーラ,タララッララ」という具合に,リズミカルかつ音楽的なので,音楽や詩などに向いています。カンツォーネやオペラがこの国で生まれたのは,こうしたイタリア語の持つ響きのためでしょう。
 イタリア語と一口に言っても南北でやはり差があります。その違いを一言で言うなら,明瞭な固い発音が特徴の北部に対し,やや弛緩した音を特徴とした南部といったところでしょうか。シチリアあたりに行くと,スペイン語かと思うほど音が変化してきます。また,同じ北部や南部でも,土地によって方言が存在します。
 基本的に,公用語となっているイタリア語はフィレンツェを中心としたトスカーナ方言です。イタリアでは,ここの言葉がもっとも美しいとされているそうです(そういうことをフィレンツェ以外の街で言うと,間違いなく文句を言われますが...)。
 日本の語学学校などで教えているイタリア語も,このトスカーナ方言,あるいは北部のイタリア語です。ですから,語学学校でイタリア語を学んで,いきなり南部に旅行などに行くと,かなり戸惑うことになります。ナポリあたりでもずいぶん違いますから,もし行くようなことがあれば注意しましょう。


イタリアの宗教(La Religione d'Italia)

 カトリック・キリスト教の総本山をローマのバチカンにいただくイタリアは,国教をカトリックとするカトリック教国です。法王様のお膝元ですから,人々の信仰心はかなり厚いものがあります。毎週,日曜日の安息日になると街中の店という店が休業し,教会にミサへと出かけていきます。テレビでも,毎週日曜日の朝になると法王様のミサが放映されます。
 最近,ミラノなどでは日曜日も営業するスーパーマーケットが現れましたが,基本的には日曜は買い物ができないので,土曜日になるとあちこちで大買い出し大会が始まります。みんな,クルマのトランクいっぱいに買い物袋を満載して帰っていきます。
 街の中心には必ず教会があり,それが街のシンボルとなっています。逆に言えば,イタリアの街は教会を中心に形作られているのです。教会の前には大抵広場があり,その広場を囲むように商店が広がるというのが,どこへ行っても変わることのないイタリアの街のパターンなのです。日本では「城下町」という都市のパターンが多いですが,イタリアの街は教会を中心としている「寺下町」が多いのです。
 カトリック・キリスト教は,日本人よりなじみのあるプロテスタント・キリスト教とはやや趣を異にしています。大ざっぱに言ってしまえば,より形式的で,よりいい加減なところがあります。その辺りがイタリア人の気質と合っていたのか,イタリア人が作った宗教だからこうなってしまったのか,その辺りは定かではありませんが,「信仰心が厚い割には快楽主義」というのがイタリア人であり,またそれを許しているのがイタリアのカトリックであるように思えます。
 要するに,敬虔なカトリック教徒であってもイタリア人はイタリア人であり,それほど堅苦しく宗教のことを考えている人は,現在ではかなり少ないのです。と言って,決して教会のことをないがしろにしたり,宗教心を忘れたりすることもないわけで,結局のところ「いい加減で」上手に教会と付き合っているのがイタリア人なのではないでしょうか。


前に戻る