TANGO TANGO

アルゼンチン・タンゴとは何か?


はじめに

 タンゴと聞いて皆さんは何を連想するでしょうか?
 古い人なら「ジェラシー」なんて曲名が出てくるかもしれませんし,僕くらいの世代だと「黒猫のタンゴ」というイメージが強いかもしれません(古いか?)。映画好きの人ならベルトルッチの「ラスト・タンゴ・イン・パリ」くらいはご存じでしょうし,パトリス・ルコントの名前もそのまま「タンゴ」という映画もありました。
 このように,我が国でも決して知名度が低いとは言えないタンゴですが,アルゼンチン・タンゴとなるとどうでしょうか? ほとんどその実体を知らないと言う人がほとんどだと思います。
 しかし,アルゼンチン・タンゴという音楽は,強烈なビート感と美しい旋律を持った実にすばらしい音楽なのです。現在ではマイナーな音楽となっていますが,一時は世界中のあちこちでこの音楽が演奏されていた時代もありました。また,最近ではアストル・ピアソラの作ったモダン・タンゴが,ヨー・ヨー・マやギドン・クレーメルを筆頭とする世界中の音楽家たちの注目を集め,新たな境地を開こうとしています。要するに,アルゼンチン・タンゴとは,古き良きダンス音楽であると同時に,世界でも先端を行くコンテンポラリーミュージックでもあるのです。
 そんなアルゼンチン・タンゴのすばらしい世界を皆さんにもお伝えしたいと思い,このページを作りました。

タンゴの誕生

 タンゴが生まれたのは今から約100年前,19世紀の終わり頃に南米はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでだと言われています。この頃,南米はヨーロッパから移住してきた白人たちと,アフリカから労働力として連れてこられた黒人たち,そして原住民のインディオ系の人々とがごっちゃになって,一種カオス的な雰囲気を作り出していました。別に,これは南米だけの話ではなく,今はアメリカ合衆国が栄華を極めている北米でも同じような状況だったのでしょう。ただ,北米と南米で決定的に異なっていたのは,北米がアングロサクソン系の移住者が多かったのに対し,南米はラテン系の国の移住者が多かったということです。
 このような19世紀末の南米というカオス的状況の中で,タンゴは生まれました。いわれは諸説ありますが,黒人たちの持ってきたアフリカ系音楽の強烈なリズムと,白人たちの持つヨーロッパ的クラシックの旋律が混じり合ってできた音楽だと言われています。このことは,何もタンゴだけに当てはまる話ではなく,お隣ブラジルのサンバやルンバ,キューバのサルサ,レゲエ,アメリカのジャズも同じような起源を持つ音楽です。アメリカ大陸には混血の人が多いですが,音楽もこれと同様にかなり混血的なものが生まれたのです。

タンゴのふるさとブエノスアイレス

 話をタンゴに戻しますが,タンゴの生まれたブエノスアイレスという街は南米でももっとも大きな都会であり港町であります。とりわけ,19世紀末のブエノスアイレスは,国際貿易港としてかなり栄えました。そもそもアルゼンチンという国は,広大なパンパ(平原)を持った国だけあり,穀物や牛肉などの大輸出国として栄えていたのです。穀物の収穫など仕事も山のようにありましたから,ヨーロッパの貧しい国や地方から渡ってくる出稼ぎや移民も後を絶ちませんでした(「母を訪ねて三千里」のマルコのお母さんを思い出してください)。
 しかし,こうした港町にはいつの世も多少うさん臭いところがつきまといます。定住の地をを持たない船乗りたちが一夜の夢を追い求めて淫売宿に出入りしたり,大麻の貿易や密輸入,はては人身売買までいろんなことが行われていたようです(「ネイキッド・タンゴ」という映画はこの辺りのことをよく捕らえている作品です)。
 ブエノスアイレスの街は繁栄を極めていたので,表通りにはヨーロッパばりのきらびやかなカフェや店が建ち並び,「南米のパリ」とまで言われるようになりました。しかし,一方で貧富の差はどんどん広がっていき,貧しい小作や労働者は過酷な労働を強いられました。その結果,裏通りの方は世界でももっとも危ない地域として恐れられるようになったのです。
 タンゴが生まれたのは,ブエノスアイレスのボカ地区と言われる一角だと言われています。このボカ地区は,港町ブエノスアイレスの中でも,このような貧しい「裏町」でした。このボカ地区の,貧しい労働者や娼婦たちのたむろするカフェで,ギターを伴奏に踊られていたのがタンゴだというわけです。まさにカオスの中から生まれた音楽なのです。

その後のタンゴの発展

 このように,貧民街のいかがわしいダンス音楽としてして生まれたタンゴですが,その後,ダンスホールなどを中心に盛んに踊られるようになりました。もとより,ラテン系の移民が多いアルゼンチンですから,踊り好きなのは言うまでもないでしょう。人々の娯楽としてタンゴはブエノスアイレスの風物詩になっていき,果てはそれを見たヨーロッパの人たちによって,ヨーロッパ大陸へと伝えられていきました。
 この過程で,初めはギターやバイオリンで細々と演奏されていたタンゴも,次第にダンスホールなどの大きな場所でも演奏できるように,ピアノなどの音の大きな楽器が求められるようになりました。そんなときに出会ったのが,タンゴの華である「バンドネオン」です。
 バンドネオンという楽器を知らない人もいるかと思いますので,ちょっと説明しますと,アコーディオンのようなじゃばらのついた楽器です。大きさはアコーディオンよりも小型で,箱形をしています。アコーディオンと大きく異なるのは,鍵盤が付いていなくて,代わりに幾つものボタンが両脇についていることです。この楽器の特性については後で述べますが,もともと携帯用オルガンとしてドイツで作られた楽器でした。
 それを誰かがアルゼンチンに持ち込み,これがタンゴと出会ったのです。和音を奏でることができ,メロディーも弾けるこのバンドネオンは,やがてギターの座をうばい,タンゴの主役楽器として成長していったのです。

アルゼンチン・タンゴとコンチネンタル・タンゴ

 「タンゴ」と一口に言ってしまいましたが,実はタンゴにはヨーロッパを中心に発達したコンチネンタル・タンゴと,本場アルゼンチンで発達したアルゼンチン・タンゴとがあります。ここで主に語っているのはアルゼンチン・タンゴですが,それではこの2つはどう違うのでしょうか。
 冒頭に出てきた「ジェラシー」などのタンゴは,実はコンチネンタル・タンゴに当たります。日本でも1930年代にタンゴがはやったことがありますが,日本に入ってきたものはほとんどこのコンチネンタル・タンゴと言ってもいいでしょう。一言で言うなら「派手な」タンゴ,「華麗な」タンゴという形容があっているかと思います。
 コンチネンタル・タンゴは,20世紀初頭から半ばにかけてヨーロッパで発展した音楽ですが,いかがわしい感じのするタンゴをより「洗練して」「上品に」した感じとなっています(もちろん,当時のヨーロッパのブルジョア風な感覚です)。ダンスホールで踊るために,多くは大編成のバックバンドで演奏されます。音楽的には,よりクラシックに近く,指揮者が立って,バイオリンのシンフォニーやドラムなどの入ったビッグバンドを指揮する形となります。音が厚いのでダンスホールやコンサートホールには向いているのかもしれませんが,やや洗練され過ぎて「骨抜き」になってしまっている気がします。よくラジオのイージーリスニングの番組などで,このコンチネンタル・タンゴがかかっているのを聞くと,妙にこっ恥ずかしい気分になってしまいます。
 しかし,実は我々日本人が「タンゴ」と言ってイメージするのはこのコンチネンタル・タンゴの場合が多いのです。僕も昔はそうでした。ですから,タンゴと聞くと「えっ!」と一歩引かれてしまうことが多いのですが,僕がここで語ろうとするアルゼンチン・タンゴはこのコンチネンタル・タンゴとは一線を画している音楽なのです。そこで,これからそのアルゼンチン・タンゴについて説明してみたいと思います。

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