TANGO TANGO

音楽としてのアルゼンチンタンゴ

〜タンゴ=ロックンロール?〜


■タンゴ=ロックンロール?

 唐突なタイトルをつけてしまったので,驚かれる人もいるかもしれないが,僕のタンゴへの接し方はロックへのそれと非常に似ている。というよりも,タンゴはタンゴだからという耳で,僕は音楽を聴いていないのである。タンゴであろうが,ロックであろうが,はたまたクラシックでもジャズでも演歌でも津軽三味線でも,僕の中ではほぼ同一の「音楽」という物差しではかられているだけなのだ。一言で言うなら,そこに魂があるかどうか,ロックで言うスピリット,ジャズで言うソウル,タンゴで言うコラソン,こういうものが心の琴線に触れるかどうか,そういうところで僕は音楽と一体になることができる。

 そう言う意味で,僕の中でタンゴとロックはその激しさにおいて,その悲しさにおいて,とても似通ったものをもった音楽だということができるのだ。もっとわかりやすく言うなら,ロックの根幹を流れるビートと,タンゴの根幹を流れるビートに共通する前のめりなアタック。また,ロックギターのわざと音をひずませる「ディストージョン」などの技法と,タンゴのバイオリンがわざとノイズを発生させる「ギーコ」や,コントラバスやピアノが故意に楽器を叩きつける「ゴルペ」といった奏法の類似点。そして,なんと言っても,そうやってわざと音をひずませながら,音を叩きつけながら,激しくビートを刻みながらも,その裏に流れるメロディのなんと甘美で悲しいことか。こうしたいろいろな共通点を持った音楽が,ロックとタンゴなのである。

 こうした観点から,ここでは,タンゴとロックの根底に流れる「ビート」と「魂」について語ってみたいと思う。特に僕と同じような若い世代の人たちに,ぜひともこの思いを理解してほしいと思う。


■ビート

 前にも述べたように,タンゴの基調は2ビートだ。ただし,実際に聞こえてくるビートはいわゆる「4つ打ち」といわれる4ビートである。その4つの拍のうち,特に1と3に当たる拍が強拍となってリズムをぐっと引き締めているのがタンゴの特徴なのだ。そして,強拍に当たる1拍と3拍をやや前のめりにアタックするというその独特な奏法(これを俗に「引っかけ」と言う)が,タンゴの粘るようなグルーブ感を醸し出していることも前に述べた。単純に言えば,タンゴとは「前のめりの4ビートリズム」を軸とした音楽なのである。

 これに対し,いわゆるロックの典型は8ビートである。8ビートとは単純に考えて,4ビートをさらに細かく2つに分けたものということになる。つまり,ロックのビートは,タンゴの倍ということになる。ただし,音楽の世界では,2→4→8→16と,1小節内に存在する拍の数が多くなっていっても,それは単純に音符を分解していっただけと捉えることもできる。こう考えると,8ビートはあくまでも4ビートの派生でしかない。実際,8ビートのロックで,ドラムやベースといったリズムセクションが,まったく8つの拍を同じようなフィーリングで刻んでいることはまずないと言っていいだろう。ロックのドラムをよく聴くと,「ズズタタズズタン」と強弱のリズムで8ビートを刻んでいることが多いのに気づくはずだ(もちろん,そればかりではないが)。

 タンゴの4ビートにしても,これはあくまで基本のリズムというだけで,モダンに近い楽曲になってくると,これが8ビートに近くなってくるものもある。たとえば,「電撃のリズム」といわれるダリエンソ楽団の演奏などでは,4をさらに細かく分割した8ビートのリズムが曲全体を引っ張っていくというものが数多く見受けられる。例を挙げれば,「オテル・ヴィクトリア」や「ヌエヴェ・デ・フリオ」などのバンドネオンのスタッカートによる主旋律は,見事に8ビートそのものであろう。ダリエンソ楽団が電撃のリズムと称されるのは,実はこんなところに理由があるのかもしれない。


■前ノリ

 このように,ロックの「8」とタンゴの「4」はきわめて近いビートだということが見えてくる。しかし,どうして同じ4ビートのジャズよりも8ビートのロックにタンゴが近いのか。それは,そのビートの感じ方に原因があるのだ。一言で言うなら,タンゴと一般的なロックは前ノリな音楽,ジャズやプログレッシブロックは後ノリな音楽ということで,ビートの感じ方がまったく逆ということになる。

 タンゴのビートの感じ方が前のめりなのは,すでに述べた通りだ。1小節内に4つの拍があるとすれば,その4つの拍それぞれのいちばん頭の位置に,音のトップの部分が来る。1つの音の出だしの部分を,音楽用語でアタックというが,そのアタックが非常に強く,アタック=トップとなっている波形がタンゴの一般的なビートである。大部分のロックもこれと似た音の構造を持っている。ロックにおいてもやはり音のアタックがかなり前のほうに来るため,前へ前へと突き進んでいくようなビート感を醸し出しているのだ。こういうビートの感じ方を,俗に「前ノリ」と呼んでいるのである。

 これと対極にあるのが,ジャズの「後ノリ」つまり「バックビート」である。典型的なジャズのビートは,後へ後へ引きずるような感じを持っている。これはアップテンポのモダンジャズでも同じで,テンポは速くなっても,ジャズらしさを失わないのは,このバックビートが生きているからなのだ。

 先ほどのアタックで言えば,ジャズのビートは拍の頭よりもやや遅れてアタックを開始する。アタックした音はやや眺めに引き延ばされ,そのまま次の拍の頭の部分へとずれ込んでいく。実は,この微妙な後へのズレがジャズのグルーヴ感を作り出しているバックビートの正体であり,こういうビートの感じ方を俗に「後ノリ」と言っている。ロックの中でも,ジャズなどのブラックミュージックに近いものや,今はやりのR&Bなどもこちらの種類に属する「後ノリ系音楽」なのである。  だから,タンゴはジャズよりも,むしろロックに近いノリを持った音楽なのである。


■激しさ

 タンゴは激しい音楽である。いささか乱暴だと言ってもいいかもしれない。

 こう書くと一部の人から猛烈な批判を受けそうだが,アストル・ピアソラの例を挙げるまでもなく,タンゴという音楽が持つパッションとエネルギーは,ほかのどんな音楽とも似ていない激しさを持っている。あえて,似ていると思うものを挙げるなら,それはタンゴにも少なからぬ影響を与えていると思われるジプシーギター並びに,それを使った舞踏であるフラメンコくらいなものだろう。

 タンゴはもともと場末の人たちのダンス音楽として生まれた。港町ブエノスアイレスで働く,日陰の男たち,文明化の波に押されて職を失い始めたガウチョ(カウボーイ)たち,そしてそんな男たちが集まるいかがわしい酒場に出入りする娼婦たち。こうした人たちが集まる,決してきれいとはいえない場末の盛り場で踊られる音楽とはいかなものであったろうか。少なくとも,上品で優雅な音楽ではなかったろう。クラシック音楽のようなテイストは,もっと後になってからフランシスコ・カナロなどが取り入れたものであり,この時点では,まだタンゴはいかがわしいダンス音楽でしかなかったのである。

 こうしたタンゴの黎明期に活躍したのは,今のタンゴの花形楽器であるバンドネオンではなかった。この当時のタンゴは,だいたいギターで伴奏をつけて踊るものが多かったのである。そこにバイオリンが加わり,ときにはピアノも加わって,今のタンゴの元ができあがった。こう見てくると薄々感づいてくると思うが,タンゴはギターやバイオリンを中心としたジプシー音楽の影響を強く受けていると思われる節がある。つまり,スペインギターやフラメンコ,ハンガリアンバイオリンなどと源流を同じくする音楽なのだ。

 これらの音楽の特徴は言うまでもなく,「激しさ」と「悲哀」である。そして,現代のロックンロールも,まさにこれと同じような発生の仕方をし,激しさと悲哀を切々と歌ってきた「反抗の魂」なのだ。この点で,タンゴとロックの激しさは,とても似ている。社会的な弱者が,そのやりきれない気持ちを踊りに託す,あるいはビートに託す。これこそが,タンゴとロックが共通して持っている根っこの部分なのだ。ステレオを前に,優雅に聴いていられるような音楽ではないのである。心を強く揺さぶられ,体が動かずにはいられないような,激しいビートを持ったダンス音楽なのだ。


■ノイズ

 ロックでは,その音楽の中で「ノイズ(雑音)」を多く使用する。わざとノイズを混入させることで,音楽の中に激しさを加えたり,アクセントをつけたりするためだ。例を挙げれば,エレキギターの音をわざとひずませる「ディストージョン」や,弦をひっかくように滑らせ音を一気に高低させる「ハンマリング」,ふつうにコードをジャラーンとかき鳴らすのではなく,「ズズズズズズズズ」とノイズ的にビートを刻む「カッティング」など,ロックにおけるノイズの例は数多い。きれいな音だけが,音楽を構成しているのではない,ということをロックは雄弁に語っている。

 しかし実は,このノイズによる奏法はロックに始まったわけではないのだ。タンゴの中でも,こうしたノイズ的な音を出す奏法はよく見られる。たとえば,コントラバスの弦や胴体をバチンと叩きならしたり,ピアノの低音部をまとめて一気に叩きつける「ゴルペ」や,バイオリンのコマを挟んだ反対側の弦をギギギと鳴らして音を出す「ギーコ」など,タンゴにおけるノイズ奏法は,古典タンゴの時代からよく使われてきた常套手段なのである。その理由の1つには,ドラムやパーカッションを持たないタンゴで,なにかアクセントのある音を出す場合に,こうしたやや乱暴な方法しかなかったということがある。タンゴのノイズはパーカッション代わりとして使われることも多く,ピアソラの演奏などでは頻繁にこの奏法が使われ,音楽に厚みを持たせている。


■魂

 以上は,音楽としてのタンゴとロックの共通点だが,そういったことよりもなによりも大事なのは,言うまでもなく,その根底を流れる「魂」である。タンゴで言う「コラソン」,ロックで言う「スピリット」だ。しかしながら,これを言葉で表現するのは非常に難しい。後は,個々の演奏を聴いていただき,理解してもらうほかないのだが,あえて言うなら,タンゴにもロックにも,ある種の悲しさがつきまとうものが多い。メロディが悲しいというよりも,その底にある魂が叫んでいるのだ。だから,明るいメジャーの曲でも,なぜか涙があふれてきたりする。

 もちろん,タンゴの中にも,たとえば演歌のように「泣き節」を切々と歌い上げて,人を泣かせるという歌もある。しかし,メジャー進行の演歌を聴くとなぜか滑稽な感じがするのに対し,メジャー進行の明るいタンゴを聴いても,人はなぜかそこに憂愁を感じてしまう。その理由は何か。

 僕が考えるには,タンゴの悲しさを引き出しているのは,曲の裏を流れる激しいリズムと,表面を彩る甘美なメロディのコントラストなのだと思う。そして,タンゴの曲自身も,甘美に流れるAメロと,悲しく激しいBメロとのコントラストから成り立っているものが非常に多い。奏法で言うなら,メロディを歌い上げるためのレガートと,激しさを強調するスタッカートとのコントラストが,曲の印象を変えていく。単純に言うなら,切々と悲しむのではなく,笑ってから泣く,あるいは泣いてから笑う,そういう激しい対象によって,人は悲しみを増幅させるのだ。タンゴの悲しみとは,悲しさを内に秘めながら,あえてそれを笑い飛ばそうとするその姿勢にある。その姿勢を見せられるたびに,僕たちはよけいにその悲しみを深く気づかされるのだ。これが,タンゴのコラソンを形作っている1つの大きな要素なのだと思う。

 ひるがえって,ロックの場合はどうだろうか。リズムの激しさとメロディの美しさというコントラストは,ロックでもまったく同じことがいえる。もちろん,メロディがしっかりした作品という条件での話だ。良くできたロックンロールは,メロディが非常に甘美である。断っておくが,これは甘ったるいバラードの話ではない。激しいビートに乗せた上での甘美なメロディという意味でのロックである。

 激しくかき鳴らすギターに乗せて,泣き叫びたくなる気持ちを抑えながら,ひたすらにマイクに向かってがなり続ける。伝えきれない想いはビートに乗せてジャンプしたり,踊りまくることで表現する。本物のロック魂とはこういうものだ。そこに,僕たちはなにか熱いものを感じ,そして共鳴する。いっしょになって踊り,いっしょになって歌う。激しさのうちにこそ,悲しみはあるのだ。そういうスピリットは,まさにタンゴのコラソンと似てはいないか。

 心理面の話でいささか抽象的になってしまったが,こういう気持ちがなければ,僕はタンゴを聴いてはいなかった。タンゴの奥底に,こうしたロックンロールにも通じる熱い魂を感じたからこそ,僕はタンゴに惹かれていったのだ。そして,その気持ちが決して間違ってはいなかったことを,昨今のアストル・ピアソラのブームが証明している。世界中の熱い魂に燃えたプレーヤーたちがピアソラに挑戦し,ピアソラの魂を感じている。楽器の性質上,クラシックからのアプローチが多いようだが,ピアソラのスピリットはロックのそれに近く,ロッカーの中でもピアソラに注目している人は多いはずだ。


 最後にもう一度あえて言おう。タンゴは退屈なクラシックより,むしろロックに近い熱い音楽なのである。


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