言わずとしれた、日本の元祖PCであります。当時としては画期的な実数型BASICをROMで搭載し、メモリは最大32KB(MBじゃないよ(^^;))を実装可能な、初めてビジネスを意識したパソコンとして1979年に登場したマシンです。

 ...とかメーカーを持ち上げておきながら、実はこれパチ品なんです(^^;)。外見こそ後から不動品を入手して中身を入れ替え、本物っぽく見せかけてありますが、中の基板には何処にもNECの文字はありません。

 この当時のPCはほぼ全ての部品がパーツ屋さんで入手可能な部品で構成されており、本物をコピーした基板(もちろん板だけで部品が付いてない)を入手すれば個人でも組立が可能だったのです。唯一ROMだけは汎用品ではありませんでしたが、バージョンUP用に純正品が市販されてましたのでこれも入手可能だったのです。今考えると随分おおらかな時代でした。

 もちろん今のAT互換機のようにコンポーネント化されているワケではないので、半田ゴテと格闘する必要があります。当時高校生だった私にとってはいささか荷が重すぎたようで(レベル1でドラゴンに立ち向かうが如し(^^;))、最初は全く動作しませんでした。当時はまだ測定器なんてテスターくらいしか持ってませんでしたから、 不良個所なんて皆目見当も付きません。

 仕方がないので、近所の行きつけのパーツ屋さんで知り合った人に頼み込んで、動くように直してもらいました。この人は本職はマッサージ師なんですが、ゲームセンターのゲーム基板を改造して他のメーカーのゲームを動作させたり、PC−8001のROMを書き換えて遊んでいたりと、今で言ったら解析屋みたいな人でした。今みたいにゲーセン基板の中古市場があって一般人がゲーセン基板を入手できるようになる前(今から15年くらい昔)の話です。

 紆余曲折あって、とりあえず動作するようになりましたが、次は置き場所に難儀しました。ケースがないので基板やキーボード、電源など内臓ぶちまけ状態で広げてやらないといけません。結局自分の部屋の押入が置き場所になりました。

 あと、CMTインターフェースの不安定さには参りました。というのも、本物では高精度の部品(1%誤差の金属皮膜抵抗など)を使っている箇所にもケチって安い部品を使ったためだとは思うのですが、わずか600bpsという低速な転送レートにも関わらず、たびたびリードエラーを起こしました。ロード時間が3分以上になるゲームをロードするときはどうぞエラーを起こしてくれるなと祈りつつテープを再生したモノです。

 私はこれで初めてコンピュータ・ミュージックというモノを体験しました。当時はまだFM音源すらパソコン向けには登場してませんでしたから(FM音源搭載のシンセは出ていたかも?でも20万以上しました)、PSG音源で3音ポリフォニック程度の音が出せる増設ボードをソフト込みで購入して曲を打ち込んだりしました。

 でも結局これは使い物になりませんでしたね。実はPC−8001には割り込みという概念がないんです。Z80のINT端子は周辺ICの何処にも繋がっていません。当然タイマ割り込みなんてモノも存在しませんから、タイミングは全てソフト任せです。これで演奏させた音楽は音数が多くなると遅くなり、少なくなるとテンポがアップしました。これはシーケンサーとしては致命的です。大枚はたいて購入しましたが結局大して使うことなくお蔵入りしてしまいました。

 まあでもこのマシンが私の原点であることには疑問の余地がありません。こういった形でこのマシンを使い始めなければ、現在のAT互換マシン群にどっぷり浸かった生活はなかったでしょう。とは言っても実は私が互換機に手を染めたのは結構最近だったりしますが、それはまた後の話で。

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