ぴゅう太


 これには「哀愁の」という修飾が付きます。何故かはこの写真を見ると分かりますね。現在手元にはこのCPU、VDPと電源、RFモジュレータくらいしか残っていません。天寿を全うする前に部品取りのために分解されてしまいました。ああ可哀想(^^;)。

 元々定価5万8千円の所1万8千円で購入したところからして、もう私の頭の中ではジャンク扱いでした。それでも、当時メインマシンだったPC-8001に比べて色数2倍、ドット数3倍のグラフィックマシン(笑)でしたから、ゲームにお絵描きにと色々遊ばせてもらいました。

 このマシン、画期的だったのがBASICが日本語だったこと。とは言っても漢字が使えるわけではありません。BASICのコマンドやステートメントがカナ表記なのです。例えばこんな感じ。

10 カケ"Hello world."
20 10ニイケ
30 オワリ

 ほかにも、「FOR〜NEXT」は「マワレ〜モドレ」だし、「RUN」は「ジッコウ」だし、「ニュウリョク」「トマレ」等々、なかなか風情のある(笑)BASICでした。これでエディタがラインエディタじゃなければもうちょっと使いやすかったのに...(^^;)。

 さて、話は専門的になりますが、このぴゅう太、実は16bitCPU搭載をうたい文句にしていました。確かにこのCPU、TI(テキサス・インスツルメンツ)社のTMS9995(上の写真の下のLSI)というモノですが、16bitといえば16bitなのだけど、メモリはそのままでは64KBしか搭載できないし、動作クロックも数MHz止まりだし、プリフェッチ機構はないしパイプラインなんて夢のまた夢だし(^^;)、とにかく設計が古くて性能的にはZ80などの8bit−CPUと大差ありませんでした。結局、このCPUを採用したのは後にも先にもぴゅう太だけでした。当時の開発設計担当者に何故このCPUを採用したのか聞いてみたい気もします。

 そして、写真に写ってるもう一つのIC、TMS−9918ですが、これはMSX1で採用されたこともあって結構ポピュラーなLSIですね。このLSI、要はTV画面に文字や絵を映すための信号を制御するモノなのですが、こちらも設計が古く、同時に2色しか表示できなかったりで、フルグラフィック(うわ懐かしい表現(^^;)。当時は画面の各ドット個別に自由に色が付けられることを「フルグラフィック」と呼びました。)とはお世辞にも言えませんでした。それでもこのLSIを採用したパソコンが多かったのは、このVDPにD-RAMを接続すれば勝手にビデオ信号をつくってくれるというお手軽さがあったからでしょう。現にぴゅう太のメイン基板上には、CPU、VDP、ROM、RAMその他合わせて十数個しかICが載っていませんでした。「よくこれで動くもんだ」と感心した覚えがあります。

 そういえば、今でも謎なのが基板上にメインメモリが見あたらなかったこと。あるのはVDPに繋がっている8個のV-RAMだけ。いったいどーやってBASICプログラムを保存していたのか謎のまま終わってしまいました。まさかV-RAMを共有していたのかなあ。もし知っているひとがいたら教えてね(^^;)。

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