『彩られる季節』


夏色に染まり始めた、雲一つない真っ青な空。
今日は高校に入って、初めての体育祭。
午後の部も大半が終わり、いよいよ終盤。
優勝争いも混沌とし、一つの競技ごとに大歓声が沸き上がった。
そしてみんなの応援も盛り上がり、校庭中が熱気に満ちていた。

その盛り上がりから隔離された、ひっそりと静まり返った保健室。
そこに私はいた。

ついさっき、リレーに出場した私は、少しリードした場面でバトンを受け取っ
た。
相手が悪かった。足にはあまり自信の無い私は、懸命に走ったが、あっさりと追
い抜かれてしまった。
そしてその際、その人と接触し・・・転倒。
再び立ち上がり走り始めた時には、すでに大きく引き離されていた。
その後、みんなが追い上げてくれたが、結局私達は負けてしまった。

「鈴音っ!」
保健室のドアを開けると同時に、私を呼ぶ声が飛び込んだ。
「芳井さん・・・」
同じリレーに出ていた、クラスメートの芳井さんだった。
「ごめん、芳井さん。私のせいで負けちゃった」
「ううん、鈴音のせいじゃないよ。私もバトン落としちゃったし・・・。それよ
りケガの方、大丈夫?」
そういって、芳井さんは私の膝に目をやった。
転んで膝をすりむいたときに出来たキズだ。とりあえずガーゼを当てている。
「うん、ただのすりキズだから」
そう言って、軽く足を動かしてみせた。
「そう、良かった」
そういって、芳井さんは私に笑顔を向けた。
・ ・・ただ実は、転んだ時、もう一ヶ所痛みを感じたところがあった。

――左腕手首

身体をかばった時に、挫いたみたいだった。
ただ、外見は何とも無く、時間が経てば治る。そう、軽く考えていた。
「もうすぐ表彰だよ。鈴音、行こうよ」
「うん」
左腕を気にとめながらも、私はまた歓声の鳴り響く校庭に向かった。

体育祭も無事終わり、校庭には静けさが戻っていた。
簡単な片付けや終礼も終わり、いつも通りバンドの練習場所へ向かった。
また私が一番乗りか・・・。そんなことを考えながら、一人キーボードの準備を
始める。
彩に入って一ヶ月半、少しでも早く彩に溶け込もうと、少し早目に来て練習する
のが私の日課になっていた。

イタッ!
キーボードを組み立てようと持ち上げた瞬間、左腕に痛みが走った。
左腕を見ながら、軽く指を曲げてみる。
演奏する時、何とも無ければいいけど・・・そんな不安が頭をよぎった。


どうにか組み立てて、とりあえずいつも通り練習を始めた。
先輩がこの間渡してくれた、ミニコンサート用の新しい譜面。
結構上手く、みんなに合わせられるようになってきていた。
初めてのステージ・・・そんな心地よい緊張感が私をキーボードに向かわせてい
る。
そして、最近気になりだした・・・先輩の事。

この間、屋上で作曲をしている先輩を偶然見掛けた。
何気なく演奏していた曲。
陰で先輩が一生懸命作っているその姿を見て、憧れにも似た思いを持った。
声はかけられなかったが、私も何か役に立ちたい。そんな思いが芽生え始めてい
た。

左腕を気遣いながら、とりあえず練習を始めた。
左手で軽く、一小節弾いてみる。
・ ・・うん、大丈夫。
痛みが無いことを確認し、先輩達が来るまで練習を続けた。


そして、彩の練習が始まった。
ミニコンサートまであと1週間。練習にも熱が入り始めた。
ただ、始めは痛みの無かった左腕にも、徐々に痛みが走り始めていた。
「どうした鈴音。調子悪いな」
康司先輩は演奏を止めて、話し掛けてきた。
「あ、すみません・・・」
「いや、責めてるわけじゃないから。体育祭の後で疲れてるのかもな」
「そうだな、リレーで転んでたしな」
「巧実先輩っ!」
意地悪そうに笑う巧実先輩に、私も怒ったフリをした。
「まあいいさ、あと一週間しかないんだ。しっかりやっていこう」
「鈴音のステージデビューだしな」
「はい!」
明日になれば、左腕の痛みもひいている。そう信じながらキーボードを弾き続け
た。


そして練習が終わった。
6時を回ったのに、まだ明るい。
ついこの前まで真っ暗な道を帰っていたのがウソのようだった。

その日の帰り道、先輩に偶然一緒になった。
ミニコンサートのこと、体育祭の事、色々と話しながら歩いた。
ただ、左腕のことにだけは、先輩にも話したくはなかった。
「あ、そうそう、先輩に頼まれてた作曲ノート、渡すの忘れてましたね」
少しでも曲作りの手伝いをしようと、昨日先輩に聞いて買ってきていた。
そしてカバンを開けようと、左手に持ち替えた時だった。
また左手に痛みが襲った。
「アッ!」
痛みで私の手から落ちたカバンは足元で開き、教科書やノートが投げ出された。

先輩は、散らばった教科書やノートをカバンにしまい、カバンについた土を払っ
て私にそっと返してくれた。
「あ、ありがとうございます」
そういって、私は先輩に作曲ノートを渡した。
気付かれたかな?と思い、先輩の顔を覗き込んだ。
ただ、先輩はそれほど気に止めた風でもなく、左腕のことが気付かれたわけでも
ないようだった。


次の日になっても、痛みがひくことはなかった。
練習でも、容赦なく痛みは私に襲い掛かる。
左腕の痛みは段々大きくなり、また赤く腫れ上がってきた。
それを隠すために、私は長袖の夏服を着て手首を隠した。
衣更えも最近だったのが幸いし、長袖でも、まだそれほど目立つことも無かっ
た。
今ここで左腕のことが知られれば、きっと私はステージに出られない。
初めてのコンサート、私は絶対に出たい。
左腕のことは隠そう。コンサートまで我慢しよう。そう決めていた。
そして・・・病院にも行かなかった。
左腕が普通でないことが分かっている以上、結果を知るのが怖かった。
例えそれが左腕を悪化させる原因であっても・・・。
今はコンサートを乗り切ることで、頭がいっぱいだった。


練習でも、日に日に私の演奏が悪くなっていくのが分かった。
左腕が演奏についていかなくなっていた。
頑張って痛みを堪えていたが、気持ちに腕がついていかない。
そんな歯痒さが、余計私に焦りを生み悪循環をつくっていた。
「すみません。本番が近くて、緊張して・・・」
それが私の言い訳だった。
それでもみんな、こんなに演奏の上手くいかない私を必死で応援してくれた。
「そうだな。俺達も去年の初ステージ、緊張しまくってたもんな」
そう、巧実先輩が笑いながら話してくれた。
そんなみんなの温かさに励まされながら、私も頑張って演奏を続けた。
でも・・・指を動かすだけで左腕に広がる痛み・・・

―――本番まで・・・もたないかもしれない・・・

一抹の不安が私の脳裏をよぎる。


最近になって、彩の練習で変わったことが二つあった。
一つは集合時間前にみんなが来るようになったこと。
あの巧実先輩まで、時には一番乗りしているくらいだった。
「鈴音の初ステージ、絶対成功させような」
そう言うと、私の肩をポンと叩いて、またベースの練習を始めた。
そしてもう一つは、いつに間にかキーボードが準備されていること。
私が来る前に、もうキーボードが組み立てられ、あとはセッティングするだけの
状態になっていた。
誰がやってくれているかは分からなかったが、今の私には嬉しかった。


でも、それだけ励まされても上手くいかない演奏に、私は苛立ちを感じていた。

彩の演奏に、今更キーボードが外れるわけにはいかない。
何より私自身の初めてのステージ、絶対に立ちたかった。
一人、部屋の中で何度も赤く腫れ上がった手首を見る時間が増えた。

―――なんでこんな大切な時期に・・・

そう思うと、心から悔しさが湧き起こった。
私の演奏が彩の演奏を台無しにしている。・・・後から入った私のせいで・・・

私の失敗は、つまり彩の失敗。
初めてのバンドとしての演奏に、その事を痛感していた。
そして今、まともに演奏さえできない自分。
一人、部屋の中で悔しくて泣く日々が続いた。


いよいよミニコンサートの3日前。
手首の痛みはまた一層悪化し、もう限界に近づいていた。
「鈴音、材料持ってきた?」
「え?うん。ほら」
芳井さんの言葉に、私は持ってきた袋一杯の野菜を見せた。
今日は調理実習の日。芳井さんとは同じ班になった。
「じゃ、鈴音はジャガイモの皮剥いてて。私は他の準備するから」
「うん」
そういって、わたしはジャガイモを取って包丁をあてた。

――コトン

「鈴音?」
私の手から落ちたジャガイモの音に、芳井さんが振り返った。
皮を剥こうと左手に力が入った瞬間、また痛みが走りジャガイモを落としてしま
った。
それでも痛みを隠し、もう一度剥こうとジャガイモを取ろうとした。
すると、顔色を察したのか、芳井さんは私の左腕をとった。
そしていきなり、左腕の袖をまくりあげた。
「・・・鈴音・・・これって」
赤く腫れ上がった手首を見て、驚いた表情で芳井さんは私の顔に目を向けた。
私はその視線を避けるように俯いた。
すると今度は私の右腕を取り、廊下に引っ張った。

「ちょっと鈴音。これ、どうしたのよ」
「・・・」
「ひょっとして、この前の体育祭で転んだ時・・・?」
私は黙って頷いた。
「腫れてるじゃない、これ。何の治療もしてないんじゃないの?」
「うん」
「うんって・・・バンドのコンサートももうすぐなんでしょ?こんなんで演奏す
る気?」
「・・・うん」
「ムリよ。ジャガイモも剥けないほど痛いんじゃない」
「大丈夫、それまでには治るから・・・」
「治るわけないでしょ!」
芳井さんの一喝に、私は言葉が詰まった。
「・・・ごめん、急に大声出しちゃって」
芳井さんは私を睨むように見ていた目をそらした。
「・・・コンサートに出たいから・・・みんなに知られたくないから黙ってたん
だね」
芳井さんはもう一度、赤くなった私の腕に目をやった。
「でもこのままじゃ・・・本当に左腕ダメになっちゃうよ」
「・・・うん、でも今私がいなくなったら、彩は演奏出来ないし・・・私もコン
サートに出たいし・・・」
「コンサートって、今回だけじゃないんでしょ?鈴音のケガの事を話したら、み
んなだって分かってくれるよ」
「ううん、そういうわけにはいかないよ」
「でも鈴音・・・」
「キーボード弾ける人なら他にも探せばいるし・・・私が次から弾けなくなって
も大丈夫だよ。でも、今回のステージで・・・あと3日で弾けるのは、私しかい
ないんだ」
そういうと、私はまくりあげられた左腕の袖を直した。
「芳井さん、お願い。みんなには黙ってて・・・」
うつむきがちだった顔を上げて、芳井さんを見た。でも彼女は私から目をそらし

「お願い・・・」
芳井さんは私の方を一瞬見て、、一つため息を吐いた。
「・・・分かったよ、鈴音」
納得した顔ではなかったが、芳井さんはそういうと、教室のドアを開けた。
「それじゃ、実習に戻ろうか。私が皮むきするから、鈴音は鍋見てて」
「うん」
そうして、私たちは調理実習に戻っていった。
――例え、二度と弾けなくなっても、今回だけはステージに出たい。
私の決心は固まった。


放課後、バンドの練習場所へいくと、巧実先輩が先輩を怒鳴っている声が聞こえ
た。
私は慌ててその声の元へ向かった。
「どうしたんですか?」
私の声に気付くと、巧実先輩は私に譜面を渡した。
「ああ、こいつが今になってアレンジ変更したなんて言い出したんだよ」
「え?」
アレンジの変更・・・それを聞いて、一瞬、頭の中が真っ白のなった。
今まで必死で覚えてきたのを、また覚え直さなくちゃいけない。
まして、今の私の腕のことを考えると・・・
突然のことで私には先輩が何のつもりで変更するのか、分らなかった。
「確かに急だけど、このくらいなら何とかなるんじゃないか?」
康司先輩が巧実先輩をなだめた。
気が重かったが、私も新しい譜面に目を通した。
そして・・・

――これって・・・

新しいアレンジを見ると、私の左腕を使う場面が大きく減り、その分がギターと
ベースに割り当てられている。
―――気付かれてた?
私は驚いて先輩の方を見た。
でも先輩は、巧実先輩に言い寄られそれどころではないようだった。


―――先輩・・・気付いてたんですね。

私の左腕のこと、誰にも気付かれることなく、上手く隠してると思っていた。
でも、先輩だけは気付いていた。それがなんだかとても嬉しかった。
「・・・分かったよ。こいつで練習すればいいんだろ?」
康司先輩の説得に、巧実先輩はとうとう折れた。
「鈴音の方はどうだ?やれそうか?」
そして康司先輩は私にも声をかけた。
「はい、大丈夫です」
「よし決まりだ。今日からこいつで練習しよう」
そして本番3日前にして、新しいアレンジでの練習が始まった。
左腕を使うところが大きく減ったことで、キーボードのパートもスムーズにな
り、練習はみんなの予想以上に順調にすすんだ。
「おっ、鈴音。調子いいな」
巧実先輩は急にちゃんと弾けるようになった私に気付いたのか、話し掛けてき
た。
「はい」
そういうと、私は先輩の方を横目で見た。
それに気付いたのか、先輩は私に微笑みかけてくれた。
「ったく、こいつときたら、新アレンジで俺のところばっかり増やしやがって
・・・」
「いいじゃないいか、巧実。それだけ見せ場ができたんだから」
康司先輩は笑いながら言った。


――ありがとうございます・・・先輩

口に出して言えなかった分、心の中で思った。
何も言わなかったのに気付いてくれたことが嬉しかった。
私が一番悩んでいた時に、先輩はそれに気付いて救ってくれた。
何も言わなくても、私のことを分かってくれた。
先輩はきっと、私のことを見ていてくれてた。
いつも・・・私のことを考えてくれてたんだ。



「・・・そっか、それから好きになったんだ。その先輩のこと」
芳井さんが微笑みながら私に話し掛けた。
放課後の教室、今は私と芳井さんだけが残っている。
窓から見える景色は、もう秋の色に彩られている。
夏服の季節も終わり、ついこの間から冬服に変わった。
「その時、思ったんだ。『ずっと、この人について行こう』って」
少し照れながら、小さな声で話した。
「でも良かったー。それが巧実先輩じゃなくて。そんなに思われてちゃ、私、鈴
音に勝てないもん」
その言葉に、二人とも笑った。

「・・・本当の事、言っちゃおうかな」
ためらいながら芳井さんは話し出した。
「ごめん、鈴音。実はあの日の昼休み、鈴音のケガの事、話しちゃったんだ、そ
の先輩に」
「え?」
「偶然、ギターを持ってどこかに行こうとしてるのを見て、つい鈴音のケガの
事、話しちゃったんだ。『鈴音の為を思うんなら、今回のコンサート、取りやめ
て下さい』って」
「え?」
「あ、ごめんね鈴音。・・・でもさ、続きがあるんだ」
「・・・」
「そうしたらその先輩『やっぱりケガしてたんだ』って・・・」
「え・・・?」
「『でも、コンサートをやめるなんて言ったら、鈴音ちゃんは絶対無理してでも
演奏すると思うよ。それに鈴音ちゃんにとっての初ステージだし・・・』って言
ったんだよ。分ってるね。鈴音のこと」
「・・・うん」
直接先輩から聞いた訳じゃないのに、その言葉は私の心に響き渡った。
「きっとその時も、屋上へ鈴音の為の新しい譜面、作りに行ってたんだね」
そう言うと、芳井さんは、私の方に顔を向けた。
「鈴音、あの時言ってたよね。「私がいなくても、変わりはいるから」みたいな
こと・・・。でも、彩に必要なのは「キーボードを弾ける人」じゃなくて「鈴
音」だったんだと思うよ。だからこそみんな、鈴音の初ステージを成功させたか
ったんだよ。あの先輩の話を聞いてて、そう感じたよ」
そういって、芳井さんは微笑んだ。
「・・・いい人だね。あの先輩って」
「うんっ」
そう言って、私の言葉が詰まった。そして
「・・・ありがとう、芳井さん」
嬉しくて嬉しくて、零れそうな涙を堪えながら、私は答えた。


「あ、私そろそろ練習に行かなくちゃ」
そういって、私は席を立った。
「バンドコンテストまで、あと2週間か」
「芳井さんも出るんだよね。バンドコンテスト」
「うん、その時には彩にも負けないからね」
「ふふ・・・。うん、頑張ろうね」
「それと鈴音。先輩とのことも、この機会に頑張ってね」
手を振りながら、芳井さんが言った。
「うん。ありがとう」
そういって芳井さんに手を振り、私はいつもの練習場所に向かった。

いつもの私の『彩』へ・・・



◇この作品への感想は、笹神びすくさん(ee96ei30@mbox.std.mii.kurume-u.ac.jp)までお送り下さい。


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