『Will』

by.きゃのん

 ……その日俺は、彼女が留学する、という話を初めて聞いた。
 彼女から直接聞いたわけではなく、友人の好雄からの情報として知ったのだ。
 女の子に関するやつの情報は、いつも不思議なほど正確だ。だから今度も間違いない話だろう。
 ……以前からそれらしい話を聞いてはいたものの、「まさかそこまで……」と思っていたのは事実だ。
 しかし、あらためてそれを聞かされると、「……なるほど、いかにも彼女らしい選択だな。」とも思う。
 彼女がそれだけのバイタリティを持ち合わせていることを、俺はよく知っていたつもりだから。
 ……だが何にしても、今まで俺がその話を知らされていなかったというのは、正直言って少し面白くなかった。
 決して昨日今日の短いつきあいでもないのに……と。
 だから、直接彼女から聞いてみようと思い、俺は放課後の校舎内に彼女を探した。
 教室、美術室……普段居るであろう場所に彼女の姿は無かった。
 居合わせた知り合いに訊いてみても、判らないと言う。だが、下校するにはまだ早いはず。
 ……俺はふと思い当たり、屋上へと向かった。
 今日のような天気の良い日には、彼女はよくそこで風に吹かれながら、スケッチなどしていたことに気が付いたから。
 階段を昇りきり、屋上に出るドアを開けた。
 秋の澄み切った青空が目に飛び込んでくる。
 そして……見回して探すまでもなく、俺の視界の正面に彼女の姿があった。
 特に何をしているでもなく、フェンスにもたれて遠くの景色を眺めている風だった。
「……彩子さん。」
 俺は、彼女−片桐彩子さんにそう声をかけながら、近づいていった。

「How surprise!! ……びっくりしたわ。あなただったの。よくここが判ったわねー。」
 少し驚いた風で、彼女は俺に振り向いた。
「結構探したんだけどね。……こんなところで、何してたんだい?」
 彼女の隣に立って、俺は訊いてみた。
「I felt the autumn wind. ……秋の風をね、感じてたのよ。爽やかな、いい季節よねー。Do you think so,too?」
 そう言ってあっけらかんと微笑む彼女は、まったくいつもの通りだった。
 確かに、めっきり涼しさを増した、爽やかな風が吹いてくる。俺もしばしその風に目を細めた。
「……By the way, ところで、わたしに何か用なの? 探してた、って言ってたみたいだけど……」
 小首をかしげて、彼女が訊いてくる。
 俺は本来の用を思いだし、彼女の方を向いた。
「ああ。……実は、彩子さんが留学する、って話を聞いたもんでね……本当かい?」
 すると彼女は、ちょっとばつが悪そうな顔をして、小さく舌を出してみせた。
「Oh,あなたもそれ聞いちゃったのねー。……Yes,It's true. 本当よ。」
(やっぱり……)
 俺は納得していた。だが……
「そうか……でもひでぇよなー。そんな大事なこと、今まで俺に言ってくれなかったなんてさ。……俺ってその程度の存在だったんだ……」
 わざと落ち込んだ振りをして肩を落とし、彼女をうらめしそうに見上げてみた。
「Sorry,sorry! ゴメンねー。あとで打ち明けて、驚かせてやろうと思ってたのよ。でも思いの外、早くばれちゃったわねー。Hummm……」
 本気ですまないと思っているかどうかはわからないが、彼女は俺に向かって手を合わせた。
 ……彼女の性格をよく知っている俺は、ある程度そういう反応も予想してはいた。
「……まあ、そんなことだろうと思ったよ。……それで、いつ日本を発つの? 行き先は?」
「Not soon. 今すぐの話じゃないわ。卒業してから間もなく、って思ってる。行き先はね、Paris! 芸術の都、パリよ。素敵でしょ?」
「パリか……すると目的は、やっぱり……」
 彼女は大きくうなずいた。
「Yes! もっと深く、絵の勉強をするために。It's my motive, それが目的よ。」

 ……思えば、俺と彼女が知り合ったのも、やはり絵のことがきっかけだった。
 下手の横好き程度に描いていた俺の風景画が、なぜか彼女の目に止まったらしく、向こうから色々とアドバイスを受けるようになったのがその始まり。
 良く言ったら気さく、悪く言えば馴れ馴れしい。
 最初はそんな彼女の態度に面食らったものだったが、次第にそれにも慣れて、俺は彼女と親しく話すようになっていった。
 自分でも美術部で絵画を手掛けていて、実に芸術家らしいと言うか、一風変わった感性を持ち合わせていた彼女。
 でも親しくなるにつれ、俺はその感性も含めた片桐彩子という人物そのものが、実に自分に合っていると思うようになっていた。
 ……言ってしまえば、俺は彼女に恋をしているのだろう。……それを本人に打ち明ける勇気はまだ無いのだが。

「……留学の費用とかは、どうするの? かなりかかるんじゃ……」
「Don't worry. 理事長さんがねー、奨学資金ってことで、学費とかは出してくれることになってるの。それに、今までアルバイトで貯めたお金もいくらかはあるしねー。」
「理事長って……伊集院のじいさまかぁ。そう言えば、伊集院のヤツも、卒業したらアメリカへ留学するとか言ってたっけなぁ。」
「伊集院クン……彼も大変よねー。財閥を継ぐために、色んなコト勉強しなきゃいけないんだって。そこへいくと、わたしなんかまだまだ気楽な方よねー。」
「まあ、アイツなんかいなくなったって、別に惜しくもなんともないけど……それで……」
 俺は彼女を見つめた。口元が自然と引き締まる。
「……彩子さんは、どのくらいの間、向こうに居ることになるんだい?」
 彼女は軽く顔を上げ、遠くを見るような表情で応える。
「Hummm……そうねー……とりあえず、絵の専門学校に入って……4、5年はそこで勉強することになるわ。それから……出来れば誰か先生について学びたいって気持ちもあるから……」
「そうなると……」
「……About ten years. 長くて10年くらい、ってことになるわねー。まあ、もっと早く帰ってくることになるかも知れないけどね。そこはわたしの才能次第、ってことになるかしら?」
「……彩子さんは才能あるよ。」
 決してお世辞じゃなく、俺はそう思っていた。
「Thanks! ありがと。ま、10年なんてあっと言う間よ。芸術の道は、もっともっと長くて厳しいんだから。」
 ……本人にとってみれば、確かにその通りなのだろう。でも、それを待っている身としては……
 俺は何とも言えない気持ちで、未来に心馳せているであろう彼女をじっと見つめていた。

 彼女の描いた作品を、何度か見せてもらったことがあった。
 それらはさほど絵心の無い俺でも、そこにきらりと光る何かを感じ取ることが出来たほどの素晴らしいものだった。
 だが、彼女自身はそんな自分の創作活動に対して実に厳しく、常に向上心を持って日々作品を描いているように、俺には見えた。
 そんな彼女が、さらに高い段階を求めて、芸術の本場である外国に留学しようと思うことは、俺にとってさほど意外なことではなかった。
 だから今、彼女から直接事情を聞かされても、俺は納得することが出来たのだ。
 とは言え、それが本当だと判り……納得している……しようとしている気持ちのどこかで、寂しいと思う気持ちがあることを感じてもいた。
 受かるかどうかは定かでないが、俺は一応国内の大学への進学を希望している。
 卒業すれば、彼女とは遠く……実に遠く離れてしまうことになるのだから。
 しかも、距離的な問題だけじゃない。
(長くて10年……それだけの期間……彼女と離れていることに、俺は耐えられるのか……?)
 彼女を祝福する気持ちと、別れを惜しむ気持ちとが、今の俺の中でせめぎ合っている。
 ……だから俺は、思い切って彼女に訊いてみた。

「……なあ、彩子さん? 絵の勉強と言ってもさ……例えば、国内の美術系大学に進んで勉強する、って選択肢だってあるんじゃない? 何も、パリに行ってまで……」
 すると彼女は、俺を見とがめるように軽くにらんだ。
「Why? なぜそんなことを訊くの? ……まさか……あなた、わたしの留学に反対ってわけ……?」
 真剣な眼差しに、俺はドキリとさせられた。
「い、いや、そんなつもりは無いよ。ただ……」
 ……そこでなぜか彼女は、少し寂しそうな顔でうつむく。
「Yes,so……そうね、確かにそういう選択だってあるわ……テクニックだけなら、日本でも十分学ぶことは出来る。でも……」
 そして、今度は空を仰いで続ける。
「……It has no soul. 芸術の『魂』ってものはね、やっぱり本場じゃないと感じ取れないと思うのよ。」
 もう一度、俺を見つめる彼女。
「……And,so,I need it. それこそがわたしにとって、一番必要なものなの。だから……」
 独特の言い回しであったが、彼女の言いたいことはよく判った。
 ……と言うより、誰より真剣に芸術を追い求めている彼女が、必ずそう応えるだろうことは判っていたのだ。
 俺は、「余計なことを言ってしまったか……」と自責の念にかられた。
 そんな俺の様子を見て取ったのか、彼女は急ににっこりと笑って……
「No,no! そんなに暗い顔しないの! 私に逢えなくなるのが寂しいのは判るけどねー。」
 そう言って俺の肩をポンポンと叩き始める。
(おいおい、しょってやがんなぁ……)
 いつものように、そんな軽口で返そうと思ったが……彼女の言葉が的を得ているだけに、何も言えなかった。

 ……彼女は肩を叩くのをやめ、緩やかな笑い顔になった。
「……You're very kind. 優しいのね。きっと、わたしのことを心配してくれてるんでしょ? 女の子が一人で外国に行くって言ってるんですもんね……」
 確かに、そう言う気持ちもあった。彼女にいくら行動力があるとは言っても、外国で一人暮らしていくということには正直不安であったのだ。
「……わたしがこのことを打ち明けたとき、パパもママも口では励ましてくれてたけど……ほんとはとっても心配してるんだと思う。……まあ、当然よね。」
 彼女はふっと、俺から目線を外した。
「だから……あなたにもギリギリまで言わないでおこうと思ってたの。心配してくれるのが判ってたから……」
 彼女の髪が風にそよぐ。俺は彼女の横顔をじっと見つめていた。
「……But, でもね、大丈夫。……Because,I belive in my "will".」
 そう言って彼女は、再びにっこりと笑った。
「”ウィル”……?」
 俺は思わず聞き返していた。
「Yes,it's my favorite word. 『意志』とか『熱意』ってことよ。……わたしは自分の『意志』を信じてる、ってわけ。」
「『意志』……」
 英語の勉強でよく出てきた単語だったが、そんな意味を持っていたとは知らなかった。
 だが、今彼女が言ったその言葉……”will”は、それこそ彼女自身の強い意志が宿っているかのように、俺の心に響いていた。
「……ほんとはね、わたし自身だって不安はあるの。知り合いもいない外国で、自分一人でやっていけるのか、ってね……でも、恐れていちゃ何も始まらないわ。」
 無言の俺を見つめる彼女の目が、きらきらと光り出す。
「It's my dream. ずっと前からの夢でもあったし……そして、わたしには自分が納得いくまで絵の勉強をしてみたいって意志があるから……」
「………………」
「"will" ……意志だけは、誰にも負けないつもりだから……それを信じていけば、何だって出来ると思うの。」
 ……俺はいつしか、彼女の目に見入っていた。
「だから……I hope for my future,because I belive in my will.」
『自分の意志を信じてるから、未来にも希望が持てる』……常に前向きな彼女らしい言葉だった。
 そして、輝いている彼女の瞳……言葉通りに意志の強さが感じられるその瞳に、俺はこの上ない魅力を感じていた。
 ……思えば、いつもマイペースな態度であっても、瞳は輝いていた彼女。それは彼女自身の意志の強さを表すものだったのだ。
 俺はその彼女の瞳、そして彼女自身の輝きにこそ、強く惹かれていたのかも知れない……

「Sorry, なーんか、柄にもなく偉そうなこといっちゃったわねー。」
「……そんなことはないよ。素晴らしいじゃないか……」
 すると、彼女は不意に目を伏せた。
「……But……でもね……正直言っちゃえば……最近、その意志もたまに揺らぐときがあるのよ……」
「えっ?」
「それはね……ふっと……誰かさんのことを考えちゃうとき……」
 そう言って彼女は俺をじっと見つめた。その瞳には、さっきまでとは少し違う、熱を持ったような光があった。
「だ、誰かさん……って?」
「I can't say,now. 今はまだ言えないわ。今はね……」
 俺の問いに彼女は応えず、ただ俺を見つめ続けていた。その頬がうっすらと赤い……
(ま……まさか……?)
「……いくらマイペースなわたしでも、絵に対する熱意だけは揺らがないって思ってた。さっきの言葉に嘘はないわ……でも……誰かさんのことを思うと……ちょっと、自信が無くなるの。」
「……彩子さん……」
「だから……もしその誰かさんが『行くな』って言ったとしたら……Maybe, たぶん……わたしは……」
 嬉しそうな、そして悲しそうな表情を浮かべて、彼女はつぶやいた。

 ……その表情を見て、俺は考えていた。
 彼女の言う「誰かさん」が、何も俺だという保証は全くない。
 しかし、仮に俺だとするならば……彼女のこれからは、俺の言葉に左右される可能性があるのだ。
 さっきまで感じていた寂しさからすれば、彼女がこのまま日本に留まってくれた方が嬉しいに決まっている。
(……でも、それでいいのか?)
 自問してみる。そう、俺は彼女の、絵に対する熱意を聞いた。そしてそこに、彼女の意志の強さを見たのだ。
 確かに日本でも絵の勉強は出来る。でも、それは本当の彼女の意志を封じ込めてしまうことでもある。
 そうなれば、彼女の輝きは失われてしまうかも知れない。……そうまでして、彼女を縛る権利は俺には無い。……そう思った。
 ……だから、俺は彼女に向かって、言った。
「彩子さん……仮に……仮に俺がその『誰かさん』だとして……言わせてもらうなら……」
「……えっ?」
 彼女の顔がさっきに増して赤くなった。構わず、俺は続ける。
「彩子さんは、その誰かさんに構わないで、パリに行って来ればいいと思う。そして、自分が納得いくまで絵を学んでくればいいんじゃないかな。」
「で、でも……」
「……さっき聞かせてもらった、彩子さんの"will"……意志の強さを、俺は信じる。だから、彩子さんがこれからも頑張れるってことも、信じられる。」
 そして俺は、彼女に向かって精一杯笑いかけた。
「意志の強さあっての彩子さんだもの。その誰かさんだって、信じて待っててくれるさ。……俺としては、ちょっと自信無いけどね……」
 ……彼女は、少し泣きそうな目をしながら微笑んだ。
「I'm very glad. ……嬉しいわ。ありがと……わたし、これでますます自信が持てた。大丈夫、やっていけると思う……」
 俺は大きくうなずいた。……そして、ちょっとおどけた口調で……
「あれ? 俺の言葉でそんなに喜ぶなんて、おっかしいなぁ? ……ははーん、もしかして、その誰かさんってのは……」
 彼女は一瞬顔を真っ赤にして、それから思いっきり舌を出してあっかんべぇをしてみせた。
「Don't say foolish! ばかを言わないで! べ、別にあなただなんて……」
「じゃあ、どこのどなたなんですかー、それは?」
「Secret! ひ・み・つよー。……卒業まではね……」
 いつしか俺たちは、どちらからともなく笑い合った。
 その笑い声が、暮れ始めた秋の空に吸い込まれていった……

 ……それから約半年後、彼女はパリへと旅立っていった。
 手紙を書くと言ってくれた。たまには日本に帰るとも約束してくれた。
 俺も旅費を貯めて、いずれ遊びに行くつもりだ。
 ……どのくらい離ればなれが続くのかは判らない。正直、不安が無いと言ったら嘘になる。
 でも、俺は信じている。
 卒業の日に、『伝説の樹』の下で確かめあった、お互いの気持ちを。
 彼女の、そして俺自身の、"will"……意志の強さを。

 ……We hope for our future,because we belive in our will.

−Fin−

【Postscript】
HP開設しましてから、初のHPオリジナルの作品ですが……(^^;いかがなもんでしょうか?
今までの作品とはちと毛色が違うだけに、片桐さんらしさが出てるかなー、とちょっと不安であります(爆)
……とりあえず、英語の辞書片手に彼女のセリフ考えるのはつらかった……(笑)

ゲーム本編では、美術部か吹奏楽部のクラブマスターになれば、主人公クンも彼女と一緒に外国留学出来るわけですが……世の中そんなスーパーマンばっかりじゃないですからねー(笑)


◇この作品への感想は、きゃのん(cannon@seagreen.ocn.ne.jp)までお送り下さい。


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