『春を告げる花』


by.きゃのん


「……如月さん? ちょっと、いいかな?」
 部活を終え、着替えをすませて廊下に出た私の後ろから、そう私を呼び止める声が聞こえました。
 それは、私がとてもよく知っている男子生徒の声。
 その声を耳にした途端、一瞬だけ胸が高鳴りました。
 足を止め後ろを振り返りますと。
「……は、はい。何でしょうか、上杉さん?」
 私の目の前には、私と同じ演劇部で、つい先ほどまで一緒に舞台練習をしていた、上杉 直哉さんが立っていました。
 見ると、手には学生カバンの他に、中程度の大きさの紙袋を下げています。
「……れ、練習、お疲れさまでした。……それで、私に、何か御用ですか?」
 彼の姿を目の当たりにし、少し不自然な胸の高鳴りを感じながらも訊いてみますと……
 彼は、いつもの穏やかな様子とは違い、少しはにかんだ様な表情で、手に持った紙袋を持ち上げながら。
「うん……今日は、如月さんの誕生日だよね? それで僕、如月さんにプレゼントを持ってきたんだけど……」
「……ええっ? わ、私に、ですか?」
 彼の言葉を聞き、私は驚きの声を上げてしまいました。同時に、頬が熱くなるのを感じながら。
 そう……確かに今日、2月3日は、私、如月 未緒の誕生日でした。
 でも……まさか、そのことを彼……上杉さんが覚えていてくれただなんて。
 その上、私にプレゼントを下さるだなんて……
 胸の内から、何とも言い様のない嬉しさがこみ上げてくるのを感じて……
「わ、私の誕生日……覚えていてくれたんですか? う、嬉しいです……」
 そう、口に出すのが、私には精一杯でした……

 彼はニッコリと微笑み、紙袋の中に手を入れ、中の物を取り出しました。
 それは、直径20cm程の、持ち手の付いた花の鉢の様です。
 模様の付いたビニールに包まれた鉢の中には、一見、水仙の様な葉を付けた、小振りの白い花が、四、五輪。
 でもよく見ると、その花は茎の先端から垂れ下がる様に咲いていて、六枚の真白い花びらの内、外側の三枚は、スプーンの様な形をして、下向きに広がっています。
 そう、まるで大振りのイヤリングを付けた女性みたいに……
「……この花、『スノードロップ』って言うんだ。……これが、僕からの、如月さんへのプレゼント。受け取って……くれるかな?」
 そう言って彼は、花の鉢を私に差し出しました。
 それを両手で受け取った途端、何とも言えない、清々しい花の香りが、私の鼻をくすぐりました。
 その香りに、思わず微笑んで。
「まぁ……こんな素敵な物を……本当に、ありがとうございます。私、大切に育てますから……」
 すると彼は、少し顔を赤くし、照れた様に笑って。
「よ、喜んでもらえて……嬉しいな。……じ、じゃ、僕はそろそろ失礼するよ。さよなら、如月さん。また、明日!」
 彼は片手を軽く上げ、小走りして昇降口に向かって行きました。
「え……あ、う、上杉さん……あの……」
 彼の後ろ姿に向かって声を掛けたのですが、そのまま彼は歩み去ってしまいました。
 ……一度だけ、ちらりと私の方を振り向いたその顔は、遠目にも判る程、とても真っ赤で。
 ……彼の去った方をしばらく見ていた私でしたが、急に可笑しくなってきて、クスクスと小さく笑ってしまいました。
(もう……あんなに照れなくてもいいのに……)
 そして彼から貰った花の鉢を片手に下げ、私も昇降口に向かって歩き始めました。
(でも……どうせならば、今日は上杉さんと一緒に帰りたかったんですけどね……)
 嬉しさで一杯の私でしたが、それだけが少し、残念で……

 昇降口の外は、すっかり日も暮れて薄暗くなって来つつありました。
 靴を履き替え、ふと立ち止まり、花の鉢を持ち上げて眺めてみますと……
 まだまだ肌寒い風にそよぐ白い花は、それでもその風に負けじとばかりに、綺麗に輝いて見えました。
「……本当に綺麗で、そして可憐な花、ですね……」
 スノードロップ。彼はこの花を、そう呼んでいました。
 でも、私は初めて聞くその名前。
「……詳しくは、どういった花なのでしょう……」
 ……彼がどんな気持ちを込めて、この花を私にプレゼントしてくれたのか。
 この花の素性が判れば、それを知ることが出来るかも知れないのですが……
 自分に草花の知識がそれほど無いことが、今はとても残念に思えました。
「……そうだ。彼女なら、この花についても、知っているかも知れませんね……」
 私は、ある一人の同級生のことを思い浮かべました。
 私の数少ないお友達の一人で……草花に詳しく、そして草花をとても大事にしている優しいひと……
「明日にでも、彼女に聞いてみましょうか……」
 そう、呟いたその時。
「……あれ? 未緒ちゃんじゃないの? 今、帰り?」
 不意に後ろから、声が掛けられました。
 驚いて振り向くと、そこには一人の女生徒が、にこにこと笑って立っていました。
 ショートカットの、活発そうな女の子。
「あ……望さん。あなたも、今帰るところだったんですか……」
 彼女は、きらめき高校水泳部のエースと皆から呼ばれている、清川 望さん。
 ……そして、彼女こそが、花のことを聞いてみようと思っていた、私のお友達。
 水泳部で猛練習を積む傍ら、中庭の花壇に咲く花々を、とても丁寧に、慈しみながら世話をしている彼女の姿を知っているのは、私の他にはごく限られた人たちだけしかいないはず……
 そんな彼女なら、きっとこの花のことも知っているに違いない、と思ったのです。
(……でも……すごい偶然ってあるものですね……)
 私は心の中で苦笑していました。

 彼女は軽快な足取りで、私の方に歩み寄ってきて。
「演劇部も色々大変そうだねぇ。……あれ? その花って……」
 そう言って彼女は、私が持っていた花を指さしました。
「え? ええ……ちょうど良かった。実はこれ……」
 この花のことを聞いてみようと、そう言いかけたら……
「……スノードロップ、だろ? ……ってことは……」
 彼女は悪戯っぽく笑って、こう言いました。
「上杉君から貰ったんでしょ? ……そっかぁ……やったね、彼。……あーあ……あの人も、上杉君くらい気が利いてたらなぁ…」
 ……私は大きな驚きと、少しの恥ずかしさとを感じ、しばらく声が出ませんでした。
(……わ、私はまだ何も言っていないのに……どうして、望さんが……)
 もしかして、彼が……上杉さんが、私にプレゼントすることを言い触らしたりしていたのでしょうか……? でも、彼に限ってそんなことは……ですけど……
 そんな私の表情を見て取ったのでしょうか、彼女は苦笑いを浮かべて言いました。
「……あ、誤解しちゃダメよ。実はね……その花を選ぶの、あたしが手伝ったんだ。……もちろん、上杉君に頼まれて、ね。」
「……え、ええっ?! の、望さんが?」
 私は、さっきとはまた別の、驚きの声を上げていました。

「……二、三日前にね、上杉君があたしのところに来たのよ。『如月さんの誕生日に、花をプレゼントしてあげたいんだけど、どんなのがいいだろうか』ってね。……彼、とても真剣な顔だったな。」
 帰り道を並んで歩きながら、望さんが話しだしました。
「彼が、あたしが花に詳しいことを知ってるのって、ちょっと不思議だったんだけどね。……あんまり誰もが知ってることじゃないと思ってたから……」
 そう言って、彼女は私の方をちらりと見たのです。
 その時私は、以前上杉さんとお話しをしていた時に、望さんが草花にとても詳しいということを、何気なしに喋った覚えがあることに思い至りました。
「ご、ごめんなさい。私が、軽はずみに……」
 無闇に他人に話すことではなかったのに。私はとても後悔して、彼女に許しを乞いました。
 でも彼女は手をひらひらと振りながら、苦笑して言っただけでした。
「あー、いいのいいのそれは。別に知られたって大したことじゃないしね。……ただちょっと、照れくさいだけで……あ、それより、上杉君のことよね。」
 無意識の内に私はうなずいていました。
「今の時期に咲いている花って少ないけど、割と綺麗なものばかりなのよ。で、プレゼントにするものだから、ちゃんとその花の由来や、花言葉も併せて考えて……いくつか候補を挙げてみたの。そして、その中から彼が選んだのが、そのスノードロップってわけ。」
 そして彼女は、また悪戯っぽく笑って。
「うらやましいね、未緒ちゃん。彼、結構いいセンスしてるよ。あたしも、彼がそれを選んだの、納得したもの。……未緒ちゃんは、この花の由来って、判る?」
「い、いいえ……」
 私は首を横に振りました。そして……
 彼が私に選んでくれた花が、いったいどんな花なのか……それが知りたくて、次をせかすように、彼女をじっと見つめてしまいました。

「……このスノードロップってね、ちょうど今頃の時期に、積もった雪の下から伸びてきて、この白い綺麗な花を咲かせるんだって。それでヨーロッパの方では、『春を告げる花』とも呼ばれてるのよ。」
「『春を告げる花』……」
 私は、手に持っていた鉢の中の白い花を、あらためて見つめました。
 白銀に積もる雪を割って、この白い花が咲きほこる光景……それを想像してみたら、確かにそれは清々しい春の訪れを告げるにふさわしいものだと、私にも思えたのでした……
「……でさ、今日は未緒ちゃんの誕生日でもあるけど、節分、でもあるよね。そして、明日は立春……言ってみれば、今日は『春を告げる日』なわけよね……」
「……あ……」
「うん。その『春を告げる日』に生まれた未緒ちゃんに、『春を告げる花』をプレゼントするだなんて……彼ってばすごくおしゃれだと思わない?」
「え、ええ……」
 私は、胸の内がとても震えているのを感じました。
 私なんかのために、彼が……上杉さんが、そこまで色々と考えてプレゼントをしてくれただなんて……
 そんな彼の心遣いを思うだけで、もう、胸が一杯で……
 ……でも、続く望さんの言葉を聞いた時、私の胸は、益々震えたのでした……

「……でもね、彼がこの花を選んだ大きな理由は、もう一つあると思うんだ……この花の持つ花言葉がね……」
「花言葉……?」
 すると、彼女は大きくうなずいて。
「このスノードロップの花言葉はね……『希望』っていうの。」
「『希望』……ですか?」
「そう。降り積もる雪にも負けずに、可憐に咲くその花の姿から付けられたんだろうね。ぴったりの花言葉だと、あたしは思うな。」
(『希望』……)
 私は、心の中で、その言葉をもう一度繰り返していました。
「……そして、その花言葉こそが、上杉君がこの花に託して、未緒ちゃんに贈りたかったメッセージ、なんじゃないのかな。あたしは、そう思ってるんだけど。」
「……!」
「……つまり、『希望を持て』、ってことよ。」
 彼女のその言葉に、私は……いつもクラブでの練習の時に、私を優しく励ましてくれる彼の姿を思い浮かべていました……

 ……子供の頃から身体が弱く、高校に入ってから、体力作りも兼ねて入部した演劇部……その練習ですら時にきつく、投げ出してしまおうかと何度も思った私。
 でも、その度に、私と同時期に入部した上杉さんが……彼が、『一緒に頑張ろう』と笑顔で話しかけてきてくれて……
 その彼の笑顔と励ましがあったからこそ、クラブの練習も今まで続けてこられたのだ……私はそう、思っているのです。
 そして、彼はまた、『希望を持って、これからも頑張っていこう』というメッセージを、私へのこのプレゼントに託して贈ってくれた……そういうことなのでしょうか……? そう思っても、いいのでしょうか……?
 言葉も無く望さんの顔を見るだけの私に、彼女は大きく、力強くうなずいてくれました。
「……あたしがその花言葉を説明した時、上杉君ったら大きな声で『うん、それだ!』って言ったんだ。とっても嬉しそうな顔でね……だから、きっと……」
「『希望』……この花は、彼が私にくれた『希望』……」
 ……私は目の前の、風に揺れる白い花を見つめました。
 するとそこに、少しはにかみながら微笑んでいる彼の顔が浮かんだ気がして……
 急に、胸が、詰まって……
 ……いつしか、両の目から涙があふれてきたことに気づきました……

 彼からのプレゼントを胸に抱き、ただただ涙を流すばかりの私の背中を、望さんは優しくなでてくれていました。
「未緒ちゃん……いい人に、出会えたよね。彼の気持ち、大切にしなくちゃね……」
 彼女の言葉に、私は何度もうなずくばかりで……
 ……そして私は、涙ににじんで見える純白の花に誓ったのでした。
 彼がくれた思いに応えられるよう、これからも自分なりに頑張ってみようと。
 くじけそうになった時には、この白い花の姿と、彼の笑顔を思い出して。
 そうすれば、きっと私にとっての春は訪れてくれるはずだと……

 『希望』の白い花は、『春を告げる花』なのですから……

−Fin− 


【Postscript】
 久しぶりの新作、ではありません。(^^;ゞ
 久々の更新で、全く自分の新作が無いのもちとシャクだったので(笑)、ここでは未発表だった作品を引っ張り出してきました。
 新作を期待されていた方々、申し訳ございません。(__;ゞ もう少々お待ち下さい。(ネタは色々あるんですが……(^^;)

 この作品を「ときめき文庫」に上梓したのは昨年の2月、如月さんの誕生日記念SSとしてでした。
 もう2年弱も前の作品になりますわけで……
 本来ならば、至らない点を推敲してから上げるべきだったのですが、時間がありませんで……申し訳ございません。(__;ゞ
 現在までのところ、これが唯一の如月さんSSとなっております。
 なお、如月さんと清川さんが友人同士だというのは、私のでっち上げ(爆)ですので誤解のなきよう。(^^;
 ついでに、私は現在に至るまで、「スノードロップ」の現物を見たことがありません。(^_^;
 現物をご存知の方は、ぜひ私まで詳しい情報をお教え下さい。m(__)m

(作品初出) 97/02/06 NIFTY-SERVE内ときメモSSパティオ「ときめき文庫」


◇この作品への感想は、きゃのん(cannon@seagreen.ocn.ne.jp)までお送り下さい。


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