髪を短くしていたのには、特に理由はない。
長く伸ばしたら、泳ぐときに邪魔になると思ったから。ただ、それだけ。
だから、髪の手入れなんて、全然気を使ってなかった。
塩素の効いたプールの水で髪が痛んだって、特別何とも思わなかった。
――高校に上がるまでは。
なのに……
いつの間にか、その髪に気を使うようになっていたあたし。
夜寝る前のブラッシングが、いつからか日課となっていたあたし。
……髪のことばかりじゃない。
「おしゃれ」なんて無縁だったはずのあたしが、今ではよそ行きの服装にあれこれ悩むようになっていた。
昔の自分から考えたら、全く笑っちゃうぐらいに「女の子」している、今の自分。
(……いったい、いつからこんなあたしになったんだろう?)
自問してみる。
(決まってるじゃない。……あの人に出会ってからだよ。)
瞬時に返ってくる、自分の心からの答。
(……どうして、こんなあたしになっちゃったんだろう?)
もう一度、胸の内に訊いてみる。
(決まってるじゃない。……あの人のせいなんだよ。)
そしてまた瞬時に答を返してくる、自分の心。
――今夜もまた、鏡の前でせっせと髪の手入れ。
鏡の中には、実に真剣な顔をしてブラッシングをしている、あたし自身の顔。
……ふと手を休め、自分の顔とにらめっこをしてみる。
(少しは、前より綺麗な髪になったかな?)
(……少しは、前より女らしくなったかな?)
無意識のうちに、机の上のフォトスタンドに視線を移す。
そこにあるのは、あたしと……あの人とのツーショットのスナップ写真。
うつむき加減のあたしの横で微笑む、あの人の姿をじっと見つめる。
(…………少しは……前よりあの人に似合うような女の子に……なったのかな?)
慌てて再び鏡に向かう。
そこにあるのは、頬を真っ赤に染めたあたしの顔。
好きな水泳を思う存分続けていられれば、それで良かった。
他の女の子とは違うと言われたって、別段気にすることもなかった。
そう、思っていた……はずなんだけど……
あの人に出会ったとき、心の中に「何か」の「種」が蒔かれて。
あの人と話をしたとき、「何か」の「種」は「芽」を吹いて。
あの人の笑顔を見る度、その「芽」はどんどん育っていって。
……その「何か」が、そんなあたし自身を少しずつ、少しずつ変えていった……
――今はもう、判っている。
それは、あの人に対する、あたしの「想い」。
「あの人が好き」という……あたしの密やかな「想い」。
そしてそれは、3年という時を経て、大きなつぼみを付けるまでになっていた。
……見事大輪の花を咲かせられるか、それともつぼみのままで落ちてしまうのか……
それはまだ、あたしにも判らないのだけれど。
――休めていた手を再び動かし、ブラッシングの続きを始める。
空いた手で、ふと後ろ髪を触ってみる。
(卒業までには、どれぐらい伸びてるかな……?)
以前は首筋を隠す程度だった後ろ髪が、今では肩口をちょっと越えるくらいの長さになった。
見た目がそんなに変わったわけではないけれど、何となく嬉しくなってくる。
……小さく微笑んでいる、鏡の中のあたし。
……髪型が変わったからって、あたし自身が変わるわけじゃない。
外見にこだわるようなあの人じゃないことは、あたし自身がよく知っている。
……だけど。
昨日よりも、今日。
今日よりも、明日。
……そんな風に、日毎深まっていった、あの人への想い。
その想いを表すために、髪を伸ばすことにしてみた。
日毎少しずつ伸びていく髪に、日毎深まる想いを託してみた。
……そしてその想いを、あの人に見てもらいたいだけ。
前とは違う自分に気づいて欲しい、ただ、それだけ……
――ブラシを置いて、ベッドに向かう。
布団に潜り込んで、部屋の明かりを消す。
……明日もまた、一日の終わりに、髪の手入れをすることだろう。
今日よりもほんの少し伸びた、後ろ髪を確かめながら。
今日よりも確かに深くなった、あの人への想いを胸に抱きながら。
――たぶんそれは、卒業式の日に『伝説の樹』の下に立つまで続く、あたしの日課。
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