爽やかな秋晴れとなった日曜日。
 俺−早嶋 龍明は、少し遅い朝食を採った後、身支度を整えて自分の部屋の床に座り込んでいた。
 窓から差し込む日差しは、明るく、柔らかい。絶好のドライブ日和と言えるだろう。
 ……今日は、俺の彼女が運転する車で、少し遠くの山までハイキングに行くことになっている。
 ……彼女は免許を取ってから間もないので、正直な所、少しばかり不安ではあるのだが……
 練習も兼ねて、ということだし、まぁいざとなったら、自分が運転を代わればいいだろう、と俺は思っていた。
 彼女は昼前頃に、俺の家まで迎えに来てくれることになっているのだが……
 約束の時間には、まだ少し間があるようだ。
 ……煙草に火を付け、紫煙をゆっくりと吐き出しながら、何気なしに自分の部屋の中を眺めてみる。
 ……ふと、棚の上に目がとまった。
 そこには、フォトフレームに収められた一枚の集合写真と、その傍らに一個の金色に光るメダルとが置かれていた。
 ……そのメダルは、普通のものとは少し変わっている。
 なぜなら、それは円形ではなく、半円形……ちょうど普通のメダルを縦に半分に割った形となっているからだ。
 俺は、懐かしい気分にかられて、立ち上がってその写真とメダルとに手を伸ばし、片方づつの手に取った。
 眺めた写真には、高校時代所属していたサッカー部の面々が、実に嬉しそうな顔をした泥だらけのユニホーム姿で写っていた。もちろん、俺も同様の格好で、最前列の中央に座っている。
 ……その隣には、当時俺たちのマネージャーを努めてくれていた、虹野 沙希さんがいた。
 この写真は、俺たちのサッカー部……きらめき高校サッカー部が、全国大会で優勝を果たした時の記念写真なのだ。
(……あれからもう、三年も経ったんだなぁ……)
 俺は写真を元の場所に戻し、今度はもう片方の手に持っていた、半分だけのメダルに目を移した。
 ……俺の心の中に、あの日……俺たちが優勝を決めた日の事が、鮮やかに浮かび上がってきた……


 

 『半分だけのメダル』


 

by.きゃのん



 ……全国の高校サッカープレイヤーがあこがれる場所。
 年に一度の全国高校サッカー選手権大会が開催される会場……それが、国立競技場。
 そのロッカールームで、今、俺たちきらめき高校サッカー部のメンバーは、間もなくキックオフを迎える試合に臨む準備をしていた。
 その試合とは……全国大会決勝戦。
 ……高校生活での最大の目標としていた、全国大会出場。
 俺が入部してから三年目である今年、俺たちサッカー部はついにその目標を果たすことが出来たのだ。
 大会一回戦から俺たちは、全国から集まった数々の強豪チームを相手に熱戦を繰り広げた。
 さすがに全国のレベルは高く、いつ負けてもおかしくないような試合の連続ではあったが……
 俺たちは実に粘り強く試合を進め、何とか勝ち残っていけた。
 そして準決勝まで駒を進め、あこがれだったこの国立競技場のフィールドに初めて立ったとき……
 自分は夢を見ているのではないか、と思ったくらいだった。
 その準決勝を総力戦で何とか振り切って勝ち、いよいよ今日は決勝戦。
 相手は、関西地区一位チームの小波高校。全国大会の常連校であり、優勝回数も十数回を数える。
 まさに強豪中の強豪だった……

 ……周りにいるチームメンバーの顔を見回してみる。
 誰もほとんど口を開かない。
 試合開始直前の緊張感で、ロッカールーム全体の空気が張り詰めているのを感じる。
 だが、誰もかれも皆闘志に満ち、しかしいくばくかの不安を抱えたような顔付きをしていた。
 ……恐らく俺自身も、皆と同じような顔をしていたことだろう。
「……緊張してんのか? 龍明。」
 キャプテンである同学年の斎藤が、そんな俺に声をかけてきた。
「……ん? ああ……やはり少しは、な。何てったって決勝戦だもんな。……やる気は十分あるんだけど……不安も、確かにあるよ。」
「そっか。まあ、そこら辺はみんな同じってことだな……でもここまで来れたんだ。自信を持って、やれるだけのことをやって……せめて胸張って学校に帰れるようにしようぜ。」
「ああ……そうだな。」
 そこで斎藤は、ふっと視線を落として言った。
「……でもよ……どうせなら、いっそ……優勝、してみてぇよな……」
「優勝……」
 そう、決勝戦まで勝ち残って来た俺たちに、求められている最良の結果は……優勝。
 それしかないことは、十分俺にも判っていた。
「ああ。やはりここまで来たからにゃあ、狙ってみたっていいよな……だがそのためには、俺たちチームのエースストライカー、つまりお前さんのシュート力が頼みの綱だ。」
「……俺が……決め手ってわけだ……」
「その通り。……俺たちもがんばってボールをお前に回すようにするから、……龍明、お前はそのボールで確実にシュートを決めてくれよな。……頼むぜ!」
 斎藤はそう言って、俺の肩を軽く叩いた。
 他のメンバーも一様にうなずく。
「……ああ……任せておいてくれ!」
 小さくガッツポーズをしてみせる俺。
 ……とは言ったものの、心中、俺はさっきよりも緊張の度合いが高まってしまったのを感じていた。
 自分の責任の重大さに思い至ったのだ。
 キャプテンとして、皆の気勢を上げるための言葉とは判っていたが……斎藤が少し恨めしく思えた。
(……ここまで来て、今さらプレッシャーなんて……でも……)
 作った笑顔が変に強ばるのを、俺は感じていた。

 その時、ロッカールームのドアが開き、一人の女生徒が顔を見せた。
「みんな! 監督が、そろそろフィールドに出てウォーミングアップしときなさいって。……いよいよね……みんな、がんばってね!」
 そう言って、マネージャー……虹野さんは笑顔でウインクしてみせた。
 メンバーの緊張が、彼女のその言葉と笑顔で、途端にほぐれていくのが判る。
 俺と同時期にこの部に入部して以来、彼女はいつもこの笑顔と励ましの言葉で、きつい練習や試合に臨む俺たちの気持ちを和らげてくれた。
 三年間それは変わらず、彼女も今日俺たちとこの日を迎えることになった。
 全国大会が始まってからは、彼女は他のマネージャーたちと一緒に、俺たちのために忙しく働いてくれている。
 だがそのせいか、大会中なぜか彼女とはほとんど話す機会が無かった。
 だから俺はすごく久しぶりに彼女の笑顔を見たような気がしていた。
 しかし、今の俺は……その笑顔を見ても、緊張が今までのようには抜けなかった。
 決勝戦という大舞台に臨むことのプレッシャーが、自分の身体に重くのしかかっているのを感じている。
 確実に強ばっているだろう顔を見られたくなくて、無意識に俺は彼女の笑顔から視線を外してしまった……
「よし! じゃあみんな、行くぞ! ……ん?」
 号令をかけた斎藤が、虹野さんの方を見てなぜか首をかしげた。
 つられて彼女の方を見てみると……その表情は心なしかさっきよりも少し硬い。
(……どうしたんだろう? 虹野さん……)
 ……何だか俺の方に、視線が向けられているようにも思えるのだが……?
「……ふーん……そっか……」
 斎藤は彼女と俺とを見比べ、小さく笑ってうなずいたと思うと、いきなり彼女の肩に手を置いた。
「マネージャー、ちょっと中に入って……龍明! お前は後から来な。マネージャーはどうやら、何かお前さんに話したいことがあるみたいだぜ。」
「……なにぃ?」
 予想もしなかった斎藤の言葉に、俺は緊張を一瞬忘れて驚いた。
「キャ、キャプテン! い、いいのよ、私は……別に、そんな……」
 顔を赤らめてうろたえる虹野さんに、斎藤はニヤリと笑って応える。
「いいからいいから……監督には俺から言っとくからさ。でもそんなに時間が無いからな。あんまり遅くなるなよ!」
 そう言って、斎藤は他のメンバーと共に部屋から出て行った。
 静まり返ったロッカールームの中には、俺と虹野さんとの二人だけが残されていた。

「ご、ごめんなさい、龍明君。試合直前で、色々忙しいっていうのに……」
 少し気まずそうにして、虹野さんは俺に話しかけてきた。
「いや……別にかまわないよ。……それより、俺に……話があるって?」
 彼女は小さくうなずく。
「うん……あまり、大したことじゃないんだけど……」
 そして、俺の顔をじっと見つめて、言った。
「……私、龍明君に……一言、お礼が言いたかったの……」
「お礼……だって?」
 予想もしなかった彼女の言葉に、思わず首をかしげる。
「うん。……本当は、大会が始まってからすぐにでも言いたかったんだけど……私もあなたも今まで色々忙しくて、なかなか話す機会が無くて……でも、ようやく今日言える。……ふふっ、キャプテンに感謝しなくちゃね。」
「そ、そう……でも、俺、虹野さんにお礼されるようなこと……何かしたっけ……?」
 ……正直言って、思い当たるふしがまるで無かった。
 俺の疑問に、彼女は微笑んで、ゆっくりと応えた。
「それはね……あなたが私を……私たちを、この国立競技場まで連れて来てくれたことに対してなの。」
 そして、俺に向かって深々と頭を下げる彼女。
「……あなたがいてくれたから、私、ここまで来ることが出来たわ……本当に、本当にありがとう。龍明君……」
「……ちょ、ちょっと待ってくれよ、虹野さん。それって、俺たちが全国大会に出場出来たってことかい? そ、それは何も俺一人の力ってわけじゃあ……」
 唐突なその言葉に、俺はすっかりうろたえてしまった。
「サッカーってのは団体競技なんだから、勝てたのは俺一人のせいじゃないさ。……今までの数々の試合に勝って、こうして全国大会に来れたのは、チーム全員がそれぞれにがんばってきた成果だと思うし……それに……」
(それに……俺たちをいつも励ましてくれた、虹野さんがいてくれたから……)
 ……そう心に思った途端少し照れくさくなって、俺は言いかけた続きの言葉を飲み込んでしまった。
「うん、それは確かにあなたの言う通りよね……」
 彼女はニッコリ笑って、また小さくうなずいた。
「でも……あなたは気が付かなかったかも知れないけど……私はこの三年間、ずっと見ていたの。あなたが、他の誰よりも多くの練習を重ねてきたのを……そして、試合の時には、他のみんなにも増して精一杯がんばってきたことを……」
(え……虹野さんが……俺を……?!)
「……監督やコーチも、とてもほめていたわ。そして、他のみんなだって……そんなあなたがもしいなかったとしたら、このサッカー部がここまで勝ち進んでくることはとても難しかったと思う。だから、やっぱり……今私たちがこの国立競技場にいられるのは……あなたのおかげだと、私は思うの……」
「そ、それは……でも……」
 俺はとても照れくさかった。……でも、とても嬉しかった。
 虹野さんは、彼女は、今までの俺なりの努力を、ずっと見ていてくれたんだ……

 ……決して、誰かに誉められたくて,今まで練習してきた訳では無かった。
 もちろん、クラブとしての、全国大会出場という目標のためということもあったが……
 本当を言えば、自分なりに納得したくて、ここまでやってきただけだった。
 でも、思えば……それは、自分に快く声援を送り続けてきてくれた、虹野さんの存在が、その大きな原動力になっていたのかも知れない。
 だから、彼女がそんな俺をずっと見守ってくれていたという事実……
 それは俺にとって、この上もなく嬉しいことだった。
 まだ決勝戦という大一番が残っているのだが、すでに今までの努力が報われた気分になった。

 ……それから彼女は、ふっと遠くを見るような目になって、言った。
「……私ね、小さい頃からサッカーとか野球とかの試合を見るのが大好きで、よくお父さんに、色んな試合に連れてってもらってたの。」
「……」
「中でも、この国立競技場で行われてた高校サッカーの試合……選手たちの一生懸命な姿、そして彼らを精一杯応援する生徒たちのひたむきさ……そして会場全体の雰囲気がとっても好きだった。」
 そしてまた、俺に視線を戻す。
「その時私、思ったんだ……自分が高校生になった時、自分の学校のサッカー部の人たちと、もう一度ここに来ることが出来たら、って……それが私の、小さい頃の夢だったの……」
「……虹野さん……」
「……でも私は女の子だから、自分が選手としてここに来ることが出来ないのは判ってた。だから……せめて、自分の高校のサッカー部の人たちに、私の分までがんばって欲しい……そして、そのお手伝いが少しでも出来たら……そう思って、私、高校に入学してすぐ、サッカー部のマネージャーに志願したの……」
 俺を見つめる彼女の目が、心なしか潤んでいるように見えた。
「でも、本当に……本当にここに来ることが出来たなんて……そして、みんなが決勝戦に出場するのを見られるだなんて……私、あなたを……サッカー部のみんなを応援してきて、本当によかった……」
 そして彼女は、俺の手を取った。
「……私の自分勝手な夢だったけど、みんなが……そしてあなたが、それを叶えてくれたのよ……ありがとう。本当に、ありがとう、龍明君……私、何も出来ないけど……今日も一生懸命応援するからね。小さい頃に見た、あの高校生たちのように……」
 ……虹野さんの手の温もりを感じ、さっきまで身体を縛っていた緊張がすっかり薄らいだことに気付く。
 彼女の手は、まるで魔法のように、堅くなっていた身体をほぐしてくれていた。
 ……不思議な気分だった。そして、あらためて気付いた。
(……何も難しいことを考える必要は無かったんだ。)
 今まで俺たちを快く励ましてくれてきた、虹野さん。
 そして今日も、彼女は俺たちのことを精一杯応援してくれると言う。
 俺が出来ることは、それに応えるために力いっぱいがんばるだけ。
 そう、それだけなんだ。
(……そして、もし出来ることなら……!)
 ……俺はいつしか、彼女の手を握り返していた。
「虹野さん……約束するよ。俺は……俺たちは、決勝戦に必ず勝って、全国優勝を成し遂げてみせる! ……それが、今まで一生懸命応援し続けてくれた虹野さんへの、一番のお礼だと思うから……」
 彼女は驚いて、俺の顔を見上げた。
「た、龍明君……」
「だから、虹野さん。さっき言ってくれた通り、今日の試合も、ありったけの応援をしてくれないか。虹野さんの応援があれば、俺たちは必ず勝てるさ!」
 すると彼女は、満面の笑みを浮かべて、何度もうなずいた。
「……うん……うん! 私、一生懸命応援するわ! ……そして、信じてる! みんなが勝つのを……! だから、がんばって! がんばって、龍明君……!」

 ……しばらくの間、俺たちは互いにじっと見つめ合っていた。
 どのくらいそうしていたのかは判らないが、外から漏れ聞こえてきた歓声に、俺たちはあらためて顔を見合わせる。
 ずっと手を握りあっていたことに気が付くと、虹野さんの顔がみるみるうちに赤くなっていった。
「……そ、それじゃ、そろそろフィールドに出なきゃ……」
 我ながら情けないほどにうろたえて、俺はその手を解こうとした。
 顔を真っ赤にしながら、彼女も慌てて手を引っ込める。
「そ、そうね。あんまり遅くなったら、監督やキャプテンに怒られちゃうよね。」
「は、ははは……」
「うふ、ふふふ……」
 どちらからともなく、照れ笑いし合う俺たち。
 ……照れ隠しにスパイクの紐を結び直して、ロッカールームのドアを開けた。
「じゃ、行って来るよ。」
「うん。……私はスタンドから、他のみんなと一緒に応援してるから……」
 彼女はまだ少し赤い顔で、俺に向かってウインクを一つした。
 お返しに、片手で小さくガッツポーズをしてみせる。
 彼女はスタンドに続く通路の方に歩いていき、俺はフィールドへと向かった。

 通路を抜けフィールドに足を踏み入れると、他のメンバーはウォーミングアップを一通り終えボールパスの練習をしているところだった。
 俺が入って来たのを見つけ、斎藤がニヤニヤ笑いながら近づいて来た。
「よう、結構早かったじゃねぇか……何、話してきたんだよ? 告白されたのか? それとも、お前からしたのか? ……キスの一つくらいは、当然、してきたんだろ? せっかく俺たちが気ィ利かせてやったんだからなぁ……」
「ば、バカ言ってんじゃねぇよ! そんなんじゃねぇって……!」
 俺はうろたえながら、斎藤の頭を軽く小突いた。
「ほんとか? 隠すと為になんねぇぞ? ……っと、まあそこら辺は後でゆっくり聞かせてもらうとしてだ……あまり時間がねぇぞ。急いでウォーミングアップしてくれよ。」
「ああ、判った。……おい、斎藤!」
「……どうした、龍明?」
 俺は、自分にも言い聞かせるようにして、言った。
「……この試合、必ず、勝とうぜ!」
 斎藤は、力強くうなずいた。
「……ああ、もちろんだ! 勝って、優勝だぜ! なあ、みんな!」
 いつの間にか他のメンバーも俺たちを取り巻き、皆自信ありげに笑っていた。
 ……やがて、集合のホイッスルが鳴った。
 俺たちはフィールド中央に集まり、相手校のメンバーと握手を交わして、それぞれのポジションへ着いた。
 別段緊張はしていない。
 ただ、何というか……気合いのようなものが、身体中に満ちていることを、俺は感じていた。
 ふと、スタンドの方を見回す。程なく、きらめき高校の制服を着た集団を見つけた。
 その中に、じっとフィールドを見つめている虹野さんの姿があった。
 瞬間、俺と彼女の目が合う。彼女はうなずいて、何かを叫んでいた。
 会場全体に高まりつつある歓声にかき消されて、その声は届かなかったけれど……俺にはそれで十分だった。
(……俺たちは、必ず勝てる!)
 そう確信し、相手ゴールを見据える。
 ……フィールドに、キックオフのホイッスルが鳴り響いた……


 ……それから後の試合経過については、恥ずかしながら、記憶がはっきりしない。
 試合開始早々に、相手の速攻で1点を先取されたこと。
 その後も押され気味の展開ながら、気を取り直した俺たちが何とか凌ぎ……
 前半終了間際に、PKから斎藤がゴールを決め、試合を振り出しに戻したこと……
 それくらいは、おぼろげにではあるが覚えている。
 だが、細かいディティールが、今となってはどうしても思い出せない。
 それほど、俺は夢中で戦っていたということだろうか。
 ……しかし、試合の終盤に至って、俺の記憶は再び鮮明になる……


 ……夢中の内に時間は流れ、後半戦も終盤に差しかかっていた。
 得点こそ1−1と均衡してはいるが、内容的には、全体に相手の猛攻を俺たちが懸命に凌いでいるという形だった。
 だから、俺も含めチーム全員の疲労は激しかった。
 この決勝戦に至るまでの試合による蓄積もあり、それは今ピークに達していた。
 このまま延長戦、ということになれば、そのときは恐らく守り切る事が出来ないだろう。
(何としてもチャンスを掴み、得点を上げなければ……)
 俺たちは必死に耐え、そのチャンスが訪れることを信じて戦っていた。
 時折、スタンドで応援をしてくれている、虹野さんの姿を見て取ることが出来た。
 やはり歓声にまぎれて彼女の声は聞こえないが……
 それでも、声も枯れよとばかりに一生懸命応援してくれているだろうことは、十分に判っていた。
(……虹野さんとも約束したじゃないか! 絶対にチャンスは来る! そして、俺たちは勝つんだ!)
 ……そして今、この決勝戦、俺たちにとって最後のチャンスが、ついに訪れた。

 ……相手の猛烈なミドルシュートを、キーパーの安井がしっかりとキャッチ!
 ほとんど奇跡とも思えるようなセービングだった。
 安井が素早く立ち上がり、力を振り絞ってフィールド中盤へとボールを蹴り出す。
 ボランチの斎藤が、回り込んでそれをしっかりとキープ。そして、ドリブル。
 瞬間、場内が騒然となる! 絶好のカウンター攻撃のチャンスだった。
 相手のディフェンダーが、そうはさせじと、ボール目がけて殺到してくる。
 怒濤のように相手のタックルが襲いかかる。
 だが俺たちはそれをものともせずに、ドリブルで突進しロングパスを次々と繋いでいく。
 今の俺たちの気迫は、相手のそれより勝っていた。
 最大のチャンスに、チーム全員がこのカウンターアタックに全力を注いでいた。
 そして。
(何としても……ゴールを奪う!)
 俺はラストパスを受けるべく、攻守入り乱れた状態の相手ゴール前に走り込んだ。
 群がる相手のディフェンダーを懸命にブロックし、十分なエリアを確保する。
 その瞬間、絶妙なセンタリングが巧みに相手のディフェンスをすり抜け……
 ゴール前で待ち構える俺を目がけて飛んで来た。
(……来た! これを、これを決めなければ!)
 そう、これが正真正銘、最後のチャンスだ。
 ここからのシュートを決められなければ、チームの勝利は恐らく……無い。
 今から撃つシュートに、チーム全員の、そして応援してくれるみんなの期待がかけられているのを感じていた。そして……
(彼女との、虹野さんとの約束を果たすためにも……!)
 しかしそのとき、相手が必死にシュートコースを塞ごうとするのが目に入った。
 ただでも限られたシュートコースが、ますます狭まっていく。
 ……俺は、一瞬迷った。
(直接シュートするべきか……いや、一旦パスを回すべきか……)
 ここから無理にノートラップでシュートを撃って、もしも外したり、相手にインターセプトされてしまっては元も子も無い。
 だが、トラップしてパスを回そうとしても……
 この密集した状況では相手にボールを奪われてしまう可能性も十分にあった。
(……ど、どうすればいい?)
 ……残り時間はあとわずかしか無い。
 俺は焦っていた。再びのしかかるプレッシャーに、押し潰されそうになっていた……
 その時。

「がんばって! 龍明君!」

 ……声が、聞こえた。
 確かに、虹野さんの声だった。
 フィールド全体を包む歓声の中、彼女の声がはっきりと俺の耳に届いていた。
 焦っている俺を勇気づけてくれる、精一杯の応援が……!

 そうと確信したとき、俺の迷いは消えていた。
 今さら迷っている余裕なんかない。試合前に、彼女の前ですでに決意していたじゃないか。
 これまでがんばってきたこと……
 仲間と、そして虹野さんと共にがんばってきた三年間のありったけを、今、この瞬間に出し切るだけなんだ!
 ……俺は、相手ゴールを見据えた。
 すると、なぜだか、相手のディフェンダーも、キーパーも、視界から消えた。
 ぼんやりとした視界の中に、ただゴールネットの一点だけが鮮明に見える。
(……そこだ!)
 俺はその一点に向かって、シュートを放った。右足に渾身の力を込め、空中にあるボールを捉えた。
 そこに、確かな手応えを感じていた。
 そして……次の瞬間、割れんばかりの大歓声が、フィールドに湧き起こる……!

 表彰式が終わり、取材陣にもみくちゃにされた後……
 俺たちチームメンバーは、ようやく再びロッカールームへと戻って来た。
 ドアの前では、後輩たちやマネージャーたちが俺たちを出迎えてくれている。
 その先頭に、虹野さんがいた。
「……優勝おめでとう! 龍明君……みんな!」
 虹野さんの満面の笑顔とはずむ声に、俺はようやく、自分たちが優勝出来たということを実感していた。
 表彰式の最中も、インタビューを受けているときも、恥ずかしながら俺はボーッとしてしまっていた。
 『全国優勝』という大きな事実が掴めていなかったのだ。
 でも、今、虹野さんの笑顔を見て初めて、
(ああ、俺たちは優勝出来たんだな)
と思えた。途端に、たまらなく嬉しさがわいてくる。
「虹野さん!」
 彼女の元に駆け寄った俺は、思わずその手を取っていた。
「た、龍明君……? ど、どうしたの……?」
 彼女はすごく戸惑った表情で、俺の顔を見つめる。
「ありがとう、虹野さん! 虹野さんのおかげで、君との約束を守れた……優勝出来たんだよ!」
「え、えっ……わ、私は……ただ、一生懸命に応援しただけで、他には何も……優勝出来たのは、みんなががんばって、そして、龍明君のあの最後の素晴らしいシュートがあったから……」
 俺はかぶりを振った。
「いや……あの時、虹野さんの応援が無かったら、俺にはあのシュートは撃てなかった。最後の最後にきて迷っていた俺を、君の声が後押ししてくれたんだ。だから、撃てた。あれは間違いなく、虹野さんのおかげだったよ。」
 俺の言葉に、彼女は、信じられないといった顔をした。
「わ、私の声が聞こえていたの? 確かに私、あの時……でも……あの歓声の中で……?」
 俺は力いっぱいうなずいた。
「ああ、本当だよ。俺には、確かに聞こえた。今まで三年間、何度も虹野さんに励まされてきたけど、その中でも一番、俺の力を引き出してくれた励ましの言葉だったよ……」
 見る間に、彼女の顔がほころぶ。
「ほ、本当に、私の……私の応援が……届いていたんだ……よかった……本当に……」
 彼女の手をそっと離し、もう一度うなずく。
「そのおかげで、俺は君との約束も果たせたんだ。ありがとう……」
「……わ、私……何て言ったらいいのか……」
 口元を押さえた虹野さんの顔が、次第に泣き笑いのような表情になっていく。
 その目が潤んでいた。
「あ、あれ……? 変なの……? な、涙が……出てきちゃった……」
 その彼女の姿に、俺はたまらなく愛おしさを感じていた。

「……そうだ。虹野さん、これ……」
 俺は自分の首に掛かっていた、表彰式で貰った優勝記念のメダルを外し、そっと彼女の首に掛けてあげた。
「……た、龍明君、これって……」
 驚いて顔を上げた彼女の肩に、俺はそっと両手を置いた。
「虹野さんは、今までずっと俺たちのためにがんばってくれて、俺たちを精一杯応援してくれた。そしてそれは今日、この全国優勝という形で立派に実ったんだよ。」
 言いながらそのメダルを持ち、彼女の手のひらに乗せた。
「だからこの優勝記念のメダルは、君にも渡すべきだと思うんだ。これは言ってみれば、虹野さんが俺たちにくれたメダルなんだから……」
 そして俺は、精一杯の思いを込めて、言った。
「おめでとう、虹野さん。……虹野さんも、優勝だよ。」
 彼女の目から、みるみるうちに涙があふれ、メダルの上にこぼれ落ちる。
「う、うん! あ、ありがとう……私……私……う、嬉しいっ!」
 そして彼女は俺の身体にしがみつくと、大きな声を上げて泣き出してしまった。
 斎藤を始めとするチームメンバーや後輩たちの、拍手と冷やかしの声が湧き起こる。
 それを少しも気にせずに、俺は自分の胸の中にいる彼女の髪をそっとなでていた。
 ……もしかしたら、自分も涙を流していたのかも知れない。
 でも、彼女の嬉し泣きの声を聞きながら、俺はとても満ち足りた気分を感じていた……

 ……その後、俺はメダルをそのまま虹野さんにあげようとした。
 だが彼女は、それは出来ない、やっぱり龍明君が貰うべきだ、と強く固辞した。
 考えた挙げ句に、俺は監督とも相談して、その問題を解決した。
 俺が貰ったメダルを縦半分に切断してもらい、半分づつを俺と虹野さんとで分けることに決めたのだ。
 彼女は半分になったメダルに驚きながらも、それを嬉しそうに受け取ってくれた。
 メダルを半分にしてしまう、なんて前代未聞のことだっただろう。
 でも単なる記念の品であるメダルよりも、全国優勝出来たこと、そして虹野さんとの約束を守ることが出来た、という事実。
 その方が、俺にとっては大事だった。
 そしてその思い出を、その虹野さんと文字通り分かち合えたということで、俺はとても満足していたのだ。
 ……それが、今俺の部屋に、記念写真と一緒に置いてある、半分だけのメダルにまつわる経緯だった。


 ……俺は、メダルを手に取りながら、いつの間にか高校生活での一番の思い出に浸っていた。
 煙草の灰が落ちそうになっているのに気づき、慌ててそれを灰皿に落として再び煙草を口にくわえた。
(……いや、確かに素晴らしい思い出には間違いない。でも、一番の思い出と言ってしまうのは、少し違っているかも知れないな……)
 煙を吐きながら、ふと思った。
 なぜなら、全国大会優勝を果たしてからほぼ二ケ月後……
 俺にとっては、その時の嬉しさに勝るとも劣らない程の感激を与えてくれた出来事があったからだ。
 ……それは卒業式の日だった。
 机の中にあった、一通の手紙。
 手紙の文面に導かれて、俺は『伝説の樹』の下へ走った。
 そこには一人の女生徒が、俺を待っていてくれた。それは……

 ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴った。どうやら彼女が来たみたいだ。
 煙草をもみ消し、部屋を出て玄関に向かう。
 そこには……昔から少しも変わらない笑顔を浮かべた彼女が立っていた。
「ごめんなさい、ちょっと遅くなっちゃったね。でも、その分腕によりをかけて、お弁当作ってきたから許してね。」
 そう言って彼女は、小さく肩をすくめてウインクをした。
「いや、ちょうどいいところだったよ。じゃ、今日は運転、頼むぜ。」
「うん、任せといて。……あっ、それ。」
 彼女は俺の手元を指さして言った。
 その手にメダルを持ったままだった事に気付いて、それをあらためて見つめる。
「ああ。……君が来るまでに、これを見ながらあの時の事を思い出していたところだったんだよ……」
 俺はメダルをポケットに押し込み、玄関に下りて靴を履いた。
 そして彼女に歩み寄って、その肩をそっと抱いた。
「ふうん……懐かしい話だなあ……」
 甘えるように、俺の肩に頭をもたれかけさせてくる彼女。
「……そのメダルのもう半分は、私の大切なお守り……あの時の感激、そしてあなたと過ごして来た高校生活のたくさんの思い出……私、ずっと忘れないよ……」
 囁くように言って、彼女は微笑みながら俺の顔を見上げた。
「……今日は、あの頃の思い出をいっぱい話し合いましょうね。龍明君……」
「そうだね……じゃあ、行こうか……沙希。」
 俺は沙希に軽く口づけて、歩き出した。
 ……ポケットの中のメダルが、微かに音を立てた……

−Fin−

【Postscript】
私のSS二本目であり、その割にちと長めの作品になっております。
これは私の作品の中でも、結構自信作なのですが……いかがなものでしょうか? (<自分でんなコト言うなって!ヾ(^^;)
インターハイ(全国大会)で優勝したとき、泣いて喜んでくれた沙希ちゃんへの補完として書いたものだったのですが……
でも「虹色の青春」には参りました(^^;まだまだ足元にも及びません。
余談ですが……初めて発表したときには、きらめき高校サッカー部を一回戦から国立競技場のフィールドに立たせてしまいまして(^^;(爆)
後でそれを指摘されて、大いに赤面した覚えがあります(^^;(<ちゃんと調べて書けよなー)

(作品初出) 96/11/14 NIFTY-Serve内ときメモSSパティオ「ときめき文庫」


◇この作品への感想は、きゃのん(cannon@seagreen.ocn.ne.jp)までお送り下さい。


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