最期の一日  これはフィクションです
この”最期の一日”は、亡くなった後のニュース、坂井泉水さんの行動、著書「きっと忘れない」、当日の天候や時間などを参考に考慮し、『こうではなかったのか』という推測を元に構成しました。
ですから筆者の推測であり事実と異なる部分もあると思いますので、他への引用・参照に使う行為は一切禁止します。


5月25日東京は雨だった。病室から覗く空は鉛色の雲で覆われ雨が降り続いていた。
そこへ電話が掛かってきた、蒲池幸子をZARDのボーカル坂井泉水としてデビューさせた長戸大幸氏からだった。
子宮頸ガンの手術後に肺への転移が見つかったのはPV(プロモーションビデオ)撮影の予定日を直前に控えた2007年4月のことだった。幸いにも転移したガンはまだ小さく、抗ガン剤の投与で抑えられる程度の物で、その抗ガン剤による副作用で髪の毛が抜け落ちることもなく病状は次第に良くなってきていた。
そんなところに長戸氏からの電話。内容は99年製作の韓国映画「約束」の日本公開に向け主題曲をその映画で主演している韓国俳優パク・シニャンとのデュエットのオファーがZARDに入っていて、坂井泉水もそれを快諾し楽しみにしていた。
他にも、退院したら自宅に機材を持ち込んでレコーディングの準備に入ることなども打ち合わせた。自宅に機材を持ち込めばスタジオとの往復で生じる余計な体力を使わずに済むだろうという長戸氏の配慮もあったのだろう。

退院後のスケジュールに思いを馳せながら眠りについた坂井泉水は、翌26日午前4時頃に目が覚める。カーテン越しの窓から夜明け前のうっすらとした明かりが病室に入ってきた、『あっ空が明るい、雨も降ってない、よし散歩に行ける!』、そう思った彼女は着ていたパジャマを脱ぎ捨てる様に今まで寝ていたベッドの上に置き、服を着替えて病室を出た。病院の外はまだ昨日降った雨で道路は濡れていたが、そんなことお構いなしに散歩に出て行った。決断したら即実行! それが坂井泉水の行動力そのものだった。

夜が明けるかどうかの早朝の散歩は、日中の日差しによる日焼けを嫌う彼女にとって、また作詞やレコーディング活動を15年もの間続けているうちに昼夜逆転の生活を送っていた彼女のこの時間帯というのはまだまだ活動時間であり、起きているのが習慣でふつうの時間だった。

新曲の「グロリアス マインド」もまだ未完成、そのまだ残っているレコーディングや年末に計画しているライブコンサートを行うにはまずは体力を回復させなくてはならないし、昨日電話で話した主題曲のレコーディングを行うにも体力を付けたかった彼女の責任感からでもあったし、「まずあなたが頑張りなさい」と家族からの励ましもあった。

散歩の途中、4時半頃には太陽がビルの谷間からでも見える様に昇ってきた。1時間ほど歩いただろうか、体には少しばかり汗を感じるようになってきたころ散歩を終え4Fの病室へと向かうため、病棟の外にあるスロープを歩き始めた彼女、2F途中まで上がったところでふと空を見ると朝陽が当たった雲がオレンジやら赤や紫と言った絵画的色彩で彩られていた。そんな光景をみて『このまま病室に戻るのはもったいない』、そう思った彼女はスロープにある手すりに腰掛け、しばらく眺めたいと思った。ちょうど良い具合に日が昇り始めたお陰でさわやかな風は雨上がりと言うこともあって、汗ばんだ体には大変心地良かったこともある。

手すりを握ってコンクリート壁の縁に足を掛けヨイショ! お尻を手すりに乗せた後座り直そうと一方の足でコンクリートの壁に力を入れてお尻を浮かそうとしたその瞬間、雨で濡れていた靴が滑って体制を崩してしまった彼女は背中から落ちてしまった。それは一瞬の出来事で『はっ!』と言う間もなく、体制を整える事も出来ない僅か3mと言う高さから落ちてしまった彼女は後頭部を地面に強打して脳挫傷を受け、一瞬にして気を失ってしまう。

彼女は手すりに座ることは今までも時折やっていたこと。その日も同じようにやったつもりだった、しかしいつもと違ったのは雨上がりだったこと。

程なくして通行人が仰向けに横たわる彼女を見つけ、病院のスタッフが集中治療室へと搬送し賢明の治療を施すが、翌27日午後3時10分家族が見守る中息を引き取った、享年40歳だった。


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