当時オートバイの技術部は設計部と実験部に分かれていて、研修から戻った私の配属は実験部、その中でも2サイクル車を実験部に配属されました。寮が同じになった専攻科卒業のHさんは研究課に、同じくNさんは船外機開発の部署に、同期のY君は生産課にそれぞれ配属された。
実験部は開発する車種ごとに4つ位のグループがあり、中でも2サイクルオンロードの開発が主でRD90・125・250・350の4車種を担当するSグループに入りました。主任はS氏、その下にY氏。Y氏は90・125の開発のリーダー、S主任が250・350のリーダー、私はそのS主任の下でRD250・350のエンジンを担当するAさんに就いて実験のイロハを教わることになる。

初めての仕事の内容はRD250・350のマイナーチェンジモデルの開発。翌年のマイナーチェンジに合わせ騒音対策を施す作業でした。ベンチでエンジン性能を測定、マフラーを切ったり溶接したり、その度にキャブレターのセッティングを変えて測定。目処が付くと実走で騒音測定、燃費計測、加速性能測定等々覚える仕事は一杯でした。

ここで寮と会社の往復生活をご紹介。寮は会社から歩いて10分ちょっとの高台にある「磐田第一寮」、4階建てでコの字型をした建物。玄関左に管理人室、右へ行くと食堂と厨房があり、その奥には50人が一度に入れるお風呂、食堂の2階にはちょっとした体育施設がある、屋上には20台ほどの洗濯機を置いた洗濯場がある。日曜日は朝から利用客が一杯で、数年後にはこれが痛手となる・・・。それぞれの施設以外と3・4階は寮生の部屋で基本的には2人部屋、312号室が私の部屋となり生産課の人と同部屋だった。
入社・入寮して当初は定時で帰る、残業は正社員じゃないから無いのだ。で、寮に帰ると書道の練習、趣味の書道の入段試験を受ける練習途中で入社したから、それまで師事していた先生に通信添削を1回受けた後は独力で練習し提出、無事合格しました。(過去2回受験し失敗していた)

 寮での食事は朝夕の二回、日曜日の朝食は食パンと牛乳だけ、余り遅くに食堂に行くとずるい奴がいて、二人分取ったりするから無い時もある、食パン2枚では育ち盛り?にとって少々空腹気味。夕食は会社が終って5時半くらいから出来たと思う。帰寮すると食事を先に摂ったり風呂に入ったり試行錯誤、余り早く食事すると夜が保たない、そこで風呂に入って着替えをし、そのあとゆっくり食事するようになったが、ご飯のお代わりは勿論自由である。そのあとは習字の練習したり、コーヒー飲んで過ごし11時頃には寝るようにしていた。 この起きる時間と寝る時間は高校生の時からずっと同じ生活習慣。パソコンを買ってからあと、この生活も乱れ気味になっている。

 休日は同期入社で同じ短大専攻課出身の2人と浜松まで買い物に出ていた。寮から磐田駅までのバスの便は悪く日曜の昼間はほとんど無い。そこで一緒にタクシーに乗ればバスより便利なのだ。
磐田駅前周辺には商店街もあるが、見物がてら浜松まで出ることが多かったですね。ある時浜松で3人歩いていると後ろを歩いていた女子高校生が大きな声で会話していて、その話の相づちで「・・・そうだらー」と言う声が耳に入ったときは3人でズッコケました。しかし、どの地方でもそのように思われる方言はあるでしょうね。因みに、語尾に「そうだら」と発音するのは静岡の西部から愛知県の東部、静岡の東部や山梨では「そうずら」と変わる。森の石松は「そうだら」、清水の次郎長は「そうずら」としゃべるのである。

さて、ヤマハの本社工場には本社社屋、バイク生産ライン棟が3棟、トヨタ向けエンジン組立工場が1棟、エンジンのベンチテストを行うのが4棟(後に5棟)、それぞれに事務所や測定室などがある。工場内の配置は生産機能は効率がよいように思うが、開発から見れば各施設が離れていて効率は悪い。

実験部の事務所は敷地の南端にある3号館、そこから歩いて5分の北端に10号館が有りその中にエンジンのテストを行うベンチルームがある。そのほか10号館には−30度から+40度まで室温を変化出来る「高低温環境試験室」と東側には船外機を開発する部署がある。
(後に蒲郡工場に移転)二輪車用のエンジンベンチルームは8つ、RD250/350の開発は1号室で、部屋の広さは30u位あったかな、ドアの厚みが30cm程あって部屋内部を見る窓も2cm厚の2重ガラスになった防音室で、放送局の「金魚鉢」みたいな部屋である。

ところで、3号館というのは、あのトヨタ2000GTというスポーツカーを組み立てていた所でもある。経緯の詳しいことは知らないが、その名残としてトヨタのツインカムエンジンを生産していた(現在は不明)。
また、組立時おいて、ボディー細部には板金加工が必要だったらしく、その為浜松で板金塗装工場を経営していたKさんを迎入れて仕上げをしていたらしいが、Kさんはその後試作スノーモビルのアルミシャーシーを板金する仕事をやっておられました。

「ベンチ(動力計)」というのは回転するエンジンのトルク(荷重)を測定する装置で、「ダイナモメーター」とも言う。回転数に荷重を掛けそれを係数で割ると馬力が算出される。どのように測るのかというと、エンジンが回るのをモーターの力で止めようとする、一定の回転数で回る力と止める力のバランスが取れたとき、そのモーターが止めようとした力が秤の荷重となって表示される、その秤の表示は90cmもある大変大きな物だ。因みに1号室の動力計は55kg、馬力にして75馬力まで測定できるのだが、測定時のコントロールを考えると50馬力くらいまでらしい。

部屋の外に操作盤があり、幾つかの計器が配置され、その中に「ポテンショメーター」と言うのがある。これは精密ボリュームで、通常のボリュームは270度くらいしか回転しないが、ポテンショメーターは10回転!する。1周が100目盛りになっているのでそれだけ細かく調整できるわけだが、これを使って動力計モーターに流す電流を制御しエンジンの回転数をコントロールする。
※ショップでダイナモメーターを設置しているところもあるが、精密な比較ましてやエンジン性能開発は基本的に出来ない。チェーンやタイヤなどの抵抗が変わりやすく、一定の条件での測定が出来ないためで、メーカーではこのようなエンジン単体の性能をベンチテストで行う。

Aさんに就いて10号館1号室で仕事を始めるが、気温、気圧、湿度のチェックは日課となる。
動力計を冷却する水を流し、ガソリン・オイルの補給、前日良かったエンジン仕様に戻しプラグやギヤを点検したあと30分間暖機運転を行い一旦冷却した後測定に入る。ポテンショメーターは3回転ちょっと回したところで動力計のセルを回しエンジンを掛ける、スロットルは1/3位でエンジンが掛かれば全開にして固定、すぐに3000回転になるようにポテンショメーターでコントロール、安定したところで燃料流量と荷重を測定、終わると500回転上げたところで同様に測定する、これをレッドゾーンである7500回転まで繰り返して測る訳だが、エンジンを止める時はスロットルを閉じると同時にポテンショメーターで負荷を大きくし停止させる。
動力計から読みとった荷重からトルクと馬力を算出、燃費率を計算しそれをグラフに記録する事が主な仕事でした。馬力やトルクの算出方法については高校時代に習ったことではあるが、授業が生きた。

試用期間中は実験の助手なので、測定操作や機械を使った加工などは出来ない決まりになっていました。が、実際に仕事を始めて暫くするとS主任から許可が出て動力計操作をさせてもらえるようになりましたね。でも実際するとなかなか回転が合わない。回転を上げれば上がりすぎ、下げると下がりすぎ、ポテンショメーターの使い方が敏感で動力計の針が大きく振れるので時間が掛かり正確な測定どころではなかった。

ところで、Aさんとはどんな人か。気持ちが広くて失敗したときも優しく受けてくれる人で、口癖は「やらまいか」〜(じゃあ始めようか)。RDの担当になる前はヤマハで初めてとなるトライアルマシン「TY250」のエンジン開発を担当していたそうです。TYの開発中のエピソードもいくつか聞きましたが、それはここでは書けないほどの内容で、市販車では考えられない問題です。

マフラーを切って中身を変えて溶接、シリンダヘッドを削って圧縮比を変える、シリンダの排気タイミングを削って変えて・・・それぞれにキャブレターのセッティングを変えて測る。2気筒なので準備に一日二日掛かることもある。

溶接作業はお隣の船外機開発の部署の物を使わせてもらっていたが、入社当時はガス溶接の資格を持っていないので、責任者の方にお断りを入れてから使っていた。
メッキされているマフラーを切って溶接するとメッキ部分がパッーンとはじけるし、つなぎ合わせている途中で熱せられた空気が一気にボッシュと吹き出して熱気が股間を直撃する。
そんなことから入社初期の頃は制服に穴が空いたり、作業中の汚れが落ちないほどに付いたり何枚あっても足りない。やっと準備が出来て測定していくと「チリチリ」何やら怪しい音が防音壁越しに聞こえてくる。即座にエンジンを止めればよいが、躊躇していると「チリチリチリチリ・・ギュー」とエンジンが焼き付いたり、時には「スポッー!」と防音壁を越して聞こえてくるくらい大きな音がしてピストンに穴が空いてしまう。

プラグの温度を測定するのはいくつかの方法があり、正確に計るには後に説明する”極温プラグ”を使う。電極の温度が測れるのだけれど、850℃位までが安全圏、900〜950℃になると電極付近のカーボンが吹き飛び、それを越えると電極に使われている金属が溶けだしてしまう。チリチリチリチリと発するときは900℃を越えているときだ。

入社間もない頃というのは段取りは悪いし、言われた仕事でも全部は理解できていないし、開発日程の事など全く気にしていないというか、言われたことをしているだけの受動型人間で、焼き付きや穴空け等の失敗もたくさんしたから、予定を狂わせていたかもしれないが、Aさんはしかることもなく暖かく見守って下さいました。

!こんなにして交換するの?!!
入社する前に色々いじってきたから2サイクルのシリンダやピストンを交換するくらい簡単なのであるが、ピストンに穴が空いてしまったときは「エンジンをオーバーホールしなければ・・・」と思った。ところが安間さんは「そんなのに時間掛けないよ」と言う。どうやるかというと、ヘッド、シリンダー、ピストンを全部外し、コンロッドのスモールエンドにチューブを切った物を通しそれを引っ張りながらクランク室にガソリンを一杯入れキックする。
ガソリンの中にアルミの粉がきれいに混ざっている為若干引っかかりがあるが、数回キックしたらホースで吸い出しエアガンで吹き飛ばす。再度ガソリンを入れアルミの粉を取り出す、それを繰り返していくとガソリンの中にアルミの粉は見えなくなる。その後はオイルを注して新しいピストン、シリンダーを組み付け慣らしを行い、焼き付いたり穴が空く前との比較のために同一仕様で測定をする、簡単な物である。「エンジンってタフだな」と、思った一コマ出した。

回顧録
文中の馬力やトルクの算出についてだが、入社当時は今で言う「電卓」という物が無く、計算には計算尺を使っていました。計算尺を使うと言っても何回も操作が必要なので、あらかじめギヤの比率、回転数から定数を出しておいて、秤(ダイナモメーター)の数値を合わせれば答えが出るようにしていた。