入社3ヶ月を過ぎ晴れて正社員になった私は「公用車運転免許」を受験した。これに合格しなければ公用車を運転することは出来ない。試作中のテスト車両も公用車なので、この試験に合格しなければ”テストライダー”として走ることもできない。
試験とは言っても適性試験のみで、実技はない。内容は30cmの円盤に沢山の針金が立っていてそれが回転する、そこに左右2本の針がハンドルによって動き接触しないように操作する物と、一定速度で動くライトがトンネルを出てくるタイミングを予測しスイッチを押す物、3色のライトに応じて手足のスイッチを押す物の3種だった。
試験1回目は見事に「不合格」。ゲーム感覚一杯の円盤操作でマイナス点が大きかったのが響いた結果で、どうも試験と言うのに弱い私である。
そこで安間さん「まだ私が走らないといけないか・・・」、そう、早く私に走らせて楽したかった・・・のか。

ベンチテストや燃費計測、騒音テストなどをこなし、当時毎月一回の谷田部での高速試験場出張がやってきた。ここは、財団法人日本自動車研究所(JARI)が所有する「自動車高速試験場」と言い、コースは1周5.5kmキロで最大傾斜角度は45度もあって、市販車ならばほぼすべて最高速でテストできる。
市販される前の車両をテストするのが目的の試験場なので、機密保持の観点から一般の人が立ち入ることは出来ないし、他メーカーが使用中に入場する際は、行動範囲が制限されます。
ヤマハコースがサーキット同様のコーナリング性能重視のテストになるのに対し、ここでは速度を一定に保ったテストが出来るため、実走でのエンジン各部の温度測定、シリンダ・ピストンのテストなどが中心で、高速耐久テストのみ行う事もあります。

当時の計測機器は「実物大」が多く、データを保存したり無線で飛ばしたりする物はなく、現在のレースの世界では標準のテレメーターなる物は高価で測定できる項目も少なかったので利用出来る時代ではなく、実験室でいつも使っている物の中で12Vでも作動する計測器を車載しての計測でした。中でも打点温度計は重量7〜8キロあり、1分掛かって6カ所を測定できるのがやっとと言う鈍さ。
入社当時からあったのかどうか記憶が曖昧だけれど、研究課にライトバンを改造したテレメーター専用の測定車があって、XS1100のシャフトドライブのテストやモトクロッサーのYZ開発に利用していたようですが、存在を知るだけで中は全く見たことがない。
ここで少し、測定器についてどんな物が有るか紹介しよう。

@極温プラグ
プラグの電極温度が測定出来る特殊なプラグで1本3500円するとか言ってました(工場入荷のプラグ原価からすれば相当高い)。六角部からコードが出ていて、これを電流計につなぎ電流値から温度に換算して計測する物です。リッター100馬力を越すとなるとプラグの温度管理は特に大切な物となります。850度以下なら安心ですが900度を超える頃から電極の金属がイオン化しいろいろの悪さをし始めますから、これ以下になるようプラグの番手を選択します。
ACA線
異種金属を一点で結合すると電流が発生します。その電流値は温度によって変化するという性質が有って、この性質を利用して温度測定に用います。CA線は0.5mm位の直径のアルメルとクロメルという金属を使い、先端で被覆を取って溶接し結びます。
それを、測定したい部分にデブコンで止めたりして固定、コードの長さを1m以上にするとおよそ300度位まで測れ、温度測定ではもっとも一般的な物で、プラグの座温、シリンダ壁温度、マフラー内部温度、排気温度、エンジン油温測定などに用います。
B騒音計
スイス製のブリューエル&ケアー社製の騒音計を用います。マイクロフォン本体、測定部、校正用基準音等のセットで100万ちょっとする高価な物です。メーター指針を目視での騒音測定をしていましたが、テストコースに騒音測定専用場が出来たときに「ペンプリンター」が導入され、測定の自動化(一人でも可能)までできます。
C赤外線温度計
赤外線を使った「非接触温度測定」装置で、モノクロで1000万、カラーでは3000万位と当時言ってました。温度校正用に液体窒素を使い、モニターを見ながらカーソルを目標に当てるとピンポイントでの温度測定が出来ます。
CA線を使った温度測定は準備に時間が掛かるだけでなく、計測誤差も少なからずあるため、表面温度を測定するなら「非接触」のこの温度計が必要です。皆さんはコマーシャルで見ていると思いますが、温度が高いほど赤く表示するあれです。
Dヒートラベル
こちらは非接触の温度測定シール。実験で使っていたのは長さ5cmの1枚のシールに5点ほどの温度設定が異なるシルバーの物質が貼り付けてあり、その温度に達すると黒に変化するという物。ラベルにより2℃から10℃毎に測れる物です。例えばディスクキャリパー、クッション、レギュレーター等の温度測定に用います。
E歪みゲージ
長さ5〜10mm位の薄いテープの中に極小のワイヤーが通っています、金属表面に貼り付け電流を流すのですが、無加重では電気が良く流れても加重が掛かり金属が歪むと電気の流れが悪くなる性質を利用して応力を測定し、フレームの実験では欠かせない物です。ただ、単発的なテストでは判断が付きにくいので、経験の積み重ねも必要なテストです。1方向の物と90°交差した2方向同時測定できる物の2種類があります。

※フレームの剛性:カタログに「従来より40%の剛性アップ」とか書いてあるの見たことありませんか? この歪みゲージをフレームの数カ所とハンマーにも1枚貼り付けます。そしてフレームの一部をハンマーで「コツン」と叩くと振動が伝わり歪みゲージに反応が起こります、これをコンピューター処理して「振動の速さと収まりの速さ」を数値化したのがカタログでの表示に使われます。ハンマーに歪みゲージを貼るのは、衝撃の瞬間から計測を始めるため。
F排気ガス分析計
排気ガスの成分を分析する機械。
アメリカのカリフォルニアが排気ガスに汚染された時、マスキー上院議員が自動車の排気ガス規制法案を議会に提出し可決したことから「マスキー法」と呼ばれる排気ガス規制がアメリカで始まった。日本でも昭和51年から始まる。アメリカ向けではオートバイでも例外ではなく排気ガス対策を余儀なくされ、ヤマハでも1基300〜600万位する排気ガス分析計をかなりの数導入した。普段はHC(ハイドロカーボン)とCO(一酸化炭素)を測る程度で、これだと50万位であるのだが、NOxやその他の有害物質の測定もするため、このように高価となる。正しく測定するために校正ガスと呼ばれる物を用いる。NOx(窒素酸化物)等危険なガスを校正ガスとして使えないので危険の少ない疑似ガスを作るため7種から11種位を用いる。
Gシミュレーションシャーシ
バイクをシャーシと言う台上で無人による自動運転を行う装置。
テストライダーが決められたモード(始動−加速−定速−減速−停止の繰り返し)で長時間走行すると危険もあるし、必要とする人間も多く要る。そこで通常の台上試験機(シャーシ)でモードに沿って走行し、そのデータをパンチングテープ(今は変わっているかもしれない)に記録し、そのテープを輪っかにするとエンドレスでの無人運転が出来る。
そうそう、無人にするためにはアクチュエータと言う電動又は油圧で作動する人間の手足同様の動きが出来る装置をセットする必要がある。
Hオシロスコープ
ブラウン管に電圧・電流波形を表示する機械。
通常はアナログだが、これは信号が切れると波形も切れて記録するにはポラロイドカメラなどでタイミング良く記録するしかなかったが、波形を表示したままが出来るストレージオシロなら一回きり表示を固定出来、外部に出力する事も出来る。その後、デジタルオシロが出て記録の自由度は高まった。デジタルオシロは一定時間サンプリングしたデータを保持し表示するだけでなく、計測後もオシロの時間軸を操作するとメモリー容量に応じて詳しく評価検討できる利点がある。

尚、点火系のテストではオシロは必須アイテムだが、電圧が高すぎるため直接は繋げない、そこで1000:1の電圧プローブを使うが、元の電圧波形を損なわないように作られているため通常のオシロより高価な30万もする、らしい。

う〜ん、他にあったら追加で書きます。

で、初めての谷田部でのテスト2日目S主任が「安全委員会」にお断りを入れて、担当外だがRD100の耐久走行のお手伝いで乗せることの許可を得て「笠君、走って良いぞ」と許可が出て、スーさんが体型的に似ていたので拝借して走ることに。僅か5周くらいだが100キロ出るかどうかのバイクなので長かったなー。で、ピットに戻ると大変なことになっていた、同じグループで先に「公用車・・」に合格していた○○君がピットにノーブレーキで別グループの工具の載ったキャディーに激突してオイルをこぼしていた。原因は最高速で走っていたのだが、その時タンデムステップに足を掛けたままであることを忘れて、ブレーキが利かない事に慌てて充分に速度を落とせなかったらしい。S主任は「事故前に走って良かったな」と言えば、Aさんは「早く取るとあんなもんだよ」

さて、2回目の「公用車・・」で無事合格した私は実験部合同のテストコースでの安全走行教育を受けた。
コースやフラッグの説明の後、それぞれ担当のバイクに乗って先輩社員の後ろに付いてコースを走る。1時間ばかり走り休憩の後フリー走行、ここではモトクロスの経験が生きてスロットル全開で気持ちよく走れたが、コーナーで膝を「開きすぎ」と、指摘されてしまった。
とにかくテストコースでは「バイクは左端を走る」という常識は全く関係ない。コースの端から端まで有効に使いコーナーをいかにスムーズなラインで繋いでいくかがポイントなんだが、先輩ライダーの後を付いて走るとそれが上手くつながる。でも、単独でフリー走行になると上手くいかないのである。

※デブコン
アルミの微粉末の混合物で、硬化剤を混ぜ熱を加えると堅くなります。油分に対して弱く、剥離しやすいので、デブコンで接着する前は完全に脱脂しないといけませんが、便利に使える金属接着剤です。

用途はいろいろですが、一般ユーザーであれば破損した部品の補修が主だと思いますが、開発部署では運転中のエンジン内部の状況を見るのにケースに観察用の穴を空け、そこにアクリル板を張り付ける際にデブコンを使います。
それで、オイルの潤滑状態を見たり、ギヤのかみ合い状態、バスタブ式チェーン(ベルトドライブになる前のスクーター)の動きなどを観察しますが、動きが速いので目視できるようにストロボライトを使うと、動いている物体があたかも止まったように見えて観察できます。

バイク雑誌を読んでデブコンの存在は知っていたが、まさか自分が使うことになるとは思ってもみなかった。
因みに、成分はアルミが主成分で約70%、グリース状の硬化剤を混ぜて気泡を完全に除いてから接合部に塗りつけ、放置するかライトを当てると早く硬化する。面白いことにアルミが主成分なのに電気は通さない。