テスト走行中に数回「死にそー」(肝を冷やした事)を経験しているけど、そのうちの一回、谷田部での高速試験中の事を書いておこう。

先回から少し時期が戻ってしまうけど夏の暑い時期でした、RD400の開発が順調に進み始めた頃のことで、走行中のエンジン回りの温度を測定する仕事を任されたときのことです。
RD400のテスト車両のリヤシートに打点温度計をセットして、速度とエンジン温度の関係を調べ冷却性能を確認するためのテストなんですが、エンジンが3cm前方に移り、フレーム形状やホーンの取り付け位置も絡んで、RD350よりも条件は悪くなっていると考えられたからです。はじめは50か60km/hから各速度で2周走り、2周目に温度が安定してから測定を始めるようにしていました。

この打点温度計とは、6ヶ所の温度測定場所別にインクの色を変えながら記録していく物で、似たような物でペンレコーダー(心電図記録などで見かけアレ)がありますが、打点温度計の場合は6ヶ所同時に記録できなくて、色インクが回転する構造になっていて、10秒ごとに色が変わってロールペーパーに6カ所の温度を正に”打点”して行く物です。なので、温度変化が激しい場合には不向きで、長時間の緩やかな温度変化を記録する用途に向いているようです。
温度が安定するまで待って記録紙を回転させて記録、6ヶ所の温度を打ち終わるには一分程掛かるのです。170km/h迄は難なく測定できたんですね、そして最後の最高速での温度測定に入りました。記録紙にチェックを入れた後コースに出てフル加速を行い1コーナーから2コーナーを回り長ーーーいストレートを175km/hの最高速で走り抜け3コーナーに向け曲がった瞬間のことです、ハンドルは大きく振れだし、その反動でだろう、フロントが浮き上がりました。

何もコントロールできない状態で、バイクは直進しバンク上部にあるガードレールに向けまっしぐら。この状態でブレーキを掛けると転倒するのは明白、そこで落ち着いて・・とは言ってもい頭の中はいろんな事を考えてぐるぐる回っている・・・まずはリヤブレーキを掛け、フロントタイヤが接地して”グラッ”ハンドルが振られ、その振れは暫く続き、やっとの思いでハンドルの振れが収まりフロントブレーキを掛けれた時には100km/h位迄落ちていたが、同時に45度バンクの上にあるガードレールまで2mのところまで直進していた。そう、コースの中でバンクには何本かのラインが引いてあって、その最終ラインを超えてしまったのです。”肝を冷やす”というのは正にこのことを言うのでしょうか。

当日はTX650やロータリーエンジンを積んだRZ201が200キロオーバーで走っていて、その時も”周遅れ”されるタイミングに近かったので冷や冷やでした。40キロも速度差があるとバックミラーで確認できたらあっという間に追いつかれるので、即座に後方を確認したら運が良かった、遙か後方でした。

谷田部のコーナーアウト側にはサーキットのようにグリーンが無く、コースサイド=ガードレール=いきなりアウト(外は7〜8mの崖)ですからねー、怖かったです。
それにしても僅か5キロ差でこのように車体が暴れ出すのは可笑しいと思い、若かったねー、それとも仕事にまじめ? それはどちらでも良いけど、ピットで温度計の取付を確認して再度最高速でチャレンジ。1・2コーナーはスムーズに先回同様クリアして、ストレートでは後方を充分に確認して慎重に3コーナーに入るとフロントが”ピクピク”と動いたので即座にリヤブレーキを掛け速度を落としテストを中止した。
でも『なんで3コーナーだけ振れるんだろう?』、今でも不思議に思う事です。

この時の事が一番”肝を冷やす”出来事でしたが、冬場のヤマハコースでも”あわや”を経験していて、ストレートを走り終わり、1コーナー後の2つ?ある”コブ”を通過した後下り勾配のスプーンカーブに進入して行ったら、防寒服を着ていたせいもあっていきなりの突風、それも追い風にあおられ、走行ラインがあっけなく2m位アウト側にずれて、あわやコースアウトしそうになって、その後はいくら寒くても本コースでは防寒服を着なくなったし、トンネルの中で転倒して2回転したし・・それについてはあ・と・で・、いろいろ失敗はありましたが、ヤマハコース(本コース)内での転倒だけはしていません。

余談も入りましたが、この谷田部の走行テストでスズキのGT380が比較車両で持ち込まれていたので、担当の仕事の空きを利用してコースを数周回り、フィーリングを確認したが、最高速で走っていてスラロームをすると曲がらなくてねー、直進性が強い物だから、右から左への切り返し1サイクルするのに200m以上は掛かったんじゃないだろうか。
ホンダのCB360にも乗ったが、こちらはそれとは正反対に全く緊張感の無いバイクで、最高速(160km/h位)で走っているコーナーの途中でハンドルを揺すろうが、体を動かしてウォブルを起こさせようとしても走行ラインには全く影響が出ない、「へぇ〜こんなバイクも有るんだ」

今のバイクに付いているキャストホイールでは気にならないと言うか、出なくなったのが段差を乗り越えた時の”パターン”と言う音。スポークホイールでは出ないこの音、当時は研究されても居なかったようですが、タイヤとホイールの相性なんでしょうか?、段差やマンホールを越えるときには必ず出ていましたね。
ホイールと言えばここでちょっと余談。RD250/350の時からリムの材質違いを何度となく乗っているので、鉄製リムとアルミリム、それとキャストホイールでどのように変化するのでしょうか。因みに、RD250/350/400ではアルミリム仕様は存在しないはずで、あくまで試作でのフィーリングです。

@鉄製リム : 路面からのショックが直接、挙動として伝わってくる。その中には不要な路面情報も含まれる。コーナリング中の限界付近でのコントロール幅が狭い。

Aアルミリム : 操縦性が軽く、減速しながらのコーナーリングでは”粘り”があり、ブレーキングのコントロールが行いやすく、ブレーキングで”攻めた”走りが出来る。また、剛性的に鉄製に劣るところはなく、むしろ反発力の低さが、粘りを生み出しているように思うが、逆にその粘りはコーナーでの切り返しでワンテンポ遅れる感じが出るものの個人的にはRDにはアルミリムのフィーリングが一番好きですね。

Bキャストホイール : 高い横剛性で直進性が強く、高速でのスラロームで切り返しが楽。これは良好な路面での高速走行では有利に働くのですが、キャストホイール初期の安全性重視の観点から重量が重く、耐久性や縦剛性は高いのだが、一般路やテストコースでも荒れた路面をを走ると、リム構造に比べ挙動が大きく出てしまう。
その辺りはサスペンションのセッティングの難しさに現れたり、スポークホイールの様にホイールのねじれでショックを吸収するのではなく、フレームで吸収せざるを得ないので、フレームには高い剛性が要求される。勿論、フロントフォークやリヤアームの剛性も同様で、車体のいろんな所に影響を与えていました。

当時、バイク用のキャストホイールはロナールがBMW用に作っていて、「ENKEI」で知られる「遠州軽合金」も二輪車用の試作(ハーレーもそうです)を始めたり、ヤマハでは将来の内製化(専門メーカーへの外注ではなく、自社生産する事)に向け試作を開始した頃だし、暗中模索でキャストホイール用のアルミ合金の開発や設計上のノウハウを掴む時期で、作業場には破壊試験に使われたホイールが沢山並んでいました。

今回はこの位で終わろうか・・・ちょっと短いので、同期入社のY君が行っていた仕事の脇見を書きましょうか。

彼は4サイクル担当の実験部門に配属され、寮も同じでした。彼の仕事は後のXT500やSR400/500に発展するバイクの試験(開発と呼べる時期ではなかった)でした。

あの、400/500のエンジンはご存じの方も居られるだろうが、元々は4サイクルエンジンの基礎研究用に作られた物です。
ヤマハはトヨタ2000GTの受託生産を行って以来、トヨタ7の開発やDOHCエンジンの製造などトヨタとの関わりは深い。技術部の中にはトヨタ向けエンジンの開発をする部署があって、トヨタ7の開発用に1000馬力用エンジンダイナモ計があり、その部屋にはグルリと一周する傷があって、それはトヨタ7のエンジンに付いているフライホイールが折れて飛んだ際に出来た物・・・・と言う話がありました。

それはともかく、自動車用エンジンの4気筒2000ccは1気筒500ccですから、500cc単気筒エンジンを作り、これで基礎研究をしていたんですね。その期間が私が入社する2年位前からと聞いたことがあります。
そのエンジンが、「おもしろいじゃないか」と、実験4課の目に止まり、ミッションを取り付けてバイクの車体に乗せて走らせる。当初は騒音対策をひっきりなしに行っていたようですが、基礎研究エンジンには当然キックなどは付いていない物ですから、テストでは”押し掛け”。4人係りで押しても掛からないときは後輪がロックしたまま20m位押しては一休み、また押してエンジンが掛かれば計測して・・・の繰り返し、エンストしよう物なら、怒られはしないが、「たいがいにしてよー」と聞こえてきそうだった。それに乗っていたのがY君だ。

そのバイクは後のXT500になるのだが、シート後方に50cm四角くらいの吸気ボックス(排気ボックスだったかも知れない)を取付け、時にはエンジンを防音材でぐるぐる巻きにして、どの部分からどれくらいの騒音が出ているかを測定していたようです。その為、Y君は身動きが取れないくらいになっていて、停止するときは数人で車体を支える等、テストの大変さを横で見ていました。

それから2年くらい掛けてXT500が市販され、「モトライダー」と言う雑誌社がこのXT500をオンロードバイクに改造して「ヤマハから”ロードボンバー”発売・・・」と実物(らしき)写真記事を載せた物だから、社内は大変!!
誰もそのバイクを開発していないし、見たことも無かったのだから・・・・。

※その経緯についてはこちらに解説がありました、参照して下さい。

しかし、良く出来ていたねー。※「GK」のデザインよりもあか抜けていて、かっこよかった。で、モトライダー誌の編集長がヤマハ本社に挨拶に来て、その時の話の内容は知らないが、次号で「お詫び記事」を載せたと思う。
おかげで、ヤマハには問い合わせが殺到し、その反響の大きさに刺激されたのか、XTのオンロードバージョン「SR400/500」が誕生するに至るのだ。
・・・そのSRエンジンを前後2気筒でくっつけた物がTR−1やXV750/1000と言ったアメリカンになり、XV1000をアメリカ市場で発売するときには「今日、ハーレーの社長が来てるらしいよ」と、ヤマハ本社にお呼びして挨拶をした経緯がある。

※GK:グループ小池の略。ヤマハ発動機は元々楽器のヤマハ(旧、日本楽器)からバイクの生産を開始するときに分離した会社である。楽器のヤマハ時代からGKがデザインを手がけていて、見た目のライン(流れ)を重視するので実験とは衝突が多く、それが反面技術部の開発力を鍛えたのかも知れない。
スクーターはパッソル以来”ヤック”と言っていたが、三菱自動車のデザインを手がけている会社が担当しているが(現在はそこから独立した会社がやっているらしい)、ヤックは実務型で、”性能を犠牲にしないデザイン”。役員プレゼンテーションの駆け引きも教えて貰った。

次回はRD400のお話に戻ります。