第11話の中で整備場に置いてあった自転車は・・・ホンダの「ロードパル」。正解の方はおめでとう。−第11話最後の※の”特許”の所にヒントが隠されていたなー− よく見ればエンジンが付いているではないか。原付で59800円は当時としても安く、テレビCMでイタリアの有名女優”ソフィアローレン”を起用し、そこに流れるセリフ「ラッタッター」は知名度を上げる効果も高く、主婦層の原付購入動機に刺激を与えるには十分だった。 ホンダは、ロードパルに至るまででも、意欲的に女性層を狙ったバイク(50cc)の開発・商品リリースをしてきたが、ロードパルはまるで自転車か、と思わせるほどに簡素なスタイルのバイクを作ってきた。 ※ヨーロッパでは国により違いは有る物の、14歳位から乗ることが出来るモペットが多くて、その中には自転車タイプの物もあるが、国内では余り普及しなかった。 当然このロードパルの登場にはヤマハ系列の販売店は危機感を持ち、営業サイドは必死になって対応に当たったようです。なにせ、その頃のヤマハにはビジネス以外のいわゆるソフトバイクには”チャッピー”しかなかったのですから。 当時、ヤマハの小池社長は即断し、「1年でロードパルに対抗するバイクを作れ」、と指示すると共に、営業サイドからヤマハ系列の販売店に対しては「1年待って下さい、必ず負けない商品を出しますから」と言って回り、同時に、「では、対抗するバイクの形はどうする」と言うのは当然出てきた話で、主婦層に受け入られるバイクは「機械を表に出さないこと」、「跨るというバイクのイメージを無くすこと」これを満足するバイクのスタイルは”スクーター”であるとの判断がされた。しかし、ヤマハは一度スクーターで苦い経験がある。物は良かったらしいが、ヘッドライトが車体に固定のため、夜間の視認性が悪く※注、これが不評の原因となって9号館食堂にまで溢れる程の在庫に、会社が危うくなった経験をしている〜そう言う話を聞いた。その為、役員や営業サイドからも反対はあったらしいが、社長の強い意向で開発が決定された。 ※注:当時のヘッドライトの明るさは暗く、配光も悪かったのか、ハンドルを切って曲がろうとしても、曲がる方向の照度が足りずに危ないという認識が高まった。 3号館西側の会議室に実験のSグループとRDの設計グループ全員が集められ、実験部部長のN部長からそのスクータータイプの開発グループにRDの開発を終えたSグループが当てられたことの発表がされた。その席上、部長が一番気にしたのは「今までRDというベテランが乗るバイクを作ってきただろうが、これから作るバイクは初心者が乗るんだから、性能や速さを考えたらいかん」と言う事でした。この言葉はみんなの”性能命”でやってきた考えを否定する物だから、皆一様に面白くない面もちだった。しかし、この発表で開発車両が無くなっていたSグループに仕事が入り、解散も逃れた?。 また、営業サイドの「ロードパルと同じサイクルタイプの商品が欲しい」と言う理由から他の部署でそのタイプの開発も併行して行われることも発表された。 開発コードはSグループが担当するスクータータイプの”072”で、別の課ではT主任グループが担当するサイクルタイプの”071”。今でこそコンピューター解析技術の発達で、開発期間1年から1年半と言うのは当たり前になっているが、当時はその様な開発システムなどは無く、何もない状態からの開発期間が1年と言うのは、従来の2〜3年から考えると無茶苦茶短い期間。更に、デザイン、設計、開発、生産仕様決定等のスケジュールを考えると実質半年!この、驚異的な短期開発を実行する為、「開発コード071、072の試作部品は全てに最優先する」と、社内の金型や金属加工を担当する工機課や、取引先の部品製造メーカーに対して”おふれ”が出て、この開発コードナンバーは”黄門様の印籠”となった。 ここで、Sグループにも若干の異動があった。10号館のベンチで”お向かい”にあったローターリーエンジンのRZ201を開発していた研究課の”ロータリーグループ”は折しもの石油危機により燃費問題など諸般の事情から開発中止によって解散し、そこから実験部署にIさん、設計にはOさんが転属、排気ガス低減の仕事をしていたAさんや、その下で働いていたM君が加わったが、耐久テスト走行担当のW君と、設計のMさんは生産に移行したRD250/400と共に別の部署へ異動した。 私はと言うと、S主任による担当分け発表の時一人取り残されてしまった。主任から「笠君は話があるから私のところへ来てくれ」。『ドヒャー、何かいな?もしかして生産課に・・・』、不安がよぎるなか主任のところに行くと「笠君にはRD400の白バイ仕様の耐久テストをやってもらうから、良いか」と、言われ『RDはもう終わったんじゃないの?』と思いつつも「ハイ」と返事、設計でもエンジン担当のK君と車体担当のS君が072の設計の傍ら継続担当するらしいが、「笠君も分かるように忙しくなるだろうから手伝ってやれないぞ、一人でやるつもりで」と、釘だか覚悟だか責任持たされるんだか、そんな風に言われ、『新しい仕事にも興味有るし、RDで耐久テスト任されるのも嬉しいし、でも白バイ仕様?耐久走行ならノーマルが良いのに・・・』等、思いつつも任された以上一所懸命やるかと思った次第です。 で、10号館に戻るとFさんが「笠君は何やるだ」(遠州弁)、「RDの白バイの耐久テストをやるように言われました」。すると、「こちとら・・はぁ50だ・・」。スノーモビルレーサーやスポーツバイクなどの開発をやってきた後だけに、ファミリーバイクの50を担当するというのは面白くないのは皆同じ気持ちだったはず。 私は運良く?実験でただ一人RD400の最後の仕事を任されたので、素直に喜べない複雑な気持ち。 その白バイ仕様RD400は試作課で一旦組み立てられた後手元に。車体はまんま白バイの”白”で到着したが、主任から「黒に塗ってくれ」、と言われて『残念!』、当然と言えば当然ですね。更に、RD400(1A1)としては最後の耐久テスト車両になるわけで、総まとめ的な車両の意味合いがあり、エンジン関係は摩耗度を測るために分解し、ピストンリングやクランクピンのスラストワッシャなど、摩耗する部品は全部マイクロメーター(厚み等を1/100mm単位で測る測定器)で測定し、ピストン・シリンダを担当するIさんからは「しっかり摩耗度を測れよ、焼き付かせたらクビ」と言われ、別部署異動したW君から樹脂製リードバルブとキャブジョイントのテスト品を預かり、オイルポンプ設計のYさんからは新型オイルポンプのテストを依頼されたり、電子サイレン、バンパー、書類を入れるドキュメントボックス(キップ切る時、台にする箱だ)、それに風防と樹脂製のサイドバッグを左右に取付け、中には5kgだったかダミーウェイトを載せ(計3個で15kg)たり、そんなみんなの思いを一杯に詰めて耐久車両の組立を行うが、部品を持ってくるだけで本当に誰も手伝ってくれない!。 一番困ったのは違反したときに鳴らされるあの嫌な”サイレン”の取付。 RD400白バイ仕様には電子サイレンが付けられましたが、旧来の機械式サイレンも取り付ける事になった、多分、仕向地によってどちらかを選択できるようにするためでしょう。 操作はクラッチレバー下にもう一つのレバーがあって、それを握るとワイヤーで伝達されて後ろのタイヤにローラーが押しつけられ、サイレンが鳴ると言う仕組みです。 ローラーはスイングアームに取り付けしますが、取付説明書の類は全くないので困った困った。何とか取り付けた後3号館前の試走路を走って鳴らしてみると思った以上に大きな音で、周囲の人の注目を浴びてしまった。 いくらテストでも、目標の動作回数が決められているので、テストコースだけでは消化できないし、市街地で鳴らしては『そのままではまずいだろ』、そこでサイレンの空気穴を埋めるようにガムテープを貼り、音をあまり出さないようにしたつもりですが、それでも大きい音。 実走行前にシャーシーでの性能測定と車体重量測定、メーターの検定を行った。 ここで白バイ(パトカー含め)のメーター誤差について書いておこう。速度違反で捕まった人が必ず言う言葉「そんなに出してないよ」、そう言ってもだめ、白バイのメーター規格は時速100km/hまでの基準は+側0%、−は1%以内と言う大変厳しい物(一般車は+10%、−15%が基準)。つまり、過大表示には0%なのだから、白バイ警官がハンドルに付けられたスイッチを押した時点での速度が赤い指針の”スパイ針”として残り、「あなたの出した速度はこれです、何キロに読めますか」と、聞かれることになるので、反論しても駄目である。勿論この誤差測定でも合格した。 こんな”楽しい”装備満載のRD400白バイ仕様は実質的な重量は210kg位になっただろうか、ガソリンを満タンにすると750並の重量だったように記憶している。 この重量なのだから当然車体にも想像以上の負荷が掛かり整備場から押し歩いて出すのに一苦労、ハンドルは白バイ仕様のアップハンドルだが、ハンドルを揺すると車体が”ゆらゆら”して収まらない。 取り敢えず、出来上がった白バイ耐久車で午後からだったか、会社近くの道路を走り試走する。約2時間あまりの走行で幾つかの問題点が出たので、会社に戻りW君にそれを報告すると共に対策の要請をする。それでも当面の耐久テストには問題ないレベルだったので300kmほど市街地での慣らし走行を行ったあと、いざヤマハコースへ。 走行耐久テストのライダーの日課は、整備場で車体の点検・整備を行い、走行スケジュールを外出許可証と共に提出するんだが、ヤマハコースは会社の所有物とは言え、その使用には1日当たり50万円の使用料を管理部署に支払わないといけない。実験部と品保課(品質保証課)が合同で使用すると一課当たり125000円、これを走行するライダー人数で費用負担して、各開発予算から引かれることになっている。だから、テスト走行するグループが無いときは費用負担が大きくなるので「今日は使用しないでくれ」、と言われる。また、企業として関係が深く、エンジン生産も請け負っているトヨタが月に2〜3日使う日は入場できないし、ファクトリーレーサーがテストで走行する日は250以下のバイクは走れなかったりするから、そのスケジュールを見なければならない。 基本的な耐久走行パターンは、午前中がヤマハコース、そこで昼食を摂った後、一般路に出て市街地での耐久走行になる。コースがある袋井を出て、浜北市(現浜松市浜北区)や湖西市、三ヶ日町等を走るんですが、毎日同じ行程だと飽きてしまうので、そこは耐久走行を長くやっている人たちと一緒に走ることもある。 走っていてふとスピードを落としたと思うと、「この辺りは覆面が多いから・・」らしい。浜名湖周辺を走る道は、信号も少なく景色に目をとらわれがちになるで、注意しないといけないようです。 トヨタ使用の日は午前中から耐久コースに出る。そんな走行スケジュールを記入して主任に検印をもらい、会社入り口の守衛所に提出する。 耐久走行テストから戻れば、守衛さんに「何課の誰」と帰社したことを告げ、車体に汚れが有れば洗車の後整備場に入れて終業点検、異常があれば担当者に報告し、その内容含めて耐久試験日報を作成し上司(私の場合はS主任)に提出する。 私はそれが終われば残業付かないので5時には退社していたが、グループ会議があるときは072の開発進行状況を「はぶせ(仲間はずれ)にしちゃいかんに」と、S主任の配慮で出席し、どのように進んでいるかを聞いていた。その後は寮に帰り、大好きな音楽をかけて体を休めていた。 072のグループは車体実験がYさんを中心に2〜3種類の基本フレームの応力テストを開始、エンジングループはIさんを中心にロードパルのエンジンを使い、強制空冷エンジンの基本テストを、走行実験は同期入社のM君が走って”ロードパル”の実力を調査していた。 この時期、毎週のように新車のロードパルが”入荷”、全て各実験のプリテスト用でエンジンと車体はバラバラにされ、072試作の車体にロードパルのエンジンを載せた物、ロードパルの自然空冷エンジンを強制空冷に改造したもの等が存在した。また、ホンダも開発には十分でなかった様で、オイルポンプは僅か半年の間に大きく3回、小幅な変更を入れると5回くらいの構造変更があったし、ちょっとヤマハ流にテストすると簡単にピストンの焼き付きが起きて、それを補修する部品注文の数も半端ではなく、当然ホンダも異常出荷に目を光らせ「あまり出荷しないように」と、仕入先の部品商に話があったらしい。そんなわけで、ロードパルは071を担当している別の部署と合わせると約30台以上は購入したんじゃないだろうか、見事に0次試作の用を足したのです。 |