耐久テスト開始して、本社周辺でのエンジンの慣らしも終わりヤマハコースを走る。
重装備の白バイRDはコースのあちこちでひどく暴れた。二人乗りに近い重量で走るのだから、ノーマルでは気にしたこともない車体剛性だったが、白バイ仕様の重装備ではフレーム強度が足りなく感じ、それにスポークホイールのねじれが追い打ちをかけ、速度を出すにつれ風防によって風の流れに変化が起きて、160キロを超すとハンドルが左右に振られることも・・・。

その後エンジン温度が安定すれば(熱ダレという)155キロに下がると同時にハンドルの振れも収まるが、それは直線だけのこと、コーナーに入るといくら乗り慣れたRDでも、とても全開走行など出来ない状況で、直線が終わりスプーンに入っていくところのコブを通過すると車体が大きくぶれて止まらない、スプーン奥での左ターンではつま先よりも先にバンパーが路面と接触してガッガッガッー、ピット横のS字では切り返しにフレームが付いてこない、車体は左から右にターンさせたいが足回りが左コーナーに向いたままで付いてこないのだ。ヘアピン入り口ではブレーキングによりXS650の様にリヤが振れてふーらふら、まるで二人乗りしているかのようにリヤが揺れる。固めにセッティングされたサスペンションも撚れてしまうフレームに対しては役に立たない。

初めのうちはこの風防の取り付け角度を変えてみる。風防を立てると丁度ヘルメットのあたりに巻き込んだ風が入ってきて頭が振られるしハンドルも左右に振れる、寝かせるとハンドリングは良くなるが視界に風防の端が入り見づらいのでベストポジションを見つけだす。そんな工夫もしながらこの暴れん坊をどう乗りこなすか。結局3日間ヤマハコースを走行すると何とか ”振れる”事に体が慣れてフルコース全開で走行することが出来るようになったが、他の人から見れば「笠君の後ろは怖くて走れない」ほどに振られていたんだそうな。

乗りこなしのポイントは、減速からコーナリングに入るライン取りの動作を一発で決めれば振れ出さないことが分かった。途中でラインを変えると車体にねじれが生じ、強度不足と相まってフレームの前後にねじれが生じ、それに対応してバイクを起こしたり、走行ラインを変えると新たなねじれを作り出し、その繰り返しが振れの原因となるようです。それでもバイクが暴れ出したらリヤブレーキを軽く掛ける、すると、リヤに荷重が掛かり安定性が増す。コーナーを曲がりだしたら決してライン修正してはいけないのは分かっても、スプーン入り口やパドック横のS字の切り返し、そして最終コーナー出口のバンピーな路面では気が抜けなかった。そんな工夫の要るバイクでしたね。

白バイ仕様というのは滅多に無いのでみんな乗りたがるほどに注目される。相手を見て「良いよ」と言うと喜び勇んで乗って行くけど、みんな1周目で戻ってくる。「もっと走って距離稼いでよ」と言えば、「よくこんなのに乗れるねー」と降りてくる。そんな中、一人だけ2周走った人が居る。ファクトリーレーサーのテストの日、500のレーサーOW(当時、OWと言えばファクトリーレーサーの型式名称だった)をテストするのに金谷さんと高井さんが来ていた。レーサーの整備でテスト時間に余裕のあった高井さんの目に白バイが目に止まった。「ちょっと乗って良い?」、「耐久車だから注意してねー」と言うと『?』、多分耐久車と言う意味が分からなかったと思う。「サイレンはどこ?」と聞いてくるあたり、なかなかの「通」で、無邪気に喜んで乗っていったが、その姿を見ながら「何周するかいなー」と言ったら、乗ったことのある連中を中心にニヤニヤしている。スタートではレーサーと違う正シフトに”ギャイーーン・・ガシャ!”、パドック横のS字でサイレンをほんとに鳴らして楽しそうだったが、案の定1周で帰ってきた・・・。戻ってきて開口一番「あんたよくこんなのに乗るねー」と言われたが、その後思い直したのか「もう1周回ってくる」そう言って2周目を回った。感想を聞くと「もう良い」、金谷さんが「どう?」と聞くと「乗らん方がええ、怖い」、「じゃあ止めとくか」。

そんな会話をしたあとコースに入り走っているとS字を抜けた後にS字に飛び込んでくるレーサーの音が聞こえた。『抜かれるのはどこだろう』、そう思いながらヘアピンを2速6000回転=60km/hで回って抜けるとS字を立ち上がって来た、『速い!』こっちも全開で加速をするがヘアピンを立ち上がってきた500はとっても速く、パスさせようといつもより130Rの奥までアウト側を走ると、早めにインを突いてきたので、レーサーに目を向けると高井さんだった。横に並んだのを確認してこちらもインに入りOWの後ろにぴったり付ける、『コーナーは一緒じゃん、手を出せば届くなー、でもこれ以上インに入るとバンパーが当たるかな』そう思いながらも130Rのクリップを回る頃から徐々に離され、バイクを起こし始めると一気に『さよーならー・・・』あっという間に立ち上がりで置いて行かれた。

高井さんはレーサーとして乗る傍ら、ライディンググッズの”プロショップ高井”のオーナーでもある。テスト走行の度に試作品のグローブやシューズを持ってきて、使った具合などを確かめていた。昼休みにはテストで来ているみんなと一緒にソフトボールをしたほか、愛車のポルシェ928のリヤウインドゥを近所の子供が滑り台にしたとか、陽気で楽しかった高井さんも82年だったか、SUGOでのテスト中に帰らぬ人になってしまい、それを伝え聞いた時はショックを隠せなかった一人である。
毎年のようにシーズンオフに入ると金谷さんと高井さん二人でヤマハコースのレコードを記録しあっていた。その金谷さんもある年の11月頃だったか、最終コーナー入り口前のS字を3速全開200km位で転倒し、救急車で袋井病院に運ばれたこともある。
高井さんにはもう一つエピソードがある。ヤマハが3気筒の750”XS750”を開発しているとき、何かのテストで高井さんに走ってもらったらしいが、通称”裏のS字”※のコースサイドの芝生が火災を起こしたことがある。原因は高井さんのバンクのさせ方が半端じゃないものだから、接地した部品が削れて脱落し、赤熱していたものだからその熱が芝生に移って燃えたというのだ。その火災以上に皆不思議がったのは「何であんなS字で車体が接地すると?」。下り勾配だし、途中には段差もあってバイクをあまり傾けずに走るのが普通なのだ。これはもう、高井さんのプロとしての気迫でしかない。
※騒音コース脇を走る部分で、登り勾配の130Rを右ターンから左に切り替えると下り勾配に入り、下りきると同時に登り右勾配を駆け上がっていく。250cc以下のバイクではここで最高速が出ます!。

ヤマハコースでは、そのような転倒等の事故に備えて救急車が常備されているし、コースポスト7カ所ある内5カ所で監視しているが、レーサーが走る日は救急車はエンジンを掛けてスタンバイ、コースポストは7カ所全部に監視員が入るようになっている。転倒者が出ると無線でコントロールタワーに連絡が行き、シグナルがレッドに変わると共にトラックが出動して、こぼれたオイルの処理や、破損部品の後かたづけを行う。
そんな時に改めてコースを見ると結構きついバンクになっていることに気が付く。第一コーナーなんて「こんなにきついんやねー」、「走っていたら平らにしか見えんけどなー」と、皆不思議がる。そして、転倒した人は事故報告書を提出しなければならない。
因みに、監視員の仕事はそれだけではない。開発中の車両を盗み見しようとする人がいないかも見ている。怪しい人を発見した場合はシグナルが赤に変わり全車両パドックに戻らされるが、私が走っているときにも2度ほどあった。

ヤマハコースでのRD400の燃費は11〜12km/Lだが、白バイ仕様は最高速度が155km/hと低いこともあり10km/L、およそ50分走るとリザーブに切り替えなくてはならないので次の周回でピットインして満タンにすると12L余り入る、それから逆算すると平均速度135km/h位で走っていることになるのかな。最高速155しか出ないのに、この平均速度は速すぎる?平均以下に落ちるのはスプーン、S字、ヘアピン、130Rはバンパーが接地するのと、最終コーナー入り口は無理して進入すると、かえって立ち上がりで遅くなるため平均ギリギリの速度で走っていた。いかに楽しく気持ちよく走っていたかが分かるだろう。

耐久走行も順調に進んでいるかに見えた4000km過ぎだったかな、ヤマハコースを走っているとS字で3速の入りと抜けが悪くなった、単なるチェンジミスかなと思ったが、次の周回では減速するほどに抵抗を感じるようになった。エンジンの焼き付きでもないし、帰れなくなったらやばいので、予約した昼食をキャンセルし急遽会社に戻る。エンジン設計のK君を呼んで耐久車のエンジンを分解するかどうかを検討、「走れないなら分解するしかない」となって、分解前に点火時期の確認をする。
その後エンジンを車体から降ろして分解すると3速のギヤを動かすシフトフォークが曲がって焼き付きを起こしていた。
そうなった原因は標準のRD400ならS字は4速で走れるのだが、通過速度が10〜15km落とさないと走れない白バイ仕様は3速を使わざるを得ないため、負担が掛かった3速ギヤのドッグ噛み合い量が基準値内でもギリギリだったので、重量のある白バイ仕様では、その加速トルクに負けてドッグの噛み合いが外れそうになり、シフトフォークを押し曲げた物だった。(以前に、3速の駆動トルクが一番高いと書いたことがある)
その状況をK君に見てもらい、エンジン組立ラインで基準値の再確認をしてもらうと同時に部品を手配してもらい、翌日入荷した何個かのギヤの中から噛み合い量が一番大きい組み合わせを選んで組み立てた。これ以後、同じトラブルは起きなかった。