耐久テスト中で一番走行距離を伸ばした時は4時間ほどで550km走ったのが最高です。
一日に500km以上走るのは簡単ではない。終日コースが使えて、テスト車両は交換部品・定期交換部品が無く、タイヤなどの消耗品がその日走るだけ保ち、トラブルの発生が無く、体のコンディションが良いこと等。つまり一日中走ることだけに専念できれば良いのだが、それがなかなか出来ないんだなー。

その日は何となく『今日はたくさん走られるかな?』と思いつつ朝礼の後、外出許可証とコース使用許可を受け皮つなぎに着替えて8時半には会社を出た。ヤマハコースには20分ほどで着くと正門はまだ閉じているので、インターホンで開門する了解を取って入場。まだ監視塔に入る人がトラックに乗っている最中、管理に許可証を提出し昼食の手配を済ませ、ガソリンを満タンに補給し暫く待つと走れるようになった。
その日のTOPでコースに入るのは何か気持ちいい。コースと耐久車のコンディションを確かめるように初めは少しペースを下げて走り始め、徐々に全開走行モードに。50分走るとガス欠になるのでピットイン、と言ってもガソリンを補給するのみ、休憩なしに走り続ける。午前中は3回目のガス欠でピットに入った時点で400Km近い距離を走った事になり、『この分だと800kmも行けるかな!』と、新記録へのかすかな希望が・・・。

昼食後はソフトボールやって50分頃から午後の作業に向けて準備に入り、上半身を脱いでいた皮つなぎを着直して「さあ走るぞ」と、耐久車に跨ると「今から騒音コースで騒音検査あるから、走行は中止して下さい」。
皆、「そんな連絡受けていないよ」と、ブーブー。「午後のコース使用料は担当課が負担するそうです」の説明があるだけ。勤務中なのでソフトボールして時間つぶしも出来ないし、その日走るルートも届けている為(事故などで行方不明にならないように)コース以外では走れない。
検査の所要時間も分からず、ただ終えるのを待つだけの無駄な時間が過ぎていき、『今日は長距離記録に挑戦できる予定になっていたのに・・・』残念だ。

2時間過ぎてやっと走れるようになった。ちょっと緊張の糸が切れてしまったが、気を取り直して走り出したが、耐久テストの車両は5時までには帰社するようになっている為、ヤマハコースを4時半には出なくてはならない。なので、実質走れたのは1時間ちょっと、午前中からたった150kmの距離を伸ばしたに過ぎない。あの2時間があればプラス270kmで820km走られたはず・・・だったのに。当時の記録は700km位が最高と聞いているが。

会社に戻り点検すると2・3日前に交換したばかりのタイヤが4分山を切っていて、ヤマハコースで距離伸ばすと後が大変だ、との反省でその後はトライしなかった。そうです、ヤマハコースだけを走るとタイヤの寿命が1200〜1500kmでスリックになるので、二日しか持たない計算です。
もっとも、当時はオフロードバイクの開発を行っていたIさんが、昔RDのテストをやっていた時の事を話してくれたが、コーナーでステップが接地して削れるために、交換用のステップを持っていった事もあるとか。
※Iさんが走っていた頃のステップは固定式なので摩耗は早かった。固定式だと転倒時に足が挟まったままになるし、路面に引っかかって転倒しやすいなどの問題から、戻しスプリングが付いた現在の形に変わっている。

ある時はヘヤピンの進入で前を走るDTで走るYさん※を捕らえようと、かなりバンクさせて曲がったときは、クリッピングポイントの先で少し上がっている部分にフロントバンパーが激しく当たり”ガッ−ン”、飛ばされたかと思うくらいにバイクが横向いて、転倒しては一大事と、必死になって頭をコーナー内側に入れて難を逃れた事がある。それにしてもバンク角の深いオフロードバイクとヘアピンで一緒に走ろうなんて無茶だねー。

雨が降っているときもヤマハコースを白バイで走ったけども、同じ日に品保課(品質保証課)のRD400耐久テスト車が走行していた。ヤマハコースの路面抵抗(摩擦係数)は大きく、一部を除き一般路の晴天時の摩擦係数に近いと言われている。雨降りでもステップを着かせることが出来るくらいです。
標準車のRDと白バイの速度差は20km/h近いものがあるけど、私が立体交差上のストレートを走行していると、ヘアピンを回るRDが見える。引き離そうとコーナーで頑張ってみるが滑りそうになる。特に、スプーンから立ち上がり結構きつい坂を上った所から右コーナーに入るところで5速全開で切り返しをすると、リヤが”ツルーーッ”と流れ出しカウンターステアを切ることになりとても怖い。コースで一番摩擦係数が低いのかなと思うし、グリーンからあふれた水がコースを横切るように流れているため滑りやすいのだ。晴れた日には全然気にならないけど・・・。そこまで頑張っても結局2台の間隔は変わらなかった。

※鹿児島出身の人で一つ年上の方、寮が同じ。GT50/80等でのミニバイクレースが盛んな頃一緒にチームを組んでレースに参加していた仲間でもある。

テストで走るコースは、テストコースであるヤマハコースと一般市街地とをあわせて走ることは以前にも書いたが市街地に制限速度があるように、実はテストコースにも制限速度がある。入社当時その様な規制は無くて、テスト走行する個人の技量の範囲で各種のテストを行っていて、転倒や危なっかしい走りをしていると注意されるくらいで終わっていたし、転倒事故は自己責任との認識だったし、先に書いたように、私自身結構楽しく走っていたが、そうも行かなくなった事情が起きた。

製造部門であろうと技術部門であろうと事故による労働災害が起きれば、所轄の労働基準監督署に届け出る必要があるのだが、テスト走行中の転倒事故での「休業災害」も例外ではない、皆社員なのだから。
本社工場の入り口から見える8号館の西側に大きな緑十字の無事故日数掲示板があり、通常は緑で埋められていくのだが、休業災害が発生すると「赤」の日付が入る。
ある月に3件ほどの休業災害が起きて、それがみんな走行テスト中の事故なので、製造部門は事故が少ないのに「技術部はたるんどる」と、製造部の責任者、杉山重役から強く意見されたのはもちろん、労働基準監督署からも改善策を提示するように求められたりして、開発グループの責任者が一名ずつ参加して「走行安全委員会」が発足、テストコースの走行基準が強化された。

そこから出された安全対策は、担当車両と技量の兼ね合いから小排気量の「赤」、中・大排気量で「黄色」、中・大排気量でベテラン社員の「緑」のスコッチラベルをヘルメット後部に貼って区分、転倒事故の多いヘヤピンは30km/h以下!で走行するよう制限速度と標識まで設けられ、コーナーではステップが接地しないこと、定地性能テストの0−400mや最高速テストは必ず両手でハンドルを支持して計測する(3速以上は片手で”伏せ”ていたから)、こと等。「そんなにがむしゃらに危険を冒してまで記録を出す必要はない」と、安全委員長のN部長からお達しが出た。

緑かなと思った私のラベルは”黄色”でした。主任からもうすぐ笠君も072の開発に参加するんだから必要ないだろう。
はじめはステップも着かせず、速度も守って走っていたが、しばらくすると何となく周囲も緩くなって従来通り”飛ばして”走るようになり、例に漏れずスプーンでガリガリ、S字でチッチッ、チッチッ、130Rはチャンチャンチャン、ステップやバンパーをこすりながら走行していた。すると、見られていたんだねー、S主任にW君共々怒られて「ステップ付かせるまで倒しちゃイカン」と、言われ、楽しみが消えてしまった。

因みに、危険度の高いテスト走行の中でもレーサーとなると余計に怪我をする機会が多い。
実験部では市販モトクロッサーYZの開発を行っていて、安全委員会が発足してから後、危険度の高い125/250の開発に当たるライダーは国際A級ライセンスを持つ社員を契約社員に変更して転倒事故での入院でも会社の責任は直接問われないようにしたようです。また、ロードレーサー開発は研究課の仕事で、ファクトリーライダーやサポートライダーが務め、市販レーサーのTZの組立が終わると全車ヤマハコースでの完成検査試走が行われる。この試走の仕事はサポートライダーの仕事です。